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読書中 自死という生き方 須原一秀

★★ 嫌なこと、全部やめても生きられる プロ奢ラレヤー
昨年末に読んだ、「レンタルなんもしない人のなんもしなかった話」でこの著者のことを知りました。この二人は現代日本が産んだ不思議な若者と言えるでしょう。本にある著者紹介には以下のように書いてあります。
プロ奢ラレヤー
本名、中島太一。22歳、年収1000万円の奢られ屋。「他人のカネで生きていく」をモットーにツイッターを介して出会ったさまざまな人に「奢られる」という活動をし、わずか6か月でフォロワー2万人を獲得。現在、フォロワー約9万人。奢ってくれた人々との邂逅を綴った「奢ログ」を含んだ日々の考察を有料 note 「プロ奢ラレヤーのツイッターでは言えない話。」として配信中。好きなものは猫とペンギンと下駄とサウナ。嫌いなものは靴下と、決められたスケジュールに従うこと。
奢る(奢られる)のは食事のようです。どんな人が奢りに来るのか・・
さて、僕の「本業」は「奢られ」である。ツイッターで奢ってくれる人を随時募集しているが、僕に奢ることができるのは、次の条件のうちどれか1つでも当てはまった人だ。・(ツイッターの)フォロワー5000人以上・面白い前科あり・博士課程卒 or 在籍・レアな職業(人口5万人以下くらい)・知り合いに話せない秘密がある・誰にも負けない好きなものがある・僕に2万円払うDMをくれた人と話をして、面白そうだなと思ったら合う。なぜ、こうした条件を提示するのか? そのほうが面白い話を効率よく聞けるからだ。奢りに来る人は、実にさまざまだ。漫画家、インフルエンサー、五輪代表、世界チャンピオンなどの超有名人から、裏社会の人、障害を持つ人、外国人まで各界各層まんべんなくいる。毎日毎日、社会の縮図を見ているようで楽しくて仕方ない。流入経路もツイツターだけでなく、人づてに聞いたり、まったく関係ないことがきっかけだったリする。(p.98~p.99)
本当なのかと思ってしまう。著者の服装がユニーク、以下のように書いている。本には写真あり。
僕は365日ほとんど同じ洋服を着て、同じニット帽を被っています。もちろん同じものをずっと着ているのではなく、まったく同じ衣服を7着持っていて日々ローテーションしてます。靴下を履くのが苦手なので基本的に足元は下駄。それ以外のものを履くってことはまずありません。冬は寒ければ国外逃亡するので問題ないです。(p.79~p.80)
本の内容は人生訓(生き方)に関してがほとんどと言っていいでしょう。まともなことをいっているようで、ズレているようで、何処かで聞いたことがあるようだったり、嘘だろうというようなこともあったり、例えば・・
彼は某空港でひたすらパスポートのチェックをしている。あの入国審査をする人だ。1日あたり500~600件ほどのパスポート確認を、朝10時から翌朝10時まで、ほぼぶっ続けで行う。その間、座りっばなしの24時間労働。想像するだけで気分が悪くなりそうだ。(p.103) こんなことがある?
あとがきには・・
最後に。ここでちょっとしたカミングアウトなのですが、実はこの本、僕はほとんど書いていません。「まえがき」と、この「あとがき」だけは僕が書きました。「ちょっと本みたいに長い文章は書くの疲れそうだし、嫌だなあ」と思ったので本を書くのもやめてみました。やめちゃった。テヘ。もちろん、僕の考えがまとめてあるのは本当です。でも、書いたのは別のライターさん。内容を話したのはもちろん、僕です。だから実質、僕の文章。この本のタイトルどおり「嫌なこと、全部やめても生きられる」ということで、許してください。ほら! 見たか! 嫌なこと全部やめても生きられただろ!(適当) (p.222)
レンタルなんもしない人、と似ています。この先どうなるのか、5年後、10年後・・・ そんな先はないかな?

★★★ 赤松利市
赤松利市、四冊目。またまた趣向がガラッと変わって、ホモ・セクシュアリティの話。60過ぎ(さくら)と20代前半(沙希)のゲイが主人公。大阪の座裏(新歌舞伎座裏)で泡盛に特化した店をやっている。そこに、さくらの昔の男がやって来て騒動が勃発。相変わらず、読ませる文章、ストーリーはすごい。ただ、話が話だけに独特な言葉が沢山出てきて面食らった。セックスの描写も過激で、半ば暴力行為である。私には拒絶反応はないが、気持ちのいいものではない。途中で過去のことが挿入され、人物の生き様が浮かび上がり、うまいと思った。舞台は西の方へ移動し、紆余曲折、多少ご都合主義的な展開もあるが、よく練られた流れになている。終わり方もよし。面白いとは思うが、一般の健全な生活をしている人にはお薦めできない、でしょう。

★★ 「承認欲求」の呪縛 太田肇
著者は、これまで承認や承認欲求について、そのポジティブな面を取り上げてきたが、次第にネガティブな面が気になり始め、この本を書いたそうです。読んでいて、ネガティブな面の例がパターン化されていて、何か現実的なものとは感じられませんでした。著者は呪縛を以下のように定義しています。
「認知された期待」「自己効力感」「問題の重要性」を呪縛の三要素と呼ぶことができる。定式化すると、(認知された期待-自己効力感)×問題の重要性=プレッシャーの大きさ、すなわち「承認欲求の呪縛」の強さである。(p.127)
呪縛の例として出されているものも、無理矢理承認欲求に結びつけられている印象です。解決策は見事なのですが、果たして実現可能なのか、机上の空論に思われます。
いろいろ文句を言いましたが、読んでいてスンナリ頭に入ります。それだからこそ、面白いと思いつつ、何か全面的に没入できない気持ちになりました。もっと論理的に反論できればいいのですが、私にはその力がありません。

★★★★ 看取り先生の遺言 奥野修司
副題、がんで安らかな最期を迎えるために。
著者はジャーナリスト。タイトルの、看取り先生、岡部健医師、がこの本の主役である。外科医だったが思う所があり在宅緩和ケアに方向転換。そして自らが胃がんになり、肝臓に転移。岡部医師の体験と知識は貴重なものということで、著者がインタビューをして、この本になったという次第。大部分は岡部医師の語りで、所々に著者の補足説明のようなものが入る。2013年1月に出版された本なので、内容的には古いものがあるかもしれないが、岡部医師の主張にはとても説得力がある。
(緩和ケアは)痛みをとる治療や心のケアや、生きることばかりで、死にゆく人の道しるべがない。見送る先があってこそ媛和ケアなのに、闇に降りていく道しるべを示せなければ、本当の意味の緩和ケアなどできないのではないか。なぜ死に至るときの道しるべがないのかと考えたとき、これが数百年前なら、こうすれば楽にあの世に逝けますよといった、死にゆく人の道しるべばかりだったことに気づいた。その道しるべの役割を果たしていたのが宗教である。それが近代社会になって、生きる手だては解析できるから情報として提示したが、死ぬための方法など観察しても検証できないとして切り棄てたのである。(p.51)
緩和ケアのあり方は確かにそうだろう。しかし、道しるべ、ならいいが、宗教、となると・・・
抗がん剤自体に発がん性があるのに、そのことが最近まであまり意識されてこなかった。たとえば健常者に、予防のために抗がん剤を打ちましょうと言わないのは、抗がん剤には遺伝子毒性があり、投与すれば必ず悪さをするからである。私と一緒にがんを手掛けてきた同僚は両手で数えられないほど亡くなったが、ほとんど“がん死”である。がんの治療医だから、抗がん剤を吸い込んだのだろう。(p.68) 抗癌剤は毒!
患者さんはがんになったら、必ずがんで死ぬと思っているが、実は三分の一は感染症で死んでいる(アメリカ癌学会は、がん患者の四九%はがん以外で死亡していると発表している)のである。とすれば、ストレスをかけるかかけないかで予後に対する影響が変わってきてもおかしくない。がんと穏やかにつきあっていると長生きする可能性があるというのは、あながち嘘ではないのである。(p.84~p.85) がん患者は必ずしもがんで死ぬわけではないようです。
肺がんの専門医であった岡部医師は、「治せないがん患者の専門医になろう」と、一九九七年に宮城県立がんセンターの医長から在宅医に転じたが、病院ではあまり見られなかった現象が、在宅では日常茶飯事に起こつていることに気づいた。死に臨んで、すでに亡くなっている人物や、通常見ることのできない事物を見る「お迎え」体験もそうだ。しかし、国民の八割ちかくが死亡する病院では、非合理的な「お迎え」現象は、今も幻覚を伴った「せん妄」として処置されているという。岡部医師は、お迎えがせん妄によるものかどうかを論じるよりも、「お迎え」を体験した患者がほぼ例外なく穏やかな最期を迎えることに着目してきた。それゆえ「緩和ケアの最終的なテーマは、どれくらいお迎えが来て、いかに穏やかに看取ったかなんだから、お迎え率が大切なんだ」と、二〇〇二年から三度にわたって、遺族を対象に「お迎え」体験の調査をしている。<略>その結果、実に四二・三%の人が「そういうことがあった」と答えている。三次調査では、調査範囲を宮城県南部から福島県に広げたが、四一・八%とほぼ同水準だった。(p.174~p.175)
「お迎え」とは、心の持ち方、精神の安定、と考えてもいいのかな。
二〇〇八年の『日本人の国民性調査』では、二十代の五〇%弱があの世を信じている。遺族調査で「お迎え」があったと答えた遺族が四割以上だったのも、このあたりとつながっているように思う。あの表(百九十六頁)では、あの世を信じていながら、<信仰・信心を持っている>層がわずか一三%になっているが、これは宗教心を持っているのに、宗派を信じていない、つまり、既存宗教に共感できないだけなのだ。宗派を信じていないが、祖霊神は信仰しているから、お盆になると、国民の祝祭日でもないのに会社まで休んで、まるで民族大移動のごとく墓参りに行くのである。「日本人は無宗教」というのは一神教の視点から言っているのであって、日本人は無宗教どころか、祖霊信仰という宗教心は非常に篤いのである。かつて、自宅での看取りが可能だったのは、ごく普通の人の中に宗教心が息づいていたからだろう。ところが病院死によって、こうした宗教心を覆い隠してしまった。無宗教といいつつ、ほとんどの人が潜在的な宗教心を持っているなら、そのあたりを依(よ)り代(しろ)にしてケアしていけば、少なくとも看取る家族の気持ちを穏やかにできるのではないだろうか。(p.225~p.226)
一神教の視点から見ると、日本人は無宗教、まさにそうだと思います。アニミズム。
人間は必ず死ぬ。死亡率一〇〇%の生き物である。だから、ほんの数十年前までは、死を迎える価値観があった。ところが、今は衰退して、生き続けるだけの価値観になってしまった。「食べられなくなったら、死を迎えるための準備に入ったんだよね」という価値観が共有されていたら、胃ろうを入れるという選択肢にならない。食べられないのは病気だという価値観しかないから、胃ろうという選択肢が生まれるのである。ある意味で、胃ろうは自然死を支える手だてを放棄した結果ともいえる。私が在宅を始めた頃だったが、認知症で徘徊している人を見て、あるお母さんが 「神様に近くなった人だからね」と、子供に諭していた。いい言葉だなあと思う。もっとも穏やかに死んでいくには、内臓障害がなくて、意識障害が先に進行してくれるのがベストなのだから、そう考えれば、認知症は神様が与えてくれた穏やかな終末期ともいえる。神様に近くなった人に、まさか胃ろうを入れようと思わないだろう。(p.230~p.231) 少しでも長く生き続けることが重要視され、死は悪いことになった、これが問題?
いろいろなことを考えさせられる本でした。生について、死について、もう少し考えようと思います。

★★ 絶対に休めない医師がやっている最強の体調管理 大谷義夫
タイトル通りの本。ただ、「絶対に休めない」はそうなのか? 私は「絶対」という言葉が嫌いです。「最強」もどうなのでしょう。
確かに徹底してやっているのは判ります。しかし、普通の人はそこまで出来ないと思います。私の歳を考えると、今更こんなことをやる必要もないと思いますが、医者がどんなことをやっているのかチョット興味があったので読んでみました。
体調管理には大きく三つの柱があります。
1.体調を崩す最大の原因である風邪・インフルエンザを予防する
2.食事など生活習慣を整えて「体調を崩さない基礎体力」をちける
3.睡眠不足や運動不足など「不調のトリガー」を取り除く
(p.6)
で、第一章は風邪の予防。聞いたことのある内容ですが、やり方が徹底してます。①正しいサイズのマスクを選ぶ②マスクをつける前に手を洗う③つけ外しはゴム紐の部分を持って④「使い捨て」を徹底する (p.37~p.40) 
著者は診察のある日には一日20枚、診察のない日は4枚以上使っているそうです。
第二章は「風邪による体調不良はどれだけ早く治せる」。著者も言っているが、風邪はそのうち治る。まあ医者はそんな訳にはいかないのでしょう。第三章は生活習慣について。著者の24時間を公開。印象的だったのは、朝の舌出し体操(私の父親もやってました)、朝食はヨーグルトにリンゴ、バナナを混ぜて(リンゴは皮付き)、昼休みに15分の昼寝と10分の散歩、夕食にトマトを加熱して食べる。第四章は食事術。ここでも、リンゴ、バナナ、ヨーグルトが推奨されています。コーヒーは一日3杯。
日頃から話しいていることを本にしたという感じ。内容そのものよりはその実践法に主眼がありそうですが、一般人には実行は難しく(少なくとも私には)、そこまでやる必要があるのかと思いました。もう一つ、風邪とそれ絡みのことだけではなく、もっといろいろな病気についても書いてあればいい、というか、それを期待していたのですが。

府中三億円事件を計画・実行したのは私です。 白田
タイトルに騙されて読みました。どんな衝撃的なことが書いてあるのか、期待したのですが、この意味ではハズレ。三億円事件については何の説明にもなっていません。内容的には恋愛小説といえるでしょう。それもチョット有り得ないような。ただ、文章が上手いわけではないのですが、読みやすく、文字数も少なく、スルスルと最後まで行きました。著者については何も判りませんが、事件当時学生ではなかったと思われます。あの時代が全く判っていません。
奥付に、それも最後に小さな文字で、「この作品は、フィクションです。」と書いてあります!?!

★★★ この星は、私の星じゃない 田中美津
著者は70年代初めのウーマンリブを牽引した人。82年には、鍼灸師となり治療院を開設、現在に至る。この本は、著者がこれまでに雑誌などに書いてきたものを加筆修正して集めたもの。
この本を読んで、ボンヤリとイメージしていた田中美津がとても真摯に人生を歩んできたということが判った。表面だけみていると誤解の恐れはあるが、一本芯の通った生き様だと思う。それはこの本に収められている対談で見えてくる。聞き手は三人、千田有紀、北原みのり、上野千鶴子。前の二人はよく知らない人、聞き手というよりは、かなり自分の意見を述べていて(特に千田)、その観念的なことに対して、著者は経験に基づく考えを的確に述べている。上野千鶴子は流石だと思った。質問が的確で、上手く答えを引き出している。ここの部分で著者の人物像が浮かび上がる。最後は、伊藤比呂美との往復書簡。赤裸々な内容で面白いのだが、要約引用不可能。対談も往復書簡も、同じような思想を持った者同士の馴れ合い的なものではなく、緊迫感があっていい。
昔読んだウォール・ストリート・ジャーナルにすごくショッキングな記事が出ていてね、全世界で稼働している四〇〇以上の原発のうち、中程度以上の地震危険地帯に設置されている原発は五六基ある。そのうち海岸から一マイル(一・六一キロ)未満で地震にも津波にも弱い原発は三九基で、な、なんとそのうちの三五基が日本にある原発なんだって! (p.27)
女性問題に限らず、すべての差別問題、社会問題は、生まれた時に決まってしまうさまざまな格差をほとんど不問に付したところで論じられていく。同じ障害を持って生まれても、貧乏と金持ちでは、美人と不美人では生きる重さが違うのに。社会的差別からは不問に付されてる運命というしかない動かし難い不条理。それが重くって、フェミニズムなどの社会的な活動に近づけない人って、実はた~くさんいるんじゃないの? (p.32~p.32)
「この星は、私の星ではない」という映画が昨年公開された。残念ながら、広島では未公開。
「明日は生きてないかもしれない…という自由 」という本も読む予定。

読書中 神々の沈黙 ジュリアン・ジェインズ
副題、意識の誕生と文明の興亡。600ページ近い大冊、いつ読破できるか。