2016読書記録 15年 14年 13年 12年 11年 10年 09年 08年 07年 06年05年  


読書中 人間臨終図巻 山田風太郎



今年もまた乱読でした。このページの記述もいい加減でした。備忘録にすらなっていないような気がします。
冊数だけでは判断できないかもしれませんが、今年は減っています。2011年から数えてみると、
102冊 → 94冊 → 84冊 → 81冊 → 94冊 → 70冊
2017年は、質量共に充実させようと思います。読後感もきちんとしたものにしようと思います。
思うだけかもしれませんが。読書を楽しむのが一番、なんてね!



★★ フランスはどう少子化を克服したか 髙崎順子
フランスで二人の子育てをしている著者の、現地の状況報告。少子化対策に成功した国、といわれるフランスの育児がよく判る。第1章は、『男を二週間で父親にする』。14日間の育休はほとんど取られているようです。ただ、その後はまだまだとのこと。第2章は、『子供は「お腹を痛めて」生まなくても良い』。実に80%が無痛分娩だそうです。著者も自然分娩を希望していたが、一昼夜陣痛に苦しんだあと、助産婦に、「あなたね、産んでからの方が大変なのよ。これ以上消耗して、今日の夜から赤ちゃんの世話が出来るの?」、と言われ、産んだあとのことに思い至り、無痛分娩に。フランスでは、産んだ数時間後から母子同室が始まり、昼夜問わずの育児生活に突入するのです。第3章は、『保育園には、連絡帳も運動会もない』。フランスの保育園には、何も持っていく必要はなく、何も持って帰る必要もないそうです。保護者の負担は最低限に、しかし、パリでの保活は厳しい、なので・・・ 第4章、『ベビーシッターの進化形「母親アシスタント」』。システムや費用について詳しく書かれています。簡単に言うと、個人に子供を預けるということ、色々なやり方があり、補助金はあっても費用がかかるようです。最後の、第5章、『3歳からは全員、学校に行く』。義務教育ではありませんが、無償で、就学率はほぼ100%。教育係と世話係が居て、勉強もきちんとやります。3歳からは国が子供の面倒を見るのです。これは素晴らしい制度です。これだけやれば確かに出生率は上がるでしょう。

★★★ 時間かせぎの資本主義 ヴォルフガング・シュトレーク
市の図書館では四ヶ月待ったのに、県の図書館には棚に普通に置いてありました。それを利用し、さらに、市の図書館で再度借り、時間をかけてやっと読了。
以前にも何処かに書いたような気がしますが、高校時代から、資本主義の拡大再生産に疑問がありました。社会主義が破綻(?)してから、資本主義の全盛期(?)になり、ゆがみが拡大しているのではないでしょうか。この本はそれにかなり応えてくれました。私は資本主義が何時か破綻するのではないかと思っています。この不安に対してはこの本には書かれていません。
自分で選んだモビリティと強いられたモビリティの違い、自由業と不安定雇用の違い、解雇を通告することと通告されることの違い。この違いを、雇用者側と政治はあの手この手で言葉巧みにぼかそうとした。小さい時から世の中は実力世界だと聞かされ、労働市場をマウンテンバイクやマラソンのようなスポーツのチャレンジと同じものと感じている世代には、このぼかし作戦は大いに成功した。(p.59)
少なくとも一般大衆にとっては成長する資本主義など、もうずっと以前から存在してはいなかった。むしろ資本主義の方こそ、みずからの意に反して一般民衆の協力、いやむしろ我慢に頼ってきた。こうして自由化もまたその臨界点に達した。二〇〇八年の危機の年、国際的な銀行システムは破綻の瀬戸際に立たされた。経済に別れを告げたいと思っていた公権力は、まさにその矢先に、それまでのあらゆる民営化や規制緩和にもかかわらず、ゲームに復帰することを余儀なくされた。その結果、大きな政治的リスクのもとで達成した財政再建の全成果もまた同時に水泡に帰した。二〇〇八年以降、各国は程度の差こそあれ途方に暮れ、金融危機が残した瓦礫の山を片付け、何らかの秩序を再建するという課題の前に立たされた。この課題自体は明らかに民営化できないものだった。各国政府およびその中央銀行は民間の銀行システムを救済するためにさまざまな措置を講じたが、特にその過程で判明したことは公的資金と民間資金のあいだの区別が次第につきにくくなつているという事実だつた。遅くとも国家が不良債権を引き受けた時点で、公的資金がいかに難なく民間資金へと流れ込んでいくものかが白日の下にさらされた。今日では、何が国家で何が市場なのか、国家が銀行を国有化したのか、それとも銀行が国家を民営化したのかが、もはや認識できないほどになつている。(p.68)
市場的公平性は標準経済学的理論の助けを借りてみずからを社会法則ではなく自然法則であるかのように表明している。しかし、それもまた社会的公平性の一種であることに変わりはない。資本が政治状況を「心理学的に」信頼していることは、資本主義経済が機能するためのもっとも重要な技術的(この三語の傍点)前提をなしている。だとすれば、民主主義的権限を与えられた社会的公平性によって市場的公平性を補うといっても、その影響力は最初からごく狭い範囲に限られている。資本主義経済には根本的な非対称性がある。それは「資本」の側の報酬要求が事実上、全体システムの経験的な機能条件として作用するのに対して、それに対応する「労働」の側の報酬要求がシステムの阻害要因として作用するほかないという点だ。(p.101)
累積債務から完全に解放されるためには、何十年にもわたる財政黒学が必要であり、それは高い成長率と同時にかなり高いインフレ率と結びついてはじめて可能となるだろう。(p.183)
役員部屋の階にいる「エキスパート」たちの所得はどんどん増え、社会の底辺層の賃金と社会保障費はどんどん下がっていく中で、彼らはこんな説明を繰り返し聞かされている。資本主義的な経済秩序の自由化を推進することは、国家予算のカット、福祉国家の解体、失業、低賃金就労なども含めて、全体として経済成長に寄与しているのだ、と。こんな説明を聞かされている人々の反発感情をできる限り支援し、強化していくことこそが、批判的知識人の使命でなければならない。(p.223)
借金をした者なら誰でもいつかは返済しなければならないのは当然だと、人は思うかもしれない。しかしこれは一つの神話にすぎない。この神話は、日常生活の道徳性を引き合いに出してグローバルな金融市場を道徳化している。そして金融市場の要求に反対することを不道徳なことのように思わせるのに役立っている。実際には、国家は私的個人とは異なり、債権者に返済繰り延べ要求を課したり、場合によれば返済を完全停止したりすることさえできる。(p.225)
目下の金融、財政、経済の三重危機は、戦後資本主義が長期にわたる新自由主義的転換を経てたどり着いたとりあえずの終着点だ。インフレ、国家債務、家計債務はそれぞれ一時的な応急措置として用いられた。それによって民主主義的政治は成長資本主義の見かけを保つことができた。あたかもすべての人々に同じように物質的進歩がもたらされ、さらには市場と人生のチャンスが徐々に上層から下層に向かって再分配されていくという印象さえ与えてきた。しかし、この三つの応急措置はいずれも、資本の受益者と管理者が一〇年ほどかけてさんざん利用した後、高くつきすぎることに気づくや、次々と使いはたされ、次の応急措置にとって代わらざるをえなかった。(p.243)
アメリカ合衆国と同様に、ヨーロッパにおいても、短期的には人為的貨幣操作による危機回避は成功する可能性がある。銀行役員のボーナスと銀行株主たちの配当金はふたたび復活し、「市場」が国債を購入する際に要求するリスクプレミアムは、中央銀行がリスクを引き受けてくれた後はふたたび手頃な水準になるだろう。しかしはたしてこれが長期的な効果をもたらし、新しい成長を生み出すかどうかは、確実とはとても言えない。特にその成長が貧富の格差を、そしてヨーロッパの南北格差を縮小し、あるいは少なくとも覆い隠し、市場的公平性と社会的公平性をなんとか調和させることによって、民主主義的資本主義の平和の公式をもういちど延長することができるかどうかは、まったく分からない。ECB総裁がいかにしつこく、こんな言葉を繰り返しているかは注目に催する。日く、危機の時代にあっては、自分たちの法的任務を超えてあらゆる支援の手を差し伸べる用意はある。だからといってそれが政府の「構造改革」を不要にするということはけっしてありえない、と。今回は特に、貨幣と債務の膨張が中央銀行によって推進されてきた。この膨張がもう一度、資産市場の過熱とその後のバブル破裂を招いたり、あるいは一九七〇年代のような世界的インフレを招来したりするのを避けるために、新しい成長レジームを探し求めなければならないとすれば、新自由主義的政治には実際、構造改革以外に提供できるものはないだろう。(p.247~p.248)
ゴルフや競馬のようなスポーツには、競技参加者(馬)の実力にあまりに大きな差がある場合にはハンディを課すという競技法がある。もしこれがなければ参加者(馬)は少数の常勝組と多数の常敗組に二分してしまうだろう。国際経済システムにおける通貨切り下げという制度はちょうどこのハンディのような機能をもっている。比較的弱い諸国が、それでも勝負に参加する気になるように、強い諸国はあらかじめハンディを背負う。ゴルフならば、下手なプレーヤーはグロススコアからハンディを差し引くことができるし、競馬ならば、潜在的な常勝馬は追加重量を背負わなければならない。各国経済社会における経済政策でいえば累進課税もまた同じような役割を果たしているか、少なくとも果たすことを期待されている。言ってみればヨーロッパ通貨同盟の中で切り下げを廃止しているということは累進課税や、競馬のハンディを廃止するのと似たようなことだ。(p.265~p.266)
著者は、EUを、特にユーロを、疑問視しています。イギリスの離脱もあり、2017年は激動の年になるか?

★★ 雑草のくらし 甲斐信枝
著者を紹介するテレビ番組があり、その時代表作とされてものを読んでみました。以下の引用はカバーの裏の紹介文です。絵本なので漢字には全てふりがながうってあります。
この本を完成するために、著者は五年間にわたって、京都・比叡山のふもとの畑あとに通い、観察をつづけました。雑草の自然のままのいとなみを見るため、まわりに金網をめぐらし、人や犬が入って荒らさないようにしました。こうして、著者は雨の日も風の日も、暑い夏の日も雪のふる日も、畑あとのあき地にしゃがみこんで、草が芽ばえ、花を咲かせ、実をむすび、そして枯れていく様子を、じっと見つめつづけたのです。このようにして、真の観察絵本とよぶにふさわしい、ドラマと詩と生命にあふれた、この美しい絵本が生まれました。いままで想像したこともない雑草の世界が、この本のページを繰るあなたの前に、くりひろげられることでしょう。
ここに書いてある通り、テレビで紹介された通り、凄い本です。だだし、大人は楽しめますが、子供向きとは言えないかもしれません。

★★ 一〇三歳になってわかったこと 篠田桃紅
3月に図書館で予約、手元に来るのに8ヶ月以上。同時に、「一〇三歳、ひとりで生きる作法」という本も予約、こちらは3ヶ月で来ました。という訳で、この本はあとから読みました。一冊目は感動したのですが、二冊目となると、同じような本なので少し割り引かれます。というか、内容的にも、先に読んだ方が優れていると思います。この本は、感情を大切に書いたもので、それはそれなりに大切だとは思いますが、波長が合わないと心動かされることが少ないように思いました。
書に専念しているうちに、私はどんどん深みにはまり、次第に、文字は、こう書かなければならない、という決まりごとに、窮屈さを覚えるようになりました。たとえば、川という字には、タテ三本の線を引くという決まりごとがあります。しかし、私は、川を三本ではなく、無数の線で表したくなったのです。あるいは長い一本の線で、川を表したい。文字の決まりごとから離れて自由になりたい、新しいかたちを生み出したい、と私は希(ねが)うようになり、墨による抽象表現という、自分の心のままを表現する、新しい分野を拓(ひら)きました。幸いにも、私の作品は、ニューヨークで評価されて、世界にも少々広がりました。/ですから、私の場合は、こうなりたい、と目標を掲げて、それに向かって精進する、という生き方ではありませんでした。自由を求める私の心が、私の道をつくりました。すべては私の心が求めて、今の私がいます。(p.98)

★★ 日本で老いて死ぬということ 朝日新聞迫る2025年ショック取材班
副題、2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか
2025年ショック、2025年問題、とは、ベビーブーマー世代が75歳以上になり、医療や介護の提供が追いつかなくなること。この本は、朝日新聞横浜総局の記者が、在宅医療や介護の現場を歩き、危機の実像や解決策を取材した連載「迫る2025ショック」をまとめたもの。2013年11月から2016年4月までの記事は160本近くになったそうです。
新聞記事なので、現状報告が中心になっています。介護の大変さ、それに取り組む関係者の献身的な努力、は凄く伝わりました。しかし、それは今のことで、2025年にどうなりそうか、どう対処するのか、に関しては突っ込みが弱いと感じます。現在の状態を見れば、当然ある程度想像はつきますが、副題にある「崩壊」までは思い浮かびません。「崩壊」までいったら大変で、なんとか防がなければ行けません。その取り組みについても書いてはありますが、まだ「熱い人たち」だけの動きのようです。これを大きな流れにしなければなりません。私にも大いに関わることです、が、まだ私自身「熱い人」にはなれていません。

★★★★ コンビニ人間 村田沙耶香
久し振りの面白い小説だと思う。はじめ、主人公も、彼女に絡む男も、どちらかというと関わりたくないタイプの人間で、あまり読み進めたくなかった。読んだあとも好きにはなれないのだが、現在はこのような人物が多いのか。実際にはここまで極端ではないだろうが、寓話的に見ればいいのかもしれない。
コンビニは現代のの象徴的な空間だろう。小説の始まりで、コンビニの音が描写される。実に見事である。この音は後々まで響いている。「コンビニ店員として生まれる」という表現がある。主人公はこれ以前、世の中に居場所がなかった。
私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。(p.20)
読み終わってみると、これが全てのような気がする。もう少し考えてみよう。

★★★ 日本会議の研究 菅野完
この本を図書館に予約したのは、8月中頃、手元に届いたのは3ヶ月後、その間、11月初旬から朝日新聞に「日本会議をたどって」というお10回シリーズが連載される。この連載は、今年5月に出版されたこの本を読むと、実際に新聞社が取材したのかどうかは兎も角、内容的には重複する所が多い。
この本は読み物として工夫されている。反面、あざとさが目立つ。もっと素直に書いた方がよかったのではないか。全共闘運動が盛り上がり、そして衰退した裏で、右派の学生運動が存在し、粘り強く存続し、今や安倍政権の中枢に多数を送り込んでいると云うこと、などなど、かなり衝撃的なことである。日本の将来は大丈夫か?
「折伏大行進」と「『理想世界』100万部運動」の類似点や差異を研究するのは、極めて重要な価値があろう。この両運動の結果生まれた運動体が今、公明党という形と日本会議という形で、我が国の政権与党を支えているのだから。そして、「『理想世界』100万部運動」は「生長の家」教団そのものも変容させてしまった。戦前・戟中・戦後、貯余曲折ありながらも「自己啓発サークル」のような色彩をかろうじて留めていた生長の家教団は、「『理想世界』100万部運動」の結果、完全に「政治運動組織」となった。運動参加者に自殺者が出たと言われるほど苛烈を極めたこの連動は、さまざまな人々の人生を破壊し、あるいは、救済しつつ展開された。安東はこの運動を成し遂げる。その運動期間が、椛烏有三が今もその実績を誇る「元号法制化運動」 の時期と完全に一致していたことにこそ注目すべきだろう。つまり、「二馬力体制」は、内に「『理想世界』100万部運動」、外に「元号法制化運動」という成果をあげたわけだ。彼らの運動は、学生運動から社会人運動に発展したそのデビュー戦から、「宗政一体」だったのだ。(p.288)
私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食らわされているように見える。やったって意味がない、そんなのは子供のやることだ、学生じゃあるまいし……と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。そして大方の「民主的な市民運動」に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままいけば、「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!だが、もし、民主主義を殺すものが「民主的な市民運動」であるならば、民主主義を生かすものも「民主的な市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない。賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。2016年夏の参院選まで、あと敷か月。絶望するには、まだ早い。(p.297~p.298)
2016年夏の参院選は結果が出た。絶望?

★★★ 書物史への扉 宮下志朗
著者は、ルネサンス文学と書物史の研究家。この本は、著者が選んだ、雑誌「岩波」の表紙と、その解説を84点集めたもので、書物文化史案内といった内容になっている。表紙に選ばれたものは、本の表紙や口絵、挿絵など様々、なかには、フローベルが「ボバリー夫人」書いた時の草稿の地図、富山の薬・反魂丹の袋、といったものまである。見開きの右に図画、左が解説、という体裁、その50文字ほどの文が素晴らしい。書物と文字文化に対する著者の博識があふれ出ていて感心する。読んでみたいと思った本が幾つか、特に、ハルオ・シラネ編『近代日本文学アンソロジー 1600-1900』、しかし、1000ページを超えるものだそうです。

★★★ 人間晩年図巻1995-99年 関川夏央
山田風太郎の「人間臨終図巻」を受け継ぐものと言えるでしょう。その「人間臨終図巻(上巻)」、八割方読んだのですが、図書館で借りている本の返却期日の関係で、後回しになっています。山田版は、臨終の時を中心に、その人の一生を手短にうかがわせるような書き方です。この本は、祖に人の死に至る人生をかなり丁寧に描きます。さらに、関連人物にも言及し、その時代をも浮かび上がらせようとしています。伊丹十三、木下恵介についてが、特に興味深かった。
どんな社会でも「欲望」をコントロールする機能が必要だが、日本でその役割は、村社会、民族的伝統、そして武家制度が果たしてきた。しかし戦後の急速な経済成長によって、モラルの規範としての共同体は崩れた。「それに代わる父親機能を、日本はいまだに発明していないようですね。だから快楽原理のみで生きているんです。私はいま、これがいちばんの心配なんですよ」このとき四十九歳であったチャールズ・パレスは伊丹の態度と発言に、一九七〇年に自刃した三島由紀夫を重ねざるを得なかった。「(三島と伊丹は)人生の最後に、日本人の道徳的自己規制の喪失という問題と戦うという、同じ聖戦に到達していた。そして彼らは二人とも、人生最後の日々を丘の上で警世の鐘を鳴らしつづけながら、ほとんどそれに耳を傾ける人がいない孤独な人間として死んでいったのである」 (p.170) 
大江健三郎と伊丹十三は松山の学校で同級生だった、その関係で、伊丹十三の妹が大江健三郎と結婚した。
パリで木下恵介は三島由紀夫と親しんだ。木下恵介の女嫌いと三島由紀夫の趣味は広く知られていたが、それとは関係がない。世界一周の途上、パリ到着早々オペラ座近くの路上で両替詐欺にあった三島由紀夫が、日本人経営の宿「ぼたんや」に滞在中の木下恵介に助けをもとめたのである。盗られたトラベラーズチェックが再発行されるまで、三島は事実上無一文であった。ある夜、メトロの終電もなくなったので、ふたりは宿まで歩いて帰った。そのとき木下恵介が三島に尋ねた。かねてから三島のような頭のいい青年作家が、なぜ日本の国政に対して積極的に発言してくれないのかと訝(いぶか)しんでいたのである。小説家だって日本の運命の中で生きているんでしょう、とは四〇年に二十七歳で召集されて輜重(しちょう)兵卒となり、中支を転々としたのち負傷除隊となった木下恵介のいつわらざる感想であった。木下より十三歳下、戦中派の三島は答えた。<「小説家ってね、そんなことはどうでもいいんだ。日本の国がどうなろうと、小説家が書くことは別のことだからね、僕が書きたいことはさ」。(…)(その三島さんが)何故クーデターを呼びかけてまであんな死に方をしたのだろう。パリのあの夜から十八年、「日本の国がどうなろうと」と言っていたあの人が……>(木下恵介『戦場の固き約束』)(p.240~p.241)
これは三島由紀夫評価の重要な証言では?

★★ ひとりじゃなかよ 西本喜美子
フォトエッセイ。著者は88歳。このところ高齢者の活動が取り上げられることが多く、いいことなのでしょうか。私も高齢者になり、その様なものをつい見たくなり、いろいろ手に取っています。この著者は経歴がすごい。若い頃は、美容師をやったり、競輪選手になったり。27歳で結婚し、子供は三人。72歳でカメラを初め、パソコンにも挑戦する。自撮り写真で注目され、パソコンで加工したものもある。しかし、この写真集を見ると、オーソドックスな写真も結構多い。写真に添えられた文が、熊本の人なので熊本弁、ほんわかといい味を出しています。芸術性を求める必要はないでしょう。
以下、あとがきとは書いてないけど、感謝の気持ちを述べる、その様な文章。

今、カメラを手にして思うこと。
こんな身近に、残りの人生を楽しんでいける素晴らしい道具があったのだと。

何事にも「うまい」 「へた」 はある。
だけど 「良い」 「悪い」 はない。
先生でもある息子のこの言葉で、安心して続けられた。

写真を覚えてよかった。
写真を続けてよかった。

すべてに感謝です。
主人に、息子に、
そして写真塾で出会った素晴らしい仲間たちに。
(p.107)

★★★ 日本人はどこから来たのか? 海部陽介
専門家ではないので、書いてあることが正しいのかどうかの判断は出来ない。ホモ・サピエンスがアフリカで誕生し、世界中に散らばってい行ったということはもう疑う余地のない事実のようである。この本はその後、人類が大移動をした経緯を説明している。丹念に事実を積み重ね、とても説得力がある。以下の引用がそのまとめである。
さて、これまで本書で展開してきた「日本人はどこから来たのか?」をごく短くまとめると次のようになる。「かつてアジア南北のルートを別々にたどり、それぞれ違う困難をくぐり抜けてきた兄弟姉妹が、再会をとげた舞台の1つ。それが後期旧石器時代の日本列島だった。ただし西アジアで別れてから既に1万年の時が経過しており、再会した彼ら自身は、互いが血を分けた兄弟姉妹であることに気づきようがなかったのだが……。彼らが日本列島へ入ってくるシーンにも、ハイライトがあった。最初に日本へやってきた人々は対馬の海を越えたが、南からやってきた兄弟姉妹は、人類の歴史に残るようなきわめて困難な航海にチャレンジし、その末に琉球列島に拡散した。しかし3つのルートから渡来した彼らの歴史は、列島にたどり着いて終わるのでなく、その後、大陸からの新たな渡来民や列島内での移住を経て、当初の集団構造は変化していった。それでも、偉大な旅を続けてきた旧石器時代の祖先たちの血は、今もこの列島の私たちの中に、様々なかたちで継承され続けている」これを文章に表現しようと四苦八苦しているうちに、不思議な感覚におそわれてきた。なんだか私は、あちこちに舞台幕がある、大きな複合劇場の中にいるようだ。隣どうしの舞台では、関連するが少し違う劇が同時に演じられている。そういう舞台がいくつも、いや振り向けばあちらにもこちらにも、数え切れないほどあるのだ。劇場全体の共通テーマは、「ホモ・サピエンスの世界拡散・大移動史」。目の前にある舞台は3つで、それぞれ北海道、古本州島地域、琉球列島の劇が演じられている。そのまわりにはロシア極東地域、朝鮮半島、中国や台湾の舞台もある。つまり地域ごとの歴史が、それぞれの舞台で演じられているのだ。この複合劇場は、おそらく観客席のどこから観るかによって、見えるものが違う。どの地域(舞台)に力点を置くか、舞台の近くから観るか遠くから観るか、誰が主役だと思うか、などなど。もしかすると天井には、劇場全体を見渡せる特別席があるのかもしれない。(p.202~p.204)
以下はあとがきにある文章、いいことを言いますね。
本文では、最初に日本列島にやってきた人々の血が、部分的に私たちに受け継がれているとも書いた。その裏には別な意味があることむ、述べておかねばならない。それは人類史の中では集団の移動と混血、文化の伝播と相互作用が繰り返されているため、事実上 "純粋な民族″や "純粋な文化″は存在しないということだ。アイヌ、大和民族、琉球民族、そして朝鮮民族や漢民族などの区分があるが、これらも長い歴史の中で互いに混血しあっており、その間はゆるやかに連続している。同じホモ・サピエンスの集団どうしなのだから、それはそういうものなのだろう。だが現実社会の中では、個々の民族は明確に独立した単位で、時代的に不変で固定的と誤解されることがあるし、その上で特定の民族の優越性を唱える声や政治的意図も根強くある。そうした行為は不必要な軋轢(あつれき)を生むだけで、人類にとって利益のあるものではない。だから私は、より多くの一般市民が、人類史を学ぶことを通じて "民族″というものが、政治や言語そして人々の認識といったもので人工的に規定されている仮の線引きにすぎないということを理解することが重要だと思う。それによって優劣という意識が薄まり、他の人々を尊重する空気が国際的に醸成されることを願っている。(p.208~p.209)
歴史は面白い、特に、確実なことが判っていない時代は面白い。そこに自由な想像力が入り込めば、さらに面白くなる。しかし、この本は学者が書いたもので、歴史小説ではない。しかし、それでも、この本は面白い。

★★ その「おこだわり」、俺にもくれよ!!2 清野とおる
こだわる、広辞苑によると、
①さわる。さしさわる。さまたげとなる。
②些細なことにとらわれる。拘泥する。
③些細な点にまで気を配る。思い入れをする。
④故障を言い立てる。なんくせをつける。

私、「こだわる」という言葉が好きではありません。②の意味だと思っているのです。今世の中では、③の意味で使われまくっています。すごく違和感を持つのです。自分では使わないようにしています。

さて、この本はマンガです。何かで紹介されていて読んでみようと思い、例によって図書館で予約しました。1、2、があったので両方頼んだら、2、が先に来たのです。この巻では、10人の「おこだわり人」が紹介されています。「薄皮パンの男」、「中国うなぎの男」、「トマトのカス男」、「梅つぶの男」、「寝ぬ男」、「シロップおじさん」、「パルおばさん」、「配置青年」、「土日、人に会わぬ男」、「読む男」、です。タイトルからはその「おこだわり」振りは想像つきませんが、説明するのもバカバカしいのでやめます。面白そうだと思ったら実際に読んで下さい。そこそこ楽しめます。最初に読んだためか、「薄皮パンの男」が私には一番バカバカしくて面白いと思いました。
作者は、「おこだわり人」をなぜ描いたのでしょう。まあ受けると思ったのが大きな理由でしょうが、このような人たちを賞賛しているのか、それとも馬鹿にしているのか。「おこだわり」という言い方は馬鹿にしているようであり、俺にもくれよ、というのは自分もやってみたい、ということなのでしょう。そして、マンガでは作者の分身が実際にやってみるのです。
で、結局、マンガのネタにしているのだから、馬鹿にしているのだろう、と私は思いました。

★★★ <花>の構造 石川九楊
大変興味深い内容だった。ただ、書いてあることが正しいのか、言い換えると、著者の説に異論を唱える人がいるのではないか、と思う。思うだけで私には判らない。アレッというようなことを断定調で書いていて、本当にそうなのかと読んでいる方が不安になってしまう。でも面白い。スルスルと読んでしまった。いや、何ヶ所か何度も読み直したところもある、どういうことなのかを考えながら。それでも、スルッと読んだという気持ちになる。
「日本語」というひとつの言語があって、それを漢字で書いたりひらがなで書いたりするのではない。漢字とともにある漢字語の宇宙とひらがなとともにあるひらがな語の宇宙の二つを包み込んでいる全体を「日本語」と呼んでいるのである。(p.43)
これは詭弁というか、わざと穿った書き方をしたのではないか。当たり前のようなことなのでは。
英語も教えればいいし、英語だけでなくもっと切実に必要な中国語も韓国語もやればいい。しかしそれには、その土台たる日本語をしっかり養い育てていかなければ、日本語はますます劣化する。日本の劣化は日本語の劣化から来ている。日本語の劣化をどうくいとめるか。それは簡単で、まずは国文と漢文をしっかり教育し、学習することが必要。えりすぐりの語彙を知り、ふやし、使うことによって表現力を高めることなしに世界に立ち向かって生きていくことはできないのである。(p.54)
世界に立ち向かえるかどうか、立ち向かう必要があるかどうか、は別にして、同感である。
人間が生きて生活していくうえでの中心的なもののひとつが男女の仲である。男女が結びついて、子どもができ、家族、家庭ができる。そして子どもが家庭から独立して大人の男となり、女となり、また新たな家庭、家族をつくる。この拡大再生的な循環が人間にとって一番大事なことである。昨今このことが忘れられかけているようなところもある。結婚が一大事なのではない。家庭をつくり子どもができて、子をきちんと育てて世の中に送りだし、自分は役目を終えること。これがこの世を生きる基本的なスタイルである。(p.109)
拡大再生産、という表現が面白い。これも異論が出そう。
日本の着物に、あわせるやかさねるという言葉から生れた、「袷」や「襲」がある。あわせかさねる美学は、この掛筆(かけひつ)あるいは併筆(あわせひつ)また兼筆(かねひつ)の構造をもつひらがなの書法からなるひらがな語すなわちひらがな文化の特性からきている。漢字、ひらがな、カタカナ、こういうものをかさね、あわせ、かけあわせて日本語は成っているが、そのスタイルを再生産しているのが、このひらがな文字の書法である。ひらがなは、その内にかさね、あわせの書法を内包している。女手の歌は表記上の連続と断絶によって、構造的に二併性を隠し、さらに濁点を付さないことによって、これを倍化しているのである。(p.121)
このような言葉、漢字についての解説があり、勉強になりました。
四季は自然の恋愛、性愛である。そして恋愛、性愛は人間の四季である。『古今和歌集』の中で光が当たる季節と行動は、春の出会いと秋の別れである。冬の歌は寒いから来てくれないという歌ばかりである。春になると待っていた人がやっと来てくれる。ここに男女の出会いがある。それが漢字語でいう青春である。何度か触れたが、男女の性愛は春という言葉に通じているのである。(p.132)
古今和歌集が絶賛され、和歌が幾つか引用されている。無駄を省いた解説が鋭い。
散る美学は日本の<花>の中に深く入り込んでいる。<花>が咲く、それがいつまでも美しく咲きつづけているところに光を当てずに、桜は散るのがいいと、散るところを強調する。絢爛豪華に咲いている姿に美を見出すのではなく、はらはらと<花>びらが落ち、あるいは雪のように舞い、また、川面に散った<花>びらが筏のように流れていく、そこに目を留めるのだ。それは、<花>は「端」であり「鼻」であり「話」であり「離」、つまり「はな」という語が内包する「離れる」という意味からきている。(p.186)
語の繋がり、音の繋がり、正しいのか。面白いことは面白い。
おおまかに言って、花を光と見るこの種の「花」の語法は世界中それほど変わることはないだろうが、日本語の「花」は一風変わった意味を匿している。それは、この「生命」を象徴する「輝き」「光」「希望」や「色彩」がその背後に「死」を匿し、それゆえにこそ輝くという、仏教思想にもつながる深みを宿すことである。「輝き」「光り」「照り」「色なす」それゆえ「希望」でもあり「安らぎ」「和み」でもある「花」が、日本語では、その裏側に絶えず死と滅びを内包しつづけている。そして、この裏側の意味の方が、「花」のほんとうの意味であるかのようにふるまうことさえある。(p.207)
この本の副題は、日本文化の基層、正にこの辺りのことか。滅びを内包している、そうなのだろう。

★★★ 難民問題 墓田桂
以下は「あとがき」の冒頭である。
この本は葛藤の産物である。さまざまな立場にふれることは、時として苦しみをもたらす。一つの主義主張に固執しているとき、悩むことは少ない。だが、それぞれの立場に一理を見いだせるとき、分裂に似たような経験をするものである。難民問題を論じる際に現実主義の立場に立ち、安全保障の観点にふれるのは、まさにそうしたことだった。難民支援は夢想主義に陥りやすい。そこでは「寛容」や「多様性」といった美しい言葉が躍り出す。対象者と接しているがゆえに、急進的な運動論も生まれがちになる。ただ、この問題は綺麗事では収まらない複雑な側面を浮き彫りにする。薄汚れた政策手段も場合によっては必要となる。誰も正面きって語りたくはないだろう。人々か直面する厳しい状況を知りながら自分たちの安全と安寧を優先させようとするのだから。しかし、難民問題は多様な観点で、かつ冷静に議論される必要があった。(p.232)
この本では、難民問題についてバランスの取れた論が展開されている。まず第1章で、難民の定義。次に第2章で、イスラム圏の動き。第3章はEU対応。第4章では日本の対応。第5章のタイトルは、漂流する世界。終章のタイトルは、解決の限界。前半は歯切れのいい展開で読みやすい。が、次第に対応の話になっていくと、難しさが出て来て、総花的になり、迫力がなくなっていく。と、私が感じただけで、読後に振り返ると、上手くまとめてあると思う。特に、日本がどう対応したらいいかという問題に関しては、現実的な方針が示されているのではないか。今EUは陥っている状況を考えると説得力がある。
本質的に難民認定は当該国の内政を部外者が評価することである。その点では優れて政治的な行為なのである。(p.176)
国家には多かれ少なかれ虚構の要素が含まれる。人間が作るものである以上、人工的な存在である。だからこそ国家が荒波に遭ったとき、これを守り抜いていこうと人々は考える。国境の守りは言うまでもない。国家と国境か復権しているのは、「国家が内外から挑戦を受けている」と市民が感じているからにはかならない。共同体意識の表れであり、自己防衛の反応である。外部の脅威から自国を守ろうと、国境線を堅固にし、出入国管理を厳格にするのは世界的な慣向である。(p.215)
日本は遡ると移民国家である、という指摘は、事実としては知っていても、この観点からはなかなか見えないものである。とても勉強になる本だった。

★★ 幼い子は微笑む 詩・長田弘 絵・いせひでこ
27ページの絵本です。その内の12ページに詩が書いてあります。総行数31行、全て引用することも可能ですが、それでは絵本が台無しです。印象的だった4行だけ。
人がほんとうに幸福(こうふく)でいられるのは、おそらくは、
何かを覚えることがただ微笑だけをもたらす、
幼いときの、何一つ覚えてもいない、
ほんのわずかなあいだだけなのだと思う。

1歳8ヶ月の孫を見ていると、成長とは何かと考えます。この絵本はそのことを問いかけているようです。内容的に、子供が、ましてや、幼児が、理解でき楽しめるものではないでしょう。ただ、絵はいい雰囲気です。

★★ 感情類語辞典 アンジェラ・アッカーマン+ベッカ・パグリッシュ
使い方、に以下のように書いてある。
言語と非言語の情報をあわせて使いながら感情を表現すれば、最も説得力がでる。読者にとっていつまでも印象に残る「感情的な衝撃」を呼び起こしたい、そんな書き手のために、『感情類語辞典』は必要不可欠な非言語的な感情情報の要素を紹介する一冊だ。(p.24)
ひとつの感情表現の言葉に、見開き二ページを使って、「外的なシグナル」、「内的な感覚」、「精神的な反応」、「強度の、あるいは長期の感情を表わすサイン」、「隠れた感情を表すサイン」、「書き手のためのヒント」、が書いてある。例えば、
疑惑〔英 Suspicion〕【ぎわく】
ほとんど、もしくはまったく証拠がないまま、何かがおかしいと疑うこと
外的なシグナル
・目を細める、横目で見る ・疑わしい人物から体の向きを変える ・眉をひそめる ・体が赤くなる ・わざと頭を下げて調べる、じっと見つめる ・両腕を体にしっかりつける ・疑わしい人物の方をチラッと見る ・直接目を合わせない ・作り笑い ・コリコリする、偵察する ・盗み聞きをする ・疑わしい人物のあとを追う ・安全な距離をとる ・疑わしい人物のふるまいや容姿を査定する ・疑わしい人物に気づかれないように、無関心を装う(両手をポケットに入れる) ・姿を見られないまま近づくために、身をかがめる、もしくは前かがみになる ・口を一文字に結ぶ ・疑わしい人物の行動や動作を記録する(メモをとる、写真を撮るなど) ・歯を食いしばる ・心の中で証拠についてよく考えながら、頭を傾ける ・直接声をかける:「ここで何をしてる」「要求は何だ?」 ・相手に立ち向かいながら、指を突きつける ・はっきりと疑いを口にする ・腕組みをする ・足を大きく開いて構える ・声を荒げる ・疑わしい人物の犯行について、周りに言い聞かせる ・大きな動作(話しながら両腕を振る、指折り数えながら根拠を挙げる) ・体を横に揺らす ・疑わしい人物と言い争う ・あたりを行ったり来たりする ・唇の内側を噛む ・皮肉を言う:「つまり、俺の車のタイヤが切りつけられたとき、あんたはたまたま居合わせただけってわけか?」 ・情報を集めるために、周囲に尋ねてまわる ・疑わしい人物について検索する
内的な感覚
・呼吸が速くなる ・興奮状態 ・心臓がドキドキする ・反射的に闘争逃避反応が引き起こる ・嫌な予感 ・疑わしい人物と直接対面して解放感を味わう
精神的な反応
・疑わしい人物の嘘を見抜くため、話にじっと耳を傾ける ・頭の中で、この状況に関するすべて の知識をざっと調べる ・疑わしい人物から自分や周りの人々を保護したいと思う ・自分の懸念がばかげていると思われるかもしれない、と先読みする ・根拠、もしくは攻撃プランを入念に立てる ・状況の危険度をじっくり考えてみる
強度の、あるいは長期の感付を表わすサイン
・疑わしい人物に執着する ・ストーカーと化す ・本性を現わすことに期待して、疑わしい人物を罠にはめる ・疑わしい人物について、みんなの前で評価を傷づける、もしくは追放する ことを企む ・自分の懸念を伝えるために、適切な機関に連絡を入れる ・疑いのある人物がついに本性を晒す 日を夢見る
隠れた感情を表わすサイン
・わずかに頚く ・はっきり同意することを拒んで「うーん」と返す ・抑揚のない声 ・曖昧な返事 ・疑わしい人物を避ける ・瞬時に、大声で同意する ・大袈裟に支持を表明する:「私は百パーセントあなたの味方だから」「完全に同意だ」 ・緊張している仕草(爪を噛む、シャツのボタンを回す、首を擦る) ・疑わしい人物から離れて立ち、その人物の友人の輪には踏み込まない ・疑わしい人物と一緒にいる時間をできるだけ短くし、その場を離れるための言いわけを考える」
書き手のためのヒント
会話の中で、キャラクターに直接感情を言わせてしまうことは楽かもしれないが、読者の頭の中では赤信号が灯る。実生活で自分が感情をそのまま口に出すことがないのなら、キャラクターにもそのような真似はさせないようにしよう。
(p.78~p.79)
辞典です。読破するものではありません。だからといって、手元に置いて必要な時に調べる、という用途に適しているか、チョット疑問です。結局、いい文章を書くのに便利なものはないということでしょう。

★★ ワカコ酒7 新久千映
ワカコさん、相変わらず美味しいお酒を飲んでいるようです。
美味しそうだった酒肴、紙カツ、豚肉を紙のように薄くのばしてカツにしたもの。この時飲んでいたのがポッピー、旨そ。
もう一品。生ピーマンの肉詰め、生ピーマンにミニハンバーグ詰めて食べる。この時の表現、口中調味。これ日本古来の食べ方、ご飯とおかずを口の中で混ぜて食べる、というようなこと。

★★★ 人口と日本経済 吉川洋
私が経済に関して高校時代から疑問に思っていること、何故資本主義は拡大再生産を続けなければならないのか、そして最近思うのは、資本主義は破綻しつつあるのではないか、ということです。ついでに言うと、社会主義(共産主義)は本当にダメなのか、ということも。この本はその疑問に答えてくれそうだったので読みました。ある程度、私の理解力でも納得でき、特に、経済成長はイノベーションによる、人口減少は直接の原因ではない、ということ、その説明には成る程と合点できました。しかし、著者の主張は世の主流ではないようです。この先どうなるのか、老い先永くは無い身ではありますが、気になるところです。色々勉強してみようと思います。
奈良時代には、戸籍を通して全人口調査が6年ごとになされていたが、9世紀になると、戸籍は12年ごと、数十年に1度となり、やがて10世紀に途絶した。その後、全人口調査は明治になるまでなされなかったのである(部分的な人口調査は江戸時代にもなされた)。人口調査の歴史は、奈良時代が中央集権的古代国家のピークであったことを如実に示している。(p.3)
江戸時代は中央集権国家ではなかった!
マルサスによれば、もし人口と食料が同じペースで増え貧困が存在しなかったら、おそらく人類は怠惰をむさぼり、野蛮から抜け出すことはなかったに違いない。貧困のプレッシャーがあったればこそ、人間は努力し文明を進歩させてきた。マルサスは人口と食料の不均衡、人口を抑制するメカニズムとしての貧困を「自然法則」と呼んだ。『人口論』を読んでいると、この本が人間社会に関する本であるにもかかわらず、マルサスの人間社会を見る目が、どこか虫の世界を見るかのような感じがしてくる。実際、この本から大きなインスピレーションを得て、生物の進化に関する不朽の書物を著したのが、ほかならぬチャールズ・ダーウィン(1809~1882)だった。ダーウィンは、『種の起源』(1859年)の序文で次のように書いている。//第3章で論じるのは、この世のすべての生物が、指数関数的な高い増加率をもつ結果として経験することになる「生存闘争」である。これは、マルサスの原理を動物界と植物界の全体に適用した議論である。どの生物種でも、生き残れる以上の数の子どもが生まれてくる。しかもその結果として、生存闘争が繰り返し起こる。(ダーウィン『種の起源(上)』渡辺政隆訳)//ダーウィンは、有名な自然淘汰(natural selection)のインスピレーションを、マルサスの『人口論』から得たのである。(p.33~p.34)
この辺りには興味深い問題が潜んでいるようです。何かいい本はないか、マルサスやダーウィンを読むべきか?

★★ 日本語ふしぎ探検 日本経済新聞[編]
日経電子版の「ことばオンライン」という記事を纏めたもの。ちょっとした言葉の謎を解き明かしている。なかなか興味深い内容です。心が折れる、湯船、制振と制震、日本ワイン、といった表現、言葉の誤用に辞書がどう対応しているか、出身県を当てる方言チャート、などなど、面白く読みました。『謎だらけの日本語』という同じ成り立ちの本が既に出ているようで、こちらも読んでみようと思います。

★★ 世界を変えた10冊の本 池上彰
池上先生、いつも通りの、判りやすい語り口です。以下の十冊の本について解説しています。
アンネの日記。聖書。コーラン。プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神。資本論。イスラーム原理主義の「道しるべ」。沈黙の春。種の起源。雇用、利子分よび貨幣の一般理論。資本主義と自由。
名前だけは知っているが、大凡の内容は知っているが、実際には読んだことのない本です。池上流説明で、何となく判ったような気になりました。その為か、原典に当たってみよう、という気には残念ながらなりません。
一人の少女の日記が、国際社会を動かした
なぜ、この本が「世界を変えた」のかと疑問の方もいらっしやることでしょう。中東問題の行方に大きな影響力を持っているから、というのが、私の答えです。
一九四人年五月、アラブ人が多数居住するパレスチナの地に、ユダヤ人国家であるイスラエルが建国されました。国連が、ユダヤ人たちの「自分たちの国家を建設したい」といぅ要望を受け入れて、パレスチナを「ユダヤ人の国」と「アラブ人の国」に分割する案を採択したのにもとづくものでした。ここから中東問題が始まります。イスラエル建国に反対する周辺のアラブ諸国との度々の戦争を経て、イスラエルは、国連が採択した「ユダヤ人の国」の範囲を超え、パレスチナ全域を占領しました。これにアラブ諸国が反発し、中東問題は、こじれにこじれています。しかし、アラブ諸国以外の国際社会は、あまりイスラエルに対して強い態度をとろうとしません。ユダヤ人が、第二次世界大戦中、ドイツによって六〇〇万人もの犠牲者を出したことを知っているからです。その象徴が、アンネ・フランクであり、彼女が残した『アンネの日記』です。『アンネの日記』を読んだ人たちは、ユダヤ人であることが理由で未来を絶たれた少女アンネの運命に涙します。『アンネの日記』を読んでしまうと、イスラエルという国家が、いかに国連決議に反した行動をとっても、強い態度に出にくくなってしまうのです。イスラエルが、いまも存続し、中東に確固たる地歩を築いているのは、『アンネの日記』という存在があるからだ、というのが私の見方です。(p.13~p.14) この見方は正しいのか?
「神の栄光を示す」ために、神から与えられた職業を「天職」として受け止め、時間を浪費することなく、怠惰な生活をせずに働き続ける。こうして財産が貯まっても、これを浪費してはならない。消費せずに、資本を再投下する。これを続ければ、莫大な資本が形成されます。家族で働いて財産が貯まったら、それで満足してはなりません。さらに仕事を続けなければなりませんから、そのためには、新たに従業員を雇うことも必要になるでしょう。それで利益が上がったら、工場を建設します。金儲けに成功しても安住できませんから、工場を拡張したり、別の場所に新規工場を建設したりすることになります。こうして、事業は発展していきます。これぞ、資本主義そのものです。(p.115) プロテスタントが資本主義の発展に貢献した!
古代エジプトのピラミッド建設は、かつては王の浪費のための非人間的な奴隷労働と見られてきましたが、最近の研究で、農閑期の働き場所確保という景気対策だったことがわかってきました。古代エジプトの王は、ケインズ理論を実践していたようなのです。(p.223) 本当なのか?
ケインズは、知らず知らずのうちに、人々の知性を信頼し、政治家たちが知性にもとづいて行動するという前提条件で物事を考えるようになったのではないかという批判を受けることになります。(p.232) 人の性善ならずや。
イスラム原理主義は理解できない。著者の説明の問題ではなく、主義そのものが理性に訴えるものではない、のでは?

★★ 生き方 稲盛和夫
昨年、行き方の極意、というセミナーに参加しました。その極意を乱暴に要約すると、プラス思考、ということでした。その時参考に挙げた本がこれです。図書館に予約した本が来ないので、書棚にあったこの本を読んでみました。確かにセミナーと重なる内容はありますが、こちらの方が品格に満ちていると思います。人間として正しいことをする、心を磨き高める、利他の気持ちを持つ、人には一人ひとり役割がある、などなど、最後は少し宗教臭くなりますが、至極もっともで大切なことです。とはいえ、凡人には中々出来ないことです。歳をとって残りの人生が少なくなっても、疎かにしてはいけないと思いました。
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の〝掛け算″によって得られるものであり、けっして〝足し算″ではないのです。
まず、能力とは才能や知能といいかえてもよいのですが、多分に先天的な資質を意味します。健康、運動神経などもこれにあたるでしょう。また熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、これは自分の意思でコントロールできる後天的な要素。どちらも○点から一〇〇点まで点数がつけられます。掛け算ですから、能力があっても熱意に乏しければ、いい結果は出ません。逆に能力がなくても、そのことを自覚して、人生や仕事に燃えるような情熱であたれば、先天的な能力に恵まれた人よりはるかにいい結果を得られます。そして最初の「考え方」。三つの要素のなかではもっとも大事なもので、この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではありません。考え方という言葉は漠然としていますが、いわば心のあり方や生きる姿勢、これまで記してきた哲学、理念や思想なども含みます。この考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるからです。○点までだけではなく、その下のマイナス点もある。つまり、プラス一〇〇点からマイナス一〇〇点までと点数の幅が広いのです。したがってさっきもいったように、能力と熱意に恵まれながらも考え方の方向が間違っていると、それだけでネガティブな成果を招いてしまう。考え方がマイナスなら掛け算をすればマイナスにしかならないからです。(p.24~p.26)
どれくらいのことが人間に可能なのか。人間の頭で、これをしたい、こうあってほしいと考えられるようなことは、遺伝子レベルで見れば、たいてい可能な範囲にあるそうです。つまり「思ったことはかなえられる」能力が、私たちの中には潜在しているのです。ただし、志を高くもつことは大事ですが、それを実現するには、やはり目標に向かって一歩一歩積み重ねる地道な努力を欠かすことはできません。(p.64)
運転手つきで会社への行き帰りを送迎してもらうこともできるようになったころ。ある朝、車で家に迎えにきてもらった際に、妻も所用で出かけるということがありました。私は気軽に、ついでだから途中まで乗っていけと声をかけたところ、妻はそれはできませんと断ってきたのです。「あなたの車なら乗せてももらいますが、それは会社の車でしょう。ついでだからといって社用車を私用で使ってはならないと、以前、あなた自身がおっしゃっていましたよ。公私のけじめは厳しくつけろって――ですから私は歩いていきます」一本取られたかたちで、これは家内のいうことのほうが正しい。私はおおいに反省しました。(p.93~p.94)
――あるお寺で若い修行僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄とはどんなところなのですか」と尋ねました。すると老師は次のように答えます。「たしかにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし、両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上はまったく同じような場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人たちの心なのだ」老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜(かま)があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが一メートルほどの長い箸(はし)を使うしかないのです。地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでぅどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。しまいには他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることはできない。おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげます。ですから極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる――同じような世界に住んでいても、あたたかい思いやりの心をもてるかどうかで、そこが極楽にも地獄にもなる。それが、この話がいわんとしていることなのです。(p.176~p.177)

★★ スイミングスクール 高橋弘希
著者は2014年、「指の骨」で新潮新人賞を受賞、そのまま芥川賞候補、その後の二作でも候補となるが、受賞に至らず。
何かの書評で褒められていたので、久し振りに所謂純文学作品を読んでみようと思った。読みながら、何故か懐かしい感じがしたのは何故だろう。女三代の話とも言えるだろう。主人公とその母と娘。母は不幸な死に方をし、飼っていた愛犬の死もあり、作品全体に死の影がよどんでいる。しかし、方向性はプラスを向いている。最後の方の乳歯が抜ける話がこの作品を象徴してる。ささやかなカタルシス、これが純文学、芥川賞、という気がする。
タンキニ、という言葉が出て来ました。文脈から水着の種類と言うことは想像できます。調べました。「タンクトップ」+「ビキニ」の短縮形だそうです。やれやれ。

★★★ 人類のやっかいな遺産 ニコラス・ウェイド
この本を読むきっかけは、とある書評だった。それはこの本を読んでのものではなく、ある有名な学者のこの本の書評を揶揄するようなものだった。それをとても面白く感じた。この本のテーマは、人類の発展の格差に関してで、それには遺伝の影響がある、というものである。その最たるものが人種といえる。ところが、多くの学者は人種などというものは存在しないという立場を取っている。人種差別に繋がるからだ。著者も表現には慎重である。恐らく、遺伝や進化を強調したい気持ちはあるが、環境や、社会的文化的側面にも大いに言及している。しかし、私は著者の主張がもっともに思える。普通に考えて、人種は存在するし、遺伝の影響は大きいのではないか。環境の影響を受けるのは当然であるが、それだけとは言えないだろう。もう一つ批判されているのが、仮説が多いと言うことだ。私には細かいことを理解する力はないが、その仮説は魅力的で、説得力があると思う。専門家にとっては、トンデモ本に思えるのかもしれない。
すでに固定したゲノムの重要部分に、エネルギーを生産するミトコンドリア(あらゆる動植物細胞の祖先が、はるか昔に獲得して利用してきたバクテリアが起源)のDNAがある。ミトコンドリアはすべての細胞の中にある細胞小器官で、卵子を通じて母から子に遺伝する。現生人類の進化の初期段階で、ひとりの女性のミトコンドリアDNAが固定して、他のあらゆる型のミトコンドリアDNAが排除されたのだ。同様の、勝者独占の勝利をとげたものに、特定の型のY染色体がある。性別を男性に決定する遺伝子が含まれるため、保有するのは男性のみ。人口が非常に少なかった頃、ひとりの男性のY染色体の頻度が増加して、唯一の存在になった。以下に述べるように、ミトコンドリア・イブとY染色体アダムの遺伝的遺産は、その子孫が世界を移動した足跡をたどるのにきわめて有用だ。(p.101)
人間社会の富は、過去千年にわたり何やらランダムな経路をたどったわけではない。むしろアセモグル&ロビンソンが指摘するように、世界の一部は過去三〇〇年で安定的に成長し、はるかに豊かになったのだ。これは偶然やツキではないし、まともな説明が人間の進化という形ですでに存在しているのだ。//現代社会の基盤となるこの新しいポスト部族社会構造を支援した、人間社会行動の進化的な変化があったというのがその説明だ。金持ち国は部族的でない信頼に基づく経済を持ち、良好な制度をつくつている。貧困国は部族社会から抜け出しきれず、かぎられた信頼範囲を反映した搾取的な制度のもとで苦しんでいる。(p.242~p.243)
社会を特徴づける制度は、文化的に決定された行動と遺伝的に影響された行動の混合物だ。文化による部分は、多くの文化制度の保守性にもかかわらず一般に変わりやすいことで見分けられる。たとえば戦争はあらゆる人間社会の制度だが、遺伝的に形成されたこの性向が実行に移されるかどうかは、文化と状況に左右される。ドイツと日本は第二次大戦前とその間はきわめて軍事的な社会を発展させたが、いまはどちらも平和主義的だ。これは文化的な変化だ。遺伝的なものにしてはあまりに急速すぎる。どちらの国も戦争への性向を残しているだろうし、必要ならそれを実践するのはまちがいないことだ。(p.292)
西洋文明は確かに拡張主義的だったが、比較的短期に終わった植民地時代の後は、そもそもの拡張を駆動していた貿易と生産的投資に専念し直した。世界の支配的な軍事力が、参加者すべてに便益をもたすような国際貿易や法の制度を持つ西洋であって、蒙古帝国やオスマン帝国などの純粋に収奪的で軍事的な国家ではなく(その可能性は充分に考えられた)、また文明化されてはいても専制的な中国などではなかったというのは、結果として運がよかったのではないか。(p.305)
翻訳者もこの本の内容には懐疑的である。しかし、訳者解説で以下のように述べている。
実はこの著者ニコラス・ウェイドは、アヤシげなトンデモ著述家などではない。もともと権威ある科学誌『ネイチャー』の編集をしていたきわめて優秀な科学ジャーナリストだ。ゲノム研究の現状についてまとめた『DNAらせんはなぜ絡まないのか』(翔泳社)をはじめ、邦訳も多い。そして本書につながる著作としては、人類のアフリカ起源を説明した『5万年』(イーストプレス)、さらには宗教が人類に普遍的であり、またそれが社会構築にとって宗教には生得的な基盤があり、進化的に有利だったのではという説をまとめた『宗教を生み出す本能』(NTT出版)がある。遺伝と人類進化の分野ではそれなりに実績もある。特に『宗教を生み出す本能』は、おもしろい可能性を述べた本として評価されている。

★★ 外国人だけが知っている美しい日本 ステファン・シャウエッカー
副題、スイス人の私が愛する人と街と自然。相変わらずの売らんかなのタイトルで、本の内容を的確に表していない。どちらかというと、副題の方が適切である。簡単に言うと、スイス人の著者が日本に興味を持ち、カナダで日本人女性に出会い結婚、日本に来て、外国人向けに日本を紹介するサイト、「ジャパンガイド」を立ち上げ、国土交通省のVISITJAPAN大使にも任命され、活躍している半生を、外国人目線で日本を紹介しながら、描いている本、と言えるだろう。実際には、外国人だけが知っているということはないわけで、見方がユニークというぐらいだが、それはそれで面白い。幾つか提言もしているが、もっともなものである。で、結局、この本を読んで判った著者の人生は凄い、という感想です。
ジャパンガイドというサイトを覗きました。トップに伊勢神宮があり、その下に小さく高知。Spiritual Kochi という advertorial で、PRを含んだ特集記事(高知県のサイトへリンクがある)というところでしょうか。旅行記という体裁で面白く読めました。これから旅行委に行く時は参考にしようと思います。

★★★ 「教育超格差大国」アメリカ 津山恵子
問題を抱えるアメリカ、となると、堤未果、を思い出す。この本の著者は、元共同通信の記者、だからなのか、書き方はあまりセンセーショナルではない。しかし、内容は衝撃的である。タイトル通り、超が付く教育格差、日本も韓国も遙かに及ばない。アメリカという国はこれからどうなるのか。日本はどうなるのか。
(リチャード・ヴェッダー)がアメリカの高等教育をめぐる「ニュー・ノーマル」として警鐘を鳴らしている問題点が三つある。
1.大学の学費が、所得の増加率を上回る率で上昇している
2.大卒資格を要する職に就けない大卒が増え、大学に行く経済的メリットが低下している
3.大学で、「学問」よりスポーツなど「二次的な活動」を優先する学生が増えている
(p.66)
ラバー・ルームはもともと、精神障害の患者を入れる部屋を指す言葉で、自傷しないように壁や床にゴムが貼ってあるという。しかし、ニューヨークでは、公立学校の教師で、児童や生徒に暴力をふるったなどの問題教師を入れておく「監禁部屋」の通称だ。教育局の正式名称は「臨時再配置センター」で、そこに送られるのは「不適任教師」だ。(p.110)
ラバー・ルームで、一体一日をどう過ごしているのか。S(著者の友人)によると、勤務時間は学校と変わらない九時から五時で、パンチカードに記録する。窓のない部屋に、二〇人ほどが出出勤し、読書するか、寝るか、ゲームをするかして日がな一日時何をつぶし、定時に帰宅するる。部屋には常時、警備員と教育局の監視員がいる。(p.110~p.111)
「負の連鎖」。アメリカの教育をめぐる闇は、この一言に尽きるだろう。マイノリティで所得が低い→家庭環境が悪化→学校の授業レベルの低下→卒業率の低下→職業が限定される。所得の低さは、子どもの脳の発達や発育、さらに「肥満」など健康問題にまで発展することも前の章に書いた。逆に、親が高所得→保育園(二歳)からの英才教育が可能→レベルが高い小中、大学受験枚に行ける→名門大学に入学→高所得の職業につける――というのが、「プラスの連鎖」だ。(p.182~p.183)

★★★ 世界最強の女帝 メルケルの謎 佐藤伸行
知らないことが多々あり、面白く読みました。まずメルケルについて。父親が牧師で、西から東に派遣された、反対方向が多い時代の特異な例。なので、メルケルは東で育った。物理学者だったが、ベルリンの壁崩壊、東西統一後、政治の世界に進む。何故かは不明。本人の能力も勿論高かったのだろうが、運に恵まれた面が強い。メルケルは最初の結婚相手の姓だが、離婚後、元の姓にも、再婚相手の姓にも変えていない。不思議。強い政治信条は持っていない、ようだ。それがいい方に作用している、ようだ。ロシア語が堪能で、プーチンに一目置かれている。但し、女性差別的な扱いも受けている、多の首脳にも。中国と親密な関係を持っている。毎年のように訪中している、日本にはほとんど来ていない。
二〇一四年三月末、長大な貨物列車が轟音とともに、欧州物流の大拠点、ドイツ西部ルール地方のデュースプルク駅に滑り込んできた。ホームのかたわらには、貨物列車の到着を拍手とともに出迎えた巨漢のアジア人がいた。黒いスーツ姿の中国国家主席、習近平だ。デュースブルクはライン川とルール川が合流する世界最大級の内陸河港を擁する。ドイツ国内最大の経済規模を持つ産業地帯ノルトライン=ヴェストファーレン州の州都デュッセルドルフにも近い。この貨物列車は二〇一一年に運行が開始された。中国の内陸工業のハブとして整備されている重慶とデュースブルクの区間一万一一七九キロを一六日間で結ぶという戦略鉄道、「渝新欧鉄道」だ。(p.137)
こんなものが出来ていたのです、驚き。
日本には伝統的に、日独が常に友好的な関係にあったかのような幻想があるが、第二次大戦時の日独枢軸はむしろ例外的な時期だった。(p.145)
日本は取り残されている。米国一辺倒が災いしているのでは。色々な面で日本の将来が不安になる本でした。

★★★ 現代思想史入門 船木亨
新書版なのですが、555ページの分厚い本です。内容も用語も表現も難しく、読むのに苦労しました。ここで述べられている思想家の名前は多くを知っているのですが、実際に本を読んだことがあるのは数人だけ、それでこの本を読むのは無謀なのかもしれません。思想史はそのカバーする範囲が広く、著者はこの本を書くのにどれだけの労力を費やしたのか、驚嘆です。読みながら思ったのは、人類は滅亡に向かっているのではないかということ、経済状況などを見ても、行き詰まり状態でしょう。以下、たくさん引用しましたが、明るい未来を予感させるものは少ないように思います。
温暖化によって地球環境が激変することが心配されているが、それは現行の諸生物種にとっての問題であって、これまでの激変と同様に、その後に登場することになるあたらしい種にとっては、むしろチャンスだということになるであろう。(p.60)
従来の権力が、正義と安全を理念とする治安維持の権力であるとしたら、生命政治の権力は、生命と健康を理念とする福利厚生の権力である。すべての人間を健康にするというドグマ(教義) によって、ひとびとを従順な市民に作り変えていく。従来の権力のようには目立たないやり方でひとびとに死の恐怖を吹き込みつつ、健康を維持するようにと、ひとびとを柔らかく、しかし断固として訓育する。このようにして、生命政治の権力(厚生権力)は、社会全体のすべてのひとを巻き込むような隷属を推進してきたのである。(p.110)
サルトルは、人間は実存が先立ち、まずは互いに世界のなかに姿を現わして出会うものであり、それぞれが主体的にみずからを創りだしてきたものであると主張する。自分自身を創造するのであるから、原理的に、人間には本質がないのである。(略)こういってよければ、人間の本質は「無」なのである。しかし、人間が無であるとすると、人間は存在しないのか、ということになってしまう。だが、人間は存在する。本質がないままに存在していて、みずからが「何ものか」であろうとする。すなわち、未ヽ来ヽにヽ本質を存在させようとする。そのように、どの人間も自由に何をなすこともできて、なしたことを通じて、人間とはこういうものだといわれるようなことをするであろうが、そうした可塑的なものとして人間を捉えるぺきだというのである。そのことはまた、それぞれが自分を人類の代表として、人間の本質をみずから定義するくらいのつもりで行動すべきだということになる。それをサルトルは、「アンガージュマン」と呼んだ。アンガージュマンとは質に入れること、お金を借りて担保として大事なものを差しだすことである。つまり、人間の本質を未決定なままに担保にして、未来の行動の自由を受けとろうというのである。(p.191~p.192)
進化を肯定していた哲学者たち、スペンサーやベルクソンやプラグマテイストたちは、人間精神中心のヘーゲル歴史哲学を批判し、また精神を重視する新カント派の歴史観に反対して、宇宙と生物と人間の歴史の全体像を得ようとした。文明進歩の歴史というより、自然における人類の進化、人類社会の文明の「進化」を論じょうとしたのであった。結局、人間にとってのものであった「世界史」は、ルネサンスのまえとうしろ、未来と過去に向かって拡張されていったのち、今日では、宇宙全体の諸事象が時間とともに展開してきた普遍的な歴史のなかに包摂されてしまっている。われわれも、いま、そのなかのひとつの瞬間に立ち会っているというようにして、それへと位置づけられる。歴史は、もはや人間の出来事の物語ではなく、直線的時間のうえに並べられる客観的事実の連鎖であるというように、その意味を変えたのである。(p.222)
ベルクソンのいう真の時間は、ちょうど列車に乗って進行方向とは逆向きに座り、過ぎ去っていく風景を見ているようなものである。過去はすぺて現在のなかに習慣と形態となって与えられており、現在の状況に応じて、その特定のものを回想できるようになっている。しかしながら、過去の反対に、未来は何が起こるか分からない。未来とは、不ヽ意ヽをヽつヽくヽような偶然性を本質とする。というのも、未来は、現在における諸対象の知覚からなる予測を越えて、意識みずからが未来に向かっていて、その結果として何かが実現してくるのだからである。とすれば、列車というよりも、自分自身が推力なのだから、時間とは、うしろ向きになって漕ぐボートのようなものである。未来の偶然性と、みずからが推進することによってこそ、精神ははじめて自ヽ由ヽなものとして出現する。(p.255~p.256)
「心の学問」は、古代ギリシアにおいては、プラトンが心(魂)を三つに分け、二頭立ての馬車になぞらえている例が挙げられる。正しい道を進んでいく「意志」という名の美しい馬と、すぐにわき道にそれてしまう「欲望」という名の醜い馬、そしてそれらを上手に制御する「理性」という名の駁者とである。ひとの心はその三部門のそれぞれにおいて、順に、勇気、節制、知恵をめざせばよい、それらが調和するときに正しい心(正義)になるであろうというのである。(p.263)
「民族」という概念の本質は、血統にも国家にも宗教にも言語にも、あるといえばあるし、ないといえばない。一九世紀の言語学者ないし民族学者たちは、言語起源論が思弁的であるとしてアカデミーに禁止されたのを受けて、諸国語相互の比較をしたり、古語を探しだしたりしながら、各国語の歴史を比較研究するようになった。それを歴史言語学派と呼ぶ。その作業は、ちょうど生物学で化石を掘りだすようなものであった。言語は生物と同様に歴史をもち、進化したり混血したり絶滅したりするものであり、その意味で、かれらはバベルの塔の神話(人間の倣慢さを戒めるために神が言語を通じあわなくしたという神話)以前の、普遍的ないし正統的な言語を探していたのでもあった。そしてその最大の成果として、印欧語族の系統樹を発見した。インド支配階層の言語と西欧の言語はおなじ起源をもつという説である。(p.273~p.274)
最近、「見られる」といういい方が「見れる」というように変化しっつあるが、この変化ほ「食べられる」が「食べれる」に変化するというように、他の語と連動している。だれかが提案したわけでほなく、それぞれのひとが類推的に他の語も連動させて、そう使うようになりはじめている。その変化は、「尊敬や受身と区別がつくように」など、心理学的なものではないし、「なるべく音韻を減らした方がしゃぺるのが楽」といった生理学的なものでも、「文法が次第に淘汰されていく」といった進化論的なものでもない。まして、国語審議会によって決定された政治的なものでもないし、社会現象の変化とリンクして、一つひとつの単語がジャルゴン、仲間内でのみ通じ、それによって仲間を識別する言葉として普及していったのでもない。この変化は、言葉の音素の一連の変化として、他の語を巻き込むようにして地滑り的に変遷していく現象であり、その結果として文法も表現様式も変化させてしまう重層的で地滑り的で断続的な、言語に内的な変化なのである。言語に外的なものが影響したとする説明は、すべてあとづけにすぎない。文法や表現様式の変化は、だれもそれを変えようとして語るわけではないのだから、あくまでも結果にほかならないのである。(p.295~p.296)
思い出しておこう。近代の文学作品は、フィクションではあれ、出来事の事例を通してこの宇宙、この世界、この社会、この文化が何であり、<わたし>そのものとは何かも含め、そこで生きている<わたし>に現われてくる諸問題、それがどんな問題なのかを展開し、具体的に体験させてくれるものであった。抽象的な概念を使って一般的に論証しょうとする哲学よりも、容易にひとびとの心に響き、読んだあとにじわりと感じさせる意味の重さによって、さまざまな問題を考えていくことを勧めてくれろものだった。(p.320)
第二次大戦以降の国際情勢に暗い影を落としていた東西冷戦は、一九八九年にべルリンの壁が壊されて東西ドイツが統一されたあと、ついにその終わりがやってきたのであった。ひとびとは、西側自由主義の勝利、東側マルクス主義の敗北と捉えたが、ことはそれほど単純ではなかった。むしろ共産主義革命の影におびえた西側諸国のさまざまな国内政策が、資本主義を支える諸制度に介入して、その結果、西側社会の方が大きな変貌を遂げつつあったともいえる。そうした変貌を、単なる技術と産業の発展の結果とみなすわけにはいかないであろう。(p.350)
情報化社会論においては、価値観が「多様化」しているということが、いい意味で語られていた。ニーチェならば、むしろ価値そのものが消失したというであろう。しかし、正確には価値が相ヽ対ヽ化ヽし、時間とともにたえず変遷するようになったということだと思われる。価値とはひとが決断したり行動したりするときにめざされるもののことであるが、それが完全に消えてしまったわけではない。ひとはいまでも何かを決め、何かを行動する。ただし、客観的なものとしてすべてのひとがめざすようなものがなくなっており、また、一人ひとりが主観的に自分の基準として固執するものもなくなっている。ひとびとがめざすものが、波のように、ときとともに、たまたまその場に遭遇したすべてのびとびとのあいだに拡がっては消えていく――そうした事態になっているのではないだろうか。要は、一切が流行現象になったのである。流行現象が無原則に一般化されたといってもいい。だがその流行も、従来のようにそれをリードする基準がない。ちょっとしたきっかけさえあればいい。ひとびとは、何らかの絶対的な価値のもとで生きようとはせず、ひとが求めるものを追いかける。生活を豊かにしようとする欲望ほ消え、ひとはただ、ひとの「いいね」を欲望するばかりである。(p.364)
マルクスの思想において革命よりももっと重要なことは、人間はもとより自然的な存在者であり、労働を本質とするということであった。労働とは、衣食住など、生活する際に必要な物資、とりわけ食欲を中心とした人間活動の条件となる物質の生産のことである。労働は、今日では「いやいやながら働く」といった意味になってしまっているが、それは資本主義において、自分のためでなく、企業のために身体を使って給料を受けとるということから生じた捉え方による。「仕事」といった方が通じると思うが、本来は自然に働きかけて、その恵みとして、その果実と達成感とを受けとるということを指していたのである。(p.400)
思想は本来、自分の時代や社会や文化のそとに立って、自分の生活の現実性を見させてくれるはずのものである。だが、思想が流行現象になったとき、現代思想は、むしろ非思考へのインセンティヴとなって、ひとびとを近代的な政治意識からそらせるものとして働いてきたようにも見える。さらには、現代思想に隠されていた中世のスピリチュアルなものへの憧憬が、非思考的な「精神世界」への志向として、現代のひとびとの感性を培ってきたのかもしれない。精神の元来の意味は、自然のなかに蠢くスピリットのことであった。(p.494)
二〇世紀なかばまでに発見されたさまざまな自然法則の果実として生まれた今日の諸機械は、コンピュータの発展に伴って、相互に何をやっているか知らない無数の人間たちの手もとで、ネットワークのうちへと編成されつつある。ひとびとがその理念や前提を捨てはじめ、だれもシステムとして全体を設計したわけではない諸機械のとめどない連鎖のノードに繋がって生きるようになってきた現在では、科学もまた社会的実践から独立した学問としてではなく、産業と政治の諸動機に結びつけられてのみ成りたつようになっており、シミュレーション科学として、「想定できるかできないか」という程度の確率論的真理をしか提示できなくなりつつある。福島原発の事故についても、「想定内だったかどうか」が問題にされる。事前にシミュレーションが可能だったはずと前提され、対応策をとっていたかどうかが問題だとされる。何であれ、予想されていなかったとしても、あとから「予想されてしかるべきだったもの」と捉えなおされる。といって、原発の再開に、それ以上に不測の事態をふまえた慎重な予想がなされるわけでもない――それが普遍的登記簿における反歴史的状況なのである。(p.499~p.500)
機械との調和をめざすというより、近代的価値としての「人間主体が機械を支配して利用する」という考えを、もうやめてはどうであろうか。機械と人間の関係の現状を率直に、根本的に捉えなおしてみてはどうであろうか。機械についての近代の考え方、つまり主体的な人間が科学を推進し、民主主義的に政策を決定してこれを安全に支配していくという、原発推進にも共通していた考え方は捨てた方がいいのではないか。(p.500~p.501)
どの生物も他の生物や物体の存在をあてにしながら生きているのであるから、人間の知性といえども、ビーバーなど、ある種の他の生物たちがやっているように、周囲の物体を自分たちに都合のよいように分解して組みたてなおしているにすぎないということである。その活動のなかで、やがて植物を栽培するようになり、動物を家畜化し、人間を奴隷化し、機械を製作するようになってきた、そうした歴史が善かれなければならない (p.513p.514)
物質にも精神や生物の要素があって、精神や生物は機械であり、すべては機械仕掛であるとするのが「機械一元論」である。モーペルチュイの先例もあるように(『自然の体系』)、機械でありながら欲望するということは、機械という概念の歴史を辿るならば、決して奇異なことではないのである。われわれはこの意味においてこそ機械なのであり、生物としてさまざまに欲望しながらも、以前から家畜であり、奴隷であり、マルクスのいうように、労働者となって機械に組み込まれてきたのであった。これが今日になると、いまや近代的な意味での「個人」は消滅してサイボーグとなり、ネットに繋げられた集合的知性のノード(結節点)のようなものになりつつある。「サイボーグ」とはサイバネティック・オーガニズムの略で、機械と生物のハイブリッド(混成物)のことである。ドゥルーズとガタリは、普遍的機械主義を唱えながら、そこで「逃亡奴隷」となることを勧める哲学を論じたわけだが、以上に述べてきたことをふまえると、今日では、近代の人文学(ヒューマニズム)に代わって、「サイボーグの哲学(サイボーギズム)」が必要とされるようになっているのではないだろうか。(p.521)
実質的に女性差別を解消したのは、人権主義者たちでもなければ、フェミニストたちでもなかった。マルクスのいうとおり、機械化が進んで労働から人間性(男性性)が奪われることによってであり、逆説的ながら、もとより人間性からは疎外されていた女性たちが、機械と親和性のある存在となって、おのずから男性たちから解放されたのであった。このことは、女性にかぎらず、機械と親和性のある男性たちにも通じることであろう。こうやって人間の理念、および男性と女性の区別が消え、女性も男性もサイボーグとなってポストモダン状況が到来したというわけである。(p.526)
だれしもご存じであろう、排泄でも睡眠でも、その他の身体諸器官は生き延びるという目的をもっているはずなのに、その合理的手段となる行動を、(残念なことながら)われわれは思うままに実行することができないではないか。医師たちは、そこにあたかも生命のように誕生して成長していく病を想定する。医師たちは、身体を機械の集合とみなしてそのメンテナンスをしているはずなのに、そこに出現する故障の系列を、ある種の悪魔的生物のように見いだし、猛獣に対するように戦い、死滅させようとしはじめる。そして医師たちは、身体諸器官に異常が見つけられなければ、「心」という仮想器官を想定して、それを遠隔操作する脳という機械装置のなかに、薬品としての多様な微粒子を投与してまで、有機的身体のかりそめの統合を作りだそうとするのである。(p.533~p.534)
再読すればもっと深く理解できるだろう、学生時代だったらやったと思う、しかし現在、その気力はもうない。

★★ 日本酒ドラマチック 山同敦子
副題、進化と熱狂の時代。著者はジャーナリスト、全国の酒蔵を訪問し、酒に関することを多く執筆しているようです。今話題の蔵を取り上げたり、日本酒造りに関する事柄を取り上げたり、なかなか面白い本でした。特に、種麹、酒米、については知らないことが多くあり、勉強になりました(多分すぐ忘れるでしょうが)。印象深かったのは、成功した酒蔵はビギナーズラックが多いと言うことです。ツキも実力のうち、なのでしょう。色々飲みたいお酒が増えました。

★★ 石原吉郎詩集 思潮社現代詩文庫26
先日、石原吉郎の評論を読んで昔を思い出し、元の詩を読んでみようと、古本屋が持って帰らず、本棚に残っていた詩集を手に取った。しかし、評論は面白かったのだが、詩を読んでも心が動かない。歳をとって色々な面で変化が起こっているのだろう。ただ、詩論その他、には学生時代の感動が甦った。
自分自身の「とりあつかい方」をおぼえること。(p.110)
挫折という痛切な経験は、僕にはない。しかし、一つの時代が挫折するとき、一つの世界が挫折するとき、僕はその挫折の真唯中にあるのであり、僕を含めた一つの全体がそこでは挫折しているのだ、ということをはっきり知らなくてはならないのだ。(p.116~p.117)
最後の作品論にも、何故か、腑に落ちる内容が多かった。
石原氏の苦渋は、「『敵』という不可解な発想」をさえ生ましめた「じかに不条理である場所」に「直接に人間としてうずくま」ることによって、この「対峠」とたたかい、これを止揚し、そうすることによって「自由に未来を想いえがくこと」にあったのである。そして<最もよき私自身も帰ってこなかった>という自覚に達することにあった。ところで<最もよき私自身も帰ってこなかった>という自覚に達した石原氏は、あの対峠しあう「あなた」にも1私」にも属さない。ましてや「『敵』という不可解な発想」を生ましめた石原氏にも属さない。石原氏の内の「あなた」や「私」である前のもの、即ち最もよき石原氏自身――詩人石原氏であったのだ。(p.143) 笹原常与の石原吉郎書附け
黙して戦争に従い、たたかいぬいたはて肉体的な傷よりも、もっと深く精神に傷を負って戦後の日本に帰って来た民衆のひとり、石原吾郎の真実の声が聞きたい。たしかに体験の落差は覆いがたく大きい。ラーゲリでの這いまわるような飢えを飢えていない人間が私見をまじえて語るとは、なんと良い気な独断であることか。しかし、わたしは体験コンプレックスから石原吾郎について語ろうとは想わない。体験を踏まえてひらきなおる人間ほ信用出来ないのだ。そこには相手への威嚇と、それでしか自身を保てぬ卑俗さがある。そこには真正なる言葉はなく、見下げた権威の骸が突ったっているだけだ。異常な体験の中にも、わずかな平安はあっただろう。いや、異常な環境だったからこそ、その平安は二度と味わえぬほど大きな自由であったかも知れぬのだ。そのような苦しみのはてに獲得した自由を、いかにみずからの精神の深みで光らせることができるか、そのことは肉体の苦痛を越え肉体を救う精神の自由、つまりは<詩>の存在理由の証しとなるのだ。(p.146) 清水昶のサンチョ・パンサの帰郷
学生時代と比べて、肉体の変化は紛うことなきものであるが、精神の変化も凄いものだ、ということを自覚する読書でした。

★★★ 85歳、おばあちゃんでも年商5億円 和田京子
私は80歳まで、一度も働いたことがありませんでした。妻として母として平凡に生きてきた、お金も社会経験もない、ごくごく普通のおばあちゃんでした。その私が79歳で宅地建物取引士(宅建)の資格を取得し、80歳で不動産会社を興しました。現在のところ、年商は約5億円。休みもとらず24時間営業で働き、ときにはテレビや雑誌で取り上げてもらえるようになるとは、私自身、想像もしなかったことです。(p.3)
まえがきの最初にこう書いてあります。この本はこの数年のことを中心に著者のこれまでに人生が書かれたものです。そして、はじめには以下のように締め括られています。
人は、いくつになつても新しいことをはじめられるのです。//私の体験がどこまでお役に立つのかはわかりませんが、読んでくださった方が新たな人生に向かって一歩踏み出すためのお手伝いができれば、こんなにうれしいことはありません。(p.8)
確かに、幾つになっても新しいこををはじめることは出来るのでしょう。しかし、その一歩を踏み出すのは大変なことです。著者のような人には驚愕し、尊崇の念を抱きますが、我が身を省みると、?!?・・・
「人は年々弱っていくぼかりではない」ということです。年をとると体が利かなくなつてくるのは事実です。でも、年をとった分だけ蓄えていることもたくさんあるのです。//自分の向く方向によって、世界は変わる。//これが現代の高齢者なのだと思います。私が子どもだったころとは違って、時代は寛容です。やろうと思えばやれる環境が、たくさん用意されています。(p.199~p.200)
この部分を読んで、歳をとった分だけの蓄えが私にはないのでは、と思いました。ただまあ、自分の向く方向は考えてみようと思います。

★★★ 世界史を変えた薬 佐藤健太郎
伝染病が歴史を変えた、という本は何冊か読み、成る程と思いました。それと似たような感じですが、薬が歴史を変えたのも充分あり得ることです。以下はこの本の目次。
第1章 医薬のあけぼの、第2章 ビタミンC 海の男たちが恐れた謎の病気、第3章 キニーネ 名君を救った特効薬、第4章 モルヒネ 天国と地獄をもたらす物質、第5章 麻酔薬 痛みとの果てしなき闘い、第6章 消毒薬 ゼンメルワイスとリスターの物語、第7章 サルバルサン 不治の性病「梅毒」の救世主、第8章 サルファ剤 道を切り拓いた「赤い奇跡」、第9章 ペニシリン 世界史を変えた「ありふれた薬」、第10章 アスピリン 三つの世紀に君臨した医薬の王者、第11章 エイズ治療薬 日本人が初めて創った抗HIV薬
どの薬の話もすごく面白かった。いっぱい引用したい所だが膨大な量になりそうなので、特に興味深かった4章5章を。
アヘンは10%ほどのモルヒネを含むため、粗製のままでも十分な薬効を示す。このため、その効果は極めて古くから知られていた。スイスの新石器時代の遺跡からケシ栽培の痕跡が見つかっているというから、その歴史は5000年以上も遡れることになる。またメソポタミア地方で見つかった粘土板には、楔形(くさびがた)文字によってアヘンの採取方法が記されており、ケシは「喜びの植物」と善かれているという。となれば、人類は文明の始まる以前から、アヘンの作用を知っていた可能性が高い。(p.61)
エンドルフィンは、外傷やストレスを受けた際に放出され、その苦痛を和らげる。たとえば長距離走者が感じる高揚感(ランナーズ・ハイ)は、苦しみを緩和するためのエンドルフィン分泌によるものとされる。また社会的連帯感・安心感や、謎を解いた時、知識を得た時の満足感などにも、エンドルフィンが関わっていると見られている。エンドルフィンとその受容体は、人間の多くの行動の動機に関係する、極めて重要な系なのだ。モルヒネはこの系に入り込み、かりそめの、しかし深い快感を与える。こうしてモルヒネを投与し続けると、生体は「現在のところエンドルフィンの量は十分である」と判断し、生産を止めてしまう。このためやがてモルヒネが切れると、体はエンドルフィン不足となり、強い不快を感じる。これが麻薬の禁断症状だ。モルヒネを投与すればこれは治まるが、エンドルフィン生産能力はさらに落ち、次回はさらに多量のモルヒネを求めるようになる。まさに悪循環だ。(p.67)
現代の手術では、手術の刺激が強い時には麻酔を深く、終わりに近づいたら浅くといったように、患者の状態をモニタリングしながら、慎重に微調整を行なう必要がある。医師は免許を取ったら、内科・耳鼻科・皮膚科などなど何の科を名乗ってもよいが、麻酔科だけは厚生労働省の資格審査に別途合格する必要がある。麻酔科は、高度な特殊技能とセンスを要する専門職なのだ。(p.84)
現在、日本国内における全身麻酔の実施件数は、年間250万件にも及ぶ。もし麻酔薬がなければ、このうちどれだけの人が落命し、どれだけの人が長い苦痛に悩まされていただろうか。そう考えると、あらゆる医薬のうちで最も人類に貢献しているのは、あるいは麻酔薬なのかもしれない。今後も、より優れた麻酔薬の研究は、止むことなく続くだろう。問題は、一世紀半にもわたってこれほどまでに広く用いられているにもかかわらず、麻酔の原理が全くわかっていない点だ。メカニズムがわからない以上、その探索は全く手探りにならざるを得ない。(p. 86~p.87)

★★★ 一〇三歳、ひとりで生きる作法 篠田桃紅
著者の名前を知ったのは、数年前、埋もれていた作品が見つかったというニュースだった。調べてみて凄い人だとビックリ。そして去年4月出版の著書「一〇三歳になってわかったこと」が大ブレイク、今春読んでみようと図書館に予約、遅かったので200人待ち!その時一緒に予約したこの本(去年の12月に出版)が、あまり注目を集めていないようで、早く来ました。著者の生き様もすごいが、この本にも感動、この年齢でもこのように素晴らしい本がかけるのです。感服。
歳を取れば、すべての機能が衰えるわけではないが、やっぱり若いほうがいいに決まっている。ただ、老いたら老いたで、まんざらでもない。まんざらでもない、は含みのある言葉である。満足というほどはっきりしたものではないが、まんざらでもないのである。(p.30)
石川啄木(いしかわたくぼく)の歌に、「『さばかりのことに死ぬるや』『さばかりのことに生くるや』よせよせ問答」というのがある。//たったそれだけのことで死ぬのかと言えばそれまで。たったそれだけのことで生きているのかと言えばそれまで。問答したって始まらない、と言っている。(p.433~p.44)
「墨に五彩あり」という中国の言葉がある。目に見える色はこの世にかぎりなくあるが、墨はあらゆる色を含んでいるという意味である。つまり、空の青さは、青の絵の具よりも、太陽の赤は、赤の絵の具よりも、墨が真実の色を表現しえる、と言っているのである。墨は目に見える色を、人の想像力で、心の色に置きかえることができるからだ。(p.54)
そもそも、人はやり尽くすなんてことはできない。自分のやれることはこのへんまでかなと思うことができれば、おそらくいいほうで、完全にやったと思えることはない。いつもなにかを残している。(p.58)
昔は、隔たりの美、というものがあった。遠いことへの思いがつのり、日本の文化や芸術のもとにもなった。はたしてインターネットの発達は、どんな美をつくるのだろうか。(p.152)
私は、音をかたちに置きかえるような気持ちで筆をとることも多い。音を墨いろに託すのであるが、特にその意識なく措いた暴いろから、音が聴こえでくることもある。それらはいつも遠い日の音である。(p.162~p.163)
用事の組み込まれた時間は、いやおうなく現実的な色合いを持つから、本当に時間らしい時間、無垢な時間は、夜更けしかないのだ。そういう時間を、してもしなくてもいいことに使うのは、実に楽しい。なんにもしないのは、さらにいい。(p.170)

★★★ このあとどうしちゃおう ヨシタケシンノスケ
絵本です。子供だけではなく、大人も充分楽しめます。著者の本は、一昨年「りんごかもしれない」、昨年「せまいぞドキドキ」を読みました。前者は傑作です。この本も傑作です。おじいちゃんが死んで、小さい孫がノートを見つける。タイトルが「このあとどうしちゃおう」、おじいちゃんが自分が死んだら、どうなりたいか、どうしてほしいか、が絵と共に書いてあった。エンディングノート、というものではなく、ファンタジーです。これを読んで孫は・・・、というお話です。終わり方がまた素敵、お薦めです。

★★ あの日 小保方晴子
栄光の絶頂から、奈落の底に落とされた、あの小保方さんです。どんなことを書いているのか、興味がありました。当時から不思議だったのは、あのような大発見(?)を、共同研究者に偉い先生方がいるのに、何故若い彼女が発表したのかということ。この本を読んで、内容にウソがないとしてですが、彼女が前面に出て発表すべきではなかった、というか、その資格はなかった、と思いました。複雑な人間関係があったのでしょう。もう一つ、若山という先生が穏やかに非難されていますが、もっと問題点を整理して厳しく追及すべきだと思います。まあ、大先生は無視するのでしょう。前半は、実験の説明など、素人にも判るように書いてあり、それなりに納得できたのですが、問題が起こって彼女が追い詰められてからは、身体状況の不調ばかりが強調され、説得力に欠けたの残念。結局、この問題の真相は解明されていないのではないでしょうか。個人的には、大学などの研究機関は徒弟制度のようなもので、使い勝手のいい若者がいいようにこき使われる、ということが根底にあると思います。

★★★ チェリー・イングラム 阿部菜穂子
副題、日本の桜を救ったイギリス人。コリングウッド・イングラムの伝記、と言えるでしょう。桜を愛したので、チェリー・イングラムと呼ばれた。まず、桜について知らないことが多いのに恥ずかしくなった。
日本には、ヤマザクラやオオヤマザクラなど野生の桜が一〇種類自生している。それらの野生の桜の一部が変異を起こして変種となったり、互いに交配して新種が生まれたり、ということが自然に起きて、それまでになかった桜が生まれる。それらを人間が選び、人為的に栽培して生まれるのが「栽培品種」である。日本にはこの栽培品種が多数あり、その数は四〇〇種類以上といわれる。そのうち約二五〇種類以上が江戸時代に江戸(東京)や京都を中心に誕生し、大名屋敷や神社仏閣に植えられていた。(p.46)
以下の部分が、イングラムがやったことを要約している。
イングラムはこの論文で、栽培品種の桜の多くが日本で絶滅の危機に瀕していることに警鐘を鳴らし、導入部で、ある日本の外交官が語ったという次のような伝聞を紹介している。//この外交官いわく、「われわれ日本人が文化や芸術の発展に力を入れていた時代、西洋からは〝野蛮人″だと言われた。ところが国力をつけて他国の人民を殺傷する軍事力をも身につけた今、日本は〝文明化した″と評されるようになった」。//そして、「私はこの外交官の言う〝野蛮な時代″を懐かしむ。そのころ、この東洋の国には並外れた芸術・園芸文化があり、日本人はすばらしく多様な桜を作り上げた。しかし今は芸術文化に代わって、商業主義と軍事至上主義がはびこっている」と述べる。さらに「多くの桜が絶滅の危機にある。しかし幸いなことに、私の庭ではすでに日本で絶滅した品種も残っている」と書き、ザ・グレンジの桜園が日本の生んだ貴重な桜の保存に貢献していることを誇っている。(p.80~p.81)
今染井吉野ばかりになっている経過がよく判った。そして:
問題は、多彩な桜が染井吉野にとって代わられた過程が、近代日本で軍国主義化が進んでいったのとほぼ同時進行的に起きたことである。まるで、ひとつの桜が多様な桜を駆逐していった動きが、日本社会に暗雲が空を覆うかのごとく全体主義が広がり、多様な価値観をはじき飛ばしていったことを象徴するかのように。(p.138~p.139)
「日本はこんな狭い国やけど、昔からひとつ川越えて、山越えたら気象条件はみなちがうんですわ。その土地特有の方言があって、食もちがい、それぞれの土地の自然の営みに応じた祭りがあった。桜も地域によってみなちがうのが、本来の姿なんですわ。土地によって、はように咲く桜もあるし、遅う咲くのもある。その土地の自生の桜が咲いたときに、人は花見をし、花の咲き具合によって生活しとったんです。花がいつもの年より早う咲いたら、ああ、もうもみ(籾=米の種)まかないかん、とか、遅いときはまだ遅霜があるからもうちょっと待とう、とかを決めてたんですわ」/染井吉野の植樹は、そういう土地によるちがいを無視した行為で、まるで方言のちがう地域に無理やり標準語を押し付けるようなものだ、と佐野は言った。「染井吉野は全国一律に、どこでも同じ花を咲かせるから、日本を画一的なつまらん国にしてしもた」 (p.183)
広島の造幣局には色々な八重桜がある。が、ここに出て来た桜はなかったように思う。
イングラムの残した最大の功績は、イギリスに多様な桜を根付かせたことであろう。「多様性」は、じつはイギリスで最も大切にされる価値である。人種、宗教、個人の歴史、ものの見方、どれをとっても、それぞれのちがった価値観は、排除されることはない。人や国、さらに自然の風景も、本来、異なるもの。多様な価値の混在する社会はときに衝突はあっても、大きなエネルギーを秘め、新しい生命力を生む、強靭な社会である。日本の多品種の桜は、そのような社会でイングラムによって紹介され、花開いたのである。(p.215)
日本にも、多彩な桜が咲いている所があるようだ。イングラムが復活させた「太白」など、見たいと思う。

★★ 国境のない生き方 ヤマザキマリ
県立図書館に、書評に取り上げられた本、というようなコーナーが出来た。それに気付いて最初に読んだのが、先日読んだ「ふたり」。この本もそのコーナーで見つけた。サブタイトルは、私をつくった本と旅。その他カバーには、「地球サイズで見れば悩みなんてハナクソ。」 「14歳のヨーロッパ一人旅に始まって艱難辛苦(かんなんしんく)の経験、星の数ほどもあり。でも世界は美しく、生きるのは喜びだ! 人気漫画家が語る、体験的な人生論!」 ということで読んでみました。著者は漫画家、映画にもなった、テルマエ・ロマエ、を描いた。ユニークな母親に育てられ、かなり個性的な人物で、生き方もすごい。すごいとは思うが、やってみたいとか、憧れるとかいうことはない。私が年寄りだから? このような人生もあるのだと、人生が終わりに近づいている私にも、多少は刺激になりました。
周りに好感を持たれる程度の「自分らしさ」なんて、そこで生き抜くための便宜(べんぎ)的なもので、生ぬるく感じてしまう。もし、ほんとうに掛け値なしの「自分らしさ」みたいなものがあるのだとしたら、それはジョブズのような、もっと抜き差しならない、切実なものなのだと思います。(p.43)
宗教というのは、その土地その土地で人間が生き抜くために発明した生きる智慧(ちえ)みたいなもの。だとしたら、そのために人間同士が争ったり、殺し合ったりするなんて本末転倒、言語道断という気がしてならないのです。(p.187)
日本にとって一九六〇年代というのは、大きなターニングポイントであったことは間違いない。あの頃はみんながこのままじやだめだ、これでいいわけがないという猜疑心を抱いていた。猜疑心(さいぎしん)って、エネルギーだと思うのですが、今ってそれが全然ない気がしませんか。六〇年代にはものすごく濃密な空気が渦巻いていたのが、七〇年代になるとパタッと変わってしまう。(p.213)

★★★ プラハの墓地 ウンベルト・エーコ
著者の名は学生時代から知っていた。記号学の学者だと思っていた、が、小説も書いている、これが長編4作目とのこと。難しいことを書いているのかと思ったら、出だしは、通俗小説風で面白い。
訪問者が最初の部屋に戻ったとしたら、小路を照らすわずかな光が差し込んでくる唯一の窓の前に置かれたテーブルに向かい、部屋着を身にまとったひとりの老人が腰かけているのを見ただろう。肩越しに覗き込んでみると、老人は何か書きだそうとしているようで、私たちはこれからそれを読んでいくことになる。<語り手>は<読者>を退屈させないように、時にそれを要約するだろう。この男がすでに登場したある人物であると<読者>はお気づきになるでしょうとここで<語り手>が暴露する、そんな展開を期待してはいけない。なぜなら(物語はまさに今始まるところで)この時点より前には誰も登場していないのであり、<語り手>でさえ、この正体不明の書き手が誰なのかまだわからず、<読者>と同様に興味津々覗き込んでそのペン先が紙に記していく文字を追いながら(<読者>と一緒に)知りつつあるのだから。(p.11~p.12)
上に引用した、はじめの方にある部分を読み興味が掻き立てられる。「書き手」の書くもの、彼の分身(?)が書くもの、<語り手>のまとめ、彼らの背後に隠れる著者、このような構造は私が大好きなものです。
しかし、読み進むにつれ、苦労しました。歴史小説の様相を呈しはじめ、知識不足を痛感。19世紀(後半)のヨーロッパ――イタリア統一運動、第二帝政、普仏戦争、パリ・コンミューン、第三帝政――、ユダヤ教やキリスト教、などについて知らないことが多すぎです。それでも、色々調べながら500ページを超える本を読めたのは、物語の面白さでしょう。だだ、充分にこの世界に入り込めなかったのがちょっと残念。もう一回読むか?

★★★ 「ドイツ帝国」が世界を破滅させる エマニュエル・トッド
トッド、三冊目。この本は、タイトル通り、EU、ユーロ、そして、ドイツについて、書いてある。というか、雑誌の載ったインタビュー記事を集めたもの、誰が集めたのか、編集部による編集後記があるので、名もなき編集部員と言うことか。サブタイトルに、日本人への警告、とある。つまり、日本の出版社が、トッド人気乗って、一冊ひねり出したのか。乗せられた私。もう一点、トッドにインタビューしている人の名前はあるのだが、どのような人なのかは書いてない。ちょっと不親切では。かなり突っ込んだ質問をしているので、相当の人物ではないか。
この本で印象的だったのは、ドイツが帝国のようになっているというのはよく言われているが、それに対する他の国々対応である。著者の母国であるフランスの弱腰(サルコジはボロクソ)、アメリカの戦略のなさ、ロシアの意外な健全さ。このような見方があるのかと感心した。著者は多方面で活躍しているが、この本の紹介には、歴史人口学者、家族人類学者、とあり、出生率や乳児死亡率を使ったこの観点での分析が面白い。
収録されているインタビューは8つ、2014年のものが4、2013年が1、2011年が3、ほぼ新しい順に並んでいる。後に行くほど古いものを読ませるのはいかがなものか。といっても逆にしても変だろう。一冊の本にするために古いものも色々集めたというところか。
アジアでは韓国が日本に対する恨み辛みのゆえに、アメリカの戦略的ライバルである中国と裏で共謀し始めている。いたるところで、つまりヨーロッパにおいてだけでなく世界中で、アメリカのシステムにひびが入り、割れ目ができ、あるいはそれにも増して悪いことが起こっている。(p.34)
アメリカシステムとは、ユーラシア大陸の二つの大きな産業国家、すなわち、日本とドイツをアメリカがコントロールすることだ。ただしそれは、アメリカ自身が産業規模において明確に優越しているという仮定の下でのみ機能する (p.61)
ドイツは、すでに二度にわたってヨーロッパ大陸を決定的な危機に晒した国であり、人間の非合理性の集積地の一つだ。ドイツの「例外的」に素晴らしい経済的パフォーマンスは、あの国がつねに「例外的」であることの証拠ではないか。ドイツというのは、計り知れないほどに巨大な文化だが、人間存在の複雑さを視野から失いがちで、アンバランスであるがゆえに恐ろしい文化でもある。ドイツが頑固に緊縮経済を押しっけ、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかぬ黒い穴のようになったのを見るにつけ、問わないわけにはいかない。ヨーロッパは、二〇世紀の初め以来、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸なのではないか、と。(p.143)

★★★★ ふたり 髙山文彦
サブタイトル、皇后美智子と石牟礼道子。二人のみちこを中心に、水俣病について書かれた本。皇室にはあまり興味がなかったが、先日、「昭和天皇の戦後日本」という本を読み、考えさせられました(このページの下の方に読後感あり)。この本でも色々なことが判りました。様々な時代の制約があったとはいえ、やはり、昭和天皇は戦争責任を取るべきだったのでしょう。現天皇がその代わりをしているのか。
昭和天皇にしたがって殉死でもしようとするかのようなあの暗い昭和時代最後の一年あまりは、「明治の遺制」=「幻影のヴェール」を民衆がなおひきずっていたことをしめす最後の歪(いびつ)な現象であったかもしれない。では、平成の新天皇と皇后はどうだろうか。「幻影のヴェール」はまったく消えて、言ってみれは昭和天皇の時代に積みあげられ、そのままにされてきた戦争と公害の災禍について、できるだけ関係するそのすべての場所を巡礼者のようにめぐり、慰霊と懺悔と平和への祈りを終生つづけていくことを自分たちの使命とした。(p.214)
現皇太子妃のことが書いてあり、最初は何のことか判らなかったが、私が知らなかっただけ? 彼女の祖父は水俣病疑惑が起こった時のチッソの社長だった。皇室の嫁になるには三代前まできれいでなければならない、らしい。だから、最初にこの結婚話が出た時、同意が得られなかった。しかし、皇太子の執拗な要求に周りが屈した、らしい。ということで、皇太子夫妻は水俣に行けない、らしい。さらに、美智子妃の方は、本人ではなく、妹の嫁ぎ先の義父が昭和電工社長とのこと、新潟の第二水俣病の発生原因を作った企業です。高貴な方々の繋がりは庶民には計り知れないものがあります。それは兎も角、現天皇と美智子妃は、この本を読み、さらに素晴らしい人だと思うようになりました。
タイトルの『ふたり』というのは、なにも皇后美智子と石牟礼道子の二人に限定されるものではない。(p.299)
と、あとがき、にあります。水俣病と闘った様々な人のことが記録された読み応えのある本です。

★★★ 吉田元
とても面白い、という訳ではないが、スルスルと読ませるものをもっている。私が酒好きということもあるのかもしれない。資料(文献や発掘調査結果)を駆使して、日本の酒について、はじまりから江戸時代までを様々な角度から記述している。世界に色々な酒があるが、原材料が主食なのは日本酒だけのようである。技術的なことも書いてあるが、知っていると思っていたことが判りやすく納得できるように書いてあり、よく理解できた。「近代日本の酒づくり」という本も著しているとのこと、読んでみよう。
生まるれば遂にも死ぬるものにあればこの世なる間(ま)は楽しくをあらな (p.52) 大伴旅人の歌。
現在では自家用酒をつくることは法律で禁じられているが、明治三二年(一八九九)一月一日以前は「自家用料酒」、つまり自家用酒も許されていた。ただし販売はできず、「濁酒醸造届」を提出し、税金を納める必要があった。明治政府は、なるべく酒屋のつくる清酒を国民に買わせて酒税を有力な財源とすることを企んでいたから、自家用料酒にかかる税金は次第に引き上げられて、まず自家用清酒が廃止され、三二年にはとうとう自家用濁酒も全面禁止となってしまった。(p.208)
ものと人間の文化史、シリーズの一冊、2015年8月発行時点で最後の172。面白そうなものが色々あります。例えば、船、結び、橋、パン、食具、などなど、これらも読んでみよう。

★★★ 学者は平気でウソをつく 和田秀樹
著者は精神科医。なので、ウソをつく学者として取り上げられているのは、主に医学関係です。読んでいると恐ろしくなってきます。意図的ではないにしても、結果としてウソをついていることになっている場合が多くありそうです。科学は仮説の上に成り立っている、その仮説が正しくないことが証明される日が来るかもしれない。そのことを自覚すべきである、というのが著者の一番言いたいことのようです。一章が、医学、二章が、精神分析、三章が、精神医学、四章で、経済学、経営学、教育学、社会学、法学、をメッタ切りする。ある意味凄く真っ当なことだと思いました。
他の多くの学問がそうであるように、医学もまた、基本的に「人はみな同じで、個体差などない」という前提のもとに成り立っています。基礎医学だけではありません。実際に患者さんと接する臨床医学もほぼ同じ前提を置いています。したがって、同じ病名に対しては同じ治療をする、というのが西洋医学の基本的な考え方です。血圧が高ければ一律に下げようとするし、その薬もみな同じだったりします。(p.62~p.63)
日本人というのは全体に、極端から極端に走る傾向があります。一時期の日本では、マルクス主義者にあらずば経済学者にあらず、という風潮でした。現在は、その反動が出ているような感じがします。ちょつとでも低所得層の味方をすると"マル経"扱いされてしまうというような風潮でもあるのでしょうか。そのくせ、ピケティのような外国の学者が格差を問題にすると大騒ぎするのですから、日本の経済学者の何を信じていいのか、ますますわからなくなります。(p.171)
教育学においては東京教育大学とライバル関係にあった東大の教育学者は〝生え抜き″ばかりで、教育実習以外に現場経験のある人はいません。現場を知らない人間が振りかざす机上の空論に、政府がまんまと乗せられてしまったことで、日本の教育政策は悪化の一途をたどることになったのではないでしょうか。教育関係者の間では、東京教育大学がなくなった頃から教育政策が悪化しはじめた、という人が少なくありません。(p.178~p.179)
ある特定の集団を対象とした研究が、世界中のどの社会にでも当てはまるというのでしょうか。そんなことが学術的に通用するのだとしたら、社会学というのはずいぶん遅れているというか、鈍感な学問だなあと感じます。それでも、メディアはそんな社会学者が大好きです。珍しい事件が起きると、こぞって彼らにコメントを求めます。なぜなら、彼らは一件の特殊な出来事を、あたかも社会全体の普遍的な問題であるかのように語ってくれるからです。どんなことでも社会に原因を求めてくれるから、コメントが使いやすいのでしょう。また、メディアは猟奇的な事件を野次馬的に追いかけているにすぎませんが、社会学者が事件を社会問題に格上げしてくれれば、報道にもっともらしい大義名分がつくということもあるでしょう。けれども、酒鬼薔薇事件にしろ佐世保の同級生バラバラ殺人にしろ、実際にはごくごく特殊な事件です。社会のメカニズムや時代背景がまったく関係ないとは言いませんが、問題の本質は犯人個人の心にあります。多くの場合、彼らは精神的な病や障害を抱えていて、犯罪の原因もそこにあるのです。この手の犯罪において「社会の閉塞感」とか「格差社会」とかはほとんど関係ありません。社会のせいであれば、その何十倍、何百倍の人間が、同じようなことを起こすはずでしょう。(p.192~p.193)

★★ 石原吉郎 細見和之
サブタイトル シベリア抑留詩人の生と詩
学生時代、石原吉郎の詩を読んだ。当時心に響いたことを覚えている。戦後シベリアに抑留され、その経験は当然ながら詩人の精神に多大な影響を与えただろう。ただ、彼の詩をそこに結びつける必要はないと思った。
この本の著者は資料を丁寧に読み込み、詩人の生涯を辿り、難解な詩を解き明かしていく。読ませる文章と分析だが、詩の魅力が今ひとつ伝わらなかった。私が歳をとって、鈍くなっているのかもしれない。
難解なのは言葉と言葉の関係である。石原の詩においては、既知の語彙が未知の関係のなかに投げこまれる。その未知の関係を既知の関係(場面)に置きなおそうとするとき、「誤読」がはじまるのは避けようもない。その言葉と言葉の関係は、その詩のなかで一回かぎり生起するものだからである。石原の作品においては、言葉は通常の意味の束縛から身をふりほどく。(p.31)
シベリア抑留は日本人にとってひとしなみに必要とされていたはずの戦争責任を果たす行為だったという、かろうじて抱いていた自負も、周囲の人間には理解されず、せいぜいくじ運の悪いやつと見られるか、悪くすると「赤」(ソ連で洗脳されてきた共産主義者)ではないかと疑われる、そのような状態だった。しかし、石原にとって特徴的なのは、そのような実際上の困難を、「日常への強制」という抽象化したレベルで捉える感覚である。シベリアという非日常を日常とすることを強制されたあとで、今度は通常の日常へともう一度強制される、そのときにおぼえることになった激しい苦痛である。くわえて、石原が帰国したとき、日本はすでに、石原が不在であった歳月を、戦後の日々として歩み終わっていた。とりわけ帰国後、戦前・戦中と比べて戦後の東京が醸し出している「速度」の違いは、石原を撥ねつけるようだった。(p.175)
以前、古本屋に本をほとんど引き取って貰った時、戯曲と詩集は持ち帰って貰えなかった。現代詩文庫「石原吉郎詩集」が本棚にある。久し振りに読んでみよう。

★★ 「国際人」はじめました。 海野凪子+ゆづか正成
マンガです。日本語教師・海野凪子の「日本人の知らない日本語」シリーズを四冊読みました。面白かったのでこの本にも挑戦。しかし、コンビの漫画家が変わっているためか、少々期待外れでした。内容も至極常識的で、惹き付けるものがあまりありません。実際に著者が体験したものではなく、観念的になりすぎているようです。日本語抜き打ちテスト、というページがあり、これも「?」と思うものがあります。
問題7 難易度★★★ 次の後は省略語です。省略されていない語を答えましょう。1 教科書 2 会釈 3 ボールペン 4 石油
答え 1 教科用図書 2 和会通釈(わえつうしゃく)*もとは佛教用語。3 ボールポイントペン 4 石炭油
(p.73 p.72)
省略語なのでしょうか?

★★★ 地方再生のレシピ 奥田政行
山形の田舎にありながら、全国的に有名なイタリア料理店のシェフが書いた本。田舎だからこそ出来ることで地域活性化に取り組んだことが書かれている。テレビなどでも取り上げられ、ちょっと派手な印象を持っていたが、地道なことから始め、コツコツと努力したことが伺われる。凄い人だと思いました。昨年秋、著者の弟子が広島の宮島口にお店をオープンしました。また近々、広島三越に、島根県のイタリアンのお店と著者のコラボ店がオープンするようです。
食べられたい植物は、動物に好まれるように最大限の努力をして今の姿に進化してきたというわけです。トマトは人間にターゲットを絞った植物じゃないかと私は考えています。もともとトマトは甘さも旨味もない植物です。それが今ではこんなに魅力的な食材になり世界中で大人気です。もしかするとトマトはあるとき、人間に食べてもらえると世界中に広がれるぞ! と気付いたのかもしれません。こんなふうに考えると、人間がトマトを改良して育てているのではなくて、トマトにうまいこと誘われて、人間は利用されているのではないかという気にさえなります。(p.58)
先日読んだ「植物は<知性>をもっている」にもこれと同じことが書いてありました。
ソースやタレなどの調味料で味付けするのはたやすいことです。でもそれでは食材の持ち味が別の昧で覆い隠されてしまい、それぞれの食材の狙いや個性が全く感じられない料理になります。私は庄内の自然やこの地域の人々が培ってきた食文化を味で表現したかったので、食材の味がわからなくなるソースを封印しました。(p.98)
噛むことは、問違いなく料理を格段においしくしてくれます。噛むことによって食材は口の中で細胞が壊れていきますが、そのときに味が飛び出し、香りが立つのでそこでおいしさを感じます。さらに顎をたくさん動かすと唾液が出ますが、唾液に含まれるアミラーゼやマルターゼという成分は、消化を促す酵素です。これらは炭水化物や糖分を分解してさらに小さな糖に変えるので、口の中で必然的に糖が増え、噛むに従い甘さを増してくれます。料理がおいしくなるこんなすてきな調味料を、人間は自ら持っているなんて! この自然の摂理を使わない手はありません。そこで私は「噛ませる料理」を考えました。お皿の上では完成の一歩手前にしておき、口に入れて噛むことでおいしさが最高潮に達する、口の中で味が完成する料理です。そのために、「○回噛んでもらう」という仕掛けをあらかじめ食材に加えます。(p.106)

★★ ワカコ酒6 新久千映
相変わらず、美味しそうな酒と肴です。ただ今回は、魅力的な肴が少なかったように感じました。一番惹かれたのは、くじらの竜田揚げ、最近あまり見なくなった鯨は貴重品なのでしょう、私大好きです。大阪名物、紅しょうがの天ぷら、食べてみたい、きっと酒のお供にピッタリだと思います。まだ続編が出るようです。

★★ ウドウロク 有働由美子
完全退職してから、朝食の時間がちょうど朝ドラ、その後「あさイチ」が続きます。あまりテレビを見ない私、この番組で、いのっちと有働さんを知りました。全く知らなかったのではなく、知っている度合いが「何となく」から「そこそこ」に変わりました。この本を読んで、有働さんに関しては、かなり判ったような気になりました。ここまで自分のことをさらけ出して大丈夫なのでしょうか。
五十代の視聴者から、「さりげないほどほどの美貌」であるという、滅多にこないお褒めのメールをいただきました。//お褒めの言葉と最初は受けとったのですけど、なんか、喉もとに骨がひつかかった感じがする……。視聴者様からのお言葉、どんな言葉でもありがたく受け止めます。けどこれ、素直に受けとめようと思えば思うほど、「さりげない」「ほどほどの」美貌って何だろう、と。(p.154)
有働さんは魅力的だと思います。なにが魅力なのか、うまく言えませんが、彼女が持っている雰囲気でしょうか。引用にある「さりげない」は言い得て妙だと思います。ただ、この本の方は読み物としてさほど魅力的ではありません。有働由美子を知りたいと思う人にはいいのでしょうが、それを越えるものにはなっていません。まあ、そこまで要求しなくてもいいのでしょう。「はじめに」に、「四十半ばの女のひとりごと、読んでみて下さい」、とあります。面白く読ませて頂きました。

★★★ 世界を食べよう! 沼野恭子[編]
サブタイトル、東京外国語大学の世界料理。
東京外大の先生が、自分が専門とする国の料理を紹介する本。料理以外の関連する話題も多く、面白い。料理の起源、料理名の由来、その国の歴史や文化、文学など、それぞれ執筆者の関心に応じて話題が豊富。あまり政治の話は出てこないが、オーストリアとイタリアに分割されている、ティロール地方の歴史は食べ物と絡めて記述され (p.172~p.173)、興味深い。残念なのは、写真が少なくはないのだが、言葉だけでは料理がどんなものか判りづらく、せめて紹介されているものの写真は掲載して欲しい。それと、どうしようもないことだとは思うが、料理名と食材名が現地語では発音しにくく、覚えにくく、1ページ前に出た語でも忘れててしまっている(単に、私の記憶力が衰えているだけか)。とはいえ、楽しく読めました。
台湾で年配者のあいさつ言葉として使われる「呷飽末(ジャバーベ)」(おなかがいっぱいですか?)は、かつての人々の苦労を物語っていると同時に、台湾の人々にとって食べることが最大の関心事であることを示していると言えよう。(p.24)
ベトナム人のなかでも一部の食通が好む文字どおり珍味なフォーに、フォー・ガウ・ピン(現地語表記不能)というものもある。ガウ・ピンとは、広東料理の「牛鞭」のことで、要するに牛の陰茎である。私はカリフォルニアのベトナム人街のフォー屋でこれを何だか知らないままに食べさせられた経験がある。ブニヨブニヨしている半透明のゼラチンみたいなブツ切りのそれを、モツの一種くらいに思って普通に食べたが、あとから正体を教えられた際には、疑似獣姦の倒錯的興奮を覚えた、などということはこれっぼっちもなく、ひたすら気持ち悪くお腹がむかむかしていた思い出が残っている。ただ単語の意味を知っただけなのに、そのイメージに取り憑かれ身体にまで異変を起こしてしまう、<言葉>の催眠術の恐ろしさを私はそのとき実感したのであった。(p.42)
タイ料理は、世界各地でたいへんな人気を博している。日本国内でも多数のタイレストランが営業している。タイ国政府商務省国際貿易振興局(DITP)は、「タイランド・ブランド」認定プロジェクト(現在は「タイランド・トラスト・マーク」)を全世界的に推進し、タイ料理レストランを含むタイ製品・サービス全般に対する認知度・信頼度の向上に努めてきた。2006年からは、優れたタイ料理レストランを「タイ・セレクト」として特別に認定している。2013年9月時点で、タイ・セレクト認定レストランは、全世界で1447店舗。日本国内では、100店舗となっている。(p.58)
調べてみると、広島市に三軒、サワディレモングラスグリル、ぴぃすぅあ、マナオ、です。
ポーランドでは一般的に食事の前には、現地語表記不能[スマチュネゴ]というあいさつが用いられる。これは食べるものに、というよりは、一緒にテーブルについてくれた人々に向けた、「おいしい食事でありますように」という願望の表現なのである。そして、食事のあとには、現地語表記不能[ヂェンクウイェン]が用いられる。これはポーランド語で「ありがとう」という意味であるが、これも食べたものに、というよりは、一緒にテーブルについてくれた人々への感謝の表現なのである。このように食事の時間をともにする周囲への配慮が言語に現れているのは、ポーランド文化の特徴と言えるであろう。(p.146~p.147)
東京外大で毎年秋「外語祭」というものが行われ、学生たちが世界各地の料理を作っているそうです。その数およそ30、近かったら飛んでいくのですが。

★★★★ 植物は<知性>をもっている ステファノ・マンクーゾ/アレッサンドラ・ヴィオラ
刺激的なタイトルです。はじめに、で著者が本の内容を要約しています。
第1章では、植物に知性があること仮定する根拠は、科学的なデータなどではなく、じつは数千年に渡って人類の文化に巣食っている先入観や思いこみにすぎないことを明らかにする。(p.14)
第2章では、植物は動物とちがい、体の大部分を失っても生きられるという点についても説明する。植物は、「司令センター」を無数にもつ分割可能な生物であり、インターネットによく似たネットワーク構造で成り立っている。これからの人類の未来にとつて、植物をよく理解することはとても重要だ。これまで人類が地球上で生きてこられたのは植物のおかげであり(光合成が行なわれてこなかったら、地球上で動物が生きるのに必)要不可欠な酸素は作られていなかった)、今もなお私たちは植物に依存して生きている(植物は食物連鎖の基盤だ)。おまけに植物は、エネルギー(化石燃料など)の源でもあり、人類の文明を何千年も支えてきた。植物は、食料、医薬品、エネルギーなどのために、なくてはならない貴重な「原材料」である。今後の科学的・技術的発展は、これまで以上に植物に依存することになるだろう。第3章では、人間のもつ五つの感覚(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)すべてを植物ももつていることを明らかにする。もちろん植物の五感はどれも、植物ならではの発達を遂げていて、人間とはちがう。(p.16)
第4章では、植物が自身の感覚を用いてみずからの置かれている状況を把握し、ほかの植物、昆虫、動物と互いに作用しあい、化学物質を使ってコミュニケーションをはかり、情報を交換していることを明らかにする。植物は話もできるし、自分の親族と他者とを区別することもできる。また、さまざまな性格ももつている。(p.17)
第5章では、知性は「問題を解決する能力」と定義できるとしたうえで、植物は知性をもつているだけでなく、その知性は輝かしくすばらしいものであることを説明する。植物は、植物として生まれた時点で多くの不自由さを抱えている。けれども、そうした問題を見事に解決し、乗り越えていく。植物は、人間のような脳はもつていないものの、外界から与えられる刺激に対して、適切に対応することができる。(p.17)
以下印象に残った所を引用。
五億年まえの世界へと時間をさかのぼつてみよう。そのころ、植物と動物は分化しはじめ、地球最初の生物たちは異なる二つの生き方を選びとつた。この二つの生き方を簡単に説明すると、植物は定住民の生活スタイルを選び、動物は遊牧民の生活スタイルを選んだ。ついでにいえば、人類が植物と同じように定住民の生活スタイルを選んだことによって、史上最古の大文明が誕生したことを考えると、なんとも感慨深い。定住の生活を選んだ植物は、地面、空気、太陽から、生きるために必要なものすべてを引き出さなければならなかった。それに対して動物は、栄養をとるためにほかの動植物を食べなければならず、運動に関わるさまざまな能力(走る、飛ぶ、泳ぐなど)を発達させていった。これらのことから、植物は「独立栄養生物」、つまり自給自足する生き物と定義できる。生きのびるためにほかの生物に依存しないからだ。いっぼう、動物は自給自足できないので、「従属栄養生物」と定義できる。(p.52) こういう視点はなかなか得られないのでは。
まず二つの容器を用意する。いっぼうの容器で、一つの植物の個体の種子三十個を栽培する(いわば、同じ一人の母親の三十人の子どもたちということだ)。もういっぼうの容器には(容器自体はまったく同じもの)、互いに異なる個体の種子三十個を栽培する(いわば、三十人の母親から、それぞれ一人ずつ子どもを連れてきたということだ)。そして、二つの容器の種子が生育する様子を比べてみる。その結果、これらのサンプルが示す行動を観察することで、動物にしか見られないと考えられていたいくつかの進化による特徴が、植物にも見られることがわかった。予想どおり、それぞれ母親のちがう三十人の子どもたちは、テリトリーを独占しようと無数の根を伸ばし、ほかの植物に害を与え、栄養分と水を確実に自分だけのものにしようとした。いっぼう、同じ母親の三十人の子どもたちは、狭い場所に共生しているのに、母親のちがう三十人の子どもたちよりもはるかに根の数を抑え、地上部分の成長に力を注いでいた。つまり、植物は遺伝子の近さに気づき、競争を避ける行動をとったのだ。(p.128~p.129) これは興味深い実験です。
ライマメは、大食いのダニ(ナミハダニ)から攻撃を受けると、揮発性化合物を放つ。それに引かれてべつの種類のダニがやってくるのだが、それは肉食のダニ(チリカプリダニ)だ。このダニは、草食のナミハダニを餌としていて、ライマメについたナミハダニをあっというまに食べつくしてしまう。ライマメは、だれから攻撃を受けているのかを識別し、その攻撃から逃れるために、敵の天敵を呼び寄せることができるのだ。植物の優れた能力と、それをもとにした植物と動物の見事な協力関係には、まったく舌を巻くばかりだ。(p.139) これまで植物についての研究があまりなかったのでしょう。こんなこともするのですね。
身を守る能力に欠けたトウモロコシの品種を選んでしまったのは、想定外だったとはいえ、人間が犯したミスだ。その代償はとても高くついた。ハムシによる損失額は世界全体で年間十億ドルにも及び、この数十年におけるトウモロコシの最悪の問題になったのだ。この害虫を駆除するために多額の資金が投入され、大量の殺虫剤がまき散らされた。さらには、トウモロコシが本来もつていた防衛機能を蘇(よみがえ)らせるためには、遺伝子工学の力を借りる必要があつた。そしてカリオフィレンの生産を管理する遺伝子が、ふたたびトウモロコシに組みこまれ、新しい品種が作り出された。じつはこの遺伝子は、はかの植物であるオレガノからとりだされたものだ。トウモロコシが本来もつていた特徴をふたたびとりもどすために、人間は遺伝子組み換え作物を作り出さなければならなかったのである。(p.141) 遺伝子組み換えは生産性の向上のためだと思っていました。まあ、これもそうとも言えるのでしょう。
植物からすれば、自分の世話をしてもらうためなら、この二本足で歩く奇妙な動物と無理にでも友人になるだけの価値はある。とすると、動物を巧みに操る優れた力を、植物が私たち人間に対して使っていないなんて、はたしていいきれるだろうか? 人間が好むような花、果実、味、香り、色を、植物は意図的に作り出しているのではないだろうか? もしかすると人間に好かれるためだけに、人間の好みに合わせた姿形や特徴を作り上げているのかもしれない。そうすることで、人間はお返しとしてかいがいしく世話をし、世界中に増殖させ、敵から守ってくれるのだから。植物は私たちにすばらしい贈り物(見事な香りや美しい色や形など。これらは多くの芸術家にもインスピレーションをもたらしてきた)を与えてくれるが、そのような幸運はしごく当然のものだ。だれも無報酬では何もしてくれない。少なくともある種類の植物にとつて、人間は地球上における最高の同盟者なのである。(p.154) これはすごい見方です。
地球上のバイオマス(つまり、生物の総重量)のうち、多細胞生物の九九・七%(実際は九九・五~九九・九%のあいだで変動し、その平均値が九九・七%ということ)は、人間ではなく植物が占めている。人類とすべての動物を合わせてもわずか〇・三%にすぎない。この事実からすれば、まちがいなく地球は「緑の星」だと定義できる。そこに議論の余地はない。地球は、植物が支配している生態系である。(p.162) 地球にとって人間とは? 人間にとって地球とは?
創発行動のモデルは、非常に込みあつた歩道を互いに足を踏まずに歩く能力から、株式市場の動きにいたるまで、人間の行動の多くを説明するのに用いられている。たとえば株式市場は、世界中の各企業の価値がどれはどかを知らせ、事実上政治を支配し、私たち個人の運命にも甚大な影響を及ぼすが、グローバルな機能を管理する中央制御室のようなものは何一つ設置されてはいない。個々の投資家は、自分が株式をもつているいくつかの会社について把握し、市場のルールに従って投資を行なつているだけだ。株式市場の最終的な動向は、個々の投資家たちの相互作用だけから生じている。まさに根系の先端部やアリの群れと同じだ。個体一つひとつはたいしたことはないが、集まって群れをなすと、考えられないような大きな力を発揮するのである。(p.190) この例えは面白い!

★★★★ 不明解日本語辞典 髙橋秀実
辞典、とタイトルにありますが、見出し語はわずかに32語です。そしてその32語の選択は秀逸だと思います。「はじめに」の文章も惹き付けるものがあり、最初の語「あ」の記述もこういうとらえ方があるのかと、感心しました。著名な辞書や書物などを駆使し、自らの体験を折り込み、少し斜めから視線で語の解明を進めます。その天の邪鬼的態度や文章表現も魅力的です。引用したい部分がたくさんありますが、少しにしておきます。興味があれば実物をどうぞ。
【きく】 阿川佐和子の『聞く力』について:
相手の「心をひらく」「聞く心得」を開陳されているとのことで私も読んでみたのだが、全体的にホステスの心得のような印象を受けた。(p.55) なかなか手厳しい。
【ちょっと】
「ちょつと」とは何か?国語辞典には「副詞」とあり、「少しであること」(前出『岩波国語辞典 第七版新版』)などと語釈されている。(略)元来、少量を示しているようなのだが、外国人向けの日本語辞書である『新訂 日本語を学ぶ人の辞典』(阪田雪子監修 新潮社 2011年)を見てみると、「少ないようす」という語釈に続いて、次のような意味が記されていた。//かなりの程度であるようす。//まったく逆の意味ではないか。用例としては「ちょっとこわい先生」「ちょっといい話」。これらは「少しこわい先生」「少しいい話」ではなく、「かなりこわい先生」「かなりいい話」を意味しているという。よくよく考えてみるとそうかもしれない。例えば、「ちょっと困る」「ちょっと間違っている」などと言われた場合、それは「少し」ではなく、かなり迷惑である、かなりの間違いだ、と注意されたと考えたほうがよい。少しだと思って少し直していい気になると、さらなる迷惑をかけることになりかねないのである。「ちょっと遅刻します」と私はよく言っているが、そういう時も大抵、だいぶ遅刻する。5分ほど遅刻する場合は最初から「5分ほど遅れます」と明言する。「ちょっと遅刻します」と言う時は自宅にまだ居たりして、思い直してまた連絡し、「1時間ほどかかります」とお詫びする。「ちょつと」は結構長い時間なのである。(p.62~p.63)
【健康】 日野原重明医師について:
あらためてその著作を通読してみると、先生自身の健康ぶりに圧倒される。健康とは、「自分が『健康だ』と感じること」(『生きかた上手』ユーリーグ 2001年)らしく、感じた者勝ちの様相なのである。そのせいか自分の職業やら自ら克服した病気、あるいは「今でも未知なる世界に飛翔したい気持ちが私にあること」(同前)などには感謝しているが、毎日の健康的な食事の支変など、彼を支えている人々にはほとんど触れていない。要するに、自画自賛を貫いているのだ。(p.164)
【すみません】
「すみません」でも「あやまる」わけでもなく「おわび」するわけでもないとすると、どうやって相手に気持ちを伝えればよいのだろうか。そもそもどういう気持ちを伝えるべきなのかと考えて、ようやく気がついた。「ごめんなさい」と言えばよいのだ。「ごめんなさい」は「御免なさい」。つまり、免じてください。許してくださいとはっきり相手に許しを請うのである。「すみません」「あやまる」「おわび」などはあくまで自分の問題であって、いうなればひとりよがりにすぎない。(p.209)
【こころ】
「こころ」とは何か?などと思うのも「こころ」であり、「こころ」で「こころ」を思うのは、「こころ」というフィルターを通して「こころ」を見るようなもので、フィルターが重なるばかりである。「こころ」を変えるにしても、その人の「こころ」が「こころ」で「こころ」を変えるということになり、何やら同じ「こころ」の中を「が」「で」「を」などの助詞が泳いでいるようで、結局何も変わらないような気がする。となると「こころ」の外に出るしかないのだが、たとえ出たとしても「こころの外に出た」と意識するのであれば、それもやはり「こころ」の働きではないだろうか。(p.217~p.218)
最後に、「おわりに――不明解の理由」から:
明確に意味を記述できるというのは完全に言い換えられるということで、いうなればその語は不要だという宣言です。辞書を引いてわかったような気がするのは、実はその言葉を消し去ってスッキリするからではないでしょうか。私は「言葉には意味がない」と言いたいのではありません。あくまで「言葉には意味がある」のではない。そうではなく、//言葉は意味をなす。//のではないかと思います。言葉に意味がひそんで「ある」のではなく、言葉は発することで意味を「なす」のではないでしょうか。そこに「ある」のではなく、これから「なす」。意味は未来に向かっているのです。当たり前のことですが、同じ言葉でも誰が誰に対して発するかで意味はまったく違ってきます。いつ、どこで、どういう文脈で、さらには言い方でも違ってくるので場面の数だけ意味を「なす」。それはほとんど無限に開かれています。辞書に掲載されている「ある」意味は、過去になされた意味のひとつにすぎず、それが実際に「なる」とは限らない。言ってみなければわからないわけで、わからないからこそ私たちは会話するのではないでしょうか。『岩波国語辞典 第七版新版』(前出)などは「各人が、一語一語の基本的意味を明確にはとらえていないで、その場その場でかなり勝手気ままな使い方をするために、社会全体から見ると、結局、その語の意味がきわめてあいまいだということになる」と嘆いていますが、社会全体が本当に意味を明確にとらえていたら、会話する必要もなくなるでしょう。言葉の意味は不明確にして不明解。不明解だからこそ話すのです。「話す」は「放す」で、解き放すことですから。そして意味が「なす」ものだとすると、漢語から字や語法まで取り入れ、さらには次々と諸国語をカタカナで自分のものにしていく日本語は、なせばなる、どうにかなる。という言語なのかもしれません。あえていうならそれこそが日本語全体の意味。外国語が苦手な人が多いのも、日本語で「どうにかなる」と感じているからではないでしょうか。日本人、日本語は曖昧だとよくいわれますが、暖昧というより「どうにかなる」と楽観している。少なくとも私自身はそのように考える次第です。(p.254~p.255)

★★★ 甘いお菓子は食べません 田中兆子
以下六つの短編集。
結婚について私たちが語ること、語らないこと 
40代、30代、20代の結婚観。文章、ストーリー展開、うまい。
花車 
花車(かしゃ)とは、遣り手婆のようなものだそうです。セックスレス夫婦の話、その妻の方の欲望の話。男が女のセックス願望について書くとなんだかなあ、と思うが、女が書くと何か説得力がある。逆に、女が男のセックス願望について書くと、違うような気がする、男のエゴ?
母にならなくてもいい 
関係のない短編がならんでいるのではなく、前の話に出て来たことに絡んでいる、ということが判ってきた。ストーリーが繋がっているのではなく、チョットしたことが引き継がれている、ポイントではない。今話は、セックススタイリスト(セックス相手を紹介する)が引き続き登場。
残欠 
前話のセックス相手が出てくる。が、ストーリーはそれとは密接には関係なく、この本の中ではテーマが深刻。この話だけ、最後に参考文献が挙げてあり、話題の難しさが判る。で、とてもうまく書かれていると思います。
目の前にいるときのほうが、夫は謎めく。身椅麗で温厚な男を遠く感じ、どうして彼はいまだに夫婦を続けているのだろうと思う。深い感謝と諦念のなかで、すぐに夫のことを考えるのはやめた。(p.137) 男にはこんな文は書けない、と思う。
熊沢亜理紗、公園でへらべったくなってみました 
この話も前話の繋がりがすぐ見えるのだが、結局期待したほどには絡まなかった。まあそれでいいのでしょう。この本の主人公は全て50歳ぐらいの女性で、哀愁の漂うものが多い。これもそうなのだが、何かアッケラカンとした所があり、不思議に読後感がスッキリしていていい。
べしみ 
べしみ、とは:鬼神を写した能面だった。名は「べし<病垂に悪の旧字>見」という。べしみという名前は、口をぐっと閉じている「圧(へ)し口(ぐち)」からきている。股間にある男の顔は、小さい圧し口をしている「小べしみ」だった。べしみの形相は憤怒の表情だという。あまりにも女性器を疎み、女という性をないがしろにしてきたから、女性器は怒ってべしみに変身したのだろうか。(p.226~p.227)
この短編は、、女性器の話、そして、女の性欲の話です。前の話との関係は見えません。内容的にグロになりそうですが、スンナリ読め、そういうものなのかと妙に納得してしまいました。

★★★ SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ CHO HIKARU 趙<火偏に華>
写真集、といっても、人の体をキャンバスにして絵を描き、それを写したもの。以下、著者の説明:

紙ではなく、人間の身体のうえに
絵の具で絵を措きはじめたのは、4年前。
受験浪人中の、膨大な時間と不安のはけ口を探して、
惰性から紙を買うのをめんどうくさがり、
「自分の腕でいいや」と描いたのがきっかけだ。

メモやラクガキを腕に描いていたのも含めたら、
それよりも何年も前に、
私の作品のルーツは存在しているんだと思う。

授菓がつまらないからと、
授業中に自分の腕に
油性マジックでグリグリ模様を描いて、先生に、


チョー、身体をおもちゃにするんじゃない。
あと、それやるならせめて最前列じゃない席でこっそりやってくれ。


と、たしなめられていた高校生時代が懐かしい。
あの時はそれをいつか
「作品」と呼ぶ日が来るなんて思ってもいなかった。

当時の担任も口をあんぐり開けて驚いているに違いない。
    (p.6)

言葉で説明するのは難しい。例えば、最初の作品、若い女性の額から下に首まで、首の周り、首から左右の肩まで、太い糸で縫い合わされているように見える絵。例えば、女性の左の額から右頬への線の下側が狼のようになっているもの。女性の顔に花が幾つも描かれているもの、かろうじて顔だと判る。女性の体の中に機械があるように見えるもの、まるでロボット。背中を見せる女性の胸に大きな穴が空いていて、向こう側にいる女性の手がその穴を貫いている絵。などなど、奇っ怪で、グロテスクで、笑いが漏れるものもあり、摩訶不思議、そして、どれもとてもリアルです。是非実物をご覧下さい。

★★ 23区格差 池田利道
東京23区が、むしろ「格差」を前向きに捉え、それぞれの発展を続けていることをここまで解説してきた。データだけで見ても、どの区であろうと、住む価値が十分にあることをわかっていただけたのではないかと思う。(p.257)
上の引用は、最終章にあるもの。格差に括弧を付けてように、著者が使っている「格差」は本来この言葉が意味しているものではない。その後の文からもそれはわかるだろう。この本全体も、結局は幅広いデータを駆使した東京23区紹介みたいなものである。それはそれで面白かったが、タイトルの付け方は一考を要すると思う。
世田谷区の人口は約88万人。47都道府県の中に世田谷区より人口が少ない県が七つもある。規模が大きいのだから、数が多くなるのはあたり前といえばそれまでだ。各区の実力をきちんと評価するには、何かで割って標準化する過程が必要となる。では何で割るか。これがなかなか難しい。最も基本的な標準化指標とされ、統計書でも目にすることが多いのは人口(夜間人口)で割るという方法だろう。だが東京23区の場合、人口あたりにすると今度は千代田区が何でも一番になってしまうという問題が出てくる。というのも、千代田区の夜間人口は2010年の国勢調査で5万人に満たないが、昼間人口は82万人を数える。このため、昼間人口に対応して集積しているものを夜間人口で割ると、数値が大きくなってしまうのだ。(p.63)
第1回の『国勢調査』が行われたのは1920(大正9)年にさかのぼる。その結果を見て、衝撃が走った。わが国の家族形態の基本と考えられていた、多世代が同居する直系家族世帯が3割にとどまる一方で、核家族が54%と過半数を占めたからだ。核家族化の進展というと、戦後高度成長期のできごとのように考えがちだが、実はわが国は、大正時代から核家族化していたのである。2010年の『国勢調査』の結果でも、小さな衝撃があった。「標準世帯」という言葉があるように、世帯構成の典型とされる夫婦と子どもの世帯(27・9%)よりも、ひとり暮らし(32・4%)の方が多くなったのだ。衝撃が小さかったのは前もって予測できていたからで、内容を考えると核家族化より衝撃的かもしれない。ひとり暮らしと聞いて、親元を離れて暮らす学生のイメージが浮かんできた方は、古い「常識」にとらわれている。ひとりで暮らしている人のうち、学生の年代に相当する21歳以下の割合はわずかに6%しかない。20代以下にまで広げても22%にとどまり、30代が16%、40代が12%、50~64歳が20%、65歳以上が30%。今やひとり暮らしは、あらゆる世代に共通した存在である。ここには、家族を単位に行動するという人間の生物学的な特徴が、現代の日本では通用しなくなつたという事実が示されている。(p.130~p.131)
p.165 に、図表5に示した とあるが、図表5は p.58 にある。この後三箇所ほど同様のことが、ちょっと不親切。
戦前、東京には35の区があった。これが23区に統合されるのは戦後間もないこと。まだGHQに占領されていた時代で、アメリカ的合理主義一点張りによる、伝統や文化などお構いなしの再編整理が行われた面は否定できない。千代田区は、このとき旧麹町区と旧神田区が合体して誕生した。旧麹町区は、ビジネスの中心の丸の内や大手町、政治と行政の中心の永田町や霞が関を含むが、これらは江戸時代には大名屋敷の集積地で、九段も番町も麹町も、このルーツに連なるお屋敷まちだった。一方、神田エリア(旧神田区の範囲)は、江戸時代から庶民のまちで、両者はまったく性格を異にする。戦前戦後を通じてお屋敷まちの道を歩む麹町エリア(旧麹町区の範囲)と比べ、神田は一貫して商売のまちだ。(p.168)

★★★ シャルリとは誰か? エマニュエル・トッド
エマニュエル・トッドが著者の一人である「グローバリズムが世界を滅ぼす」という本が面白かったので、読んでみました。グローバリズム、EUに懐疑的で、主張に共感できたからです。内容が難しいので読みづらくて大変でした。翻訳もよくないと思います。後置修飾を日本語ではほとんど前に持ってきているのです。また、訳注も少しは付いていますが、様々な用語が説明なしにポンポン出て来ます。それを調べないことには理解できません。例えば、ドレフュス事件、昔世界史で習ったものですが、忘却の彼方です。で、苦労しましたが、なかなか興味深いものでした。昨年のシャルリ・エブド襲撃事件(2015年1月)の後に行われた大規模デモについての分析がこの本の内容です。表現の自由を掲げてはいるが、排外的で差別的だと言っています。以下の引用が面白いと思ったら実際に本を読んでみて下さい。
私の態度はフランスではきわめて異端的と受け取られましたが、AFPの記事は私に贈り物をしてくれていました。その記事は、私の態度が、他者の宗教を頭(あたま)から批判することには消極的な日本人の態度に近いということを示唆するフレーズで締めくくられていたのです。かくして私は、フランスの思想論争劇場の舞台に独りぽっちでではなく、一億三〇〇〇万人の日本人に暗黙のうちに支持されているかのような形で再登場したのでした。そのとき私は、自分にとって日本が何であるのかを意識しました。日本は私にとって、知的な足場の一つであり、心理的安定の拠り所なのです。(p.4)
フランスでは、宗教と人びとの暮らし方がいっしょに推移する。宗教の実践は、その大部分が一九六〇年から一九九〇年までの間に潰え去った。出生率も低下した。一九五〇年には女性一人あたりの子供が三人だったのだが、それ以降は二人に減った。この変動には、子だくさんのカトリック教徒の家族というものの消失も含まれていた。生まれてくる子供たちの内、婚外子は一九六〇年には五・五%だったが、今日では五五%に達している。フランスは、三〇年、四〇年前にはカトリック教会がなお重きを成す国だったが、今では、国民の信仰と暮らしぶりから見て懐疑論者たちの国になっている。(p.47)
イスラム教の悪魔化は、完全に脱キリスト教化した社会に内在する必要性に対応する。この仮説なしには、多めに見積もってもこの国の住民のわずか五%、しかも社会的に最も弱く、最も脆い立場にある五%の人びとにとって尊敬の対象であるムハンマドという宗教的人物を諷刺する権利を絶対のものとして主張するために、数百万もの世俗的・非宗教的人間がゾンビ・カトリシズムの大統領を先頭にして街頭を行進する、などという事態は理解できない。(p.87)
個人は弱いのに、システムは強い。フランソワ・オランドのようなある人物が、単一通貨への信念の痕跡を、差異主義的な家族の伝統の名残を、そして、移民の子供たちがネイションの一員になることなど別に優先事項ではないという漠然とした考えを持っていても、それは大したことではない。しかし、五〇万人のフランソワ・オランドが毎日顔を合わせ、互いに模倣し合っていたら? そしてそれが一〇〇万人規模で、あるいは数百万人規模で行なわれたらどうなるのか? そこに出来上がるマシンなら、ユーロに対する信念と「イスラム教徒の異質性」に対する信念を合体させて、とてつもない規模で生命を排除したり破壊したりしかねない頑迷で強力なイデオロギーに仕立て上げることができる。(p.224)
すべての宗教に関して言えることだが、特定の宗教があらゆる時代、あらゆる状況で進歩に対立すると主張することなど、何によっても正当化されない。それどころか、プロテスタンティズムとユダヤ教という、聖書に基づいていて、非常に文化水準の高い諸民族を輩出したこの二つの宗教が示すのは、社会の発展の中で、信仰のほうが教育の大衆化に先立つということだ。(p.255)
いずれにせよ、国民戦線(フロン・ナショナル)への投票と都市郊外の反ユダヤ主義の間にあまりにも明らかに存在する差異を超えて、いずれの場合にも、同化したり融け合ったりすることが一時的に阻外されることで、普遍主義がレイシズム〔人種主義〕として現れてしまう、という啞然とするようなメカニズムにわれわれは直面する。社会構造のより上層部では、不平等の接頭に支えられて、シャルリが平然として超然とする価値を語り、それらの価値の名において、平等主義的でありながら逸脱してしまっている二つの民衆グループを断罪することができる。すなわち、レイシスト〔人種主義者〕というふうに捉えられる国民戦線(フロン・ナショナル)の選挙民たちと、反ユダヤ主義者と見做される移民二世たちである。ところが、ほかでもないその中産階級が、後ろめたさをいっさい感じずに、実際にはエゴイズムと軽蔑心を繰り出し、社会の下部が壊症(えそ)に罹って病んでいくことを許容し、日々さまざまなカテゴリーの人口を社会的に周縁化しているのであって、その周縁ではフラストレーションと怒りが蓄積している。反レイシズムの心情告白を超え、反ユダヤ主義と闘うという政府の反復的な公約を超えて、巨大な社会的玉突きゲームの果てに、シャルリがイスラム教のフランス人たちを冷遇することによって、ユダヤ系フランス人たちを危険に晒すことに成功している、というのが真実だ。そして、人びとの生活の現実に対して鈍感で冷酷な経済政策の下、シャルリはその成功の道をなおも歩んでいく。(p.267)
理解すべきは、仮に一部の若者たちが「意味」に飢え、「宗教的なもの」に飢えているとすれば、イスラム教を罪あるものとして標的にするのは、その若者たちにイスラム教を現実からの理想的な脱出口のように見せるだけだ、ということである。年寄りの目には実に厄介な問題と見えるものが、若者の目には実に素敵な解決策と映る。もし、メディアでしばしば解説されているように、途方に暮れた若者にとって本当にイスラム教が悪夢の展望となりつつあるのだとすれば、それなら、高校で生徒たちにライシズム〔世俗至上主義〕という新しい宗教を吹き込もうとするのも、市民奉仕活動に学生や失業者を動員するのも、若者を次々に刑務所に放り込むのも、彼らが出て来るところを尾行するのも、事態の深刻化にしかつながらない。(p.282)
未来のシナリオ2 共和国への回帰――イスラム教と折り合いをつけること
もちろんこのシナリオは、ナショナルな自由が再度見出された文脈においてでなければ意味を持たないだろう。ユーロからの離脱なしには、まともな経済政策は不可能で、失業率を下げることはできず、経済的に最も脆い者たち――イスラム教文化圏出身であるとないとを問わず若者たち――の状況改善も考えられない。ヨーロッパ主義とイスラム恐怖症は今や利害を共にしている。対称的に、イスラム恐怖症と反ユダヤ主義の制御は、ヨーロッパ主義の泥濘(でいねい)からの脱出なくしては考えられない。
(p.286)
男女関係におけるイデオロギー的なきまじめさの不在は、その上にものを打ち立てることのできるいっぱしの台座だ。フランスがフランスであり続けられるのはこのようにしてであって、間違っても、冒瀆に関するイデオロギーを耕すことによってではないし、ライシテ〔世俗性〕の優先的擁護の名において公民教育に邁進するよう鼓舞することによってでもなければ、その他諸々の、大仰な空文句によってでもない。フランスはもしかしたらいつの日か、現下の袋小路から抜け出すかもしれない。なぜなら――神さまよ、ありがとう!――フランスは決して完全にはまじめでないから〔つまり、きまじめではないから〕だ。私は長い間、あらゆる出身の移民――ユダヤ人、アジア人、イスラム教徒、黒人――を同化する自分の国の能力に絶対的な信を置いていた。今、白状しなければならない。少し以前から、疑いが私の内に忍び込んできている。パリはおそらく、いろいろな困難にもかかわらず、やはりいつの日か地球上の驚異の一つとなるのだろう。世界中のすべての民族の出身者らが融合する街、ホモ・サピエンスが地球上のいたるところへ分散したときに分かれて、以後一〇万年以上分かれていた表現型(フエノタイプ)の数々がついに混ぜ合わされ、かき混ぜられ、再組成されて、あらゆる人種意識から解放された一つの人類に再構成される、そんな新たなエルサレムになるのかもしれない。しかし、たとえフランスが何とか本来の姿に立ち返れるとしても、それまでの道のりは、私が二〇年前に想像していたのよりも遥かに混沌としていることだろう。私の世代が約束の地を見ることがないだろうことば、すでに確実である。(p.297~p.298) これが本文の最後です。
この本の日本での出版は、2016年1月、フランスでの出版が何月なのかは判りませんが、本の冒頭、「日本の読者へ」、の最後に、二〇一五年一〇月二五日、の日付があります。本の最後には・・・
日本の読者へ――パリISテロ事件を受けて
『シャルリとは誰か?』にはフランス社会の危機についての分析を提示しておいたのですが、二〇一五年の終わりに、その分析の正しさが悲劇によって確認されました。一一月三一日、前例のない規模のテロ攻撃がパリで起こり、死者が一三〇名にも及んだのです。
またも都市郊外で育った移民系の若者たちによる犯行だったのですが、このたびは、ベルギー由来の要素も関与していました。ベルギーには、正真正銘の共同体主義が存在しています。(p.300)
この文章の日付は、二〇一五年一二月八日、です。

★★★ 天国でまた会おう(下) ピエール・ルメートル
面白い本で、充分楽しめました。(下)のはじめ辺りに、ストーリー的に私の好みに合わない所もありましたが、まあ些細なことでしょう。終わりの方は一気呵成に話が進行し、圧巻です。結末もほとんど不満が残らず、不思議な満足感があります。著者が「終わりに・・・・・・」で、「"史実"に基づいたこの小説が含む虚構」と書いていて、半分は史実、半分はフィクション、だそうです。その区別は重要ではなく、見事に真実らしく作られた世界に浸ればいいと思います。あまり書くとネタバレになるので、この辺りでやめておいて、実際に本を読むことをお薦めします。

★★★ 天国でまた会おう(上) ピエール・ルメートル
「その女アレックス」が面白かったので、読んでみました。2015年10月出版の文庫本ですが、単行本と同時だそうです。なぜでしょう? 因みに、単行本は、582ページ、3200円、文庫本は、上、334ページ、下、321ページ、各740円。私は例によって図書館で借りました。上は、申し込んで3ヶ月近くかかりましたが、下は2日で来ました!
第一次世界大戦が終わろうとしている戦場から物語は始まります。三人称で語られ、主人公は一人ではなく、三人のようです。一九一八年十一月、一九一九年十一月、一九二〇年三月、の三つの部分からなっています。上は一九一九年十一月の途中で終わっていて、この先どうなるのか読めません。下が楽しみです。
それじゃあ、さよなら、天国でまた会おう、セシル。ずっとあとで。(p.37)
(上)で、天国でまた会おう、が出て来たのはここだけだと思います。ここで使われているのには意味があるのか・・・?

★★★ ヨーロッパから民主主義が消える 川口マーン惠美
著者は、シュトゥットガルト在住。タイトルからしてセンセーショナルな本を書いているというイメージを持っていた。あまり読む気はなかったのだが、何処かで推薦されていたので挑戦してみた。大まかにいうと、イメージ通りだが、読ませる力はある。主張の根拠となるものが示されていないことが多く、主観的なもののような印象を与え、説得力に欠ける所が残念。そのあたりを割り引いても、今ヨーロッパは大変な状態になっているようだ。ギリシャに顕著に表れている経済格差、そしてテロと難民問題。さらに、民主主義の問題。ヨーロッパだけではなく、日本を含め世界中に問題山積です。
一九八一年、ギリシャはEC(欧州共同体)に加盟した。ユーロ加盟は二〇〇一年だ。その際、巧みな粉飾があったことは、いまでは皆が知っている。ただ当時、誰も何も知らなかったとは思えない。感づいてはいたが、ヨーロッパの祖であり、民主主義の本家であるギリシャをECに加えたいばかりに、みてみぬ振りをしたのではないか。忘れてはならないのは、冷戦下において、ギリシャは南欧を共産主義の伸長から防衛する重要な砦(とりで)であったことだ。当時、ギリシャの隣国は、ことごとく社会主義を標榜(ひょうぼう)していた。同時にギリシャはイスラム文化圏に対する防潮堤でもあった。一四五三年から一人二九年までオスマン帝国に乗っ取られていたこの国が、再びイスラムに引き摺られるなどあってはならない。そのためには、全面的に支援するほかはなかったのだろう。ギリシャの攻防は、十字軍の意地の再現ともいえる。こうして一九八一年、ギリシャの加盟によって、ECはようやく「ヨーロッパ」としての体裁を整えたのであった。(p.5)
ドイツ製品が世界市場で他国の製品と競合するとしたら、最終的にはやはりハイテクの madein Japan しかない。ドイツ人と日本人は、センスではイタリアに、進取の気質ではアメリカに引けをとるところがあるかもしれないが、よいモノづくりにかけてはつねに世界一を争ってきた究極のライバルである。それにもかかわらず、日本人はドイツ人を好意的にみてきたし、いまもみている。敬意を表してもいる。ところがドイツ人は、それが鼻の差であれ、日本人が彼らの後塵を拝しているあいだは好意的だが、彼らを超えることは絶対に許さない。昨今ますます猛々しくなっているドイツ人の日本攻撃は、もとを正せば、日本がGDPでドイツを抜かした一九六人年に始まったのだと、私は思っている。ドイツ人にとって日本がライバルではなく、小癪(こしゃく)な国になってすでに久しい。技術大国ドイツの人々の複雑さは次のようなところにも表れる。彼らは絶大な技術力を誇りに感じっつ、技術そのものに対する不信の念をどうしても拭(ぬぐ)いきれない。つねに人間のほんとうの幸福は、技術の進歩を追い求めることではなく、自然と共存して生きるところにあるのではないかと考えている。彼らにとっての理想の生活とは、物質文明への貢献ではなく、そこからの離脱なのだ。自然回帰は彼らの大いなる夢である。(p.124~p.125)
美しい理想で始まったEUは、難民というかたちで内外格差が可視化された途端、当初の目標であった統合はそっちのけで、各国がそれぞれ自国の利益を死守しようと懸命になっている。難民問題は、善意や人道主義では解決できない。怒涛のように迫り来る彼らの姿は、EUがとんでもない袋小路に入り込んでしまった事実をはつきりと示している。(p.178)
おそらくEUとは、実際に排他的な性格をもつものなのだ。たまたま日本のパスポートが強いので、日本人はそれをあまり感じないにすぎない。そもそもEUは営利団体だ。特定の人々が結束し、自分たちの特典を維持、あるいは強化することが目的で、それはいわば特権的なものだ。しかもEUの場合、どこでその特権が有効かというテリトリーがはつきりと定められている。こうしてつくられた団体のメンバーは、テリトリーのなかでは、互いの協力や協調を前面に出すので、平等で民主的な心地よい雰囲気に浸ることができるかもしれない。しかし一方で、団体というものは、その外側にいる人々を疎外することで成り立つ。つまりEUという団体は、閉鎖的であるからこそ、その意味をなしているのだ。(p.183~p.184)
いま、フランス国民の約八割が、テロ対策を強化するためなら、自由が少々制限されても仕方がないという意見であるそうだ。民主主義の元祖フランスは、民主主義に自信があるから、その取り扱いに柔軟なのだろうか。一方、それがたとえテロを防ぐためであっても、国民の権利を侵害することは絶対に許されないと主張しているのがドイツだ。この対比がまことに興味深い。ドイツは民主主義の原則を崩せない。なぜか? ドイツの民主主義は、全体主義の否定から出発したため、民主主義を少しでも緩めると、あっという間に全体主義に戻ってしまうという不安を、国民が心のどこかにもっているからだろうか。もしそうだとすれば、日本でもまさにそれと同じ現象が起こlっている。民主主義を緩めれば、日本はまた戦争を始めるという意見は根強い。だから、状況に適応できない。真実もみえない。戦後七十年間、戦争もせず、世界のどの国よりも民主主義に忠実だったドイツと日本が、揃って民主主義のドグマに陥っているとすれば、それは奇妙なことだ。(p.198~p.199)

★★ 太宰治の辞書 北村薫
著者の本は昔、「リセット」を読んだ。全く記憶に残っていない。何となく難しいことを書くというイメージがある。内容的にはイメージ通りだったが、文は非常に読みやすく、意外だった。私の勝手な思い込みだろう。この本は、「花火」、「女生徒」、「太宰治の辞書」、の三編からなっている。著者の分身と思われる「私」の語り、出版社で編集の仕事をしている。男だと思い込んでいたら、女性でした。仕事がらみで、太宰について調べる、というのがこの三編の内容。面白いといえば面白い。そこまで追求するかと感心する、が、なぜそこまでなのかに説得力が弱い、そこが迫力に欠ける所ではないか。
津島修治(つしましゆうじ)に近づく道は、太宰治から遠ざかる道にもなる。起こったことだけを書き、起こらなかったことを書かなければ、それは《歴史》になってしう。(p.130)
後半の文章、何処かで読んだような気がする。
以下は、書物探索のついでに寄った、萩原朔太郎記念館の場面。
「天景」のリズム、「蛙の死」の《帽子の下に顔がある》など、朔太郎の言葉はどれも忘れ難い。そして、「およぐひと」は私に、本というものの奥深さを教えてくれた。
 およぐひとのからだはななめにのびる、
 二本の手はながくそろへてひきのばされる、
 およぐひとの心臓(こころ)はくらげのやうにすきとはる、
 およぐひとの瞳(め)はつりがねのひびきをききつつ、
 およぐひとのたましひは水(みず)のうへの月(つき)をみる。
中学生の私は、これを何度も声に出して読んだ。
太宰の「ロマネスク」の中に、《水のなかにはいっても濡れないものはなんじゃろ》という謎なぞが出て来る。答えは影だ。人の形を写すものが影なら、朔太郎の形を写した「およぐひと」の影は――言葉は濡れている。手にはつかない、いいようのない濡れ方だ。読む時、私は、特別な水の中にいた。そして『月に吠える』の復刻本を開いた時、私はさらに驚いた。「およぐひと」は左ページにあり、題名と四行が刷られている。一枚めくると、最後の行が待っていた。
 およぐひとのたましひは水(みず)のうへの月(つき)をみる。
と。
左のページは《待て》といい、裏にこの一行を隠していた。『月に吠える』は朔太郎が、田中恭吉(たなかきよきち)の絵を入れることを含め、心をくだいて作った本だ。この配置に、意志のない筈がない。書斎に飾られているのは、蝶ネクタイを締めたマンドリン演奏家朔太郎の写真だ。音楽や映画は、聴く時間、観る時間を作り手が決める。本の場合はどうか。どれくらいかけて味わうかは、読み手にゆだねられる。速読する人もいる。だが、演奏者朔太郎は、指揮者が棒を止めるように読み手を制御する。本には、こういうことも出来るのだ。情報である本にも、勿論、意義がある。多くの本がそうだろう。しかし、五行詩「およぐひと」――という情報だけではない、『月に吠える』という本の形でしか受け止めることの出来ない表現もあるのだ。広くいえば、活字の大きさから紙の質、手触りまで、そこに含まれるだろう。演奏によって音楽は、その色合いを変える。それこそが、本を手に取るということだろう。(p.201~p.202)

★★★★ 日本精神史(下) 長谷川宏
興味深い本でした。日本人の物事のとらえ方、考え方、深層心理がこのようなものだったであろう、と結構納得しながら読みました。特に「もの憂さ」は通奏低音のように連綿と流れているのではないでしょうか。その点で、最後に「東海道四谷怪談」があるのには変な感じで、これで終わってはいけないと思いました。
日本精神史を江戸の終わりまでたどったとなれば、当然、そのあとの日本近代の精神史はどうなるかが問われよう。すでに老境にある身だが、気力と体力が許せば、近い過去の精神の流れをも跡づけてみたい。(p.521)
あとがき、にこう書いてあります。期待して待ちます。

目次
第十九章 『新古今和歌集』と『愚管抄』――乱世を生きる貴族の誇り 第二十章 『平家物語』――戦乱と滅びの文学 第二十一章 御成敗式目――新興武士の合理性 第二十二章 「一遍聖絵」と「蒙古襲来絵詞」――遊行と死と戦闘 第二十三章 『徒然草』――内省と明察と無常観 第二十四章 『神皇正統記』――敗北の書のリアリズム 第二十五章 能と狂言――幽玄と笑い 第二十六章 禅の造形美――鹿苑寺金閣と慈照寺銀閣と龍安寺石庭 第二十七章 山水画に宿る霊気――「那智滝図」と雪舟と「松林図屏風」 第二十八章 茶の湯――わびの美学 第二十九章 装飾芸術の拡大と洗練――宗達と光琳 第三十章 江戸の儒学――伊藤仁斎・荻生徂徠を中心に 第三十一章 元禄文化の遊戯とさびと人情――西鶴・芭蕉・近松 第三十二章 南画とその周辺――池大雅と与謝蕪村 第三十三章 本居宣長――国学の立場 第三十四章 浮世絵の成立と展開――春信・歌麿・写楽・北斎・広重 第三十五章 鶴屋南北『東海道四谷怪談』――悪の魅力

『新古今和歌集』が、現実離れを承知の上で、三十一文字(みそひともじ)に技巧を凝らし、余情の漂う幽玄な虚構の世界作り上げようとする集団の試みだったとすれば、『愚管抄』は、みずから政治支配層に属する一知識人が、現実政治の動向に広く目配りをし、過去の時代にも遠くさかのぼって、世の中を動かす普遍的な「道理」を見出そうとする、現実認識の試みだった。(p.21~p.22)
武力をもって支配階層の一角をなすに至った武士は、現実世界においても扱いのむずかしい厄介な存在だったが、文学の世界においても、どう叙述すれば物語としてのまとまりが得られるのかを問わずにはいられぬ、厄介な存在だったのだ。そのとき、無常観をもって物語全体の基調にするという文学的構想は、武士にたいする嫌厭(けんえん)の情と職烈(しれつ)な好奇心が渦巻く世情にあって、これ以上のものは望めないほどのすぐれた構想だった。この構想があったからこそ『平家物語』はスケールの大きい叙事文学として実を結ぷことができたし、後世の詩歌や散文や舞台芸術に数多くの素材を提供することができたのだった。無常観は、乱世の現実と、新興武士たちの興亡と、琵琶法師の語る物語世界とを、三つながら刺しつらぬくものとしてある。四方に遠く広がる外面の世界にも、人びとの胸に広がる内面の世界にも、滅びの実感と予感が行きわたっているというのが、時代の精神のありさまだった。(p.56)
『神皇正統記』は政治的にはまぎれもなく敗北の書であり、挫折の書であると断ぜざるをえない。が、政治的な敗北や挫折は必ずしも歴史の書を価値なきものとするゆえんではない。敗北や挫折のうちにかえって歴史や社会の真実があらわれることも稀ではない。人間の歴史とはそうしたものだ。親房が血筋の連続性や天照の神勅や三種の神器の護持に天皇支配の根拠を求めるといった神話的観念を相対化できたのも、鎌倉時代における朝廷・公家勢力の敗北ないし衰勢の事実を直視しえたからであった。『神皇正統記』は「大日本者神国也(おおやまとはかみのくになり)」ということばをもって始まる。高い調子の宣言が最初に置かれ、続いて天皇支配の絶対的正統性をいうための神話が提示されたのちに、天皇の神的権威に疑問を抱かせるような史実が引かれ、親房はそれらの史実と格闘する。史実は神の不在を思わせ、天皇支配の絶対的正統性を揺るがす要素を多分にふくみ、時代が同時代に近づくにつれ、その傾向はいよいよ強まるのだったが、親房は、史実に向き合って疑問を抱く姿勢、疑問を解こうとする姿勢を崩さなかった。イデオロギー臭が強く、信条告白めいた表現も少なくなく、また、敗北と挫折の予感をもかかえこんだ歴史書のなかに、歴史の真実を求めて苦闘するひたむきな知性が働いていること、――それが矛盾に満ちたこの本の魅力の源だといえるように思う。(p.147~p.148)
「老後の初心」という表現がおもしろい。初心とは、事を始めるに際して当人の経験する心の状態ないし心の方向性をいうが、長く能をやってきた老後にも「老後の初心」があると世阿弥はいう。「なにもしないという以外に手がない」(原文は「せぬならでは手立(てだて)なし」)というのがそれだ、と。老後には老後ならではの課題があらわれ、その課題に取り組む新鮮な志が老後の初心と呼ばれる。しないというところに向かって努力を重ねるのが老後の課題だ。(p.174)
面をつけないで登場し、奇抜な衣裳を身につけることもなく、メーキャップもどぎつくばない太郎冠者は、ヨーロッパの芝居に登場するピエロなどと比べると、日常性に根ざした地味な道化役だといえるが、同じ舞台で演じられる能との兼ね合いをたえず意識することによって、笑いの質の卑俗化をまぬがれたのだった。能の幽玄とは趣きを異にする、滑稽さやおかしみをねらいとしながら、その笑いは人間を卑しめるような冷たい笑いではまったくなかった。人間の失敗や愚かさや欲念や浅知恵をおもしろがりながら、それが人の世というものだ、それでいいのだ、と観客が半ば納得でき、もって多少とも生きる元気があたえられるような、そんな笑いだった。同時にそれが、後に続く能を新たな気分で見る心境へと観客を誘うものであったことは、いうまでもない。(p.185)
大自然の神々しさは、時間を過去へとさかのぼれば太古の自然信仰にまでゆったりとつながるが、時間を反対方向に進めば、いまのわたしたちの自然観にまで接続する。人類の歴史は自然のうちに人間の力を及ぼし、自然を人為的なものに、文明的なものに転じていく歴史だったといえようが、わたしたちが自分にとってもっとも身近な自然である身体をもって ――身体とともに――現実を生きているかぎり、人類の歴史において自然が失われることはありえない。どころか、奥深い自然は身心に限りない安らぎをもたらす魂のふるさとのごときものとして、わたしたちのうちに、そして外にある。「那智滝図」が表現するのはそのような大自然だ。(p.216~p.217)
豪華で、稀少で、形の整った、完璧な物にたいして、簡素で、粗末で、ありふれた、渋い物をよしとするのがわびの美学だ。その美学が茶にたずさわる人びとの共同の美意識となるについては、かつての茶寄合が舶来の唐物をむやみに珍重し、婆娑羅(ばさら)の風にのめりこみさえした、そうした過去への反動という面が小さくなかった。また、圧倒的な力をもつ中国文化をたえずお手本として仰ぎみる島国の文化にとって、完壁な美を具えた、堂々たる理想形にたいして、それをあえてゆがめた、不完全な形のうちに美を見出すことが、みずからの主体性の発揮であり、存在理由の確認でもある、という面も小さくはなかった。形のゆがんだ茶碗や、釉(うわぐすり)の乱れた茶碗をよしとする茶の湯の美意識は、遠く飛鳥時代の、左右対称の形を崩した法隆寺西院の伽藍(がらん)配置を生み出した精神の傾向に通じる美意識なのだ。(p.256)
儒教が中国宋代の朱子学の登場によって体系的な思想へと面目を一新したことも、日本で広く受け容れられた遠因として逸するわけにはいかない。栄子学の新しさは、長く体制教学として思想史の主流をなしてきた儒教を、哲学的に再構築すべく綿密に検討し、首尾の整った壮大な思想体系として構築したところにある。壮大な体系は、存在論と人間論と修養論と統治論とを主柱としてなりたっていた。(p.290)
残酷さば目を覆いたくなるほどだが、あえてそこにまで踏みこむのが近松の作劇術だった。演じるのが生身(なまみ)の役者ではなく、木と布で作られた人形であることが残酷な舞台を見やすくしているのはいうまでもなく、こちらの思い入れ次第で残酷さが重くも軽くもなることが、観客にとっての救いとなる。演じるのが人形であることによって残酷さが非現実化され、観念的な残酷さへと昇華される。人形の演じる残酷な心中の美しさが、劇の大当たりの原因の一つとなり、以後、近松は同じょうな残酷場面をくりかえし舞台に乗せることができたのだった。(p.360)
牡丹(ぼたん)散つて打(うち)かさなりぬ二三片
(散り始めた牡丹、花びら二三片が地上に落ちて重なっている)
夕風や水音鷺(あおさぎ)の脛(はぎ)を打つ
(夏の夕(ゆう)べ、風に波立つ水が青鷺の暗緑色の脚を打っている)

(略)
二句は目の前の場景をとらえた写生句と見えるが、そういい切っていいものかどうか。写生句というには場景の美しさ、とりわけ色彩の美しさが強くせまって来すぎはしないか。こういう場景を蕪村が、いつか、どこかで目にしていたとしても、その経験から句が出来上がるまでには隔たりがある。構想力や美意識が割りこんで働く隔たりだ。蕪村を写生の名手だというのはやはり不正確な評言といわねばならない。二つの句は場景を写したというより、場景を美しい世界へと構成したものであり、しかも構成の手つきを、いいかえれば、句が人工世界であることを、隠すことのない句だ。(p.392)
言(コトパ)の大切さを意(ココロ)とのつながり、事(コト)とのつながりにおいて述べている。『古事記』に即していえば、「意(ココロ)」とは、古代人の心の動きと古語の意味とを合わせふくんだものを指し、「事(コト)」とは、文字に記された古代の出来事ないし事柄を指すと考えられるが、その「意(ココロ)」や「事(コト)」と区別されつつ、本質的につながっているのが「言(コトパ)」だ、と宣長はいうのだ。(p.412)
大衆芸能としての歌舞伎はもともと誇張、歪曲、不自然をおのれの程として発展してきた演劇活動である。女歌舞伎から若衆(わかしゆ)歌舞伎へ、若衆歌舞伎から野郎歌舞伎へと変わっていく発生期から、京都、大坂、江戸の三都で定期興行のなされるのちの時代に至るまで、人目を驚かす誇張、歪曲、不自然は、歌舞伎にとって欠くことのできぬ大切な表現法だった。男が女役を演じる女形にしても、派手な衣裳にしても、どきつい化粧にしても、目を欺(あざむく)く仕掛けにしても、誇張、歪曲、不自然の要素をふくまぬものとてなく、それらを大胆に取りこんで、しかもいかに美しく、おもしろく、楽しく見せるかに歌舞伎の歌舞伎たる面目があった。写楽の措く「大谷鬼次の奴江戸兵衛」の誇張、歪曲、不自然は、まさしく歌舞伎のそのような面目に寄りそうものであって、だから、そこにあるのは歌舞伎からの逸脱ではなく、歌舞伎の本質にせまる表現だった。(p.444)
役者は、自分以外のだれかを演じるというそのことだけで、すでに自然体ではいられない。なにほどかの不自然な緊張を強いられる。名優といわれるには、不自然な緊張をばねに自分の体を非日常的な存在の次元へと押し上げ、観客の日を引きつけてやまぬ独自の演技を披露しなければならない。(p.446)
幕藩体制のあちこに綻びが生じ、どこかに常軌を逸した激しい行動や企てがあれば、それが悪へと転化し、悪の連鎖を生みだしかねない。そういう不安定さにつきまとわれた時代に南北は生きていた。同じ時代を生きた北斎や広重は、人間世界を大きく包みこむ自然の美しさを風景画として表現したのだが、劇作家たる南北は、時代の可能性としてある悪の連鎖に人間の生のふしぎさと対立・葛藤の美しさを見てとったのだった。悪のふしぎさであり美しさである以上、それは暗くくぐもったふしぎさであり美しさであるほかなかったが、南北はそのふしぎさと美しさの表現に劇作家としての情熱とエネルギーを注ぎこんだ。注ぎこんで虚無の終末へとたどりついた。虚無の先に南北はなにを見ていたのだろうか。虚無のあとになお残るものとしては、善悪を超えた自然と日々の暮らしがあるのだろうが、南北にはたして自然へと、日常へと回帰していこうとする思いがあったかどうか。さらにいえば、南北の時代からすでに二〇〇年近くを経過した現代のわたしたちの日には、虚無のあとに近代の名で呼ばれる文化と精神のすがたが見えてくるが、南北や同時代の人びとにそれが見えていたのかゝどうか。時代は大きく変わろうとしていた。(了) (p.492)

最近このような本を読むと、著者に物凄く尊敬の念を抱きます。才能は勿論必要でしょうが、執筆のために費やした労力はいかばかりのものだったでしょう。振り返って我が身を考えると、なんと安逸な生き方であることか。まあどちらがいいかは判りませんが。特に、この著者は東大の大学院まで行ったのですが、学生運動に参加し、ケジメをつける為大学を去り、その後は学習塾を経営しながら哲学の研究を続け、翻訳や著作を行っているという驚くべき人物です。私自身の残された人生を考える時、様々な刺激を貰いました。

★★★★ 私の1960年代 山本義隆
著者は我々世代には知らない人はいないと思われる、東大全共闘代表だった人です。これまで彼の書いた本を読んだことはないのですが、私自身を振り返る為、読んでみました。年齢的には7・8歳上ですが、同じ時代の空気を吸った為か、書いてあることにかなり共感できました。さらに、明治維新以降の理科系学問史はとても興味深いものです。そして、原発や公害などの問題に対する指摘には、人類愛に満ちたものが多くあります。
福島の原発事故ののち、ドイツとイタリアは「脱原発」を表明しまLた。これは将来的に核武装をすることはないという国際的メッセージなのです。それにたいして日本政府は事故後も原発に固執する姿勢を崩していません。そのことは、外国からは、日本が核武装の野心を棄ててはいないと見られることであります。外国から見られるというだけではなく、日本の支配層の本心でもあると、私たち自身も見るべきなのです。(p.28)
内藤初穂『海軍技術戦記』からの引用:
徳川幕府の開国が一八五四年、そして、明治維新の勃発が一八六八年――。一九世紀の後半といえば、時あたかも欧米の科学技術文明がすぐれた成果を生み始めたばかりの時期にあたっている。維新日本は、このタイミングのよさを利して、できたばかりの成果を、できた端から消化、吸収して、近代化をおし進めた。もしも開国や維新が五〇年早かったならば、吸収すべきものはまだ用意されていなかったろうし、五〇年遅かったならば、吸収すべきものがあまりに多すぎて、あれほど要領よく物にするわけにはいかなかったろう。(p.174)
社会科学や人文科学の研究者は、戦時下で学問研究の自由の抑圧を経験した人が少なくありませんが、工学部や理学部の教授や研究者たちにとって、戦争中はわが世の春だったのです。(p.199)
敗戦によって戦争責任が問われたとき、戦意高揚の言説を発していた文科系の知識人や作家たちは後ろめたい思いをもって沈黙し、あるいは糾弾されました。良心的であればあるほどファシズムへの協力が負い目になったのです。しかし、同様にファシズムに協力し、国策にのって意気揚々と科学振興を叫んでいた理科系の学者たちは、戦後も我こそは近代文化国家・民主主義国家建設の担い手であるとして、おなじように胸をはって科学賛歌を歌い続けることができたのです。(p.222~p.223)
原子炉には、重大事故を最終的に止める目的で緊急炉心冷却装置(ECCS)が装備されていますが、それが本当に設計どおりに作動するかどうかを実験的に検証することはできません。実際にさまざまな条件下で実験して、一度でも設計どおりに働かないことが示されたならば、それは大事故に直結するわけで、とても実施することはできず、それゆえその検証はコンピューター・シミュレーションによる模擬実験でしかおこなえません。(p.252)
河宮信郎『必然の選択 地球環境と工業社会』からの引用:
高放射性廃棄物を今後数万年保管するための資本・労力・エネルギーを発電電力から控除して積み立てれば、〔原発の〕有効エネルギー収支はマイナスになる可能性が高い。目下、原子力はこれらを不払い(後続世代へツケをまわすこと)にすることで、かろうじて存在理由を保っている。(p,262)
資本主義であれ社会主義であれ高度に工業化された社会において、経済成長・国際競争のための産業技術の開発のために、軍事力の強化のために、そして国威発揚のために、基礎科学であれ応用科学であれ科学が必要不可欠な要素として組み込まれているこの時代に、科学者である、技術者であるということは、そのことだけで体制の維持にコミットしていることになります。私たちが、いや、私が行き着いたのは、その情況を踏まえるかぎり、体制への批判は同時に自分自身の存在への批判でなければならないという点でありました。その当時語られ、そして私自身も語った「自己否定」という言葉は、現在では、正直、多少気恥ずかしい想いもありますが、しかしその当時私たちがその言葉にこめた、体制にコミットしている自己の否定という想いは、今でも重要と思っています。(p.275)
この本を読んで、著者の人となりがよく判りました。基本的に真面目で、自己の思いに忠実に生きてきた、のでしょう。当然私の考え方とは違う所もありますが、彼の人生はとても充実したものだろう、とある意味羨ましく思います。

★★★★ 日本精神史(上) 長谷川宏
500ページ近い本である、が、とても興味深い内容で、読ませる力に満ちている。以下、引用ばかりですが・・
考察の素材として選びとったのは、美術と思想と文学の三領域に及ぶ文物と文献である。わたしが若い頃から親しんできたこの国の造形品や書物が主としてその方面に属するものであり、三領域に目配りすれば、政治史や社会史とは類を異にする時代の精神のおおよそのすがたを浮かび上がらせることができると思われた。(p.3) 「はじめに」の一部

目次です。
第一章 三内丸山遺跡――巨大さに向かう共同意識 第二章 火炎土器と土偶――土にこめられた美と祈り 第三章 銅鐸――弥生人の共同性 第四章 古墳――国王の威信 第五章 仏教の受容――霊(たま)信仰と仏像崇拝 第六章 『古事記』――その文学性と思想性 第七草 写経――漢字の形と意味の崇拝 第八草 『万葉集』――多様な主題、多様な表現 第九章 阿修羅像と鑑真和上像――天平彫刻二体 第十章 最澄と空海と『日本霊異記』――求道と霊験 第十一章 『古今和歌集』と『伊勢物語』――雅びの世界 第十二幸 浄土思想の形成――仏を念じて極楽に往生する 第十三章 『枕草子』と『源氏物語』――平安朝文学の表現意識 第十四章 『今昔物語集』と絵巻物――庶民の世界へのまなざし 第十五章 東大寺の焼亡と再建――乱世を生きぬく行動力 第十六章 仏師・運慶――その新しい造形意識 第十七草 法然と親鸞――万人救済の論理 第十八章 『正法眼蔵』――存在の輝き (p.6~p.7)

わたしたちがこれまで取り上げた三つの主題――六本柱巨大建造物と火炎土器と土偶――にこめられた人びとの心の動きを振りかえると、それぞれの特徴を大づかみに以下のようにいうことができる。数百人規模の村落で定住生活を送る人びとの、自分たちの共同の力についての意識が、自然と張り合うような高さと力強さをもつ堂々たる形を求めて作り出したのが六本柱巨大建造物であり、次に、暮らしに役立つ実用的な土器の製作に造形の喜びを見出した工人の美意識が、形のあってなきがごとき火の形象化に邁進(まいしん)し、形態と文様の統一を見事に達成したのが火炎土器であり、たいして、日常のさまざまな場面でさまざまな強度をもってあらわれる宗教意識――願いや祈り――が、個々ばらばらなままにおのれの思いを投入できる対象として生み出したのが種々雑多な土偶である、と。(p.36)
共同意識が育つなか、たとえば稲の刈りとりを終えたような仕事のくぎり目に、おごそかに銅鐸がもち出されて集まりがもたれる。人びとは自然の恵みに感謝し、以後も変わらず自然の恵みがあるように祈るとともに、収穫に至る自分たちの共同の努力と成果を喜び、共同の力の持続を祈る。そこに、人びとの共有する一つになった思いがあって、その思いを象徴するものとして銅鐸がある。銅鐸が大型化し、装飾がゆたかになるのは、人びとの共同意識が深化し拡大していくのに呼応する変化だった。大型化し、装飾性を高める銅鐸にこめられたのは、自然の力、自然の恵みにたいする願いや祈りだけでなく、人間の共同の力にたいする願いや祈りでもあった。人間の共同の力を文明と名づけるとすれば、祭器としての銅鐸は文明をも象徴するものとして人びとの前に置かれていた。(p.49)
古墳とはなにか。辞書的に定義すれば「国や地方の支配者を埋葬する巨大な墳墓」ということなろう。精神史的に見てなにより目を引かれるのは、一個人が共同体の祭りの対象となったことだ。人びとは埋葬される一個人のことを思って古墳を造営し、その一個人のことを思って葬儀に参加し、その一個人のことを思って巨大な墳丘をながめやる。人びとの共同意識がそのように一個人のもとに集約される。人びとの願いや祈りが土偶という土製品に、あるいは銅鐸という金属製品に向けられるのと、そこに決定的なちがいがある。一個人が共同体を代表する権力者ないし支配者として明確に登場する時代がやってきたのだ。(p.52)
ことばに霊威を感じる古代人の共同の感性は、漢字ともののイメージを結びつけてとらえる漢字受容の過程で、改めて呼びさまされ、新鮮な働きをなしたにちがいない。音としてのことばば瞬時に消え去るが、文字としてのことばば消えないで目の前にある。その文字に霊威が宿るとすれば、宿った霊威に持続性があたえられるとともに、文字に霊的な輝きが備わってくる。文字を機縁とした新しい言霊信仰の形といってよい。線の図形と、それとは似ても似つかぬもののイメージが結びつくとき、そのあわい(この三文字に傍点)に言霊を信じる共同の感性が大きく入りこみ、漢字を霊的な存在へと押し上げる。漢字がもののイメージに引き寄せられるのか、もののイメージのほうが漢字に引き寄せられて漢字にまといつくのか、そこはどちらとも決めがたいが、結びつきを習得する過程に霊信仰の感性と想像力が働き、そのことによって文字に神聖さが付与されたことはまちがいない。(p.134)
恋の頼りなさ、はかなさ、わびしさを歌った小町や忠岑や貫之の歌のその背景には、この世を生きる「もの憂さ」とでもいうべきものが漂っている。そして、その気分は、『古今和歌集』全体を通じて開きとれる通奏低音だといってよい。この勅撰集の、四人の撰者を初めとする歌人たちの共同の意識なるものにこれまでわたしたちは注目してきたが、その共同の意識の根っこにあるのがこの「もの憂さ」だ。下級貴族、僧侶、宮廷女性を主体とする歌人たちの実生活がもの憂さに大きく覆(おお)われたものだったかどうか、そこは断定が憚(はばか)られる。もの憂さの対極をなす晴れやかさもかれらは相応に感受していたようでほある。しかし、数百年の伝統をもつ和歌の表現のモチーフとしては、かれらにとって、晴れやかさよりももの憂さのほうが格段にふさわしいものに感じられた。かれらの美意識は、もの憂さの表現に向かって大きく開放されていき、その表現領域において、鋭敏にして繊細な感受性を働かせ、多彩な表現力を発揮することが、歌の本道だと考えられた。遊びや社交に類する歌も、基調をなすのはもの憂さの気分だった。(p.272)
堂内の簡素で清浄な雰囲気は堂の外の庭園にまで広がる雰囲気ではあるが、外に出て他のまわりのせまい歩道を散策していると、堂内で感じたような、自分の内面へと押しかえされる気はしない。人工の本堂や池や三重塔を大きく包むまわりの自然に、庭を散策する自分もまた包まれてあると感じられるからだ。自然に包まれて安らぐ心は自分の内面へとは向かわない。(p.317)
浄瑠璃寺
そこには紛れもなく、ことばに触発されて世界を見つめ直す文学の楽しさがある。作者と読者の共有する文学の楽しさがある。そして、その楽しさが随筆という表現の形を一つの文学形式としてなりたたせる母胎となる。(p.343)
枕草子
恋にまつわる政治的・社会的な権勢や栄光の影と、内面的な苦渋や悲哀のありさまとをともども表現することによって、『源氏物語』は人の世の、外への広がりと内への深まりに相捗る類稀(たぐいまれ)な豊饒(ほうじょう)さをもつ文学作品たりえている。人の世の外界と内面の矛盾・対立・抗争・葛藤のうちに人間の真実が宿る、というその人生観は、雅びな恋物語を人間の普遍性の文学的探求へと押し上げる力をもっていた。逆に、こういってもいいかもしれない。恋する男女の幸と不幸、成功と失敗を雅びの物語にまとめ上げることに満足せず、そこに人間としてこの世を生きる真摯なすがたを追いもとめようとする思想的な感性と想像力に恵まれていたがゆえに、紫式部は、貴族社会の表と裏をともども視野におさめるような人間観察・社会観察に導かれたのだ、と。人の世の閣を見つめるそのまなぎしは、『源氏物語』を希望と絶望、喜びと悲しみの複雑に交錯する奥の深い作品へと導く強力な武器となった。(p.360~p.361)
現実の社会で、庶民のそうした力強さ、したたかさば折々に発揮されていたにちがいない。庶民が貴族の支配下にあるのに変わりはなかったが、かれらはもはや陰の世界に引っこんで忍従の日々を送る人びとではなかった。自分の力で自分の生活を組み立て、場合によっては政治の世界にも首を突っこむ存在だった。そういう庶民の存在に心動かされた画家が、絵巻の画面にその力強さとしたたかさを定着させたのが、舎人夫婦の面構えであり、しぐさにほかならなかった。庶民が生き生きと力強いすがたで絵のなかに登場するのが一二世紀後半という時代だった。(p.397) 伴大納言絵巻
法然は生身の人間として親鸞が師弟関係を結んだ相手だ。一二〇七年の法難ではともども僻遠(へきえん)の地に配流(はいる)された間柄だ。師としてどんなに敬意を抱いていたとしても、万人を往生させると誓願し、その誓願を実行する阿弥陀仏と同列に扱える存在ではない。一方が超越的な観念存在だとすれば、他方は血の通った生身(なまみ)の人間だ。現実世界の存在たるその法然にたいして、親鸞は、他力本願の構えを取っている。一切のはからいを捨ててその言をその事まに信じている。だまされて地獄に堕ちても後悔はしない、とまでいっている。法然が生身の人間である以上、法然にだまされて地獄に堕ちる可能性はゼロでほない。ゼロでないのが現実の人間関係のありようだ。その点では、観念的・超越的な絶対存在である阿弥陀仏を信じるのと法然を信じるのとは、やはりちがうことだ。しかし、親鸞はここで、阿弥陀仏を信じるように法然を信じょうとしている。宗教的な信仰の形を現実の人間関係のうちにも構築しょうとしている。危うい試みだ。危うくはあるが、画然と区別されるあの世とこの世にともども真撃に向き合い、あの世の開放感を汚濁のこの世に少しでももたらそうとする宗教者に似つかわしい試みではある。なにより、心から信頼できる師に出会い、心から信頼できる関係を築きえたことに、親鸞が大き喜びを感じているさまが印象深い。絶対的ともいうべきこの信頼は、宗教的な絶対信仰ないし絶対帰依が現実の人間関係に移されたものといえるが、そういう形で宗教と現実が結びつくことに親鸞は宗教家として確かな手応えを感じていたもののごとくだ。(p.473~p.474)
王朝の世界が衰退し、武士の支配力が強まる激動の時代を生きた道元が、世の乱れや人心の荒廃を身近に経験しなかったはずはない。濁世(じよくせ)の実感をもたなかったはずはない。が、その実感をもとに、穢(けが)れたこの世とは次元を異にするあの世を遠望し、万人が――とりわけ救いから見放された人びとが――そこに迎えいれられることを希求するというのは、道元の選んだ道ではなかった。悲惨に満ちた乱世にあっても人びとは生き、社会は動き、大自然は存在している。どんなに乱れた、濁った、穢れた世であろうとも、人びとが生き、社会が動き、大自然が存在することは、そのこと自体が価値のあることではないのか。そこに、生きる意味と価値を見出すべきではないのか。道元の思考はそのように進んでいった。現実を離れて彼岸に向かうのではなく、現実をくぐりぬけてその奥に向かって突き進もうとした。奥の世界を仏法の世界と名づけるとすれば、仏法の世界は現実と区別される別の世界ではなく、現実が本来のすがたを取った世界――現実よりもいっそう現実的な世界――にほかならなかった。(p.491)
500ページを超える下巻が待っています。

★★★ ユートピアの歴史 グレゴリー・クレイズ
図書館で借りた本は二週間で返さなければいけない。ただ、次の予約がなければ継続して借りることが出来る。ということで、読むのが後回しになってしまった。読み終わるのに5ヶ月ぐらいかかったと思う。
内容も難しい。そもそもユートピアとは何かということが判然としない。この本はあらゆるものを取り込もうとしている。著者の博覧強記には恐れ入る。どの時代でも、どの様なところでも、人はユートピアを求めていたようだ。但し、ユートピアは色々とあり、今から考えるととてもユートピアとは思えないものも多い。千差万別、それだからいいと言えるのかもしれないし、社会生活を営むという点を考慮するとそれではいけないだろう。価値観が多様化している現在、ユートピアは存在し得ないのではないか。
カトリック諸国では、女子修道院と男子修道院が、成員こそ減り続けてはいるものの、今日(こんにち)に至るまで信徒にユートピア的な空間を提供し続けている。また、別種の共同社会の実験の波が、一九六〇年代の社会的反逆とともに始まり、アメリカの内外でも、また都会でも田園でも、数百に及ぶコロニーを生み出す結果となった。(p.202)
マルサスの中心的な命題はこうだ――どのような社会がどれほど理想的であるにせよ、人口過密に陥るのは必然であり、それによって貧困、飢餓、疾病、戦争へと至ることになる。この時代以降、来るべき「黙示録」の世俗的な異説が多数現れ始めた。そして、過去を舞台とするユートピアは、数を減じることになるのだった。しかし、ディストピア(陰画としてのユートピア、あるいは反ユートピア)が、決定的なサブジャンルとして姿を現すのは十九世紀後半になってからのことである。ディストピアは概して、一八八〇年代半ばから急速に広がる社会主義運動に反応して生じたものだが、同時に社会ダーウィニズム、特に優生学的な含意を主題として取り入れている。(p.256)
共産主義社会は、急速に、高度に軍国主義化して、爾後その状態を解除することなく、また、徐々に被害妄想に捉われていく。叛逆、受け入れ難い思想の持ち主であること、あるいはただ単に多数派と異なることなどの理由による告発が、二十世紀の共産主義政権の多くが内包した特徴であった。そして、他者への恐怖と、被害妄想が遍在するようになった。二十一世紀に入ってもなお生きながらえている、この極端な軍国主義化の最後の名残が、北朝鮮の政権である。(p.269)
二十一世紀前半において、ユートピアとディストピアに関する懸念の多くは、この惑星が直面しているあり得べき破局の証拠が次々と積み上がっていくにつれて、徐々にエコロジーを意識した方向に軸足を移している。十九世紀後半には、工業化が広範囲の汚染と、特に都市部の貧困層の生活の悪化を引き起こしていることは明白になっていた。ひとつの反応は、ほぼ宗教、特にキリスト教とのみかつて結びつけられていた、黙示的イメージの復活である。並外れた、増大する、科学と科学技術のカという幻想――絶え間なく続く近代サイエンス・フィクションの中心的な主題であり、ユートピア思想の主要なサブジャンル――が、十九世紀半ば以降、過剰な発明を抑止できないという絶望的な感覚を生じさせていた。機械はより複雑になるが、その悪魔的な応用によって、戦争は以前よりも破壊的になっていった。ユートピアとディストピアは親しく手を携えて行進していて、ついには区別がつかないものが多数を占めるほど交じり合ってしまっていた。(p.300)

★★ 営繕かるかや怪異譚 小野不由美
営繕かるかや、という名刺を持った営繕屋(名前は尾端、「かるかや」は?)が、怪異な現象を、快刀乱麻にバッサバッサと解決する、のではなく、何となくふんわりと、物語の最後の方にちょっと登場して解決する、というお話。なかには姿が少し見えるだけというものもあります。以下の六つの短編から成っています。「奥庭より」、「屋根裏に」、「雨の鈴」、「異形のひと」、「潮満ちの井戸」、「檻の外」。舞台は地方の寂れた城下町、愛媛県の大洲あたりを連想しましたが、著者の出身地は大分の中津だ、こちらなのでしょう。
物語とは直接関係ないのですが、数日前家族と話したことが書いてあり、ビックリ。
「夜に口笛ふいちゃダメなんだぞ」 (p.71)
私は子どもの頃言われました。行儀悪いと言うことなのでしょう。いつ頃からか聞かなくなりました。

★★★★ 昭和天皇の戦後日本 豊下楢彦
2014年9月に公表された「昭和天皇実録」を使って、戦後の昭和天皇を中心に書かれた本。とはいっても、著者は過去四半世紀以上にわたってこのことを研究してきたとのこと。この蓄積があり、今回の「昭和天皇実録」がその補強をしたというところでしょうか。多少の偏りが感じられないこともないが、概ね事実に基づいた客観的且つ説得力のある内容だと思う。
やはり一番の驚きは、天皇がかなり政治に介入していたということである。
「日本が米軍の駐屯を希望し、米国はこれを受諾する」という米国側の「根本の趣旨」・・・昭和天皇にとっては、安保条約を基礎づけるこの「根本の趣旨」こそ、日本側からの基地の「オフア」という「池田ミッション」の論理の実現に他ならなかった。吉田や外務省がバーゲニングのカードを使って「条件つき」の基地提供をめざしたのに対し、昭和天皇はそうした姿勢を「誤った」ものと厳しく批判した。内外の共産主義から天皇制を守るためには、米軍駐留を確保することが絶対条件であった。その意味からすれば、「大規模の内乱」を米軍が鎮圧できると規定した「内乱条項」は、天皇にすれば、まさに歓迎すべきものであった。かくして、昭和天皇にとっては、戦後において天皇制を防衛する安保体制こそが新たな「国体」となった。つまりは、「安保国体」の成立である。だからこそ昭和天皇は、講和条約と安保条約が調印されてから一〇日を経た一九五一年九月一八日のリッジウェイ司令官との第三回会見で、「有史以来未だ嘗て見たことのない公正寛大な条約」として講和条約を高く評価するとともに、「日米安全保障条約の成立も日本の防衛上慶賀すべきことである」「日米安全保障条約が成立し貴司令官の如き名将を得たるは我国の誠に幸とするところである」と、安保条約の成立を絶賛したのである (p.200~p.201)
東京裁判の受諾を前提に、沖縄の排他的な米軍支配と安保条約に基づく本土の米軍駐留によって成り立つ体制は広義ではサンフランシスコ体制、狭義では安保体制と呼ばれる。この体制は、憲法九条を軸とする憲法体制と微妙なバランスを形成し、「憲法・安保体制」とか「九条・安保体制」とも称されるが、すでに検証してきたように、憲法改正や東京裁判はもちろん、沖縄問題にしても安保条約の成立に関しても、昭和天皇は直接・間接に重要な役割を果たした。天皇をして、こうした「政治的行為」に駆り立てたものは、ひとえに天皇制の維持をはかることであった。従って、「安保国体」とも言うべき体制の枠組みが固められるに伴い、昭和天皇は今度は「象徴天皇」として〝後景〟の位置から、日本の政治外交路線がこの枠組みから逸脱しないように、節目節目において〝チェック〟する役割を自らに課すことになった。(p.208)
統一地方選挙が行われ、東京では美濃部亮吉(みのべりょうきち)が、大阪では黒田了一(りょういち)がそれぞれ知事に当選し、さらに横浜市長選では飛鳥田一雄が選ばれ、「革新自治体」の躍進という結果に終わった(前年四月には京都で、蜷川虎三という「革新知事の象徴」が六選を果たしていた)。卜部は、「統一地方選挙の結果につきお尋ねあり」とのことで、「調べて奉答」したのに対し、昭和天皇から「政変があるか(この6文字に傍点)と御下問あり」と記している(『昭和天皇最後の側近 卜部亮吾侍従日記』)。戦後四半世紀を越え、議会制民主主義も定着しているなかで、しかも地方選挙の結果について、いかに革新勢力が躍進したとはいえ、それを「政変」と結びつけて危機感を表明するとは、尋常の感覚とは言い難い。おそらくは、「内乱への恐怖」「革命が起きるかもしれないという恐怖」(原武史)というものが、若い時代の体験を背景に、昭和天皇の考え方を呪縛し続けていたのであろう。(p.212)
ここで改めて、一九四七年五月三日に施行された新憲法で「象徴天皇」となって以降における昭和天皇の重要な「政治的行為」をあげておこう。まず、三日後の五月六日に行われたマッカーサーとの第四回会見で、事実上、米軍による日本防衛を要請したことである。さらに、同じ年の九月一九日には沖縄の半永久的な米軍支配を求めるメッセージを、シーボルトを介してワシントンに送った。翌四八年二月二七日には、「アメリカの極東における外殻防衛線」の設定を求める「天皇の見解」を、再びシーボルトを介してワシントンに送付した。一九四九年一一月二六日のマッカーサーとの第九回会見で昭和天皇は、ソ連が唱える早期講和論を批判し、ロイヤル米国防長官の日本放棄説への懸念を表明した。翌五〇年四月一八日の第一〇回会見では、「イデオロギーに対しては共通の世界観を持った国家の協力によって対抗しなければなりません」とマッカーサーに主張した。朝鮮戦争が勃発した翌日の五〇年六月二六日には、講和条約に向けて吉田政権とは別に、「日本の国民を真に代表する日本人による諮問会議」の設置を求める「口頭メッセージ」を、パケナムを介してダレスに伝えた。その直後の七月四日には、朝鮮半島における米軍の迅速な行動を称賛する旨をシーボルトに伝えた。さらに同八月一九日には、公職追放の緩和と基地の「日本側からの自発的なオフア」を強調する「文書メッセージ」をワシントンに送った。翌一九五一年一月末から二月にかけて、正式の日米交渉とは別に、鳩山など追放中の有力者とダレスが会合をもつことをカーンやパケナムに要請し、この会合は実現をみた。同二月一〇日にはダレスと会見し、「日本の要請に基づいて米軍が駐留する」とのダレスの論理に「全面的な同意」を表明した。同八月二七日のリッジウェイとの会見では、講和条約がいかに「公正で寛大」なものであるかについて、天皇の「考え」を公表する用意のあることを伝えた。さて問題は、「象徴天皇」としての昭和天皇による、こうした高度に政治的な諸問題をめぐる「政治的行為」をいかに捉えるか、ということである。言うまでもなく、以上の昭和天皇によるメッセージや見解表明や言動については、相手側は特別の政治的重要性をもったものとして受け取るであろうが、そもそも天皇自身は、いかなる政治的責任を負うこともできないし、そうした立場にないのである。考えてみれば、これほど無責任な構図(この6文字に傍点)はないであろう。とすれば問われるべきは、統治権の稔撹者であった明治憲法のもとにおいても次に述べる「二つの例外」の場合を除いて立憲君主に徹してきたと主張する昭和天皇が、なぜ「象徴天皇」を規定した新憲法のもとで「立憲主義」に反するような行為を繰り返したのか、という問題である。(p.215~p.216)
昭和史家の保阪正康は、「天皇は平和主義者ではないし、戦争主義者でもありません。彼にとって一番大事なのは「皇統(皇室を中心とした日本の歴史)」を守ることです。そのために必要とあれば、一生懸命に戦争する。戦争をして「このままでは皇統を守れない」と思えば、懸命に終戦の道を探る。それが実像です」と指摘しているが、これはまさに正鵠を得ているのである (p.222)
「仮想現実」として、仮に日本が「独立」を果たした時に昭和天皇が退位し立太子礼を終えた皇太子が即位していたならば、どういう事態が生じたであろうか。「統治権の総攬者」として明治天皇が一四歳で即位したことに比すならば、「象徴天皇」である以上、政治的混乱が起こることは皆無であったろう。さらに何より、いかなる政治的責任を負う立場にないにもかかわらず「象徴天皇」が繰り返し「憲法逸脱行為」を行うことはなかったであろうし、年号も昭和から新たな年号に切り替えられ、内外にむけて戦前・戦中とは画された「新生日本」の誕生を印象づけたであろう。しかし現実には、右に見たように〝けじめなき連続性〟が、昭和天皇の在位によって刻印されることとなった。以上のような経緯を辿って日本が戦後の国際社会に復帰したことによって、戦後七〇年を迎えた今日に至るまで、日本の歴史認識問題が焦点となり続けているのである。もっとも、昭和天皇が一つの〝けじめ〟をつけたとすれば、それは後述するように、A級戟犯の合祀が明らかになって以降、靖国神社への参拝を一切取り止めたことであった。(p.236)
この指摘は成る程と思った。確かに、日本は戦後に「けじめ」をつけられなかった。
最後の方は昭和天皇から離れ、現在の問題について論じている。安倍首相に対する批判は厳しい。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を、政治生命をかけて達成すべき究極の課題と位置づけてきたが、その含意は二つの柱から成り、その第一は「吉田ドクトリン」からの脱却であり、第二は後述する「東京裁判史観」からの脱却である。前者の「吉田ドクトリン」からの脱却とは、外交や軍事を米国に依存し日本は経済成長に徹するという「憲法・安保体制」あるいは「九条・安保体制」からの脱却を意味する。安倍は、この「吉田ドクトリン」こそが戦後日本を弱体化させてきたものと断じ、集団的自衛権の行使をはじめとして、日本も積極的に軍事的役割を果たさねばならないと主張する。(p.252)
「占領時代の基本的な仕組み」そのものである日米地位協定の撤廃や抜本改正を提起することなく、「自主憲法」の制定で日本の「独立」を果たすなどということは、文字通り〝絵に措いた餅〟と言う以外にない。(p.259)
以下の問題も、そうなのかなと思わされる。
戦後三十数年も経て、〝亡霊〟のごとく戦前・戦中の記憶が呼び戻されるような事態に、中国側は厳しい対応を示した。実は、一九七二年の国交正常化以降の一〇年間近くは「日中間の歴史問題をめぐる摩擦は奇妙なほど日立たなかった」のである。だからこそ、「一九八〇年、抗日戟争勝利三五周年にあたる節目の年でさえ、中国では大規模イベントは実施されず、『人民日報』にも戦争関連の社説は見あたらなかった」のである(高媛「ポストコロニアルな「再会」」)。ところが、右の岸信介を擁した「建設会」の動きが明らかになると、中国政府の要人は、「日本で「満州建国之碑」を建てるなら、私たちは「日本侵略者之碑」を建てねばならなくなる」として、対抗的に侵略遺跡の保存や戦争記念館の建設に着手することを示唆した。かくして、同一九八二年に中国政府と共産党中央委員会は、全土に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立して愛国主義教育を推進するように指示を出し、翌八三年に「南京大虐殺記念館」の設立が決定され、抗日戦争勝利の四〇周年にあたる八五年八月一五日に同館はオープンしたのであった。まさに、五年前の三五周年の場合と様変わりの様相を呈したのである。ちなみに、満州国のあった東北地方では、「吉林省偽皇宮陳列館」(一九八四年)、「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」(八五年)、「撫順戦犯管理所旧址陳列館」(八七年)が相次いで開館した。以上の経緯を踏まえるならば、岸信介らの時代錯誤的で隣国の神経を逆なでするような無謀な取り組みがなかったならば、「南京大虐殺記念館」をはじめ数々の「反日記念館」も建立されなかったかも知れないのである。中国や韓国が「歴史問題」を政治的プロパガンダとして用い、世論を扇動する道具として利用していることは間違いのないところであるが、右に見たように、一九八〇年代から今日に至る日中間の歴史問題をめぐる対立状況については、不幸にして日本の側が「引き金」を引いたと言わざるをえない。(p.274~p.275)
尖閣のことを連想した。最後に、現天皇に言及する。
明仁天皇の考え方は、「日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」というものである。つまり、現行憲法こそが日本の伝統に沿うものであり、「昔の日本では、人々は天皇に対し多様な見方を持っていました」と述べるように、「多様性」こそが日本の文化の根底にあり、従って「強制」は許されてはならない、という認識なのである。それでは、「皇室の敬慕」とか「天皇の元首化」など、天皇を尊重するような立場を表明しながら、なぜかくも公然と「御意」に反する方向がめざされ行動が繰り返されるのであろうか。それは結局のところ、天皇の「政治利用」という立場にたっているからである。さらに言えば、「一九三〇年代から終戟までの間」の国家体制への〝郷愁〟が根底にあるからである。自由で民主主義の体制が前提におかれながら、「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と、学校のレベルをこえて一般社会にまで「尊重義務」を課し、「国家の論理」によって個人の思想・信条にまで深く介入するような国家のあり方が提起されているところに、問題の本質が鮮明に示されている。(p.294~p.295)
著者は現天皇を評価している。これまであまり興味関心はなかったが、言われてみると確かに立派な人だと思えてきた。皇后の影響もあるのだろうと言っている。色々と考えさせられる面白い本だった。

★★★ グローバリズムが世界を滅ぼす エマニュエル・トッド 他
他の著者:ハジュン・チャン/柴山桂太/中野剛志/藤井聡/堀茂樹(コーディネーター・通訳)
この本は、2013年12月、京都で開催された国際シンポジウム「グローバル資本主義を越えて」での議論をまとめたものです。第Ⅰ部グローバリズムが世界を滅ぼす、は著者五人のシンポジウム(座談会)、第Ⅱ部グローバル資本主義を越えて、は五人それぞれの講演、第Ⅲ部自由貿易とエリートの劣化、はトッドと中野の対談、になっています。
幾つか本を読んでも経済のことみがなかなか腑に落ちない私ですが、この本を読んで少し光が差したような気になりました。今の世界の状況を見ていると、この著者たちが言っていることが正しいように思われます。ただ、著者たちは資本主義を捨ててはいません。これに変わるものはないのでしょうか。私には、資本主義そのものが限界のような感じがします、素人の単なる思いですが。このシンポジウムがどのようなものだったのかは判りませんが、この著者たちと異なった意見の人は参加していたのでしょうか。恐らくいなかったのでしょう。この本も同じ方向からの議論です。グローバル化を推進している人たちとの討論を聞きたいと思います。経済は実験の出来ない学問で、その実践が世の中に物凄い影響を与えます。学者たちは一般人にも判るように議論をする責任があるのです。
柴山 グローバル化の矛盾点として見落とされがちな点がもう一つあります。資本主義は、国家という枠内で市場とガバナンス(統治)を発展させてきました。市場は、国などのルールによってしっかりと統治されて初めて機能するのです。
藤井 道路にたとえるなら、車線があって信号があるから自動車は効率的に走れる。ところが、「規制」は邪魔だ、もっと自由に走らせろと言い出して車線や信号を無くせば、道路上はメチャクチャになって、道路の効率性は著しく悪化する。自由化による成長鈍化はこれと同じです。しかも、規制を無くしていけば、リーマンショックのような「事故」も増える。つまり、適切な規制は絶対必要なんですよ。では、経済で車線を引いているのはだれかといえば、市場ではなく、政府ですよね。
柴山 しかし、国によるルールの違いを取り払おうとするグローバル世界では、原理的に統治がほとんど存在しない。あっても、極めて弱い。本来ならば、グローバルな市場は、グローバルな統治を必要とするのですが、現状はまったく逆に進んでいる。
中野 そもそもグローバル化は、覇権国家が世界の安全を保障しないと成り立たないものです。「第一次」グローバル化の時はイギリスが、「第二次」はアメリカが、その役割を果たしてきた。しかし、いまアメリカの国力が後退しはじめている。日本周辺で、中国との尖閣問題、韓国との竹島問題など領土を巡る紛争が急に激化したのも、ナショナリズムだけでなく、アメリカの後退が大きい。ですから、アメリカという覇権国家が弱まっていけば、グローバル化は終わることになる。
(p.26~p.27)
柴山]グローバル化の時代には、国による経済政策の多様性はなくなります。民営化、行政改革、規制緩和、緊縮財政、関税や輸入制限の撤廃。輸出を増やし、外国人に門戸を開放し、株や資産の保有比率を増やすこと。公益事業についても外資の参入を認めること。これらの政策を縫い合わせれば、政府に対する「黄金の拘束服」が出来上がる、というわけです。これがネオリベラル的な政策論であって、現在のグローバリズムの根本にある考え方なのです。(p.122)

★★ ワカコ酒5 新久千映
シリーズ5冊目、よくネタが続くものだと感心します。いつものようにお酒は色々出て来ますが、特に銘柄には言及がありません。メインは酒の肴です。酒と肴の相性には思い入れがあるようです。今回出て来た酒の肴はほとんど美味しそうで食べたいものばかりです。鯵フライ、ゴボウ揚げ、以下数え上げれば切りがありません。単純なものでは、のりチーズ、正にのりとチーズだけ。鮭の皮揚げ、皮だけを揚げたもの。などなど。ワカコさんと一緒にお酒を飲んでみたいと思います。

★★★ ラーメンの語られざる歴史 ジョージ・ソルト
著者はアメリカの大学の先生。ラーメンについての本ではなく、ラーメン・小麦を手掛かりにした歴史書と言えるでしょう。多少強引にラーメンに引っ張ってきて論を展開しているところがある。そもそもラーメンが何であるかの定義がなく、変化については言及してあるが、その変化にあまり重きを置いていないようだ。日本という国や日本人のとらえ方にも少々バイアスがかかっているようで、変な感じを持つことがあった。その様な所をきちんと指摘して論考しなければこの本を読んだことにはならないとは思うのだが、残念ながら、今の私には最早その気力も能力もない。とは言っても、結構面白く読めたのは確かで、以下に色々と引用しておきます。
食糧生産の工業化は、安い麺料理店が増加する要因にもなった。一八八三年に日本初の製麺機が登場し、一九一〇年代後半には機械打ちが手延べより優勢になった。地方や植民地から都会へ送られる米や小麦粉、大豆、砂糖などの食糧増加も刺激になって、都市人口は先に述べたように一四〇万人まで拡大した。一九二八年頃には「支那そば」の消費は大きく増加し、首都圏で初めての「支那そば」製造業者の労働組合が設立されるまでになる。これは、労働者階級が政治勢力として登してきたことを示すものでもあった。このように、もはや「支那そば」を食べることは、以前日本の条約港で「南京そば」を初めて食べた税関職員や商人、作家たちが味わった異国情緒のある食事体験ではなく、都市部の労働者たちに広まっていく習慣になっていた。(p.35) 製麺機は昔からあったのですね。
日米の配給制度により特定の食べ物を国の主食だとみなしたことで、なによりも、長期的な流れの中で、国民文化の象徴がそれらの食べ物とつながる要因となった。日本の場合、米が全国民の日々の主食だという考えが定着したのは、戦時下の配給制があったからだ。同じようにアメリカでは、配給制において肉、なかでもステーキを労働者階級が食べられるようにしたことが、食事を民主化させ、貧しい人々には高嶺の花だった食べ物を、以前より入手しやすくすることに大きな役割を果たした。戦時の総動員体制による転換によって、配給制が終わったずっとあとになつても、これらの食べ物は両国の全国民の食事に不可欠な要素の象徴でありつづけたのだ。(p.55~p.56) これ本当なのでしょうか。
配給食糧だけでは生きていけなくなり、農家以外の国民にとっては闇市の食糧が不可欠になつた。飢餓か犯罪に手を染めるのかという、苦しい選択を迫られたのだ。のちに新聞記者たちが日本のソクラテスと称した判事の山口良忠は、闇市の食糧を食べることを拒絶した結果、一九四七年十月に栄養失調で死亡している。こうして、配給食糧だけでは生きられないということが劇的な形で政府当一局に突きつけられた。(p.66) 犯罪は言い過ぎでは。
食生活史研究家の鈴木猛夫は、占領後の二十年間で日本の食習慣が小麦や肉、乳製品へと変化していったのは、味覚と偶然によるものではなく、日米両政権による綿密な計画の結果だと断言している。(p.102) よく言われていることだが、味覚の問題は検証の余地があるのでは。
大衆文化におけるラーメンは、都市生活の粗野な一面とそれを食べる人の貧しさを表しており、いくぶんか戦前のイメージとつながっていた。この時代、ラーメンは若い労働者が感じる貧困や苦労、失望のシンボルとして使われつづけていたせいで、評判はいまだにかんばしくなかった。経済成長によって、すべての所得水準の人々の食事が改善され、食事選択が画一的になってきたが、日本の大衆文化の中では、ラーメンはブルーカラーとホワイトカラーの生活習慣にはっきりとした差があることを伝える食べ物のひとつでありつづけた。たとえば映画監督の小津安二郎は、第一章(一九三六年の『一人息子』)と第二章(一九五二年の『お茶漬けの味』)で述べたように、映画のなかで階級と世代の相違を示す道具として食べ物、なかでもラーメンを使うのを好んだ。(p.114) 小津映画の解釈も含め、正しいのか。
一九八〇年代から一九九〇年代の熱狂的ラーメンブームでは、全国紙で地方独特のラーメンが取り上げられた。ラーメンは喜多方や札幌、福岡などさまざまな小都市で、それぞれの地域特性を表すように異なる進化をとげていた。ラーメン観光が誕生した時期は全国的に国内旅行が増加したときでもあり、特に都市の若者にとっては新たなレジャーが生まれ、使えるだけの蓄えも増えていた。政府があまり豊かでない非大都市圏の景気刺激策をとったことも、ラーメン観光の牽引力となつた。一九九〇年代に地方色のあるラーメンで有名になった小都市は、一九二〇年代に初期の工業化で繁栄した都市でもあったが、この頃は投資の呼び込みに苦労していた。ラーメン関連の宣伝ブームは、ラーメンを食べることが労働力強化に役立つ習慣から、若者の消費主義と国内旅行に代表される流行へと変化したことを物語っている。(p.166)
一九八〇年代のカタログ雑誌がラーメン業界に影響を与えたように、若者のインターネット利用の普及は一九九〇年代の新しいラーメン店の進化に大きな影響を与えた。数え切れないほどのインターネットフォーラムやウェブサイトで、特定の店のファンたちが興味を持つ人たちのために情報を交換し、好みの店のランク付けをした。そしてラーメン店主たちは、二〇〇五年に登場した魚介だしの和風ラーメンのような、他店で人気の料理法を真似た。メディア研究者でありラーメン専門家でもある速水健朗の主張では、日本のソーシャルメディアとしてのインターネットの発展は、かなりの部分がラーメン産業のおかげであり、その逆ではない(テレビのリアリティ番組には人々に現実感を伝える役割があり、その逆ではないという理論と似ている)。(p.210) この表現とても判りにくい。
不動産と株式投機による金融バブルで高級品やレジャー消費が活発になつた一九八〇年代、ラーメンは当時流行していた高級フレンチやイタリアンへの庶民の反感を表すものへと進化した。世界中のファーストフード産業におけるアメリカ支配によって、世界的に消費者がかつてないほど均質化した一九九〇年代には、ラーメンが持つ国の象徴性はより強く、より政治的になり、二〇〇〇年代には愛国的あるいはネオナショナリスト的なラーメン店を生み出すことになる。(p.240)

★★★ 沈みゆく大国アメリカ 堤未果
著者の本はこれまでに三冊読んだ。「ルポ貧困大国アメリカ」のⅠとⅡ(2008年と2010年)。そして去年、「沈みゆく大国アメリカ」、この本の最後で続編として予告されていたものがこの本、タイトルは同じだが、<逃げ切れ!日本の医療>という副題が付いている。最初の一冊は、民営化の問題点、二冊目は、教育・年金・医療、それに民営化の例として刑務所について。それぞれ驚くべき内容だが、全面的に著者の言うことを信じることが出来ないような気持ちが少しある。というか、どう考えていいのか判らないと言った方がいいかもしれない。三冊目は、医療の問題、ほとんどがオバマケアの問題点についてである。四冊目のこの本はオバマケアに絡めて日本の医療について書かれている。恐るべき内容である。民営化、規制緩和、は誰のためにやるのか。よくよく考えなければいけない。
ハーバード大学はオバマ大統領の熱心な支持者だ。二〇一二年の大統領選拳では六八万九一人ドル(約七〇〇〇万円)寄付し、献金者リストでもトップ5に入っている。ロビー活動にも余念がない。オバマケアを批判する声に対しては、速やかに反論する徹底ぶりだ。世界的に著名な大学の論調は、それだけで国民に対し説得力を持つ。だが同時に私たちは、アカデミズムも業界にとっての(投資商品)となりつつある事実に目を向けるべきだろう。リーマンショックで明るみに出たのは、ウォール街に高額の報酬で雇われたハーバード大学やコロンビア大学の教授が、雇い主が望む規制媛和の正当性を論文等で世間に訴えていたという金融業界と官政の癒着関係だった。(p.100)
二〇一〇年にオバマケアが導入されてから、アメリカの薬価は信じられないようなスピードで値上がりしていった。だがこの変化について、ほとんどの国民は気づいていない。オバマケアを激しく批判していた共和党が、この件に関してだけは沈黙しているからだ。いったいなぜか?ここに二大政党神話のからくりがある。八〇年代以降、規制緩和とグローバル化によって国内製造業がスカスカになったアメリカで、労働組合の支持基盤を失った民主党は寡占化で巨大化した製薬業界に飲みこまれていった。すでに選挙が「投資商品」 のひとつとなったアメリカで、ウォール街や巨大利権産業といった一パーセント側は、共和党と民主党両方に賭けることで、リスクを最小にできるのだ。ワシントンでは選挙が近づくと、こんなジョークが飛び交うという。「小さい政府と自己責任論で一パーセントを潤してくれる共和党、大きい政府と大増税で、福祉を通した税金を一パーセントに流してくれる民主党、どっちになっても結果オーライ!」 (p.112~p.113)
二〇一五年度予算をみると、安倍政権は「政府広報予算」をどーんと大きく増やしている。前年二〇一四年度の六五億三〇〇万円から三割アップの八三億四〇〇万円!すごい大盤振る舞いだ。この予算のほとんどは、テレビのCMや新聞広告となって、大手マスコミの懐に入るのだ。不況下で民間企業が真っ先に広告費を削るなか、政府広報予算の三割アップは大手マスコミにとって涙が出るほど救いになる。「マスコミの使命は政府の監視、金で政府の宣伝をするような広告は拒否すべきだ」というのは理想だが、現実にはどの放送局も新聞社もしっかり広告費を受け取っている。新聞通信調査会による全国世論調査のデータによると、メディアの情報信頼度に関しては、こんな結果が出ている(「全面的に信頼している」を一〇〇点とした場合)。一位 NHKテレビ 七一・一点二位 新聞 六九・二点三位 民放テレビ 六〇・二点四位 ラジオ 五九・七点五位 インターネット 五四・〇点私たち日本人は、世界でもっとも大手マスコミの情報を信頼する国民だが、情報の出所であるマスコミの台所事情と政府広報予算の動きはしっかりチェックして、割り引いて情報に対するべきだろう。(p.125~p.126)
アメリカでは毎年保険会社が保険料を好きなように値上げする。病気による加入拒否は禁止、すべての保険に妊婦医療や内視鏡検査を入れることを義務づけたオバマケア法は、代わりに保険会社の保険料値上げについては全く規制しなかった。国民皆保険が「社会保障」である日本と違い、オバマケアは「民間医療保険」への強制加入を義務づけて皆保険にした制度だ。もちろん医療保険会社の株主利益が決して損なわれないよう、法案は最初から医療保険会社幹部の手によって、都合良く善かれている。(p.150)
<日本は借金が増えているから、社会保障にまわすお金がない。だから医療費を減らしたり増税しないともたない>これは本当だろうか?経済学者の菊池英博氏によると、ここには数字のトリックがあるという。諸外国で財政赤字を算出する時は、国の資産から借金分をマイナスする。だが、日本の財務省は資産の部分を無視して借金の数字だけ国民にみせて<財政赤字一〇〇〇兆円>と騒いでいる。これを諸外国と同じ方法で計算すると、借金は二五六兆円になる。消費税増税をしたり、医療と介護の現場への報酬をさげたり、患者の個人負担を次々にあげる必要が本当にあるのかどうか?大体ただでさえ医療費が低いのに、これ以上下げる必要が本当にあるのか? 他国は、高齢化に対応するために医療費を増やしているというのに。(p.169)

★★ 下流老人 藤田孝典
高齢化社会の問題について考えてみようと、「老人に冷たい国・日本」と共に読んでみた本。こちらは読みやすく、現場で活躍している人の言葉は説得力をもっているが、タイトルからして多少センセーショナルな言葉が多く、その分析には少し疑問に思うところがあった。
よく「若者の○○離れ」がニュースで話題になるが、その根底にあるものはすべて自分の生活の先行きに対する不安であろう。若者は自動車もマイホームも買わず、生活も質素で禁欲的な暮らしをしていると言われる。「老後に備える」ためだけに、貯蓄に精を出す若者は、わたしの周囲にも増えている。(p.40)
この見方は正しいのか。
イギリスでは、17世紀から19世紀にかけて改正救貧法やワークハウステスト法などが施行され、多くの貧困状態にある市民が収容所(ワークハウスなど)へ送られた歴史がある。収容所に送られた人々は劣悪な環境のなかで強制労働に従事させられた。十分な医療ケアが受けられず、病気が蔓延して亡くなる方もいたそうだ。要するに、生産性のない人々は社会のお荷物であり、邪魔な存在であるということを政策として伝え、罪人のように扱っていたのだ。(p.128)
日本でもこのようなことが起こりかねないと言っているが、そうだろうか。
誤解をおそれずに言えば、自由経済社会において貧困は"宿命"と言える。富める者がいれば、相対的に必ず貧する者が生まれる。どんな社会であろうと常に働ける人々ばかりではないし、失業率が0になることはない。働けない人々は、個人の能力や努力に関係なく、いつの時代の、どの社会にも必ず存在するのだ。(p.132~p.133)
これは事実だろうが、将来はなくそうという気持ちは必要ではないだろうか。
わたしが相談支援の現場で常に実感するのは、「人間関係の貧富の差」が幸福度を決定するということだ。生活が貧しくとも、友人同士で料理を持ち寄ったり、コミュニティセンターでおしゃべりを交わしたり、老人クラブで踊ったりと、楽しく暮らす場面によく出会う。そのような高齢者は、比較的支援もスムーズに進み、貧困に陥らない、もしくは貧困に陥っても生命が脅かされる危険性は低い。(p.191)
人間関係の貧富の差、とは言い得て妙。
この本も、難しい問題なので当然ではあるが、これはという解決策を提示していない。著者の言うとおり、老いも若きも皆が自分の問題として取り組むことが必要なのでしょう。

★★ 事件! スラヴォイ・ジジェク
副題、哲学とは何か。
「事件」とは、我々が世界を知覚し世界に関わる時の枠組みそのものが変わること、だそうですが、このタイトルからして理解するのに苦しみます。著者は異様に博学で、文系理系を問わず、幅広い分野に言及します。一回読んだだけでは、とうてい太刀打ちできるものではありません。最初に、「日本的事件とは――日本語版に寄せて」、があります。
階級制に沿って組織化され、支配者的な「公僕」と伝統的価値観をもった強力で権威主義的な国家によって管理された、資本主義的市民社会。もはや西洋的仏教と「真正な」東洋的仏教を対置することさえできない。日本の事例がその決定的な証拠を提供している。今日、日本の経営トップたちの間には「株式会社化された禅」の現象が広く見られるが、それだけでなく、過去一五〇年間を通じて、日本の急速な工業化と軍事国家化は、規律と犠牲の倫理をともなっていた。それを支えていたのは禅の思想家たちだった。今日では忘れられているが、一九六〇年代のアメリカにおいて禅の最高位の導師として活躍した鈴木大拙は、一九三〇年代の日本で過ごした青年時代に、全面的規律と軍備拡大の精神を支持していたし、一九四五年の敗戦後にはビジネスマンのための禅講座を開いた。(p.5)
果たして著者の日本観は正鵠を得ているのか。
外傷に対する一つの反応は、幻想のなかへ逃避すること、つまりわれわれの主観的地平を越えて、世界そのものを想像することである。(略)最近、アラン・ワイズマンの『人類が消えた世界』はこのロジックを極限まで突き詰めた。もし人類が(しかも人類だけが)突然地球上から消えたらどうなるか。多種多様な自然がふたたび栄え、自然はじょじょに人工物を覆い隠すことだろう。人間のいない世界を想像するとき、われわれ人間は、身体的基盤を失った純粋な視線となって、自分自身の不在を凝視する。(p.33)
仏教は、資本主義のダイナミズムがもたらすストレスにみちた緊張に対する解毒剤であり、われわれを解放し、内的な平和と「放下(ほうげ)Gelassenheit」をもたらすが、じつは資本主義の完壁なイデオロギー的補完として機能する。われわれはここで、広く知られた「未来の衝撃(フューチャー・ショック)」に言及する必要がある。人びとは今日、科学技術の進歩とそれに伴う社会の変化に、もはや心理的についていけない。とにかく物事が速く進みすぎて、ある発明品に慣れる前に、もっと新しい製品があらわれるため、そうした進歩を把握するのに必要な「認知地図」を措くことがだんだんできなくなっている。道教や仏教に頼るのは、古い伝競に絶望的に逃げ込むよりも有効な解決法であるように見える。科学技術の進歩と社会の変化の加速するペースに追いつこうとするのはやめて、進行している事態を掌握しょうという努力そのものを断念し、いっさいを現代的な支配論理として捨で去るべきだ。そして「みずからを解き放ち」、ひたすら漂いつつ、加速する進歩の狂気のダンスに対しては内的な距離と無関心を保持すべきだろう。これらすべでの社会的・科学技術的激変は仮象(サンプランス)の実体なき増殖にすぎないことを見抜くべきだ、云々。(p.74~p.75)
著者は仏教に大きな関心を持っているようです。
仏教は苦しみという問題の解決をめざすものであり、したがっでその第一原理は「私たちは苦しみたくない」である (p.78)
この文に以下の原註が付いています。
この現実的なアプローチを端的に示しているのが、仏教における瞑想の役割である。西洋では瞑想はもっとも中心的なもの(内的平和に到達するための弛緩技法の一つ)と見なされており、仏教徒になるということは実際には瞑想を実践することを意味するが、東洋では、仏教というのはじつは生活様式のことであり、ほんの少数者だけが瞑想をおこなう。大多数は仏教によって課せられる倫理規範(慈悲の心、苦しみからの解放など)に従う(ふりをする)だけのことである。瞑想を実践する僧侶は一種の「瞑想していると想定される主体」であり、悟りが可能であることを(一般人に対して)保証する存在である。(p.206)
結局、私の知識不足と理解力不足、忍耐力不足で、著者の言うことが全体的には、頭にも心にも響きませんでした。
アンドレイ・プラトーノフについての言及があり (p.71) 読んでみたいと思います。

★★ 老人に冷たい国・日本 河合克義
著者は、もと大学教授、公的な研究所の長を歴任、この本はその様な人の書いた論文、研究調査報告書です。新書なので一応一般人を対象にして平易な書き方はしてありますが、内容以外で読者の興味を引こうという姿勢は感じられません。書かれていることは至極真っ当で、ある意味、そこまで調査をしなくても想像が付く範囲内とも言えます。まあ、そういうことを正確にきちんと証明するのがこういう人たちの仕事なのでしょう。
日本の場合、とりわけ2000年の介護保険制度導入以降、福祉政策の基礎に、<選択化>という理念が掲げられた。それによって、諸制度を利用する場合、住民の側から主体的に制度を選択することが基本に据えられた。つまり、原則として、自分から声を上げない限り、制度利用に結びつくことのないシステムとなったと言ってもよい。(p.31)
何となく判っているようなこと、漠然とした概念、などがはっきりしました。
タウンゼントによれば、孤独とは 「仲間付き合いの欠如、あるいは喪失による好ましからざる感じ(unwelcome feeling)を持つこと」であるのに対し、社会的孤立とは「家族やコミュニティとほとんど接触がないということ」だという。そして、孤独は主観的なもので、社会的孤立は客観的である、と。同時に、タウンゼントは社会的孤立状態にある人と貧困との関わりを捉え、「社会的にも経済的にももっとも貧しい人びとは、家庭生活からもっとも孤立した人びと」であると述べている。(p.37)
「平成25年度 介護保険事業状況報告(年報)」によれば、2014年3月未現在、65歳以上の高齢者は、3202万人となつている。そのうち、要介護(要支援)と認定を受けた高齢者は569万人で、高齢者に占める認定者の割合は17.8%となる)。要介護の認定を受けた高齢者が全員、サービスを利用するわけではない。その利用率は、地域によって異なる(例えば、東京都葛飾区の2011年4月のサービス利用率は8割半)が、筆者は全国平均を概ね8割と見ている。サービス利用率を8割として計算すると、介護保険サービスを利用している65歳以上の高齢者は14.2%となる。つまり、介護保険制度は、1割半程度の高齢者の、それも介護問題を見ているに過ぎない。この1割半の高齢者に起こる問題が、高齢者問題のすべてではない。(p.217~p.218)
筆者は、改めて老人福祉法の理念を確認したいと思う。老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。(老人福祉法 第二条)高齢者を敬愛し、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障するために、いまある貧困と社会的孤立の問題を解決しなければならない。「老人に冷たい国・日本」を変えるために。(p.239)
実態はよく判ったが、ではどう対処するかということになると、示されている方策が実行可能なのか、また実効性があるのか、疑問を感じた。当然、そう簡単に解決できる問題ではないが。