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読書中 食パンをもっとおいしくする99の魔法 パンラボ池田浩明

読書中 歴史は実験できるのか
編者「:ジャレド・ダイアモンド+ジェイムズ・A・ロビンソン

読書中 日本衆愚社会 呉智英

★★ お金のいらない国 長島龍人
お金のいらない国、のメルヘン。そのような国を描いていて、あったらいいだろうとは思う。では、どうしたらそのような国が出来るのか、については書いていない。この本を読んだことを切っ掛けにして、生きることの意味など色々と考え想像し、自由に発想するのも楽しいのでは、と提案している。
私は、理想社会のイメージからではなく、現実社会から思考をはじめることを好む。

★★★★ 世界史序説 岡本隆司
副題が、アジア史から一望する。つまり、世界史を欧米の見方ではなく、アジアから俯瞰しようという試み。地理や気候などの視点からも論じていて、中々に説得力があり、読み応えのある本。世界史の知識が薄れていっている私には難しい箇所があったが、大きな流れの説明が面白い。特に日本に関して、勿論欧米とは違うが、かといって、アジアとも違う、独特の歴史を持っているということが興味深い。
西洋人の思考法では、おそらく自国史(ナショナル・ヒストリー)は自ずから、ヨーロッパ史に連続する。西欧の歴史は政治にしでも経済にしても、一国だけでは語れない局面ばかりだからであり、ナショナルはとりもなおさず、インターナショナルになる。そしてそのインターナショナルなヨーロッパ史・西洋史はまた、ごく自然に「世界史」に拡大する。ヨーロッパ帝国主義が世界を制覇したからである。西洋人の歴史感覚はそういう構造になっていて、西洋史に関するかぎり、それでまったく違和感がない。そんな感覚が、これまで「世界史」と密接に関わってきたグランド・セオリーすべての根抵にある。逆にそこが異邦人には、共感しきれない。実感がともなわないからである。同じ図式をたとえば、日本にあてはめてみよう。日本史は西洋史と同じく、古代・中世・近世という時代区分・発展段階をほどこして体系化された。ここまでは、ごくスムーズである。しかしこの自国史たる日本史が、東アジアの東洋史にうまく接続しなかった。近世・近代の範囲で西洋史と直結し、ほぼそれだけにとどまっている。(p.19)
グローバル時代は地球の一体化・ボーダレスをもたらした半面、それ以上にローカリズム、もっといえば独善の時代にほかならない。テロなどはその典型である。情報の氾濫はその良否是非の辨別取捨を不可能にした。かくて、一知半解を蔓延させ、見たいものしか見ない、不都合な事物には耳を貸さない世相をつくりだす。歴史の文脈でいえば、史料を読まず史実をみずに、観念的・政治的な歴史像が横行するようになった。中国のとなえる「歴史認識」は、その典型である。しかし極言すれば、いわゆる「文明の衝突」や「グローバル・ヒストリー」も、さして隔たりがあるとも思えない。中華主義的言説と西洋中心史観とは、.視座・概念・感覚で一脈通じるところがある。(p.27)
以上二つは、はじめに、からの引用、この本の内容を示している。
ニュースというものは、事故にせよ事件にせよ、異常事態を伝えるものである。歴史の記録として残るのも、そうしたたぐいが多い。ニュース記事だけが事実・現実だとすれば、われわれの社会は交通事故・殺人事件しかない、恐ろしい生活になってしまう。日常の営みはあたりまえのことであるから、当時の通例・常識・茶飯事は、いちいち記録しない。かえっで史料に残りにくいのである。だとすれば、遊牧民が攻撃や破壊の行為におよぶのは異常事態、そうしないほうが通常だった。ではモんな平時の関係ははどうか。むLろそちらを問わねばならない。(p.50~p.51)
寒冷化がひきおこした打撃の最も大きかったのは、オリエントから遠い寒冷な地を占め、なお後進的な旧西口ーマと中原だったかもしれない。逆にその両者が、当時の世界が直面した危機の典型をなすともいえよう。とりわけ「大移動」の衝撃を被った東西の農耕世界では、なるべく荒廃地を減らすため、収容した流民を土地に縛りつけて耕作させる方法が一般化した。厳しい環境のもと、労働力を最大限に生かそうとするねらいである。これがヨーロッパでは、いわゆる封建制につながり、東アジアでは均田制となった。成形化した具体的な制度は異なりながらも、土地せ労働の結びつきを緊密化させる方法原理で、東西さして大差なかったといってよい。(p.65)
卓絶した軍事勢力として発足したモンゴル政権。かれらは一三世紀の前半、ユーラシアの大半を軍事的政治的に統合すると、その過程でむすびついた商業資本と提携し、同じ世紀の後半期には、新たなシステムを構築して、いわば経済国家への脱皮を遂げた。その交流圏・経済圏は、政治的な支配がゆきとどいた範囲より、一回りも二回りも大きい。ほぼ当時のユーラシア世界全体を巻きこむ規模となっていた。(p.157)
中央アジアがイスラームの西アジアと非ムスリムの東アジアをむすびつける役割を果たしたように、イタリアはオリエントとヨーロッパを結合させた。時期的な推移も、パラレルである。イタリア・ルネサンスの最盛期は一五世紀、マー・ワラー・アンナフルを本拠にしたティムール朝の全盛と重なっており、ともに「一四世紀の危機」を経、ペスト禍を乗り越えて獲た繁栄だった。そして同じ一五世紀の終わりに、大航海時代を迎えると、そろって凋落した点までそっくりである。(p.204)
以下のふたつの引用は成る程と思った。
「ルネサンス」以降の欧米は、そこにアジア起源の商業・金融をとりいれ、発展変型させ、次々に「革命」をおこしていったのである。その過程は現在進行形で続いているといってよい。逆にいえば、封建制・キリスト教・政教分離がなくては、近代世界経済は成り立たなかったということになる。封建制・キリスト教を「中世」と呼ぶなら、「中世」という前提のないところに、近代はありえない。そしてアジア史は、その「中世」をもたなかった。だから東西は「分岐」などしていない。はじめから異なっていた。あえて「分岐」というなら、はるか「中世」の昔から、あるいは生態環境の初期条件から、始まっていたとみるべきである。(p.242)
現代世界のあらゆる国々が、ひとまず欧米のスタンダードで国際社会を構成するのは、西洋化を是とするコンセンサスができ上がったからである。日本の存在はその意味で、抜きんでているといっでよい。しかし日本史の経験は、東西のアジア史と決して同じではなかった。それだけにいわゆる「国際社会」、欧米スタンダードに対する態度・言動は、日本自身と、日本に近い東アジアと、さらには遠い西アジアとの間で、まちまちにならざるをえない。「歴史認識」・「領土」問題など、厳しい東アジア情勢の多くは、そこに起因するし、また西方で多発するテロや紛争も、同じ文脈による。(p.259)


★★★★ 悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト 浦久俊彦
興味深い本だった。時代の中でパガニーニを捉え、過不足なく歴史にも言及し、音楽的な説明も十分。先ずは、長くなるが、「おわりに」にある文章を引用。
クラシック音楽の世界で、現代の音楽家といって誰もが思い浮かべるのは、パフォーマー(演奏家)である。クリエーター(作曲家)ではない。歴史的な大作曲家はともかく、現代の作曲家たちは、演奏家たちが華やかなステージでスポットライトを浴びることに比べれば、注目されることの少ない日陰の身といっていい。新聞や雑誌でコンサートが論じられるのは、もっぱらパフォーマンスの善し悪しであり、聴衆の喝采を浴びるのはつねにパフォーマンスのすばらしさに対してだ。つまり、現代は、パフォーマンスがクリエーションを覆い隠している時代でもあるのだ。かつてはそうではなかった。クリエート、すなわち「創造する」ことに価値があると考えられた時代もあった。十人世紀から十九世紀にいたる近代西洋音楽の全盛期は、クリエーターだけが巨匠として名を残すことができた。バッハも、モーツァルトも、ベートーヴェンも、ショパンも、すぐれたパフォーマーでもあったが、それは偉大なクリエーターだからこそのパフォーマンスであり、それゆえに彼らは「巨匠」と呼ばれたのだ。ところが、その巨匠たちの時代に、たったひとりの異端児が登場する。それが、この本の主人公パガニーニである。彼が西洋音楽史に名を刻んだのは、何よりも圧倒的なパフォーマンスゆえだ。作曲家としての彼の作品が後世に与えた影響もはかりしれないが、それでも、彼のヴァイオリニストとしてのパフォーマンスが、社会そのものに与えた衝撃的なインパクトとは比較にならない。いまから二〇〇年もまえに、悪魔というアイコンを自らのブランディング戦略に活かし、その名声だけでなく悪評をも自身のブランド価値を高めるために利用し、かつてどの音楽家もなしえなかった莫大な富と名声を築いたひとりのパフォーマー。芸術とは創造であると考えられていたような時代にあって、その悪魔的なパフォーマンスが、社会現象ともいえる圧倒的な熱狂の渦に大衆までをも巻き込んだのは、彼がはじめてだった。というよりも、ひとりの演奏家が社会現象になるという、ビートルズやロック・スターにも通じる大衆文化の時代が、彼の登場とともに幕を開けたといえるのだ。現代という時代そのものを覆い尽くす「パフォーマンス」 の正体を見極めることは、誰にもできないかもしれない。ただ、時代の意味を問い、パフォーマンスの来歴を知るためにも、たんなる西洋音楽史の登場人物としてだけでなく、「パガニーlこという名前は記憶されておくべきだ。このことは、もっと強調されてもいいと思う。(p.206~p.208)
パガニーニは卓越した演奏家だった! 膨大な富と名声を築いた! 浅学にして知りませんでした。演奏力で各地を回り、生涯色々な病気に苦しんだ、ということも驚きです。音楽からは窺い知れないタフさだと思います。
資料を集めながら驚いたのは、伝記、研究論文、書簡集などの関連資料のほかにも、直接関係ないと思われる当時のヨーロッパの歴史資料や、社会、風俗、経済にかんする資料のなかに、パガニーニの名前があまりにも頻繁に登場してくることだった。彼がいかに当時ヨーロッパの流行の最先端にいたかがわかる。(p.7)
そもそも初期のキリスト教会では、音楽は快楽と結び付けられ、汚れたものとみなされていた。とくに楽器の演奏にかんしてはそうだった。ギリシャ、ロシア正教などの東方教会では、人の声のみが神のことばを伝える楽器であり、いまでも教会での楽器演奏を一切禁じているところも多い。(p.162)
バッハなどの宗教音楽によって、教会はまるでクラシック音楽の母胎のように考えられているが、バッハに代表されるドイツ・バロック音楽の基盤は、カトリック教会から分裂・独立して、積極的に音楽を布教に活用したプロテスタント教会にある。同じキリスト教会といっても、カトリックとプロテスタントでは、そもそも音楽に対する姿勢が異なつているのだ。ギリシャ語のカトリコス(普遍的)という語源を持ち、音楽に対しても厳格なカトリック教会からみれば、パガニーニのように楽器ひとつで民衆の心を惑わせ、狂わせるような輩は、忌み嫌うべき存在でもあった。(p.163)
ヴァイオリンという楽器についても解説しています。
他の多くの楽器たちとは違い、ヴァイオリンは長い時間を経て改良と熟成を重ねた楽器ではない。ある日突然、ほぼ完成した形でこの世に誕生した。まるで天から降りてきたかのような不思議な楽器。だが、ヴァイオリン製作の黄金時代は、二世紀も続かなかった。ヴァイオリンの聖地としてのクレモナの隆盛も、ストラディヴァリの弟子たちがいなくなると、まるで火が消えたように失われてしまう。ごく一部の名工たちだけが製法の秘密を知り、いまだに誰もその秘密を解き明かせないヴァイオリンの謎。こうなると、楽器の話というより、もはやミステリーである。(p.178)
ストラディヴアリに遅れること約半世紀後に生まれた、このグァルネリただひとりが、ヴァイオリンの頂点ともいうべきストラディヴァリウスを超えたというのも凄いが、ただ、それも彼の楽器すべてがそうだったわけではなく、ごくわずかの奇跡の傑作とも呼ぶべき何挺かのヴァイオリンだけが、そう評価されている。そのなかの一挺が、パガニーニの生涯の伴侶ともいうべき愛器「カノーネ」である。(p.190)
この愛器は、パガニーニの遺言に反して、たまに貸与と演奏がなされている。さらにそのヴァイオリンを使った録音もあるとのこと、調べて聞いてみよう。
パガニーニはその財力にものをいわせ、数々の名器を収集した。中でも弦楽四重奏の楽器をストラディヴァリで揃えるということを成し遂げる。「パガニーニ・クヮルテット」と呼ばれ、特定の弦楽四重奏団に貸与され、四挺が同時に使用されている。この演奏も聴いてみたいが無理でしょう。日本音楽財団が購入し(1500万ドル!)、東京クヮルテットに永年貸与されていた時期もあったそうですが、同団が解散し現在はオーストリアのハーゲン・クヮルテットに貸与されているそうです。

★★★ ソウルフード探訪 中川明紀
副題、東京で見つけた 異国の味。世界各国のソウルフ-ドを紹介する本だが、副題にあるように、各国を巡る旅に出るのではなく、東京で探すのである。東京には実にたくさんの世界の料理があるのだと感心した。食べ物のことだけではなく、その国の歴史や現状にも触れられていて、全体として興味深いないようになっている。
ひとつ紹介すると、ラオスのラープという料理:
叩いて細かくした肉を香草や野菜と一緒に妙めた料理だという。上には青々としたミントの葉がまぶしてあって、独特な芳香が漂ってくる。「ラープという言葉には〝幸福″という意味があります。だから、お正月や誕生日などおめでたい時には欠かせない料理なんです」プグォンさんがラープをお皿に取り分けてくれた。ラオスの主食であるもち米と一緒に食べるのが一般的だという。さっそく食べてみる。たちまちにミントやバクチーの独特でさわやかな風味が口の中に広がった。それから、豚肉の味が舌に伝わる。肉には東南アジアならではの魚醤の旨みに柑橘類の酸味、唐辛子の辛みがほどよいバランスで絡み合っていて、噛むほどに味わい深い。そして、ほのかに感じる香ばしさ。これは何だろうと、プヴオンさんに問う。「妙ったもち米を入れるのがラープの特徴です。それに、今日は豚肉ですが、牛肉や鶏肉、魚介類でつくることもあります。私は牛肉のテープが一番好きです」話を聞いているうちに完食してしまった。(p.155~p.156)
多くはレストランなどでの食事だが、時に大使館や一般家庭といった特殊なところもあり、一般人が行けないところも含まれているのが、ちょっと残念。ちょっと驚いたのがハンガリー料理店、娘の婿の実家の傍にあり、何度か食べたことがあるとのこと。結構な高級店だそうです。食べてみたいものがたくさんありますが、なかなか難しいでしょう。
マカロニ・アンド・チーズが母の味なら、バーベキューは父の味ですね (p.266)
これはアメリカのソウルフ-ドのお話。マカロニ・アンド・チーズは知らないし、バーベキューも日本のものとは大違いのようです。知らないことばかり、ということを思い知りました。

★★★ 未来職安 柞刈湯葉
著者は、大学で生物学を研究しているらしい。この本は四冊目で、大学勤務の方がメインのようであるが、判らないところが多い。本のタイトルは、読む前に色々考え幾つかの意味を想像したが、単純に未来の職安でいいだろう。未来は、平成生まれのおじいさんが出てくるので、21世紀の終わり頃か。それにしては、世の中が発達しすぎでのように思われる。以下に引用したようになっている。
まだ人間の仕事がたくさんあった頃は、健康なのに働かない人を「社会不適合者」と言ったらしいけれど、今や日本人の99%が生活基本金をもらって生きる消費者で、働いている生産者は1%きりとなってしまった。となれば「社会不適合者」はむしろ働いている方、というのはまあ、ひとつの物の見方ではある。(p.26)
世の中のたいていの人は「生産者」って言ったら、高度な教育によって得られた専門知識や技能を持ち、機械に代替できない仕事をしている1%のエリートのことを想像すると思う。彼らが世の中の富を生産し、所得税を納め、それによって機械が配備され、生活基本金が支払われ、99%の消費者たちが(賛沢はできないまでも)健康に文化的に生きていくことができる……といったことが学校の教科システムによって説明される。だから子どもたちは頑張って勉強して、生産者を目指しなさい、と。(p.28)
人間の歴史は、労働力をその対価と交換する方法がどのように変化していったかの歴史として説明できる。狩猟採集の時代から農業の時代を経て、数度の産業革命によりその交換のレートが徐々に変化していった。すなわち少量の労働から多大な価値を得られるようになった。そして現代に至ってついにそのレートは無限大となり、人間は労働をせずに十分な対価が得られるようになった。これが歴史の完成形であり、今後はこの体制を破壊するような大きな戦争や事件は起こりえないだろう。(p.174~p.175)
未来職安、未来公務員、未来家族、未来作家、未来医療、未来雇用、の六章がある。未来の不可思議な職安が主舞台、そこの事務員、副所長、所長(猫)、が狂言回しの役割を受け持つ。この本に書いてあるような未来が存在する可能性は、ない、と思う。あまりに極端である。がしかし、物語としては読ませるものを持っている。ただ、心に残るものはあまりない。娯楽作品だと思えば結構楽しめる。

★★★ 「五足の靴」をゆく 森まゆみ
副題、明治の修学旅行。「五足の靴」は、与謝野寛が学生だった太田正雄(木下杢太郎)、北原白秋、平野万里、吉井勇の四人を連れて旅した記録。五人は1907年7月下旬から8月末にかけて、九州を中心に各地を旅行し、その紀行文は同年8月7日から9月10日にかけて新聞紙上に掲載された。本書は著者がこの五人の旅の行程を辿りながら、それぞれの人物を描いている、なかなかに興味深い。特に、最後にその後の五人のことを書き、うまくこの本を纏めている。
蛇足。五人の一番の目的地は天草、そこに「五人のくつ」という宿がある。各方面から高い評価を得ているようだが、10年近く前泊まったが、料金が高い割には、さほど感動しなかった。

★★★★ 人間臨終図卷<下巻> 山田風太郎
この本を読むきっかけは、2016年発刊され話題になった関川夏生「人間晩年図卷」です。この本二巻は次の年明けまでに読みました。その間、人間臨終図卷の存在を知り、読み始めました。上巻を読むのに四ヶ月、この下巻に至っては五ヶ月ぐらいかかっています。図書館で予約をする人がいないのをいいことに借り続け、後回しになったためです。上巻は、15歳から64歳で死んだ人、下巻はそれ以降の人を。上巻にも増して巧みな文章で、臨終を中心にその人の人生をうまく纏めてあります。それまでに人生とは関係なく、人それぞれに様々な死に方があり、参考になるという言い方は変かもしれませんが、まあそんな気持ちで読みました。死を強く意識してこれらの本を読んだのではありませんが、色々あって自らの臨終を想像してしまいます。
最高級の軍人でありながら、杉山は拳銃の使い方も知らなかったのである。(p.11)
拳銃自殺をしようとした、杉山元は安全装置を知らなかった。部下にはずして貰い4発撃ったが急所をはずし死ねなかった。結局、毒薬を口中に流し込まれ絶命。一方その妻・・・
世田谷区北沢の自邸にあった妻の啓子は、電話でこの報を受け、夫の死を確認したあと、六時十分ごろ黒紋付にモンペをはいて仏間にはいり、短刀で心臓部をただ一刺しして自決した。台所で栗(くり)をむいていた女中たちが、しばらくこのことに気づかなかったほどであった。夫より妻のほうがみごとな最期をとげたのである。(p.11)
独立戦争の総司令官としてイギリスと戦いぬき、八年間の悪戦苦闘の末ついにアメリカを独立させ、初代大統領となったジョージ・ワシントンは、三選をみずから辞したあと、故郷マウント・ヴァーノンの荘園に隠栖(いんせい)したが、その後も難局に際してなんどもかつぎ出され、生涯ついに隠退することが許されなかった。(p.39)
カザノヴァ(一七二五 ―― 一七九八)
司祭、三文文士、とみくじ屋、スパイ、外交官秘書など、でたらめな職業につき、ヨーロッパ中を放浪しながら女たらしの生活を送ったジアコーモ・カザノヴァは、六十を越えてから、オーストリアの一伯爵の城の図書係となって、彼の過去を知る周囲の軽蔑のまとになりながら孤独な晩年を迎えた。
その寂蓼(せきりょう)をまぎらわせるために、彼は痛風に痛む指で、一日十三時間も自分の回想録を書き出した。(略) 一七九八年二月ごろから彼は膀胱(ばうこう)膜胱をわずらい、六月四日に死んだ。そばにいたのは甥一人だけであった。彼は最後に「おれは哲学者として生きた。そしてキリスト教徒として死んでゆく」と、自分だけに通用する自己評価をやって眼をとじた。その回想録の完全な公表は著者の死後百六十余年を経なければならなかったが、しかしひとたび世に出るや、好色で、危険で、堕落漢で、でたらめで、卑劣で、いかがわしく、ふしだらなカザノヴァという男の人間自身、生涯そのものの面白さで、しゃあしゃあと不滅の人物の仲間入りをしてしまった。(p.149)
老いても、生きるには金がかかる。――人間の喜劇。
老いても、死ぬには苦しみがある。――人間の悲劇。
(p.188)
地上最大の当然事――他人の死。
地上最大の意外事――自分の死。
(p.214)
父の讃美者たる娘を持つ父は倖せなるかな。――その例は本『図卷』でも枚挙にいとまがないが、ふしぎに讃美者たる息子を持つ父は少ない。(p.222)
(徳川夢声は)その自伝に「若いときにいくら好い思いをしても、年をとってから半身不随で何年も苦しむのでは、差し引きゼロどころか、とても引き合わない人生ではあるまいか?」と書いたことがあった。(p.223)
近代は、死に対するさまざまの恐怖に、病院の「治療」の恐怖を加えた。(p.231)
二十世紀後半、一般にアメリカでも日本でも、奇妙に死者の病名をあいまいにする傾向が生じたようだ。おそらくそれは、ガンだけが不治の病気となったために、ガンを隠すためにほかの病名も隠さざるを得なくなったせいと思われる。チェスタートン「一枚の木の葉を隠すなら森の中に隠せ」近代医学「ガンを隠すなら他の痛名もすべて隠せ」 (p.232)
人間は青年で完成し、老いるに従って未完成になってゆき、死に至って無となるのだ。(p.232)
「日本はアングロサクソンの許容範囲でしか生存出来ない」という、日本にとって「痛苦に満ちた真実」を、これほど冷厳に見ぬいていた外交家はないといわれる。――太平洋戦争は、実は日本がこの掟を破ろうと試(こころ)みて失敗した戦争であったのだ。「日本はアングロサクソンの許容範囲でしか生存出来ない」という、日本にとって「痛苦に満ちた真実」を、これほど冷厳に見ぬいていた外交家はないといわれる。――太平洋戦争は、実は日本がこの掟を破ろうと試(こころ)みて失敗した戦争であったのだ。(p.255) 幣原喜重郎のこと
「もし私が神であったなら、青春を人生の最後に置いたであろう」――アナトール・フランス――
「おれは妻を残して死にたくない。さりとて妻の死後にも生きたくない」
(p.324) ビスマルクの言葉。妻の死後4年ほど生きた。
「葬式無用弔問供物固辞する事生者は死者の為に煩(わずら)わさるべからず。梅原龍三郎」 (p.429) 同感!
歳を取ると、この本にもたくさん出てきますが、転倒して骨折が切っ掛けで死に向かう人が多いようです。この場合の死に方はあまりいいものではないように思われました。気をつけようと思います。

読書中断中 文明の帝国 杉本淑彦
副題:ジュール・ヴェルヌと」フランス帝国主義文化
「帝国主義文化」<略> 本書では、膨大な公的資金の投入が必要となる帝国主義による植民地支配を宗主国国民が是認するにいたった心性――この心性は、木畑洋一『支配の代償――英帝国の崩壊と「帝国意識」』(一九八七年)以来日本では「帝国意識」と呼ばれています――と、そのような心性を形成するべく植民地拡張論者が唱えた帝国主義イデオロギー、そしてそのイデオロギーを草の根国民レベルへ伝達する装置、の総体を指して使っています。研究方法論としては、イデオロギーを伝達し帝国意識を醸成させたゆえにイデオロギーと帝国意識を映し出す鏡でもある伝達装置に着目し、それが植民地帝国体制をどのような記号でどのように表象したのかを分析することが研究の中心となります。具体的には、伝達装置と目される新聞・雑誌、学校教科書、絵画・彫刻、音楽、万国博覧合などのイベント、広告宣伝、そして大衆文学などが研究対象として考えられるでしょう。(p.10) という訳で、ジュール・ヴェルヌです。
階級強調」という言葉、要研究。(p.18) あたり
仮想敵を悪魔かなにかのようにとらえる心性は、東西冷戦を経験し今はポスト冷戦時代に生きる現代人にとっては容易に理解できるもの、いや、イラクや北朝鮮に関するマスコミ報道にさらされている現代人にとって、理解しなければならないものかもしれません。(p.77)

読書中断中 1968年・グラフィティ バリケードの中の青春 毎日新聞社
毎日ムック シリーズ 20世紀の記憶、1998年11月発行開始、シリーズの第1回配本。全21冊なので、単年で1冊なのは3つだけ、1945年と1989年、そしてこの1968年。他の二つに比べると、ちょっと見劣りのするこの年、何故選ばれたのか、まあ私にとっては重要な節目、ということはベビーブーマー世代には印象的な時代の象徴、販売促進策?
いまの若い世代には、朝鮮人に対する差別や偏見はない、とよくいわれます。たしかに人種を問題にし、偏見を持つことは、正しくないという自覚は、若い教師や母親にとっても一般的な常識になっています。この自覚の根底には、人間平等の理念、ヒューマニズムが、この国にひろく根をおろしはじめた希望を感じさせます。(中略)『差別はしていない、同じ人間として尊重している』という善意が実は朝鮮人を朝鮮人として黙殺し、朝鮮人をそのものとして否定することですから、辱かしめられた朝鮮の子どもの自尊心は傷ついてしまいます。わたしには、むしろ、あからさまな軽べつよりも、この種の善意にこそ落し穴があるように思われるのです。それは朝鮮人として相手を受入れ、尊重することができない善意に、わたしは、むしろ差別や偏見から日本人自身が解放されていない不幸を考えるのです。(中略)善隣友好をうたった韓日協定は、この国の朝鮮人対策をあきらかにしています。それは『朝鮮人と日本人の幸福のために』、朝鮮人は『この国の社会に調和した存在になること、同化し、帰化してしまうこと』だとしています。(中略)今日、朝鮮人に対する日本人の差別や偏見の問題は『過去の不幸な歴史』の傷あとだけではない、こころの問題だけではないのです。この国の政策として再び朝鮮人が、朝鮮人としては生きられないように、たくらまれているのです。つまり、金嬉老や李珍宇のような、朝鮮人でなくさせられた“非朝鮮人”が、このさき、おびただしくつくり出されよう、というのです。(p.39) 1986.02.26 朝日新聞(朴寿南「ライフル男事件に思う」))

★★ 秘境駅探訪 牛山隆信
著者紹介には以下のように書かれています。
1967年東京都八王子市出身。少年時代から時刻表に親しみ、鉄道フアンの素地を固めながらローカル線に傾倒。その後、国鉄分割民営化で興味が薄れ、10代後半からオフロードバイクで野宿をしながら全国を放浪。やがて林道の舗装化とともに行き場を失い、インターネットの普及を機に鉄道趣味へ回帰。1999年ごろ人家が少なく到達困難な駅を「秘境駅」と命名。2001年『秘境駅へ行こう!』(小学館文庫)の発刊で「秘境駅」という言葉とその魅力が広く世間に知られることとなり、秘境駅訪問ブームが起こつた。写真集『秘境駅』シリーズ、単行本『時刻表を読みこなす』(メディアファクトリー)など著書多数。
本書は本来の著者の主題からは少し離れています。秘境駅ではなく、秘境駅なのです。「跡」は本でも赤字になっています。よくもまあこれだけ訪ね回ったものだと驚愕しました。読んでいてそんなに面白いものではありません。が、何故かスルスルと読んでしまいました。全143ページの内、69ページまでが北海道です。秘境駅、秘境駅跡が北海道に多いということでしょう。JR北海道の苦悩が思われます。一つ驚いたのが、スイッチバックが至る所にあったということ。まあ、日本の地形を考えれば当然なのかもしれません。疑問に思ったのが、著者はこれで飯を食っているのかということ。調べると、ホームページがありました。そこに自己紹介があり、なんと今は広島県の北部にいて、サラリーマンだそうです。すごい人だと思います。

★★ ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ 堀文子
堀文子に関しては、「サライ」の連載、『命というもの』で知っている程度。画は堀文子だが、文は檀ふみ、檀が堀に聞いた大切な言葉と思いを綴るという形になっている。この本も、堀が書き下ろしたものではなく、過去の著作などの文章を再編集したもの、なので、昔の発言も含まれているだろう、堀は今百歳になっているはずだ。超高齢者の言葉を期待したのだが、ちょっと違っていた。新書版ぐらいの大きさ、170ページちょっと、活字は超でかい、ので、すぐ読める。
「がんばる」とか「努力」とか私、いちばん嫌いなんです。嫌いなものをしているから出てくる言葉だと思う。私は好きだから絵を措いている。だから「がんばつて」といわれたくない。(p.56)
私には画風というものはなく、今日という私を描いているのですから、死ぬ前の日まで驚いていなければなりません。(p.85)
夏の陽(ひ)を吸収した筒状花(とうじようか)の種は黒く熟成し、黄色の花びらは白く枯れ、畠(はたけ)は収穫期を迎えていた。軍勢の顔はうつむき、もう太陽を向く者は居なかった。かさかさになった葉が体を包み、下の葉は大地を摑(つか)んで杖(つえ)となつて老いた体をささえていた、死の行軍を見るような戦慄(せんりつ)が、私の体をつらぬいた。ひまわり畠の終焉(しゅうえん)は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった。ひまわりは頭に黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。大地を見つめる顔は敗北ではなく、そのやせた姿にも解脱(げだつ)の風格があった。その顔一杯の種は、次の生命を宿し充実していた。//死が生涯の華々しい収穫の時だという事を、ひまわりから学んだあの日を私は忘れない。(p.170~p.171)

★★★ なんとめでたいご臨終 小笠原文雄
タイトルからして不謹慎な感じがしますが、著者が行っている在宅看取りの経験から導き出されたものです。病院では人は自然に死ねません。私も父の死で経験しました。病院の医者は患者を死なせてはいけないのです。根本的な治療ではなくても、死なないように何かをします。結果、患者は苦しみが延びるだけ。それに対して、著者は、痛みや苦しみは取り除くが、ただ延命のための治療はせず、自然な死を待ちます。この本にはその実例がたくさん書かれています。感動します。納得します。このような死に方をしたいと思います。ひとつ違和感を覚えるのは、死後の記念撮影でピースをするところ。お約束事のヤラセになっているのでは。
在宅ホスピス緩和ケアの「在宅」とは、暮らしている〝処(ところ)″。「ホスピス」とは、いのちを見つめ、生き方や死に方、看取りのあり方を考えること。「緩和」とは、痛みや苦しみを和らげること。「ケア」とは、人と人とが関わり、暖かいものが生まれ、生きる希望が湧(わ)いて、力が漲(みなぎ)ることです。(p.5~p.6)
人というのは、とても強い大きなパワーを持っています。でも失望や絶望の中にいると、それは負のパワーとなり、生きる気力、体力すべてを奪い、短命となるのでしょう。逆に希望の中にいると、そのパワーはQOLを高め、その結果、ADLをも向上させ、驚くはどの延命効果をもたらすことがあるのです。(p.97)
QOL とは、quality of life 、生活の質。ADL 、とは、activities of daily living 、日常生活動作。
ひとりで死んだら孤独死だと心配する方が多いのです。でも考えてみてください。病院で夜中に死んだら孤独死ではないのでしょうか。苦しさのあまり、うめき声などを発すれば、夜間巡回の看護師が早く気づいてくれるかもしれません。もしも、うめき声などに気づき、医師の到着が死亡前だったら延命措置を行なうでしょう。しかしそれは生きるための「治療」ではなく、家族が到着するまで息をさせておくための「措置」であり、最期まで苦しい思いをさせる拷問のようなものになってしまうかもしれませんね。それなら本人が望む自宅にいて、仮に誰も見ていないところで亡くなったとしても、それは孤独死ではなく、希望死・満足死・納得死だとは思いませんか。大事なのは、死ぬ間際のことではなく、生きている間のことを考えてあげること、そして亡くなった患者はもちろんのこと、遺(のこ)された家族も「よかった」と思える選択をすることです。(p.158)

★★ 第3の超景気 嶋中雄二
先日、銀行のセミナーで、景気循環には周期が異なる4種類のサイクルがあり、それらが絡み合って景気に影響を与えている、という話を聞きました。その後偶々この本を知り、挑戦。かなり専門用語も出てきて理解困難なところもありましたが、繰り返しが多く次第に頭に入ってきました。株のテクニカル分析と同様、後から見ると成る程と思うのに似ていると思います、著者はさかんに否定していますが。結論は本のタイトルにあるとおり、今が4つの循環がすべて上昇している、ゴールデン・サイクルにあるということ、歴史上3回目とのこと。著者は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の参与、証券会社の人間は常にポジティブな現状分析をする傾向にあります、当然そうしないと株は売れません。ということで、この景気上昇は、2025年まで続くそうです。
以下の引用は面白いと思います。
日本の生産年齢人口は1996年から減少に転じ、総人口は2011年から減少トレンドに入っています(図 補論1-2)。しかし、生産年齢人口を総人口で割った比率(生産年齢人口比率)の前年差を見てみると、過去については、周期的に循環していることに気付きます(図 補論1-3)。例えば、1972年を谷にして1988年まで上昇し、団塊の世代の労働市場からの退出をテコにそこから2014年まで下降しています。しかし、その後は人口推計をもとに見通す限り、今後2026年までは、再び上昇局面(実態的にはマイナス幅の縮小)に復帰しつつあるのが現状です。(p.210)

★★★ パノラマ地図と旅 福山市鞆の浦歴史民俗資料館
吉田初三郎の鳥瞰図を見たいと思い、図書館で検索、所蔵はしているのですが、禁帯出。この本だけが貸出可。これは本というよりは、福山市鞆の浦歴史民俗資料館の展覧会の目録のようなものです。



なので、福山、広島、中国地方、瀬戸内海などの鳥瞰図や絵はがきがほとんどです。さらに、吉田初三郎の作品が多く掲載されてはいますが、彼の弟子などのものも含まれています。とは言っても、鳥瞰図を十分楽しめます。本表紙を飾る絵は、初三郎が描く、日東第一形勝鞆の浦、の部分図です。全体は横長の作品で、西は関門海峡、東の方には富士山が見えます。このデフォルメ具合がまた抜群です。惜しむらくは、小さくて細かい部分がよく判別できないところ、まあしようがないことでしょう。

以下はあとがきのような文章からの引用。
一九二七年(昭和二)に民俗学者の柳田国男は、ある講演の中で「旅」と「旅行」の違いについて次のように述べている。「旅という日本語は、或いはタマハルと語原が一つで、人の給与をあてにしてあるく点が、物貰いなどと一つであったのでは無いかと思われる。英語などのジャーニーは“その日暮らし”ということであり、トラベルはフランス語の労苦という言葉と、もと一つの言葉らしい。すなわち、旅は憂いもの辛いものであった。以前は辛抱であり努力であった。その努力が大きければ大きいほど、より大なる動機又は決意がなくてはならぬ。だから昔にさかのぼるにつれて、旅行の目的は限局せられている。楽しみの為に族行をするようになつたのは、全く新文化のおかげである」このように柳田は旅を「憂いもの辛いもの」とし、旅行を「楽しみ」や「新文化」と関連付け、区別して語った点が注目される。当時興りつつあったものは明るい「旅行」で、かつての暗い「旅」とは単なる表現の違いを超えて、本質的に異なるものであると柳田は感じていたらしい。白幡洋三郎は著書『旅行のススメ』の中でこのエピソードを紹介し、「旅行とは大正末期から姿をみせはじめた、明るく軽快なイメージを持つ“新文化”だった」と述べている (p.58)

★★★ コップってなんだっけ? 佐藤オオキ
佐藤オオキが面白いと聞いて、読んでみました。子供向けの絵本です。最後のあとがきのような、「お父さん、お母さんへのメッセージ」を引用します。これが一番この本が判るものだと思うからです。
 はじめまして、デザイナーの佐藤オオキです。
 みなさんは「デザイン」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
 キレイでカッコいい形を作ること・・・・・・、なんて思っていたりしませんか?
自分にとって「デザイン」とは、日常のちょっとした不便を見逃すことなく、それに対する新しい解決策を見つけることです。
 そう、コップのような身のまわりにあるさりげないものでも、「目線」次第で無限に進化させることが出来るんです。
 コップを見て、「これはふつうのコップだな」と思った瞬間に、アイデアは浮かばなくなります。
 「コップってよく見たら面白いな」「どうやったらもっと面白いコップになるのかな?」というものの見方が重要なんです。
 この本は、そんなどこにでもあるようなコップを主人公に、自分が実際にどんなふうにものごとを見ているのか、頭の中でどんなふうに考えているのか、それを形にしたものです。読んでいただくことで、日常を優しく疑い、そこから新たな発想を促す「デザイン目線」が身につくように考えました。
 この本に登場した、たくさんのコップたちを眺めつつ、「このコップが好き!」「もっとこんなコップもできるんじゃない?」なんて会話が親子で盛り上がれば、とてもうれしいです。
 最後にひとつだけ。お子様が思いついた変なアイデアもどんどん歓迎してあげてください。だって、目線は「人と違う」ことが正解なのですから。

3歳5ヶ月の孫に見せました。読んでくれというので読むと、しっかり聞いてくれます。読んだ後、自分で本を開き、気に入った所を何度も見ていました。小さな子供にも訴えるものがあるようです。

★★★ 太陽と乙女 森見登美彦
鬼才(?)森見登美彦のエッセイ集。まえがきに:
「眠る前に読むべき本」そんな本を一度作ってみたいとつねづね思ってきた。哲学書のように難しすぎず、小説のようにワクワクしない。面白くないわけではないが、読むのが止められないほど面白いわけでもない。実益のあることは書いていないが、読むのが虚しくなるほど無益でもない。とはいえ毒にも薬にもならないことは間違いない。どこから読んでもよいし、読みたいものだけ読めばいい。長いもの、短いもの、濃いもの、薄いもの、ふざけたもの、それなりにマジメなもの、いろいろな文章がならんでいて、そのファジーな揺らぎは南洋の島の浜辺に寄せては返す彼のごとく、やがて読者をやすらかな眠りの国へと誘うであろう。あなたがいま手に取っているのはそういう本である。(p.2)
まさにこの通りの本で、著者の考え方、文章の書き方、経歴、などなど、彼の人生がよく判るようになっている、正直に書いているとすればであるが。兎も角面白く読めた。
小説を書くには妄想で脳を飽和させなくてはならない。しかし一般に、男汁と乙女心と想像力と人類愛の有機化合物たる我が「妄想」の沸点は高く、常温ではつねに気体となって空気中に拡散しやすい。妄想物質は大脳新皮質と外気を自在に行き来するため、両者の濃度はつねに一定に保たれる(妄想的平衡〔へいこう〕状態)。妄想しがちな男たちが狭い一室で議論する場合、急激に室内の妄想濃度が高まるのはそのためである。したがって、小説を書くに足るほどの妄想を脳内に充満させるためには、部屋はできるだけ狭いほうがよい。かくして、私が小説家になれたのも四畳半で暮らしていたからだ、という理屈がつく。四畳半を馬鹿にしてはいけない。(p.143~p.144)
自分の書いたものの出来を判断する基準の一つが、その作品を読み直したとき「これはもう二度と書けない」と思うかどうか、ということである。私が小説を書くとき、計算できる部分と計算できない部分が両方あり、その計算できない部分がどれだけうまく作品に入りこんでいるか、ということが気になる。計算できない部分というのは、書いているときの自分の中から即興的に出てきたものである。きちんとそれが入っているなら、その作品は「二度と書けない」ものになるはずである。もし計算だけで組み立てるなら、労力さえ厭わなければ、同じ作品をもう一度書けるはずだ。(p.376)
コンセプトは、極端で、異様で、阿呆で、逆説的であるべきだ。そのように私は自分に言い聞かせる。もちろん、小説を書いている過程で、そのコンセプトについて私はあれこれ考える。ほとんど意味不明であったものが、意味を持ち始める。だからこそ、小説を書き進めるのが楽しいのである。コンセプトによって区切られた土地に建設されていく一軒の家。それが私にとっての小説である。家を建てながら、私は二階へ行きたいと願っている。二階があるなら、三階にも行きたい。どこまでのほつていけるかは、建材の頑丈さや土地の大きさや間取りが関係する。しかし少なくとも、一階をウロウロしているだけで終わつてしまうのなら、その小説は失敗であると言える。小説を書きながら、私は階段を探しているのだ。では、その「階段」とは何だろうか? (p.385)
著者の本を初めて読んだのは、10年以上前、「太陽の塔」。その後ポツポツと手に取り、4・5年前に集中的に読んだ。これで10冊読破。未読数冊、読んでみよう。

★★ 広島電鉄殺人事件 西村京太郎
実に久し振りの推理小説。御親切に隣人が貸してくれました。ちょっと時間がある時に読み始め、引き込まれ、寝る時間を遅らせてその日のうちに読了。地元広島ということもあり、ぐいぐいと読み進んだのですが、次第に繰り返しが増えてきます(特に地元民にとっては)。そして最後、スカッと解決しません。何故主人公を面倒な目に遭わせたのか、全く判りません。他の人物はあっという間に殺すのですが、どうして婉曲な方法をとったのか、説明が必要です。ということで、その辺りに不満が残る作品でした。

★★★ 英国一家、日本をおかわり マイケル・ブース
4年前、「英国一家、日本を食べる」、を読みました。そこそこ面白かった。ので、続編にも挑戦。実は、「英国一家、ますます日本を食べる」という本も出ていたようです。出版後、著者はブレイクしたようで、日本に来てはテレビなどにも出ていたとのこと、知りませんでした。一冊目を読んだ時も思ったのですが、著者にはプロデューサー、ディレクター、スポンサー、といった人がいて、裏で操っているのではないでしょうか。普通の日本人が知らないような所を知っていて、行けそうもないような所にすんなり行っている、などということはあり得ないと思います。とはいえ、書いてあることは面白く、時に裏舞台を暴露したり、為になる内容もあります。ちょっと気になるのは、日本を理解しているようで、根本的な所で偏見を持っているように感じられる所です。本人も次のように書いています。僕はたいてい、よく知らないくせに根深い偏見を持っていで、それに固執する。その方が、ものごとが簡単になるからだ。(p.213)
「過去には帽子を脱いで敬意を表し、未来には上着を脱いで立ち向かえ」 (p.64)
著者が見たパチンコ屋のスローガン。素晴らしい!
わずか一〇年足らずで、オムライスの店からミシュランの星つきレストランへ駆け上がるとは、いかにも大阪の人間らしい足どりだ。日本の第二の都市、大阪では、何もかもがものすごく速い。京都の人とは違い、大阪人は過去をゼリー寄せにして保存したりしない。未来を受け入れるのはもちろんのこと、未来に向かって突進する。オムレツとハンバーグの大衆食堂から近代的で高い理想を持つ胃袋の殿堂へと、瞬く間に徹底的な変貌(へんぼう)を遂げたFujiya1935は、この街ならではの例だといえる。大阪では、四六時中早送りボタンが押されている。大阪人は歩くのが速く、しやべるのも速く、食べるのも速い。インスタントラーメン、立ち飲み屋(座るって? 時間の無駄や!)、日本初の缶入りビールが生まれたのは、この街だ。さらに言うと、動く歩道も回る鮨もここ、大阪で発明された――ひとつは人間を速く動かし、もうひとつは食べ物を速く人間に届ける。実のところ、日本第二のこの都市では、食べて買い物する以外、ほぼ何もすべきことがない。(p.167)
ラーメン職人も、最近は必要以上に哲学者ぶる傾向がある。(p.226~p.227) 深く共感!
店主が、驚くほど酸味が際立つ、金色がかった茶色の飲み物を味見させてくれた。碁石茶というお茶で、天日干しした茶葉で作った幻のお茶だった(多くの専門家から、日本にはもう天日干しのお茶はないと聞いでいたけれど)。日本では珍しい二度の発酵を経るお茶で、カビ付けして発酵させてから、漬物みたいに杉材の桶で二〇日間ほど漬け込んで乳酸発酵させ、ピート(炭泥の塊)そっくりになった葉を小さな四角形に裁断して天日干しする。干している間に、四角形の角が取れて碁石のように見えるので、碁石茶という名前がついた。うま味が豊富だが、少し鼻をつくような乳酸の後味が残る。(p.247) 飲んでみたい。
献身、勤勉、規律、几帳面、決意といった「k」ワードの職人気質が重んじられた時代、人が職業に誇りを持っでいた時代の話だ。社会的地位がいかに低くても、工匠も職人も肉屋もパン屋も工場労働者も、みんな誇りを持っていた。その「古きよき時代」は、僕よりもほんの少しだけ前の時代で、聞くところによると誰もが言葉にせずとも自分の仕事を精一杯こなし、顧客に最大限のサービスをして、だからといって成果をインスタグラムで見せびらかすわけでもなく、成功をフェイスブックで知らせるわけでもなく、顧客のために、ひいては社会のためにそうすべきだというだけの理由で実践していたらしい。やはり職人気質のひとつの要素である、責任を果たさんがために働いていたのだ。
(p.252)
20世紀前半のイギリスもこうだったようです。いずこも古き良き時代は去ったということか。
著者の本、未読が幾つかあるようなので、読んでみようと思います。

★★★ だから、居場所が欲しかった。 水谷竹秀
副題、バンコク、コールセンターで働く日本人
タイには日本の会社のコールセンターが400~500あるそうです。大手は2社、一番多い所は300人、著者が主に取材した所は二番手で、110人、平均年齢は30代前半で、男女半々。この平均年齢の高さにまず驚きました、
コールセンターの仕事自体に面白味ややりがいは「特にない」、そんなオペレーターたちの共通認識がある一方で彼らはよく、こんなことも口にした。「仕事に対する責任を感じなくても済む」マニュアルどおりに電話の応対を覚えてしまえば、特に新しいことを学ぶ必要もなく、常に上司のサポートもあるため、仕事に負荷はかからない。向上心も特に芽生えない。業務内容は単調かもしれないが、営業ノルマが特にあるわけでもなく、余計なプレッシャーを感じることもない。(p.43~p.44)
何人かのオペレーターを丹念に追いかけ、詳しくレポートしているが、共通するものはあまりない。それは・・
困窮邦人の問題を論じる際、滞在先がフィリピンであってもタイであっても、日本国内で決まって持ち出されるのが 「自己責任論」 である。たとえば日本では社会的立場の弱い高齢者や中年、あるいは若者たちがメディアで取り上げられる場合、自分の責任で転落したわけではないと考えられる取材対象者ばかりが登場しがちだ。社会を批判する結論の方が読者や視聴者的にも望ましいからだ。仮に自己責任で非正規労働者に陥ってしまったのであれば、「お前が悪い」で片付けられ、読者に何の問題提起もできないと考えられているのだ。(p.141~p.142)
著者は自己責任論と社会問題とのバランスを取ろうとして、ここのケースに応じて問題を考えようとしている。そのため、読者を唸らせるような結論を敢えて出さないようにしている、と感じた。話題は広がり、最後は「LGBT」へと・・
タイで性別適合手術を受ける日本人患者が増えたのは、日本で二〇〇四年七月、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が施行されたことに始まる。同法の規定で、性別変更の条件として、生殖機能に関する手術が義務づけられたためだ。女性であれば子宮・卵巣の摘出であり、男性であれば精巣摘出、陰茎切除がそれに当たる。しかし前述の通り、日本は手術費用が高い上に、手術までの待機時間が長いため、いち早く手術を望む患者たちにとつてはタイでの手術の方が好都合なのだ。(p.259)
知らないことが多い。タイの状況は想像以上、日本が遅れているのか、よく判らない。

★★★ 七〇歳の絶望 中島義道
著者は哲学者、日記形式で、哲学的思考を書いている。日常の出来事も述べてあり、後半に行くほどその割合が多くなる。かなり風変わりな人物で、面白いエピソードに満ちていて、微笑ましい。電車内での化粧について下に引用しているが、実に愉快である。何度も出てくる話題は、電気の無駄遣いについて、あちこちで抗議しまくっている。専門は、時間論、自我論とのこと。過去、現在、未来、そして私、なかなか興味深い論考です。
一方において、われわれは未来の事象と過去の事象を対極的にとらえていながらも、興味深いことに他方において、われわれは未来の事象と過去の事象とを類似なものとしてもとらえているのである。なぜか?過去は「もうない」のであり、未来は「まだない」のであって、両者は「(いま)ない」ことにおいて一致しているからである。そして、このすべての背後に「客観的時間」というものが影のように付きまとつている。こうして一〇年前くらいであろうか、未来が「ない」ことをさらに強靭(きようじん)なものにするには、客観的時間そしてその核心をなす「過去」の圧倒的な存在感に立ち向かわねばならないことがわかってきた。目下、その作業を続けているところである。(p.17)
われわれが言語を習得すると、その意味を了解してしまう。その場合、一方で、その意味は自然現象ではなく、原理的に自分の自由になるものであることを知りながら、他方で、事実上自由にならないものであることも知るようになる。眼前の特定の色F1を「赤」と意味づけることは、たしかに偶然であり、よって、これに従わなくてもいいのだが、その自覚とは別に、やはりF1は端的に「赤」として見えてしまう。すなわち、言語を習得した有機体S1である「私」は、言語(日本語) のシステムの全体において、F1を「赤」と意味づけることを承認しているのであって、その任意の部分を変えることができるという可能性は、いかなる言語使用の実践にも結びつかない空虚な論理的可能性にすぎない。(p.43)
サルトルによると、無は、世界のうちに最初から(即自的に)組み込まれているのでもなく(これが実在論)、私が判断するたびに、世界に付与するのでもなく(これが観念論)、第三の道、すなわち世界に対する私の働きかけ(探すという行為)に基づいて世界から現れるのだ。サルトルの言い方を借りれば「無は人間存在によって世界に到来する」。その場合、(サルトルは、暗黙のうちに前提しているが)その人間存在(対自)とは、すでに意識存在なのであり、すなわち言語を習得した有機体なのである。以上の存在と無に関するサルトルの議論は、説得的であるように見えて、かならずしもそうではなく、かなり一方的であるように思われる。サルトルは存在と存在者(あるいは、ヘーゲルの言葉遣いでは「純粋有と定有」)を正確に区分していないが、この杜撰(ずさん)さが、サルトルの存在論の途方もないあいまいさを形づくつている。(p.160)
私は電車内で化粧をしてはいけないと確信しているので、見つけるとかならず注意する。それも、車内に響き渡る声で「化粧をやめてください!」と女性の目の前で怒鳴るのである。不意打ちを食らって、びくっと肩をすくめる人もいる。そして、ほとんどの場合、無言でやめるが、えんえんと続ける場合もある。その場合はどうするか? さまざまであるが、今日の場合は、その女性の目の前に立って、「やめろ!」と怒鳴って、もっていたリュックサックをどさっと彼女の真横に置く。すると、その衝撃でかすかに飛び上がって、「殴れば!」と言う。「殴らない、ただ化粧をやめればいい」と答える。彼女はしばらく私の顔をにらんでいたが、やがて立ち上がり「死ね! このじじい!」と叫んで隣の車両に移った。私もとっさに「おまえも死ね!」と叫んでいた。あとで、「おまえも」は間違いだった、「おまえが」と言うべきだったと考えておかしくなった。これも「気晴らし」である。(p.162~p.163)
われわれ人間は肉体をもつ感性的理性的存在者でもあり、幸福も求める。しかし、それはあくまでも第一に真実を求めるという実践理性の原理に従うかぎりであって、その場合のみわれわれは「幸福に値する」。そして、カントは(一見、唐突なことに)ここに神の現存在が要請されると言うのだ。これは、根本悪のほうから照明を当てることによってのみわかるであろう。すなわち、われわれ人間という肉体をもった感性的理性的存在者は、何をすべきか知っていながら、それを実現できないという不幸な位置にいる。われわれは真実を第一にすべきことを知りながら幸福を第一にするという転倒を犯してしまうのであり、その限り幸福に値することはないのだ。こうした解けない難問をわれわれに課したのは誰か? 世界と人間を創造した神以外ではないはずであろう。こうして、興味深いことに、理性主義がその限界にぶつかったときに、それを超える問いとともに神の現存在が要請されるのである。(p.213~p.214)

★★ たった一人の熱狂 見城徹
著者は幻冬舎の設立者。角川書店時代に敏腕の編集者として活躍し、数々の業績を残した。幻冬舎でも同様、そのモットーは、本のタイトルにあるように「熱狂」、言い換えれば、爆発的な情熱、そして、圧倒的努力。読んでいて、とてもついて行けないと思った。超人的としか言い様がない。以下の遺尿を読んで貰えば判るが、普通の人間とは相容れないだろう。
石原慎太郎さんに初めて会いに行った時には、50本のバラの花束を持って行った。そんなプレゼントは、所詮は若造の浅知恵である。石原さんは「男に花をもらったのは初めてだな」と苦笑していたが、こんなことくらいで作家の胸を打つことはできない。僕は花束を持って行っただけでなく、石原さんの『太陽の季節』と『処刑の部屋』を目の前で全文暗諭(あんしょう)しようとした。「龍我が強く英子に魅かれたのは-」という書き出しから何行かで終わりにするのではなく、文字どおり全文を詣(そら)んじようとしたのだ。『太陽の季節』を全文暗諭し始めた時、石原さんは「わかった。もういい。お前とは仕事をするよ」と言ってくれた。(p.30~P.31)
結果とは何か。賞というのもーつの結果ではあるが、一番判りやすい結果は利益をいくら上げたかであり、それを曖昧にしては駄目だ。この世界で生きるからにはその数値にこだわり、数値で自分を納得させるべきだ。僕は部数がいくら出たか、利益がいくら上がったかという数字にこだわり続けたい。売れる本は良い本である。視聴率を取るテレビ番組は優れている。大衆は愚かではない。大衆の支持によって数字を弾き出すコンテンツは、おしなべて優れているのだ。愚かなのは、数字を曖昧にして自分の敗北を認めない表現者や出版社の方なのである。(p.47)
こういう人もいるのだとただただ驚愕でした。

★★★ 食堂かたつむり 小川糸
とても謎めいた始まりで、最後にはその解明がなされると思っていたが、そうではなかった。このような不思議な状況はそのままにしておいていいのだろうか。それは兎も角、物語はトントンと進む、多少現実感が希薄ではあるが。食べ物の描写は逆に、リアルそのもので、この上なく美味しそうで食べてみたいと思う。一人でこれだけのことが出来るのか、驚異的である。食堂の経営状況も曖昧で、大丈夫なのか心配になる。そもそも飲食料金には言及がなく、あるのは唯一以下の箇所だけ。
予算は千円までで、サンドイッチを食べたい、というのが唯一その人から引き出せた希望だった。(p.120)
謎は色々あるのだが、読後感は結構さわやか。結局楽しい読書ではあった。
最後に、番外編チョコムーン、がついている。本編中にある以下の部分のスピンオフ。
クリスマスは、駆け落ちしてこの村へ辿り着いたという、同性愛の男性カップルがお客様だった。(p.156)
二人の男の視点で書かれていて、いい出来だと思う。

★★★ 京都の凸凹を歩く2 梅林秀行
シリーズ二冊目。相変わらず興味深い。今回は、嵐山、金閣寺、吉田山、御所東、源氏物語、伏見城。 どれも面白かったが、 架空の物語が現実と出会う場所を描いた源氏物語が秀逸、行ってみたくなった。ほとんどが馴染みのあるところで懐かしいという気持ちも湧いてくる。唯一馴染みのない場所、伏見城、豊臣政権の壮大な伏見首都計画がよく判った。著者は四月のブラタモリにも出演とのこと、三冊目が出るかな。

★★★★ 東大VS京大 入試文芸頂上決戦 永江朗
著者が偶々赤本見てアンソロジーとして面白いと思った、のがこの本誕生のきっかけ。なので、体裁も赤本に似ている。そして著者が考えたことは、入試問題は時代を反映しているだろうと言うこと。ということで、この本は入試問題分析もあるが、力点はその時代との絡みである。出典とその作者の解説及びその時代とのつながり、問題作成者の意識と意図、受験生の反応(の予測)までいろいろと書かれていある。時として深読みに過ぎることもあるが、面白い。
いまでこそエッセイや小説を発表する女優は珍しくないが、60年ごろはまだそうでなかった。現代でいうなら、東大の入試問題に小泉今日子のエッセイが出るような感じか。いや1924年3月生まれの高峰秀子は、入試のとき35歳だった。小泉今日子というよりも、仲間由紀恵とか広末涼子、柴咲コウのエッセイが出題されるような感じだろうか。「女優が書いたエッセイ」という偏見なしに彼女の文章を出題文に選んだ東大の入試問題作成者は、後年の高峰秀子の文名を見抜いていたわけで、その眼力をほめるべきだろう。(p.69) 1960年の入試問題。
このくだり(高橋和巳の文章)を読んで思い出すのは、全共闘世代の若者たちが 「自分の地平」という言葉をよく使っていたことだ。遠く離れたところで起きる問題を、自分のこととして考え、行動するときの原理のようなもの。たとえばベトナム戦争は日本の学生に関係のないことだろうか。全共闘に批判的な人びとは、関係のないことだといったけれども、しかしベトナムに向かう米軍機は日本国内の基地から飛び立っていったのだし、日本人が享受している経済的豊かさは朝鮮戦争やベトナム戦争などが間接的に影響しているのだと考えれば、決して無縁のことではない。それが高橋和巳の指摘する文学的想像力であり、冷酷と慈悲、無関心とおせっかい、卑劣と崇高の振幅のなかにある。全共闘世代の若者たちが共有していた感覚のひとつは、ベトナムや朝鮮半島をはじめとする低開発国、夢二世界の人びとに対するうしろめたさだった。あるいは日本国内でも公害病などの被害者に対するうしろめたさだった。(p.100~p.101)
1968年の京大入試問題は面白い。そしてこの面白さは、68年という時代の空気を反映しているように思える。受験生に自由に感想を書かせ、それに頭から冷水を浴びせるような皮肉な質問も混ぜる。出題者も解答者もともに楽しむような雰囲気が感じられる。全共闘の学園闘争は大学側と学生の対立という面だけでなく、教員と学生が共犯的に作り上げた祝祭的側面もあったのではないか。(p.114)
科学とは、私たち人間が自然を支配しようとする意志から生まれてきたものである。それはいわば、自分自身もとをたどれば自然の一部にすぎなかったはずの私たちが、みずからを自然からひき離し、自然の頭上に舞い上がってこれをはるか上方から支配し、操作しようとする倣慢な意志の産物であった。そして、この支配を合法化し、これに絶対的な権限を与えるために、私たちの頭脳が作り上げた非常大権ともいうべき律法が、ほかならぬ合理性なのである。(p.152) 入試に使われた、精神医学者の木村敏「異常の構造」の文章。
実のところ、ある詩人―作家の書いた文学作品が告げようとしているなにか、とりあえず内容・概念的なものとみなされるなにか、言いかえると、その思想、考え、意見、感情などと思われているなにかは、それだけで切り離され、独立して自存していることはないのである。<意味され、志向されている内容>は、それを<意味する仕方、志向する仕方>の側面、表現形態の面、意味するかたちの側面と一体化して作用することによってしか存在しないし、コミュニケートされない。だから<意味されている内容・概念・イデー>のみを抜き出して「これこそ詩人―作家の思想であり、告げられたメッセージである」ということはできないのだ。(p.235) フランス文学者・湯浅博雄の「ランボーの詩の翻訳について」から。
出題文の内容をかいつまんでいうと、オウムガイの成長線の数は1日に1本つくられ、隔壁はひと月に1個つくられると考えられる。ところが4億2000万年前から2500万年前にわたるオウムガイの化石を調べると、最古の化石の成長線は1小室あたり9本しかない。つまり4億年前はひと月が9日だったというのである。しかも、当時の月は、現在よりもうんと近いところ(現在の距離の5分の2強)にあったらしい。オウムガイはいまわれわれが見ているよりもはるかに大きく明るい月を見ていたのだろう (p.279) 松浦寿輝「晴天有月」から

★★★ 喧嘩両成敗の誕生 清水克行
読書予定リストに入っていた本だが、他に読むものがあったので後回しになっていた。つい先日、著者と高野秀行との対談を読み、挑戦することに。先の対談集に比べると、当然ながら、内容がかたく学術論文のようでもある。タイトル通り、喧嘩両成敗がどのように成立し、その後の進展を丁寧に書き進む。以下の引用を読んでいくと、本書の大まかな内容が判る、と思う。
「下剋上」という言葉が室町・戦国時代を語るうえでのキイ・ワードのひとつであることは一般によく知られているが、その「下剋上」の原因は、家臣の側の権勢欲や野心ばかりではなく、しばしば双六の勝敗のようなつまらない事柄であったことには注意をされたい。この時代の武士の間には、主従の間の上下の秩序よりも、みずからの自尊心や誇りを維持することの方がときとして優先され、それが「下剋上」を生み出す原因ともなっていたのである。(p.27)
ここまで落武者狩り慣行と没落大名屋形からの財産掠奪慣行という二つの慣行を追ってきて、読者にはそれがまるで本章の最初でみた南太平洋の「掠奪刑」とそっくりであることに、もはや気づかれたのではないだろうか。穂積陳重の理解によれば、罪を犯したことによりその者は法による保護の埒外に置かれ、事実上の財産権剥奪状態に置かれるのだという。そのため、その者の財産を何者が掠奪しょうとも罪に問われることはない、というのが「掠奪刑」を支えた論理であった。この説明は、ここまで見てきた室町・戦国期の二つの掠奪慣行についても、おそらく当てはまるだろう。すなわち、室町殿に叛き京都から没落した者は、法による保護の埒外に置かれる、であるならば、そうした法の庇護を失った「法外人(outlaw)」から財産やときには生命を奪うことは、なにも悪いことではない。中世社会では一般民衆のあいだで「盗み」はなによりも重罪と考えられており、それを忌避する意識はきわめて強かった。そうした社会にありながら、臆面もなく掠奪を繰り広げる室町・戦国時代の人々の意識のもとにあったのは、けだしそうした観念ではなかっただろうか。(p.92)
室町幕府の流罪とは、罪人の追放や拘束に意味があったのではなく、なによりも彼らを法の保護の埒外(らちがい)に置くことに最大の意味があったのである。もちろん、自力救済を基本とする中世社会にあっては、それは多くの場合、即「死」を意味した。(p.100)
メソポタミアのハンムラビ法典のなかの有名な一文「目には目を、歯には歯を」は、同害報復を認めた条文として一般にも広く知られている。ところが近年の研究の進展によって、この条文は決して復讐を奨励しているわけではなく、受けた損害以上の過剰な報復を相手に加えることを禁ずる意図のもとに定められたものである、という理解がむしろ通説になっている。つまり、片目を失った者がその報復と称して片目以上、つまり相手の両目を傷つけたり、まして命を奪うことはあってはならない、あくまで「目には目を」、という意味である。このように、同害報復の原則は、そもそも復讐を正当化する反面、その復讐に一定の制御を加え、過剰報復を抑止する側面ももっていた。同じことは、以下に見てゆくように、日本の室町時代の人々の衡平感覚についてもいえるだろう。(p.120)
そもそも人々の同害報復の観念が復讐を助長した反面、復讐に一定の制限をあたえていたという事実は、さきに例としてあげたメソポタミアのハンムラビ法典をはじめとして、中世ヨーロッパ世界やイスラム世界など人類史上においても普遍的に確認される現象である。こうしたことから考えれば、日本中世社会の衡平感覚や相殺主義も、それは一方で紛争の原因でありながらも、他方では紛争を収束させる要素ともなっていたと断言して差し支えはないだろう。そして、他でもない喧嘩両成敗法とは、当事者双方を罰することで、まさにそうした均衡状態を強制的につくり出す効果をもっていたのである。(p.124)
現代社会においては、黒白のつけられない決着、つまりは灰色の決着というものを政治的な取引や妥協の産物とみなして、少なくとも公的な場においては歓迎されることはない。しかし、どうも洋の東西を問わず中世社会に生きる人々にとっては「真実」や「善悪」の究明などはどうでもよく、むしろ彼らは紛争によって失われてしまった社会秩序をもとの状態にもどすことに最大の価値を求めていたようなのである。だとすれば、「折中の法」こそは、その実現のために生み出された当時の人々の経験知の産物といえるだろう。そして、その「折中の法」を生み出した背景には、当時の人々の心性に根づいていた衡平感覚や相殺主義に対する細心の配慮があったこともまた疑いないだろう。つまり、中世社会の衡平感覚や相殺主義は、喧嘩や復讐といった極限的な状況にとどまらず、中世の人々の思想の深部にまで、想像以上に深く根を下ろしていたのである。そしてまた、「黒白を明らかにしない」「玉虫色」「足して二で割る」という第三者にははなはだ不明瞭な解決法の多用が、現代にいたるまで良くも悪くも日本人の特質としてしばしば指摘されることを考えると、案外、その影響は、いまを生きる私たちにも決して無縁なものではないのかもしれない。(p.130)
大名たちは両成敗法を利用しながら、最終的には裁判というかたちで、両成敗法を成り立たせている人々の衡平感覚や復讐心を克服するみちを目指していたのである。たしかに「原則として喧嘩両成敗だが、攻撃をうけても我慢して訴え出た者は無条件に勝訴とする」という規定は、公正な裁判の実現という観点からすれば、まだまだ不十分な印象をうける。しかし、それは、あくまで裁判という選択肢にまだあまり馴染んでいない人々の足を法廷に運ばせ、大名裁判権を確立するための過渡的な措置であったというべきだろう。そのかぎりで、喧嘩両成敗法は歴史の進展に積極的な役割を果たすことになったのである。こうした試行錯誤を繰り返しながら、やがて歴史の大きな流れは「自力救済から裁判へ」という方向へ少しずつ向かってゆくことになる。(p.184~p.185)
著者の他の著書も読んでみようと思う。「日本神判史」、「耳鼻削ぎの日本史」など。

★★★ 京都の凸凹を歩く 梅林秀行
著者の肩書きは、京都高低差崖会の崖長、となっている。ブラタモリを見ている方ならピンとくるでしょう。「京都編」、「京都嵐山編」、「京都伏見編」の三回出演し、さらに「奈良編」にも出演するという常連さんです。この本では、プラタモリと重なるところもありますが、祇園、聚楽第、大仏(豊国神社に昔あったもの)、御土居、巨椋池、伏見指月、淀城、について書いてあります。個人的に興味深かったのは、円山公園の成り立ち、その奥の安養寺、豊国神社の歴史、巨椋池と伏見で秀吉がやったこと、です。続編があるようなので読んでみようと思います。

★★★★ 世界の辺境とハードボイルド室町時代 高野秀行 清水克行
高野はノンフィクション作家、「謎の独立国家ソマリランド」という本を読んでいたく感心した。清水は日本中世史が専門の明治大学教授、「喧嘩両成敗の誕生」など面白い本を書いていると聞いたことがある。この二人の対談、それも、ひどく畑の違う二人、面白いに違いない、読まねば。で、それぞれの広範な知識が、深い洞察力で掘り下げられ、凄く興味深い。一風変わったタイトルだが、高野が巡った辺境の地(?)と日本の中世が似ていると言うことを表していて、確かにそうだと思った。人間、何処でもいつの時代でも同じようなことをするようだ。

清水 五代将軍徳川綱吉が「生類倦みの令」を出して犬を殺すことを禁じたのは、かぶき者対策だったんじゃないかとも考えられているんです。かぶき者は辻斬りや犬でためし斬りをするような連中ですから、取り締まる必要がありました。そのために綱吉はあの法令を出したんじゃないか。戦国時代は百年も前に終わったのに、何をやっているんだというのが彼のメッセージで、そのためのシンボルが犬だったんじゃないかって、近年は言われていますね(参考:塚本学『生類をめぐる政治』講談社学術文庫)。
(p.56)
清水 日本語に「サキ」と「アト」という言葉があるでしょう。これらはもともと空間概念を説明する言葉で、「前」のことを「サキ」、「後ろ」のことを「アト」と言ったんですが、時間概念を説明する言葉として使う場合、「過去」のことを「サキ」、「未来」のことを「アト」と言ったりしますよね。「先日」とか「後(アト)回し」という言葉がそうです。でも、その逆に「未来」のことを「サキ」、「過去」のことを「アト」という場合もありますよね。「先々(さきざき)のことを考えて……」とか、「後をたどる」なんて、そうです。「サキ」と「アト」という言葉には、ともに未来と過去を指す正反対の意味があるんです。ところが、そもそも中世までの日本語は「アト」には「未来」の意味しかなくて、「サキ」には「過去」の意味しかなかったようなんです。/現代人に「未来の方向を指してみてください」と言うと、たいていは「前」を指さしますよね。でも、そもそも古代や中世の人たちは違ったんです。未来は「アト」であり「後ろ」、背中側だったんです。
(p/74~p.75)
高野 そうなんです。それでミャンマーに行ったとき聞いてみたら、やっぱり一般的に古米の方が新米より値段が高いとわかりました。
清水 高い理由は何なんですか。
高野 一つには清水さんのおっしゃるように古米の方が増えるから。もう一つは、おいしいから。
清水 古米がおいしいんですか。お腹が膨れるからというだけではないんですね。
高野 そこは違うんですね。コメの違いもあると思います。タイやミャンマー、それにインドもそうですけど、細長くてパサパサしたインディカ米ですよね。あれはパサパサしてるっていうのは日本人の感覚で、向こうの人にとっては軽やかなんですよ。だから水分の少ない古米のほうがさくっと軽やかでおいしいって感じるみたいです。新米はべちゃべちゃしておいしくないし、胃にもたれるという人もいましたね。
(p.105)
清水 よく言えばわかりやすい。悪く言えば単純な。
高野 議論の余地がありそうなところはもとから断ってしまうのが、イスラム的な判断だと思います。
清水 それで、お酒ももとから断たなきゃダメだと。
高野 コーランを読んでいると、そういう印象を受けますね。
(p.140)
高野 今でも庶民は税金を払わないのがふつうで、政府が取っているのは、企業の法人税とか、個人で所得の高い人の所得税、あとは関税とかなんですよね。個人の所得税をちまちま取ろうとすると、コストが合わないわけです。
(p.187)
高野 そのことを中古車輸出会社の社長に聞いたんですよ。そしたら「日本以外の国では、中古車の値段はそんなに下がらないんだ」って言うんですよ。「クルマの持ち主が代わった瞬間に、価格が六割に下落するなんていう国ほ日本しかない」って。
清水 へえ。
高野 二、三回転売されたクルマの価値ほほぼゼロになっちゃう。そんなのは日本独特の現象で、しかも日本人はものすごく丁寧にクルマに乗るから、めちゃめちゃ質のいい中古車がタダ同然で手に入る。だから、中古車を輸出するビジネスは日本でしか成り立たないんだと。

(p.288~p.289)

「喧嘩両成敗の誕生」、読んでみようと思います。

★★★★ さよなら、田中さん 鈴木るりか
著者は2003年生まれ。小学校4年生、5年生、6年生の時に、3年連続で小学館の「12歳の文学賞」大賞を受賞した。この本には、その4年生の時と6年生の時の受賞作が掲載されている。大幅に改稿、と書いてあるから、出版の時の2017年の作品と思った方がいいかもしれない。他3作品は書き下ろし。それにしてもすごい。とても中学生が書いたものとは思えない。4作品は母と暮らす小学生の娘が主人公。最後の、「さよなら、田中さん」はその女の子を男の子から見た物語。この作品の世界は、著者の世界とは全くかかけ離れたもののようで、驚くべき創作力。特に表題作は現代の様々な問題を取り込んでいて、ただただ感心するばかり。次回作を期待。それにしても、藤井聡太といい、恐ろしい中学生が出てきたものです。
自分とは、あまりにかけ離れている人、明らかに別世界の人は、嫉妬の対象にならない。同じようなレベル、階級の人に嫉妬心は生まれるのだ。(p.171)
悲しい時、腹が減っていると、余計に悲しくなる。辛くなる。そんな時はメシを食え。もし死にたいくらい悲しいことがあったら、とりあえずメシを食え。そして一食食(く)ったら、その一食分だけ生きてみろ。それでまた腹が減ったら、一食食べて、その一食分生きるんだ。そうやってなんとかでもしのいで命をつないでいくんだよ (p.238)

★★★ 聖書、コーラン、仏典 中村圭志
タイトル通り、世界の有名な宗教教典の概要を述べるガイドブックである。今年になって読んだ4冊の本のうち2冊が宗教関係、特に宗教に興味を持っている訳ではなく、たまたま私のアンテナにかかった面白そうな本がそうだっただけ、と思います。そうではないかもしれません。何しろ年を取って死期が近づいているのですから。それは兎も角、面白い本です。聖書についてはある程度知っていましたが、他については今回かなり整理がつきました。そして、宗教間の類似点への言及が興味深い。確かに似ている面も多いのでしょう。第6章で、ヒンドゥー教、儒教、道教、神道、について述べられているが、簡略すぎるのが少し残念。
第1章 旧約聖書
第2章 新約聖書
第3章 コーラン――正しい社会の建設
歴史的にはイスラム教徒は多神教のヒンドゥー教徒とも共存してきたし、日本のムスリムも日本の宗教的慣習に対してとくに口出しはしない。キリスト教の場合、「真理」ならざるものを信じる異教徒はすべて改宗させようという動機が強かったが、イスラム教徒のはうが布教には消極的だった。(p.156)
第4章 パーリ仏典――仏陀の修行マニュアル
ブッダは悟りを他人に教示することに消極的であったのだ。これは仏教が社会に無関心な隠遁(いんとん)主義的な傾向をもつことを意味すると解釈する向きもあるが、むしろ、悟りというものの本質的な「語り難さ」を表現するものであるかもしれない。社会に関心のあるユダヤ教においても、預言者は神のお召しを受けるとき、決まって辞退している。それは絶対者を前にした遠慮であるが、ブッダの躊躇(ちゅうちょ)に通ずるところがあるかもしれない。神の畏れ多さと、悟りの語り難さ。聖なるものの超越性を暗示しているのである。(p.173)
第5章 大乗仏教――諸仏の救済ビジョン
法華経のメッセージは、次の三つに要約できる。第一はあらゆる衆生の成仏可能性、第二はそれを応援する久遠の釈迦の存在、第三は釈迦の恩義に応えて菩薩道を歩むべきこと、である。キリスト教になぞらえれば、万人が潜在的に天国に行けること、それを神キリストが応援していること、そしてキリストの恩義に応えて神に忠実であるべきこと、となるだろう。(p.244)
宗教家は聖書やコーランや仏典のような聖なるテキストを権威の源泉と仰いで、その解釈によって自己の世界観・救済観を作り上げるが、それは実は能動的な営みである。彼らはときにはテキストとの格闘の末、思い切って踏み込んだ読み方をする。そのような営みの中で、漢訳者はサンスクリットの原典の意をとって漢訳仏典を作成し、中国や日本の宗派の開祖たちは漢訳仏典の最重要ポイントを絞り込んで大胆な新解釈を行なった。そもそも、インドの大乗仏教の運動家たちも、自己の瞑想と社会的実践の中で釈迦の仏教を再解釈して、大胆にも大乗仏典という新興のテキスト群を生み出したのである。それは旧約の伝統に立って新約聖書を生み出した初期のクリスチャンの営為に比べられるものである。(p.260~p.261)
第6章 東ユーラシアの多神教の教典
〔神道において〕罪が「水に流す」という感じで消えてしまうのは面白い。キリスト教のように、個人に罪を自覚させて、俄悔させるわけではない。仏教のように、個人に煩悩から脱却する修行を勧めるわけでもない。いずれにせよ神道は個人主義ではなく、共同体主義である。祝詞においては、人ほみな共同体の連帯と自然界のエコロジカルな秩序の中に生きている自分を思って、拝聴し、かしこまるのである。罪はいわば共同体の連帯責任であり、罪を運び出すのも複数の神々の連携プレーである。(p.292~p.293)
終章 教典のエコロジー
「聖書」「コーラン」「仏典」「ヴェーダ」といった教典と名指された文書はただそれだけで成立しているものではなく、周辺の文脈込みで機能してきたことが分かってくる。そうした文脈の中には教団組織もあれば歴史的環境もある。生物が周辺環境から切り離せないというエコロジー(生態学)に例えて、「教典のエコロジー」のようなものを語ることもできるだろう。(p.303)
第6章の内容を詳しく書いてある本を探して読んでみよう。

★★★★ 日本語のために 編者=池澤夏樹
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 全30巻の30番目。今年度完結の予定が、源氏物語の中と下の発売が遅れているようです。この巻は、編者の説明によると・・
はじめに/全体の方針/「日本文学全集」全三十巻の中でこれは他とは趣の異なる一冊になるだろう。特定の文学作品ではなく、さまざまな文体のサンプルと日本語に関する考察を集める。琉歌(りゆうか)など他の巻に収めきれなかったものをここで拾うという意図もある。(p.9)
その琉歌を一つ・・
215 夏ぐれのすぎて 露の玉むすぶ 庭のなでしこの 花のきよらさ 読人(ゆみびとぅ)しらず
方音 なついぐりぬすいじてい、ついゆぬたまむすぶ、にわぬなでいしくぬ、はなぬちゅらさ
語意 「夏ぐれ」は夏のにわか雨、夕立。
歌意 夏のにわか雨がすぎて、露の玉を宿している庭のなでしこの花が美しい。
解説 夏ぐれという言葉は、しやうんがない節の「降らぬ夏ぐれに我袖ぬらち」とあるのが有名で、大変面白い言葉だといって、折口信夫(おりくちしのぶ)氏がこの言葉を入れて短歌を作られたことがあった。
以下略 (p.185)
ここに掲載されている琉歌はすごい。方音が判らないが、きっと素晴らしい響きではないか。引用したいところがたくさんあり、あまりに多いので諦めた。目次だけを書いておくと、1古代の文体、2漢詩と漢文、3仏教の文体、4キリスト教の文体、5琉球語、6アイヌ語、7音韻と表記、8現代語の語彙と文体、9政治の言葉、10日本語の性格。どれも興味深かったが、7以降が特に面白い。ひとつだけ引用、10の中の、私の日本語雑記(中井久夫)から以下の部分。
間合いがいかに伝達に必要かを示す端的な事実がある。同時通訳者は、同時通訳は生(なま)の話し言葉だからできるのだと異口同音に言う。語調、間合い、ためらい、間投詞、そういうものなしでは同時通訳は成り立たない。何語に限らず、そういうものがあってはじめて生きた言葉なのだ。「あのー」はいちばん単純な小道具であろう。(p.497)
なるほど、書かれた文章には「あのー」はない。「あのー」はどこに行ったのだろうか。何くわぬ顔をして「読点」に化けているのではないかと私は思う。「読点」の打ち方に法則が見当たらないのは、そのためではないだろうか。わかりにくそうな文章、こみいった文章では工夫して打つ。ひらがなが続くとひらがなで始まる名詞の前に打ったりする。もっとも、逆は異ならずで、読点の位置まで「あのー」のありそうな位置と一致するわけではない。読点の機能は一つでほないが、文章を書いていて一息つきたくなると読点を打つことが多い。(p.498)
最初に「はじめに」から引用したので、最後は「あとがき」から。
何かおかしな本ができてしまった、というのが編集を終えた今の感慨。この「日本文学全集」は古代から現代までを貫く歴史の意識に導かれている。その一方で日本ぜんたいという地理的な広がりを求める気持ちもある。その上にできるだけ多種多様な文体を収めたいという望みが重なる。それらすべての意図を集約的に具体化しようと試みたのがこの一巻だ。結果は人工衛星の高さにカメラを据えて、八世紀から二十一世紀までの間にこの列島の全域で起こった言語現象を微速度撮影で撮った動画のようなものになった。時を追ってあちらこちらで花が咲く。それを上から見る。大輪のものあり密やかなものもあり、日本語・漢語・琉球(りゅうきゅう)語・アイヌ語と、言語ごとに色が異なる。その間を自在に飛び回って蜜を集め花粉を運ぶ蝶(ちょう)や蜂は、花の種類を超えて文学的価値を受け渡す翻訳者だろうか。(p.523)
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この本を読むのに、いろいろなことがあり、一年以上を必要としました。

★★★ どう読むか、聖書 青野太潮
先日、広島修道大学の公開講座、『新約聖書』 冒頭のイエス・キリストの系図に登場する女性たち―旧約時代の記憶―、を受講しました。とても興味深い講義で、その時紹介されたのがこの本。260ページあまりに聖書のことが色々書いてあり、勉強になりました。特に、聖書の成り立ち、聖書の読み方、などについて、知らないことばかり、もっと若いときにこの本に出会っていたら、聖書をもっと深く読んだかもしれないと思いました。反面、詳しすぎるところもあり、また、宗教的な考え方も色濃く、没入できない部分もあります。特に気になったのが、著者が翻訳について誤りを指摘しているところ。私にはそれが本当に誤訳なのか判りませんが、読んでいる限り成る程と思いました。となると、我々が聖書を読むとき誤解するのではないでしょうか。この不安を解消してくれるのが、以下に引用している終わりの方の記述です。人間は不完全である、聖書もまた。
神の国の福音が先行しているのであり、それゆえに、それを受容するという意味での「悔い改め」をするのである。「悔い改め」をしたから罪がゆるされる、というのではなく、罪がゆるされているからこそ「悔い改め」をするのである。(p.45)
たとえ神からの「啓示」の書として聖書が受けとめられたとしても、そこにその啓示を受けた人間が介在している限り、それは「批判」を意味する「吟味」の対象とならざるをえない。そしてそれは、すでに述べたように、すべての人間は完全無欠ではありえず、ただ相対的な存在にとどまるほかはないという聖書自身の主張に全く合致するものである。われわれ自身はもちろんのこと、聖書を記した記者たちも、たとえいかに神の真理を求める思いにおいて純粋であり、其撃であったとしても、そのことはその人のとらえた真理の内容が誤りなき完全なものであることを決して意味しないのである。(p.151)
パウロが、「十字架のキリスト」のみを知りたいと語るのはなぜだろうか。それはその「十字架のキリスト」のみが「復活のキリスト」でありうるから、という理由以外ではない。逆に言えば、上述したように「復活のキリスト」とは「十字架のキリスト」であり続けているということだ。そしてそのことは、ここで「十字架につけられたキリスト」と訳されているギリシア語の原文からも言える。なぜなら、そこでは現在完了形の分詞が用いられているのだが、ギリシア語における現在完了形は、完了した動作が今も継続しているということを強調して言い表しており、それゆえここは、「今も十字架につけられてしまったままでいるキリスト」と直訳することができるからである。(p.209~p.210)
「福音書」もただひとつではなくて、四つの「福音書」が採用されたということの意味は大きい。その理由の第一は、すでに見たように、旧約聖書は決して首尾一貫する形でその神理解や人間理解を示しているわけではないにもかかわらず、その中心思想においては、イエスもパウロも、旧約聖書と彼らの福音の連続性を認めているからである。第二は、四つの「福音書」も、互いに決してすべてがピタリと符合する形で記述されているわけではないにもかかわらず、それらを修正することもしないで、そのまま正直に相互間の齟齬・矛盾をさらけ出しているからこそ、そこに人為的ではない真実味が浮かびあがってくるからである。人は、容易にそこに見られる相違を訂正して、一見して矛盾のないものに仕立て上げることはできただろう。しかし、それは歴史の改竄(かいざん)であり、多様なとらえ方を一色に塗りつぶすことであって、実に不健全な作為である。矛盾や相違は、むしろ豊かさを示すものとして受けとめられるべきであり、ただ否定的にとらえられるぺきではない。(p.239~p/240)
「聖書」は人間の書いた他の文書とは次元のちがう神聖不可侵なものなどでは全くなく、むしろ全く逆にその原典そのものすらも存在せず、ただ人間の、相対的なわざ以外の何ものでもない文献学的な作業によって再構成されているものだという事実は、聖書それ自身が告げている教説に深く規定された現実を示しているからである。すなわち、人間は決して絶対的な正しさを持つことはできず、ゆるされなくては生きていけない相対的な存在なのだ、という教説によって規定された現実である。(p.257)
聖書は、それが現在とっているその形姿そのものをもって、決して自らの聖書の読み方を絶対化してはならないということ、むしろ聖書自身がそうであるように、人間は誤り多く相対的であることを知るようにと促しているのだ、そしてまさにその自らの弱く足りない者であることを知っている者のただ中にこそ、おぼろげながらではあるが、神自身が自らの絶対的な意志をあらわにするであろう、という結論である。そして唯一そこに、真理を手にすることへのわれわれの希望は存在しているのである。(p.259)

★★★★ オーケストラ指揮法 高木善之
1996年に出版された本を、2007年に改訂。著者は音楽の専門家ではない。小さい頃からピアノや声楽を学び、学校では合唱をやっていた。就職してからも、職場で合唱団の指揮をし、ついにはオーケストラの指揮をするようになる。前書きは「前奏」と題され、以下は「第〇楽章」となっている。第1楽章は、オーケストラ指揮法。合唱指揮者からオーケストラ指揮者になるまでが書かれている。知っているようで知らないオーケストラのこと(練習法や人間関係など)興味深いことがたくさん。第2楽章は、交通事故。33歳の時、死んでいてもおかしくないひどい事故に遭います。その事故のことやその後の奇跡的な回復について、そして、その闘病中にいろいろ考えたことで、著者がどう変わったか、それ以前とそれ以後を対比して述べられます。第3楽章は、新しい生き方。合唱団、職場、家庭、についての記述です。第4楽章は、新しい気づき。今現在著者が取り組んでいる、NPO法人ネットワーク「地球村」に至る経緯。あとがきは「後奏」。<後記>もあり、出版後から改訂までのことが簡単に記載されています。私は本来、この様な生き方について書かれている本は読みません。何故かというと、説教臭いものが多いからです。この本も最後の方はその匂いがします。しかし、それを消してしまうだけの迫力があります。私が音楽好きということもあるのかもしれませんが、七十歳前の人間が読んでも得ることがあります。若い人たちはもっと得るとこが多いと思います。オススメです。