読書中 チーズはどこへ消えた? スペンサー・ジョンソン

読書中 日本でいちばん大切にしたい会社3 坂本光司

★★★★ 不可能 松浦寿輝
最初に、三島由紀夫の『サド公爵夫人』からの引用がある。そのペンネームの後に、(本名 平岡公威)、と書いてある。で、本文の書き出しは、「平岡は・・・・」となっている。この小説の主人公は三島由紀夫である。ただ、あの自害の後、復活したと思しき三島である。いや、三島ではないと言えるかも知れない。しかし、三島を彷彿とさせる。もし生き存えているとしたら、このような老人になったであろうと思われる。読みながら、ゾクゾクした。時間と空間が交錯し、独特の虚構空間を作り出している。様々な舞台装置が素晴らしい。人はこのように生きていく、老いてゆく、のだろう。つまり、三島の否定である。一つ残念なのは、最後の方で、まるで推理小説のようになることである。このようなストーリー展開が必要だったのか。
すべては観念なのだ、この世界そのものがことごとく観念でありイメージであり、そこには堅固な手触りを備えた「現実」の個物などいっさい存在しないのだと。感受性も筋肉も幻想でしかなく、その幻想自体のうちに胚胎された倒錯以外に人間の生が引き受けるべき真正の現実はないのだと。そのとき倒錯が全面化する。倒錯は世界のすべてを満たしさらに緑を越えてその外部にまで溢れ出す。今や生も倒錯であり死も倒錯だった。(p.101)
詩人は、自分の死の瞬間に――最後の最後に訪れる「決定的な一瞬」に想いを馳せる。その一瞬には、幸いにというのか残念ながらというのか、人は立ち会いそこねるということは決してない。人はその一瞬に、遅かれ早かれ、否応なしに、自身の身体と魂でもって立ち会わなければならない。それはずっと背後にあったものが自分を追い越し、前方かなたに飛び去ってゆく瞬間のことだ、と詩人は語っている。平岡もまたその一瞬のことを想い、その想いがそのまま急激に高まって澄明な昂揚感に似たものとなった。が、それはまたただちに鎮まって、鈍く分厚い無関心の中へ溶けていった。(p.219〜p.220)
俺は退屈するかもしれないなと平岡はぼんやり思い、そしてただちに、そんなことを思った自分に少々驚いた。もう今さら退屈などという精神の状態に緑のあるような身ではないとずっと思いこんでいたし、実際、ぽっかり空いた時間の重さを持て余すなどと感じたこともこの長年月というもの絶えてなかったのだ。では、また最初からやり直すということか。それもまたよかろう。平岡の前に延びている直線の迷路
[この5語に傍点]は、中心にミノタウロスも何もいない虚ろな迷宮だった。これこそまさに高貴とも美しいとも形容してもよかろうその空虚、その空白を、何らかの形で、何かでもって埋めなければならないなら、また小説でも書いてみるかなと平岡はふと思った。(p.250〜p.251) (ここがラスト)

★★ 中国嫁日記 井上純一
中国人女性と結婚した、自称アニメと漫画オタク(本業は、ゲームデザイナー、イラストレータ、らしい)が、自らの楽しい生活を『中国嫁日記』という4コマ日記サイトに描いたところ、大ブレイク、本にもなったという次第。文化的なギャップをネタにしているので、ともすれば差別的になりそうだが、サラリと面白く処理している。4コマ漫画の下に、著者か嫁さんの短いコメントがあり、これがまたツボを押さえている。この本の後半は、描き下ろし長編漫画、になっていて、著者と嫁さんが出会うまでが書いてあります。楽しく読みました。

★★★★ マルチ言語宣言 大木充・西山教行(編)
京都大学学術出版会の発行。編者も執筆者もほとんどが京都大学大学院人間・環境学研究科の先生。外国人の翻訳がちょっと判りにくいが、全般的にとても面白い内容だった。一言で言うと、言語には多様性が大切だということ。それは、文化の多様性につながり、生物の多様性などその他様々な多様性にも絡んでくる。画一化を危ぶむ声が多方面から挙がっているなかで、この本はその言語版と言えるだろう。人類による地球環境の破壊をくい止めなければいけないと思うが、自然の前では人間なんてちっぽけなものだとも思う。
名詞の可算性は流動的であり,そのことのなかにこそ言語が果たす「意味の切り分け」のダイナミズムが存在する.言語は世界を受動的に映しているのではなく,逆に言語が世界を能動的に切り分けているのである.(p.66)
新しい外国語を学ぶということは,既存の意味に新たなラベルを貼ることではない.それは新しく学ぶ外国語の世界に頭の先までどっぷりと漬かって,その外国語独自の意味の切り取り方を学ぶということであり,その外国語という鏡に映る世界の見え方を学ぶということである.(p.78)
ある言語に関する知識を持つことと,その言語を使用できること,さらに,その言語を使用することは同じではない.これは,言語使用が一定の身体運動でもある以上,当然と言える.(p.82)
今日のグローバリズムの最大の特徴は,それが市場経済を中心に進行している点にある.とりわけ,金融とIT技術を軸にしたグローバリズムの圧力に抗することは不可能な状況になっている./このグローバリズムは,世界のいたるところで経済的格差と雇用不安をもたらすと同時に,文化的な画一性をもたらしている.発展途上国に,先進国と同様の近代都市を作り出し,都市生活の富裕層や中間層を生み出し,とりわけ若いものの問では生活や文化様式がどんどん標準化している.(p.176)
要するに冷戦という「イデオロギー・ゲーム」の時代の次に来たのは,経済的な富をめぐる「ウエルス・ゲーム」と「アイデンティティ・ゲーム」だったということである.世界においてもそうだが,日本においても,経済のグローバル化が急速に進行した90年代の後半に,近年においてもっとも自覚的に自らの歴史や文化に対する意識・関心が高まったのである.グローバリズムがもたらしたこの両面に注目しておく必要があるだろう.(p.178)
歴史家のピエール・ノラは,イラク戦争でアメリカはヨーロッパと臍の尾を切り,ヨーロッパから完全に独立したと言った.東部13州から始まったアメリカの中心は今や東部から西海岸や南部に移り,かつてはヨーロッパの古典が東部エリートの基本教養として大学で教えられたが,今やブッシュ氏のようなヨーロッパ的教養とは縁遠い人がた統領になったことを嘆く発言である.(p.228)

★★★ 菜食主義者 ハン・ガン/きむ・ふな(訳)
菜食主義者という題名のこの本は、目次に、菜食主義者、蒙古斑、木の花火、と三つのタイトルが書いてある。短編(中編)集かと思ったら、つながっていて、一つの長編(中編)になっている。
彼女は驚くほど好奇心がなく、そのためいかなる状況においても平静を保つことができるようだった。新しい空間に対する探索もなければ、当然あってもいい感情表現もなかった。ただ自分に起きているすべてを見つめることだけで十分なようだった。いや、ひょつとして彼女の内面ではぞっとするほど、想像すらできない事件が起きていて、それと日常を並行するだけで精いっぱいなのかもしれない。だから、日常では好奇心を持ったり探索したりいちいち反応するぽどのエネルギーが残っていないのかもしれなかった。(p.135〜p.136)
このような、菜食主義になった女性の話しで、最初は女性の旦那の視点、次がお姉さんの旦那の視点、最後がお姉さんの視点で書かれている。真ん中のパートが秀逸で、エロになりそうなところが見事に芸術になっていて、心を動かされた。つまらんと思う人が多いかも知れないが。
わたしが逆立ちをLたら、わたしの体から葉っぱが出て、手から根が生えて……土の中に根を下ろしたの。果てしなく、果てしなく……うん、股から花が咲こうとしたので脚を広げたら、ぱっと広げたら……。(p.204〜p.205)
救いのない終わり方ではあるが、現代はその様な時代なのかも知れない。

★★ 寄付白書2010 日本ファンドレイジング協会
諸外国に比べ、日本は寄付が少ないと言われています。しかし、その正確な状況は把握されていません。ということで、この協会が設立され、この白書が出来たようです。白書、だから、当然面白可笑しい本ではありません。といっても、興味深い発見も幾つかありました。そもそも、寄付というものの定義がすこぶる難しく、その金額の把握も困難を極めているようです。
名目GDP比で、日本の寄付は、0.22%、アメリカは、1.87%、こんなに差があるのです。ただ、アメリカは、その46.0%が宗教関係だそうです。
安易に、寄付を国際的に比較するのは、あまり意味がないかも知れません。
特定の法律で定められた事業である宝くじや公営レジャー競技(競馬、ボートレースなど)の収益金は、国庫納付金や地方自治体の財源になるものが多く、一部が民間公益活動に充てられる。仮に本人に寄付の意識はなくとも、結果として政府および地方自治体、民間公益活動への寄付となっている。(p.111)

★★★ 紅梅 津村節子
著者の夫、吉村昭の癌との戦いを基に作られた小説作品。どれだけ事実が入っているのかは知るよしもない。が、実際にこんなことがあったのかも知れないと思わせる力がある。強い精神力を持った夫婦のことなので、凡人から見ると驚くようなことが多いが、実際人がその様な状況に追い込まれるとどうなるのか、やはり現実にそうならないと判らないだろう。親しい友人がいま癌におかされているので、いろいろと比較して読んでしまった。我々の世代も平均余命が20年ぐらい、そろそろ終わりに向けた準備が必要だろう。

★★ 100歳までボケない101の方法 白澤卓二
四ヶ月ぐらい前に「100歳までボケず、元気に生きる101の方法」という本を読みました(感想は下の方にあります)。この「100歳までボケない101の方法」が先に出た本だったのですが、図書館で同時に予約をしたら、第二弾の方が先に来たのです。
第一弾の方が穏やかな内容だと思います。至極もっともなことが書いてあるのですが、実行するのはなかなか難しいでしょう。最後に、「いまからでも遅くはないのです。」 (p.190) と書いてありますが、私には「いまさら」という気がします。先の本の時にも書いたのですが、長生きを目的にすることもないでしょう。長生きするためにはよくないことでも、やりたいことはやろうと思います。

★★★ 私家版差別用語辞典 上原善広
「辞典」は普通通読するものではない。しかし、この本は差別用語を70以上取り上げて解説してあるが、所謂辞書ではない。著者の体験をもとに具体的な出来事などが綴られ、興味深い読み物になっている。作者は、被差別部落のことを「路地」と呼んでいる。中上健次が使い始めたそうである。差別用語を一つひとつ検証しながら、著者が言いたかったことは、言葉自体には差別性がないと言うことだと思う。
どもりという言葉は現在、「吃音」や「吃音症」と言いかえられ、保険が適用される疾病とされている。しかし「吃音」という表記では、やはりわからない人も多いだろう。/ただ使用頻度が低い言葉なので、かなり言いかえが進んでしまっている。このように水面下で静かに言いかえが進むと、話し言葉と書き言葉との乖離が進むことになるが、言葉にとってそれは不幸なことである。(p.155)
乞食は江戸時代にあっては立派な職業の一つだった。乞食になるにもそれを証明する鑑札が必要で、例えば江戸の町では非人頭の支配下にいなければならなかった。つまり江戸時代まで、乞食というのは許可制で管理されていたのだ。/乞食はまた、諜報活動も業とした。(p.48)
かたわについて、乙武洋匡氏はこう語っている。/「例えば、僕に対して『かたわ!』と言う人がいたとすると、それは『不謹慎だ!』と言われたりするかもしれない。でも僕のことを大事に思ってくれている友人が、『こいつかたわ≠セからさ〜(笑)』と言ってもそれは失礼ではないと思うし、僕も傷つかない。それが『乙武さんは、そんな体なのに頑張っていらっしやつて……』と、きれいな言葉で言っていても、実は障害者である僕のことを見下して言っていたとしたら、そっちの方が失礼だと思うんですよね」 (p.145〜p.146)
人はみな、何らかの差別にさらされている。べつに路地でなくても学歴、住処、所得、容姿など、何らかの差別にさらされているものだ。/しかし、だからこそ差別されることを恐れてはいけないし、差別されて傷つくことを恐れてはいけない。差別を押し殺すことによって生じるのは、ご立派な建前論の横行と、よりくぐもって陰湿になる差別、そして卑劣な言いかえのみである。(p.228〜p.229)

★★ ラーメンと愛国 速水健朗
タイトルからして、変な組み合わせである。私はそれに惹き付けられたが、読んだ後でも、何が愛国なのかはよく分からない。この本はラーメンをキーワードにした現代史になっている。しばしばラーメンから離れていく。とはいえ、それはそれで結構面白く読めた。いっそのこと、ラーメン抜きで書いた方がよかったのではないか。
本章ではここまで、ご当地ラーメンが「郷土の気候、風土、知恵が混じり合い、その地域に根ざした」ものであるという言説に異を唱え、観光化のかけ声とともにあるとき突然変化したものであって、「地域の個性や特性」を反映したものではないということを指摘してきた。むしろ戦後の日本において、地方が個性を失い、固有の風土が消え去り、ファスト風土化する中、観光資源として捏造(ねつぞう)されていったのがご当地ラーメンであるというのが筆者の主張である。(p.176)
ラーメンはこの低価格競争の中、価格が上がり続けた。総務省統計局「小売物価統計調査」によると、ラーメン一杯の価格は、一九九〇年に四五〇円ちょうど。それ以降、右肩上がりに上がっており、二〇〇七年には五六九円まで上がっている。/ラーメン業界の中でも、「幸楽苑」「日高屋」「餃子の王将」「リンガーハット」などのファストフードに属するチェーン系は、ドミノ式の低価格競争の中、低価格路線を打ち出して成功している。それにもかかわらず、ラーメン業界全体の平均価格は上がっているのである。(p.245)

★★★ 働かないアリに意義がある 長谷川英祐
私たちが最初に「働きアリの2割ほどはずっと働かない」という結果を学会で発表したところ、ある新聞がそれを記事にしました。すると翌日「――働きアリの2割働かず――この研究やった人ヒマだよね」という読者の投稿ジョークが紙面に載り、思わず笑ってしまいました(本当におかしかった)。実際は1日に7〜8時間の観察を2カ月以上続けるというハードな研究で、観察を担当した1名は疲労から途中で点滴を打ちながら観察を続け、血尿まで出した、という大変な実験だったからです。(p.63)
何が「役に立つのか」は事態が生じてみるまでわからないことなのです。したがって、いまはなんの役に立つかわからない様々なことを調べておくことは、人間社会全体のリスクヘッジの観点から見て意味のあることです。そういう「有用作物の候補の苗床」としての機能は大学以外に担う機関がなく、大学という組織の重要な社会的役割の一つであると、私は考えています。(p.78)
変わる世界、終わらない世界がどのようなものになっていくかは誰にもわかりません。しかし願わくは、いつまでも無駄を愛し続けてほしい。短期的な効率のみを追求するような世界にはなってほしくないと思います。ちっぽけなムシが示しているように、そういう世界は長続きしないかもしれませんし、なにより無味乾燥で、生きる意味に乏しいと思います。/社会が息切れしそうになったとき、働かない働きアリである私や、他の生物の研究者たちの地道な基礎研究が、「人間」が生き続ける力となればいいなぁ。確かなことはわからないけれど。(p.188〜p.189)

著者が一番言いたかったことは、実は上に引用したことだったのではないでしょうか。
働かないアリの意義は下のようなことです。
組織の効率追求と組織自体が存続できる可能性の綱引き、という点ではヒトの社会もムシの社会も同じことです。というより、「群れ」の甘い蜜を一度吸ってしまうと、まことに面倒臭い、「群れか個か」という問題から逃れるすべはないのです。(p.169)
組織自体の存続のために、効率だけを追求してはいけないと言うことです。示唆に富むことがいろいろ書いてあります。人間社会は特殊だと感じさせられました。先日、「生物多様性のウソ」を読んだ時も思いましたが、人類の未来は危ないのではないでしょうか。動物であることを、地球の中の一動物であることを忘れてはいけないと思います。

★★ 日本語の「常識」を問う 鈴木貞美
この本には前書きがありません。タイトルから内容を想像して読むと裏切られた気持ちになります。章の中の項目立てがすべて疑問文になっています、それが「問う」なのでしょう。問は日本語に関するものが多いのですが、答えはかなり広範囲に及びます。文学は勿論、歴史に関しては相当量書かれています。確かに、日本語に関係していないことはないのですが。著者が一番言いたかったことは、日本語は漢文(中国語)の影響を強く受けている、ということだと感じました。以下に引用しているように、日本の公文書は長い間、漢文、漢文調、だったようです。その様なこと、あまり考えても見ませんでした。
いまの日本に、実は、日本語を「国語」と定めた法律はない。裁判所の規定に「裁判は日本語で行う」とあるのが、唯一、それに近い決まりである。それでも現在、ほとんどの日本人は、日本の「国語」は日本語と思っている。学校の教科としての「国語」が日本語だからだろう。/ところが、日本語を「国語」と決めているところが日本以外にある。南太平洋のミクロネシアの国、パラオ共和国のアンガウル州の憲法では、パラオ語と英語のはかに、日本語を公用語として定めている。この地域は、第一次世界大戦後、国際連盟の常任理事国となった日本が統治することを任されていた南洋諸島の一部だった。第二次世界大戦後、パラオ共和国が独立したときに、そう決めたのだ。実際、二〇世紀のうちは、かなり多くの人びとが日本語を話していた。だが、その人びとが亡くなって、いまは、はとんど話されていないという。歴史の遺物みたいに州の憲法だけに残っているわけだ。(p.14〜p.15)
信長は、この時期に足利将軍家を追放し、全国政権を握る。「楽市令」にならう大名も多く、その意味では公権力によって出された、はじめての漢字ひらがな交じり文の政令だった。「〜事」で止めるのは漢文読み下し体のクセのひとつ。(p.198)
一六八三年、五代綱吉のとき、「武家諸法度」のうち、秀忠のときからあった「文武弓馬之道」が、「文武忠孝を励まし」に変わり、殉死が禁止される。このときは和漢混交文で出されている。もともと儒学は子の親に対する「孝」を重んじるが、朱子学は「忠」をおし立てる。(p.200)
幕末から維新期の政府と官僚層でほ、皇学派、漢学派、洋学派が三つ巴になって、制度の組みかえが進んだ。日本語の表記は、旧漢字、旧仮名遣いに統一された。ヨーロッパの新しい語彙と概念が導きいれられるが、漢訳を通したものが多かった。新しいことばもつくられてゆくが、コンセプトは、まずは手もちのもので受けとめるしかない。消化器が働かなければ、何を食べても自分の血や肉にならない。消化器が働くと、「伝統」が組みかえられてゆく。(p.246)

★★ 小さな町小さな旅<中国四国> [山と渓流社]
一度は訪ねておきたい日本の町100選、シリーズ全6巻の内の一冊。これまでこの手の本は記録していない。しかし、この本には旅行案内の域を超えている所もあり、通読したので、ちょっと書いておこうと思う。取り上げてある小さな町は、上下、倉敷、備中高梁、勝山、尾道、鞆、竹原、倉吉、大森、津和野、萩、岩国、柳井、内子、大洲、塩飽本島、脇町、安芸、の18。その他に、吹矢、御手洗、境港、温泉津、長府、宇和町、道後温泉、吉良川、赤岡、がかるく取り上げられている。中四国なので、七割ぐらい行ったが、新たな魅力を発見し、又訪問したいと思う所がいくつもあった。行っていない所にも魅力的な所が多く、プチ旅行で訪れてみようと思う。この本は、旅行案内的なことが後ろの方にまとめてある。これがいい所でもあり、不便な所でもある。単なる旅行案内にしないための工夫だろう。ところで、このシリーズの他の地域のものは読む価値があるか。近くだから小さな町へ小さな旅に行くのだろう。

英語を学ぶのは40歳からがいい 菊間ひろみ
タイトルにつられて読んでみました。初めはまあ予想通りでした。40歳だと、人生の方向が決まっていて、動機がハッキリしている、経験を積んでいて、理解力や知識が優れている。で、三つのことを推奨してます。音読をする、多読をする、必要最低限の英語表現を覚える。何処かで聞いたことです。最後は、お決まりの英語教育と受験英語、そして英語教員への批判に行き着きます。学校では・・・とか、学校の文法で・・・とか例を挙げていますが、ほとんどが実態を知らない独りよがりです。英語教員である私が言うのですから間違いありません。著者が書いていることは学校でも教えています。例を挙げたらきりがありませんが、willlと begoing to と進行形、どういうときに受動態を使うか、a と the の使い分け、などなど、著者が学校で教えていないということのほとんどは学校で教えられているのです。結局、この様な本が次から次に出ることが英語教育の問題なのでしょう。今後この種の本は読まないことにします。
英語教育の問題点、というか、教育一般の問題点でもありますが、一番は、勉強をする気のないやつが学校に来ているということです。

★★ タモリのTOKYO坂道美学入門 タモリ
図書館で借りて、次に予約している人がいなかったので、2ヶ月以上借り続けて、東京の地図を見ながらゆっくり読みました。タモリさん、博学ですね。まず、前書きの格調の高さに驚きました。それぞれの坂の説明も硬軟織り交ぜて、読むものを惹き付けます。一時期、東京について、東京の坂について、何冊か本を読みましたが、この本が一番バランスがとれていると思います。近いうちに東京に行くので、大いに参考にするつもりです。

★★ 名前のない女たち 中村淳彦
サブタイトル:企画AV女優20人の人生
先日読んだ、「売春未満」、という本の著者の第一作。まずこれを読むつもりだったのだが、2002年出版なのに図書館の順番待ちで三ヶ月。「売春未満」を読んだ後だと、衝撃が薄い。AVとは関係なく、無知で愚かで不幸な女の話だと思った。著者が強調してその様に書いている。一回のインタビューでその女性の人生ををかなり断定的に判断するやり方には違和感を覚えるが、時に面白い名言を書いている。
コンプレックスは自力で克服しない限り、どんどんと大きく成長して、卑屈という膿(うみ)を産んでいく厄介なウィルスだ。ウィルスは意識のないところで人間を蝕んで、容赦なく噴い潰していく。(p.428)
一部にしても、日本にこの様な人々が暮らす世界が存在しているのを、どう考えたらいいのか。

★★★★ 生物多様性のウソ 武田邦彦
日頃から疑問に思っていたことが氷解した面白い本でした。生物学的視点からだけではなく、様々な問題を考慮した論考は説得力があります。特に納得したことを以下に引用します。
トキが絶滅しなければならない状況は変わっていないのに、無理矢理、トキを生かしておくのは本当にトキのためなのでしょうか。ひょつとしたら人間のエゴかもしれないのです。(p.4)
古い生物が力尽きて絶滅し、新しく競争力の強い生物が繁殖してきました。人間がおらず、「絶滅危倶種を保護しよう」などという活動がなかったからこそ、少しずつ進化して形も生活もより合理的で寒さにも強い生物が増えてきたのです。/筆者は「絶滅しそうな動物や植物」を、「人間の趣味」で「保護する」というのはとても残酷だと思います。(p.84)
「生物多様性は、地球温暖化と並んで、アメリカとヨーロッパが自国を優位にするために、環境という名の下で持ち出してきた国際戦略」ということもできます。/この間題を理解するには到底、環境とか生物などの知識ではなく、世界の近代史の知識が必要です。(p.139)
 DDTを巡るこの問題は、「自然と人間、環境とはなにか」を深く考えさせます。
 まず学問的な事実は次のとおりです。
1、DDTは昆虫だけに毒性を示す化合物である
2、DDTを使いすぎて昆虫が減り、鳥が減った
3、DDTの製造が禁止になつた
4、マラリア撲滅計画が中断して毎年100万−200万人が死んだ
5、結局、DDTの排斥によって、昆虫の命を救い、人間の命を奪った
6、DDTによる人間への健康被害は一例も報告されていない (p,163)
人間は「今、正しいとしていることを正しいと考える」という特徴があります。また「正しいこと」を納得するのではなく、「納得できること」を正しいと思います。(p.202)
 この種の断定はいかがか?
208ページから数ページ、ロイヤル島のオオシカ、について書いてあるのを引用したいのですが、長過ぎます。要は、自然はうまくバランスをとっている、と言うことでしょう。この著者とは反対の意見を持つ人の話を聞いてみたいと思います。

★★★ モーツアルトを「造った」男 小宮正安
あのケッヘルについての本である。サブタイトルが、「ケッヘルと同時代のウィーン」、と付けてあるが、これよりも広い範囲を扱っている。音楽だけでなく、その背景にある歴史にも鋭い視線を向け、モーツアルトとケッヘルの時代がよく理解出来る。モーツアルトが好きな人、音楽の歴史に興味のある人、是非どうぞ。
この世にモーツァルトがあるかぎり、ケッヘルも彼のかたわらにありつづける。もしかするとケッヘルが完全に忘れ去られるときとは、モーツアルトという存在そのものが忘れ去られるときなのかもしれない。なぜならケッヘルこそは、今日にいたるモーツアルトを「つくった」人物たちのなかでも、とりわけ大きな働きをなした男だったのだから。(p.264)

★★ アフリカで誕生した人類が日本人になるまで 溝口優司
色々な学問が日々進歩しているのを感じました。昔学校で習ったことは大きく変わっています。この本にはタイトル通りのことが書いてありますが、形質人類学というものが著者の専門らしく、発掘された骨や歯を中心に研究しているようです。後半が「日本人になるまで」で、こちらがメインのようです。ただ、内容的には、以前の研究でいわれていた、南方縄文人が居たところに、北方弥生人が来た、という大筋は同じでした。
以下の、人が体ではなく道具を進化させる段階、という指摘が興味深かった。
人類は今なお、進化し続けているのか/私たちはこうして、古墳時代以降という短期間にも、おそらくその時々の環境に合わせて体を変化させてきました。しかし、たとえば、固いものを食べなくなったせいで顎が小さくなり、乱杭歯になった私たちの子孫が、歯が小さくなる方向に進化するかといえば、おそらくしないでしょう。なぜならば人類は、すでに体ではなく道具を進化させる段階に入っているからです。つまり、歯が小さくなるよりも先に、歯科治療によって乱杭歯の状態を解消してしまうので、歯の縮小的進化はおそらく起こらないと思われます。(p.185)

★★★ ジワジワ来る○○ 片岡 K
副題:思わず二度見しちゃう面白画像集
著者が集めた(撮影したのではない)面白い写真がキャプション付きで掲載されているもの。著者がつけたこのキャプションが傑作。「ジワジワ来る」は、後書きに書いてあるが、「ドカーンと来る」とか、「爆笑」とかだったら押しつけがましいので、奥床しくつけたとのこと。実におかしな写真満載です。思わず吹き出してしまうものも数多くあります。写真は説明しても面白くないので、具体例をあげにくいのですが、文でも伝わりそうなものを一つ。新聞の第一面の下にある本の宣伝、本のタイトルが、『鼻ほじり論序説』。「セックスよりも愉しく、しかもリスクなし!人類史上最古、最高の快楽「鼻ほじり」。鼻ほじりのテクニック、鼻ほじりの豆知識、絵画、詩、歌の中の鼻ほじりまで、その深くて豊かな愉悦の世界に貴方を誘う手引書。イラスト多数。」と説明が付いています。これ本当に存在する本です。調べてみました。市の図書館にもあります。同じような内容ですが、図書館の内容紹介:「セックスよりも愉しく、しかもリスクなし! 人類史上最古、最高の快楽「鼻ほじり」。鼻ほじりの歴史、テクニック、悩み相談、豆知識…。その深くて豊かな愉悦の世界に貴方を誘う本邦初の手引書。」 読んでみようかな。

★★ 高校生が読んでいる『武士道』 大森惠子(抄訳・解説)
あの開成高校の国語授業の教材として使われた本を再構成したもの。武士道というと、まず第一に『葉隠』を思い出すが、これを高校の授業で使うとなると、思想的な偏りを感じる。しかし、『武士道』となると、そんなに違和感はない。何故かというと、こちらは武士道という名を借りた日本人気質の分析、そして、それと外国文化、特にキリスト教との繋がりを論じているからである。とはいっても、高校生に相応しい本かといえば、疑問は残る。著者の解説は、再構成したそうだが、一般向けレベルではない。

★★ 空から見る日本ふしぎ絶景50 渋川育由
一時嵌っていた名景シリーズの続編(?)、絶景シリーズのトップバッター。一年ほど前の刊行。
「空から」とは、高いところからの意のようで、航空写真ばかりではありません。淀川河口夕景、は梅田スカイビルからの眺めで、遠くに夕陽に染まる明石海峡大橋が見え、本当に絶景です。この本のカバーにも使われている、瀬戸内海の夢の島、は写真の左下に大崎上島、右下に大崎下島、共に大きな島ですが写っているのはほんの一寸、大崎下島から橋伝いに、平羅島、中島、岡村島(愛媛県今治市)、この三島が写真の中心になっています。奥に、小大下島、右に、小島。これは航空写真でまさに空からの絶景です。現地に行っても見られない光景、写真集の醍醐味です。

★★ 売春未満 中村淳彦
副題:新・名前のない女たち/素人女性編
プロローグに以下の記述がある。
本書は『ストリートシュガー』という素人ヌード月刊誌が舞台である。/昭和五十八年創刊、二十八年間も継続しているエロ本の生き字引的な月刊誌であり、北海道から沖縄まで日本全国の女の子たちがカメラマンや編集部員に路上でナンバされてハダカやセックスを晒(さら)してきた。街ゆく素人の女の子がナンパされてその場で脱ぐその衝撃は大きく、雑誌は大ブレイクして、数々の素人女性たちをお金で釣り、ときには騙して脱がしできた歴史がある。/しかし、この十年は雑誌の主役である素人の女の子の確保にはまったく苦労していないという。二〇〇〇年代に突入しでからは、編集部に出演希望の応募が急増、また、出張でアポなしで地方に行っても出会い系サイトで簡単にモデルが見つかり、「素人ヌード」は決して貴重なものではなくなったからである。(p.9)
この様な女性を十数人取材したのがこの本である。時代が変わったと思う。それも悪い方へ。これから日本はどうなるのか、かなり絶望的ではないか。読みながら一番思ったのは、格差社会が、階層社会が、深く広く浸透しているのではないかと言うことだ。登場する女性には一流会社の社員だったり東大卒という人も居るが、その様な基準ではなく、人間の根本的なところでの問題だと思う。
個々の女性について言及する気はないが、最後に東日本大震災後に応募してきた女性が登場する。この様に、東北の女性が職を失い、東京で風俗関係の仕事に就く事例が増えているとのこと。信頼出来る調査かどうか判らないが、あり得ない話ではない様な気もする。

★★★ ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー
原作は Raymond Chandler "The Long Goodbye" 1953年に刊行され、1958年清水俊二により、「長いお別れ」のタイトルで邦訳されている。2007年、日本語訳でも原文でも何度も読み、少なからぬ影響を受けたと言う、村上春樹によって翻訳された。私が読んだのは、その時のハードカバーではなく、2009年に出た軽装版(新書サイズ)、711ページの部厚いもの。製本技術の進化は著しいが、この本に関しては一寸ではあるが歪みがありページが開き難いところがあった。
翻訳がどの程度原文の雰囲気を伝えているのかは知るよしもないが、村上春樹のトーンが強いのは間違いない。しかし、当然ではあるが、主人公、フィリップ・モーロウは村上作品の登場人物とは異なる。ハードボイルドというお言葉がピッタリである。つまり、こんな人格の人物は現実には存在しないだろう。でありながら、妙なリアリティを持った引き込まれる作品である。ある意味、ハリウッド映画が持つサービス精神をふんだんに持っている。長い話であるが、ぐいぐいと楽しく読めた。
次は、村上春樹訳、グレイトギャツビーを読んでみよう。

★★ 利他のすすめ 大山泰弘
副題:チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵
2008年に出版された『日本でいちばん大切にしたい会社』を読み、こんな会社があるんだと感動しました。5社紹介されている内の一つ、日本理化学工業の会長が2008年に『働く幸せ』という本を出版しました。大凡のことは判っていましたが、当事者の言葉を聞きたいと思い読みました。またまた感動しました。そして今年、この二冊目の本が出版されました。今度はどんなことが書いてあるのだろうと期待して読みました。しかし、かなり同じ内容でした。チョットがっかり。
もしかすると、私たちは手段にすぎないものを「常識」と勘違いすることによって、人の働き方や生き方を縛ってしまっているのかもしれません。そして、むやみと障害者=i常識に適応できない人々)をつくりだしてしまっているとすれば、この錯誤は実に罪深いといわなければならないでしょう。
仕事で大切なのは「結果」です。/「手段」にこだわりすぎるのではなく、「どうすれば結果を出すことができるか」を考え抜く。/そうすれば、きっと新しいやり方を見つけることができるはずです。/これこそ、「常識」から自由になる方法なのです。(p.65)
個性とは、生まれつき人に備わっているものではありません。/「人の役に立ち、人にほめられ、人に必要とされる」という幸せを求めて働くなかで、発見するものであり、育てていくものなのです。/あるいは、周りの人に見つけてもらうものと言ってもいいかもしれません。(p.106)
その意味で、私はいまの若い人はかわいそうだと思うことがあります。/まだ社会に出て働いた経験もないうちから、/「個性を大事にしなさい」/「個性的でありなさい」/と言われて育つからです。/それで、「自分探し」をしてみたり、ことさらに人と違ったことをしてみたりする。そんな姿が、ときに苦しげにみえることがあります。(p.109〜p.110)

★★ かけ算には順序があるのか 橋誠
三章構成で、第一章がかけ算に順序があるかというお話。繰り返しが多く、読んでいてウンザリします。もっとスマートに書けなかったのでしょうか。そして、内容的に言うと、順序というよりは単位の問題ではないかと思いました。第二章は九九のお話。この章も第一章ほどではないが繰り返しがかなりあります。内容は知らなかったことが多く面白いと思いました。「半九九」というものの存在を初めて知りましたが、実は私、この半九九を覚えたのです。つまり、大きい数から小さい数への九九を覚えませんでした。いまだにすんなり言えませんが、特に困ったことはありませんでした。割り算九九というものも初めて知りました。しかし、その例の、二一天作五(にいちてんさくのご)、だけは聞いた記憶があります。親がよく言っていたような気がします。第三章は、分離量と連続量のお話。
「なぜ2時から5時までは3時間で,2日から5日までは4日間なのか」の答えは,こうなります.
・2時から5時までは,2時を「0時」としてはかり始めるから,5時までは3時間.
・2日から5日までは,2日を「1日目」としてかぞえ始めるから,5日は4日目となり,4日間.(p.107)

対象とする読者の設定がきちんと出来ていないような気がします。

★★ ご先祖様はどちら様 橋秀美
「みんな誰かの末裔」という雑誌の連載を加筆修正して本にまとめたもの。その為か、テーマの割りには軽いタッチで書かれている。一般論ではなく、著者が自らの先祖を辿っていく過程を面白く語る。その中にナルホドと思うことがあり、面白く読めた。
家があったから戸籍がつくられたのではなく、戸籍をつくることで男系の「家」というイメージを一般に定着させたのだ。/しかしそう考えると、不思議なのは今もなお戸籍制度が存続しているということである。(p.120)
戦前戦中は、天皇を始点とした末広がりの家系図に国民は位置づけられていたので天皇は特別な存在だった。しかし戦後、国家神道は解体され、個人が中心になる。個人とはすなわち自分のことで、自分から家系を辿ると先祖の数は爆発的に広がり、たとえ天皇につながっていてもそれは先祖の中のひとりにすぎなくなる。いわば普通のひとり。天皇が神から人間になったというより、家系図が逆転することで天皇は大勢の中に粉れ込んだのだ。(p.209)


★★★ 旅の時間 吉田健一
著者は錚錚たる家系の出であるが、それが作品にどの程度影響しているのか、ということは一読者としてはどうでもいいことではある。今気になっているのは、何故この本を読もうと思ったのかが思い出せないことだ。最近こういうことが多く、メモしておこうと思いながらついつい忘れてしまう。
1975年に出版された本。図書館から借りてみると、紙の周辺部が変色しいて、まるで戦前のもののようだ。文体が又そのような気にさせる。10の短編が収められ、時間がテーマと言えるだろう。最初の「飛行機の中」の冒頭部分を引用してみる。読点のほとんどない長い文章、慣れるのにかなりの時間を要した。
この頃はロンドンを飛行機で朝立つと翌日の晩には東京の町を歩いていられる。実際に飛行棟が飛んでいる時間はロンドンを朝の何時に立って東京に翌日の何時に着いたということで計算しても地球が東京の方からロンドンに向って廻転していて一時間である筈のものが刻々に縮められて行くから解らないが要するに一日を飛行機の中で過すということはその一日の意味に多少の幅を持たせさえすれば言える。それでその一日が二日になってロンドンから東京まで行けるのである。併しそれだから何でもないことにならなくて時間と空間がそれ程簡単に切り離して考えられるものでもなければ又実際に切り離せるものでもない。(p.5)
これは小説の形をしているが、随筆、あるいは、哲学書と言えるものである。慣れてくると思考の流れに乗れるようになり、著者独自の世界を楽しく彷徨えるようになる。
古利というものの多くが如何にも周囲の自然に馴染んで落ち着いた感じがするのが茅葺きの百姓家がその周囲の木立ちから切り離せなくなっているのと少しも変ることはないことに思い当った。ただそこにいればいいのだと日本では凡てのものが言っているようだった。又それ故にそこには美という風な刺戟的なものが欠けている。或は美も日本では馴らされている。(p.202) 「京都」より
「賀茂川」と書いてあるが、記述から考えると「鴨川」のはず、何か主張・意図があるのか。
「こうして段々日が暮れて行く訳ですか、」と老人が言った。「夕方っていうのは寂しいんじゃなくて豊かなものなんですね。それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠っていて朝も昼もあった後の夕方なんだ。我々が年取るのが豊かな思いをすることなのと同じなんですよ、もう若い時のもやもやも中年のごたごたもなくてそこから得たものは併し皆ある。それでしまいにその光が消えても文句言うことはないじゃないですか。そのことだけでも、命にしがみ付いている必要がないだけでも爽かなもんだ。」 (p.239) 「航海」より
これ、いいですね!

★★ チーズの歴史 アンドリュー・ドルビー
チーズの歴史、起源、製法、といったことがかなり詳しく、専門的に書いてある。しかし、全体を俯瞰する視点がないので、素人には判りにくい。それに、翻訳もの独特の文体で読みにくいということが、判りにくさを倍加している。何かを勉強したい時、ピッタリの本はなかなかありませんね。

★★ 号外!!虚構新聞 虚構新聞社UK
タイトル通り、ウソの記事をのせた新聞。明らかにウソと分かるものから、本当かも知れないと思わせるものまで、いずれもエスプリとユーモア満ち、シニカルなスパイスが効いているものも多くあります。ただ、本になったものを180ページも読んでいると食傷気味になることもあります。ホームページを開設しているようなので、そちらでチョコチョコ見るのがいいでしょう。以下に2ページほど・・・



★★★ 日本語教室 井上ひさし
著者が2001年10月から月一回行なった公演を収録したもの。2011年3月発行なので、以前出版されたものを新書にしたのかと思いましたが、どうも先行する本はないようです。何故今?
面白い本です。しかし、講演であり、博識の著者の話題は彼方此方に飛び、まあそれだから面白いのですが、読後に振り返ると結局ポイントは何なのか曖昧です。いや、ポイントとか結論とかは求めなくていいのでしょう。面白かった、刺激を受けた、年寄りの読書はこれでヨシとしましょう。
言葉は道具ではないのです。第二言語、第三言語は道具ですが、母語=第一言語は道具ではありません。アメリカでは、二十世紀の前半に「言語は道具である」という考えが流行しました。アメリカの合理主義と相まって、一時期、世界を席巻しますけれども、やがてだんだんと、そうではない、母語は道具ではない、精神そのものであるということがわかってきます。母語を土台に、第二言語、第三言語を習得していくのです。ですから結局は、その母語以内でしか別の言葉は習得できません。(p.19)
メリー・ホワイトというボストン大学の社会学の先生が「ニューズウィーク」誌に書いた「アメリカはよい国か」というタイトルのエッセイをご紹介しましょう。僕は感動して、もう全文暗唱しています。「アメリカはよい国か。イエス」とまず書いてあるんです。いい国である。「ただし、奴隷制や、先住民抑圧や、日系人の強制収容や、無差別爆撃や、原子爆弾の投下や、ベトナム戦争がなければの話だが」と続くのです。この人はサービスに、「日本はよい国か」とも同時に書いています。やはり「イエス。素晴らしい国である」と。そして「ただし」というのが、また入るんです(笑)。「台湾・朝鮮の植民地化、満州国のでっち上げ、それから沖縄とアイヌに対する差別、被差別部落、それから在日韓国・朝鮮人に対する抑圧、それから従軍慰安婦問題、そして南京虐殺を除けばだが」と続いています。(p.117)
世界的に見れば短い小さな川ですが、山形に降る雪は全部最上川に流れることになっているんですよ。川の支流も他の県には行ってないし、上流も山形県内なのです。一県一川、つまり一つの県に一つの川というのは、日本で最上川だけで、これが山形県人の自慢ですね。そんなこと自慢してどうするんだ(笑)。


★★★★ 最終講義 内田樹
「最終講義」、「日本の人文科学に未来はあるか(あるといいけど)」、「日本はこれからどうなるのか?――"右肩下がりの社会"の明日」、「ミッションスクールのミッション」、「教育に等価交換はいらない」、「日本人は何故ユダヤ人に関心を持つのか」。以上の公演が収録されています。話し言葉なので読みやすく、理解しやすくなっています。といっても、結構中身は濃く、説得力にも富んでいます。しかし、説得されない人がいるから、今の日本がおかしいのでしょう。この先著者はどうのような活動をするのでしょう。
人間は「自分のため」では力が出ないものなんです。「人間は私利私欲を追求するときに潜在能力を最大化する」とほとんどの人が信じている。だから、努力した人間には報償を与え、努力しなかった人間に処罰を与えるというシンプルな賞罰システムを導入すれば、すべての人間は潜在能力を開花させると思っている人がたくさんいます。文科省の役人なんか、ほとんど全員そう信じている。そんなわけないじゃないですか。そういうシンプルな人間観で教育政策を立案してきたから、日本の教育制度はここまで崩壊しちゃつたわけですよ。人間というのは自己利益のためにはそんなに努力しないんです。だって、どんなに努力しても、それで喜ぶのが自分ひとりだったら、そもそも努力する張り合いがないじゃないですか。「面倒くさいから努力するの止めよう」と思っても、それで迷惑をこうむるのが自分ひとりだったら、踏ん張る気力が湧かない。そんなこと誰が考えてもわかる。知性のパフォーマンスを向上させようと思ったら、自分以外の「何か」を背負った方が効率的であるに決まっています。自分の成功をともに喜び、自分の失敗でともに苦しむ人たちの人数が多ければ多いほど、人間は努力する。背負うものが多ければ、自分の能力の限界を突破することだって可能になる。(p.62)
教育というのは、まず要求があって、それに対して「はい、これがお求めのものです」と言って差し出して、引き換えに代価を受け取るというものではないと僕は思います。教育は商取引ではありません。最初は無償の贈与から始まる。教わりたいという人がいなくても、「私にはぜひ教えたいことがある」という人が勝手に教え始める。聞きたい人がいれば、誰にでも教えますよという、教える側の強い踏み込みがあって教育は始まる。まず教える側の「教えたい」という踏み込みがある。それに対して、「教わりたい」という生徒の側の踏み込みがある。教える側の踏み込みと、教わる側の踏み込みが、両方成立したときに、初めて教育というのは成立するのではないか、と。(p.171)
誰も「教えてください」と言ってこないけれど、こちらが「教えたい」と言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければいけない。そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、待ってなければいけない。(p.179)

以上二つの引用、実現出来たらどんなにいいでしょう。
これから教育を受けようという側の子どもたちは、自分が受ける教育の内容をまだ理解していないわけです。これから自分が受けるはずの教育の意味や有用性が理解できないという事実それ自体が、彼らが「教育を受けなければならない理由」なわけです。(p.212)
以下の解釈、面白い。
佐世保、羽田闘争のとき、日本の学生たちは「黒船」を壊うために兜をかぶって、竹槍と旗指物掲げて出かけたんです。それは「本土決戦になったら竹槍で最後の一兵まで戟う」と揚言していたにもかかわらず、ポツダム宣言を受諾した大日本帝国戦争指導部に対する、戦後世代からの強烈な「ノー」だったと僕は思います。(p.278)
六〇年安保もそうだったし、六七年からのベトナム反戦闘争もそうだった。いずれも本質的には「攘夷」闘争だったと僕は思います。/安保闘争も反基地闘争もベトナム反戦闘争も、さきの戦争で死んでいった青年たちに対する「供養」だったと僕は思っています。供養が果たせたのかどうか、それはわからない。たぶん果たせなかったんでしょう。でも、日本中の何十万という若者たちが、その数年間、供養の儀礼に参加したことはたしかです。そして、「ベトナム反戦」という当面の政治課題がなくなったところで、何をしていいのかわからなくなった。(p.279
)

★★ 森見登美彦の京都ぐるぐる案内 森見登美彦
著者の作品に描かれる京都をぐるぐる(?)廻るという趣向。著書の抜粋とそこの写真、例によって独特の文体によるエッセー、で構成されています。有名な所も、著者の個人的な繋がりしかない所も、ウン十年前を思い出させる懐かしさに満ちていました。ビックリしたのは、そのウン十年前に通った食堂がまだあると言うことです。勿論新しくできた所もあり、また、昔からあったものでも行ったことのないものもあり、機会があったら訪れてみようと思いました。

★★ 100歳までボケず、元気に生きる101の方法 白澤卓二
この様な本を読んでみようと思う歳になりました。虫のいい話ですが、今の生活を変えずに(!?!)、何か出来ることはないかと思ったのです。書いてあることは実にごもっともなことです。既にやっていることもあります。やっていないことでも、効果ありそう、出来そう、なこともあります。ただ、食に関して、「丼ものを選ばない」、「ラーメンを食べるなら汁はすべて残す」、など出来ません。ラーメンはスープが旨いのです。ということで、長生きは、目標ではなく、結果と考えましょう。

★★ 広島学 岩中祥史
広島出身の、広島を愛する人が書いたのかと思ったら、そうではありませんでした。まあ、物事は外から観た方がいいのかも知れません。この著者、博多学、札幌学、という本も書いているようです。
巻末に、参考文献がたくさんあげてあるように、実によく調べられています。とても勉強になりました。しかし、そういった事実を元に広島を分析した結果には、かなり疑問符が付きます。私は根っからの広島人ではありませんが、それでもこの本に書かれていることに反発を感じます。純粋な広島人だったらどう感じるのでしょう。広島に住んでいないが故の事実誤認が見られ、そこがこの本の弱点でしょう。そもそもこの様な本にまじめに反論する必要もないのかも知れません。そうならば読むなと言われそうですね。

★★★ 日本人のためのアフリカ入門 白戸圭一
著者は毎日新聞の記者。学生時代からアフリカに興味を持ち、左遷とも思われるアフリカ特派員に、志願してなった。その経験を元に書いているので、本人も認めているように入門書とは言えないかも知れないが、面白い切口でアフリカを見せてくれ、説得力のあるものになっている。以下が著者の問題意識の根本。
現代アフリカの紛争を「部族対立」の四文字で括る報道は、紛争の構図を整理したかに見せながら、実際には疑問には何も答えず、アフリカに対する偏見と疑問を読者に植え付けるだけに終わっていると私は考えています。(p.127)
まず最初に取り上げられているのが、「あいのり」というテレビ番組がエチオピアでやったインチキについて。報道番組でないが故に一層誤解と偏見を与えたのではないか。そもそも報道番組が少ないのだから。
「A国の民間人の戦死率」と「B国の自殺率」を比較して、どちらの国が平和か否かを論じることは明らかにナンセンスです。しかし、「日本の自殺率はソマリアの民間人の戦死率より高い」というある意味で衝撃的な結果について、アフリカの紛争を長年研究している知人の男性研究者と話をしていた時に、彼が言った次の言葉は胸に刺さりました。/「日本の自殺率がソマリアの民間人の戦死率よりも高いというのは、考えようによっては、日本人は世界最悪の紛争地の住民がさらされているストレスに匹敵するストレスにさらされ、自殺に追い込まれているということではないだろうか。高い経済水準を誇るにもかかわらず、日本人の人生がそこまで過酷で、それによって日本人の内面が崩壊しているとしたら、我々の社会の在り方は根本から問われることになるのではないか」 (p.215)
外国を知ることは自国を知ること、とよく言われるが、まさにそのことに気付かされる本だった。アフリカについてもっと調べてみようと思った。最後にアフリカを知るための本が10冊紹介されている。以下はそのうちの一冊、ルワンダ中央銀行総裁日記、の著者紹介。
服部氏は一九一八年生まれ。父親の転勤で子供時代を英国、中国で過ごし、東京帝国大学法学部卒業後、海軍に所属してラバウルで終戦を迎えた。復員後、日本銀行に入行し、米国留学、フランス駐在などを経て、国際通貨基金(IMF)の要請を受けて独立まもないルワンダの中央銀行総裁に就任。財政、金融を中心にルワンダ経済を一から造り上げる仕事に取り組んだ。(p.231〜p.232)
この様な日本人がいたということを知り、驚きと感動と賞賛の気持ちを持った。

★★★★ 海炭市叙景 佐藤泰志
今年3月に映画を見た。いい映画だったが、ちょっと引っ掛かる所があり、滅多にないことだが、原作を読んでみようと思った。函館がモデルの海炭市という架空の町での、様々な人々が絡んだ日常・非日常が描かれる。第一章9話、第二章9話からなり、まだ続く予定だったらしいが、著者の自死により未完。とはいえ、充分に素晴らしい作品です。時代と場所が限定されてはいるが、それを超え、具体性を持ちながら普遍的な世界を創り出している。どちらかというと、世俗的な人物が多いが、それが世の中だろう。
原作を読むと、映画の欠点が目立つ。別物だと考えるべきかも知れないが、脚本がよくないと思う。恐らく、メッセージ性を強く出すために、原作を変えたのだろうが、うまくいっていない。感情を如何に表現するかが映画の一つの課題だ。あるいは、私の感受性が鈍っているのかも知れない。

★★ NHK英語でしゃべらナイトTRAVEL 森谷剋久(監修)
NHK英語でしゃべらナイト別冊シリーズ7 英語で京都を案内できますか?
テレビ番組から生まれた本。英語による京都案内だが、日本語の要約(逐語訳ではない)も付いている。何となく分かっているようでも、英語で書かれたものを読むと、成程と思うことが多々ある。また知らなかったこともあり、六角堂のへそ石は次回行く時によって見ようと思った。外国人に英語で京都の説明をする機会はないだろうが、英語の勉強という面だけではなく、以外に面白い本である。

★★ ジーザス・サン デニス・ジョンソン
先日読んだ、ニッポンの書評、に読みたくなるような書き方がしてあった。で、挑戦した訳です。1992年に出版された本が、2009年に翻訳されました。
読みながら、歳を感じました。若い頃ならば、間違いなく面白いと思ったでしょう。今はもうついて行けなくなっています。時間や空間に歪みが生じ、不思議な世界を創り出しているのですが、そこに入り込めないのです。ちょっと悲しくなりました。年相応の読み物があるのでしょう。

まわりの人を幸せにする55の物語 福島正伸(監修)
国際救助隊という秘密結社の隊員が、人知れず行なった社会貢献をネット上で公開しているそうです。この本は、その中から55の事例を紹介したもので、ほんのちょっとしたことが大部分を占めている。小さなことも大きなうねりとなったら世の中は確かに変わるだろうが、この本に書かれていることは、それでどうした、と突っ込みを入れたくなることばかりだった。例えば、次の人がすぐ乗れるよう、夜エレベータを一階に下ろしておく。トイレットペーパーを三角に折る。電車で肩にもたれかかって寝始めた人にそのまま肩を貸す。など。私には出来そうもありません。

★★ 本当は嘘つきな統計数字 門倉貴史
以前、この著者の、「夜のオンナ」はいくら稼ぐか?、という本を読んだ。タイトルほど面白くはなく、抽象化出来ていなかったが、面白い話題もあり、その意味では楽しく読めた。この本にも同じことが言える。一般化もある程度はなされているが、理論的な内容とは言えない。素人向けだからこんなものなのかも知れないが、ちょっと物足りなさを感じる。とはいえ、面白い具体例がたくさんあり、楽しく読めた。
実際の関東大震災による死者・行方不明者は、「定説」よりも約3万7000人も少ない10万5000人余りであったことが判明したのだ。/なぜ、これだけ長い時間が経過して犠牲者の数が大幅に下方修正されることになったのかと言えば、焼死者の一部が行方不明者としてもダブルカウントされていたからである。(p.73)
ある調査機関によって何らかのイベントについてプラスの経済効果が発表されたら、それとは逆にマイナスの効果がどこかで発生していないか自分であれこれ考えてみるということだ。(p.202)
本来、タバコに課税をする根拠は「財源確保」ではなく、喫煙による社会的損失を喫煙者への課税によって補填するという発想に基づくものでなければならないのだから、政府の懐がどれだけ潤うか、あるいはどれだけ痛むかという議論ではなく、どの程度の課税であれば喫煙による社会的損失を最小限にできるかという議論のほうが重要と言える。/喫煙による社会的損失としてよく挙げられるのが国民の社会保障負担(医療費+公的年金)の問題である。(p.211)
人間は無意識のうちに、自分がそうあってほしいと願う情報、あるいは自分の信念に合致する情報を選び、自分が否定したい情報や自分にとって都合の悪い情報を排除する傾向がある。(p.215)

★★★★ ストーリー・セラー 有川浩
食わず嫌いで読まなかった作家、タイトルに惹かれて読みました。ところがこのお話、「面白い物語を売る」というコンセプトで作られたアンソロジー、Story Seller に編集者の要請を受け書かれたものだそうです。つまり、このタイトル、著者の独創ではないようなのです。まあそれは兎も角、とても面白い本です。女性作家に関するストーリーで、Side:A(そのアンソロジーに入っていたもの)は作家の旦那の視点で、Side:B(単行本化の時の書き下ろし)は作家の視点で書かれています。しかし、この二つの視点の裏に創造者(著者)の視点があり、普通は隠されているのに、この作品では時に表に出てきて、虚構空間を露わにし読者を揺さぶります。この様な書き方、私大好きです。

★★ 京都てくてくはんなり散歩 伊藤まさこ
タイトル通り、京都を歩いて廻った記録。多少文化的な視点があり、単なる観光案内よりもマシなものになっている。しかし、独自の視点といったものはない。あまり知られていない所も紹介してあって、参考になるものもあった(結局、観光案内か)。

★★ ニッポンの書評 豊ア由美
わたしはよく小説を大八車にたとえます。小説を乗せた大八車の両輪を担うのが作家と批評家で、前で車を引っ張るのが編集者(出版社)。そして、書評家はそれを後ろから押す役目を担っていると思っているのです。(p.12)
著者によると、書評はまだ読んでいない本を知るためのもの、評論は読んだ本についての評価を知るためもの、だから、書評にはネタバレがあってはいけないとなります。というような、至極真っ当なことが書いてあります。以前、「文学賞メッタ斬り!」という本(大森望との共著)を読んで、アクの強い人だと感じましたが、それがちょっと弱いと思いました。つまり、言いたい放題という面もありますが、あまり面白さがありません。

★★ 名作アニメの風景50 森山晋平ほか(編集)
名作アニメの舞台となった所、あるいは、舞台と思われる所を、写真で紹介する本。見てないアニメもあるので判断出来ないものもあるが、成程そのアニメを彷彿とさせるものが多い。しかし、そもそも元々が魅力的な景色なので、アニメに関係なく楽しむことが出来る。

★★ ブスがなくなる日 山本桂子
「なくなる日」シリーズの一冊。サブタイトルの、「見た目格差」社会の女と男、の方が内容を反映している。
第1章・街からブスが消えた(日本の最新「顔」事情) 第2章・ブスと美人の歴史(うつろいゆく美醜の基準) 第3章・ブスにはブスの生き方がある!(美人vsブスの近代史) 第4章・ブサメンに未来はあるか(「顔」競争に駆りたてられた男たち) 第5章・女の美バトルは続く(老いとの壮絶な戦い) 第6章・見た目社会を生き抜く(ブスが切り開く未来) これだけでどの様なことが書いてあるかほぼ判るでしょう。面白い本です。以下、たくさん引用したいのですが、少し(?)だけ。
ブスの語源を調べると、ブスは、漢字で「附子」と書き、トリカブトの根のことを指すそうです。猛毒のアルカロイドが含まれているため、誤って口にすると神経が麻痺して無表情になる。その無表情な顔を「附子」といい、転じて醜い顔を「ブス」というようになった。そのほかに警察の隠語である「ブスケ」(「不」と、女性の隠語である「スケ」をつなげた語)の略とする説、「ブスっとしている表情」を由来とする説もあるようです。(p.7)
髪型と化粧、服装の脱ブスマジック3点セット(p.26)
ブスとは相対的な立場なのです。そもそもチビやデブと違って、ブスには身長や体重のように数値化できる基準はありません。数字で表せるのはせいぜい一重まぶたと二重あごぐらいなもの。ブスかどうかを決めるのは主観(所属グループの上位にいる人たちの主観と、鏡を「見つめる」自分の主観の両方です)という、とても暖味なものでしかありません。/だから、何をもってブスとするかは、人間関係によって変わるし、時代や地域によっても大きく変わってくるのです。(p.26)
「ブス」という言葉が頻繁にメディアに登場するようになつたのは70年代頃と思われますが、73年につかこうへいが舞台劇『熱海殺人事件』のセリフで「ブス!」を連発しセンセーションを巻き起こしていたときには確信犯的な毒を含んだ言葉であったものが、80年代にはごく日常的な言葉として多用されるようになり、巷では「かまぼこブス」(板についたブス)、「めだかブス」(すくいようがないブス)、「一円玉ブス」(くずしようがないブス)といったさまざまなバリエーションまで生まれました。/軽いノリで使われる「ブス」という言葉。軽口なだけに、それに対してブスは真剣に怒ることも悲しむこともできません。そんなことでウジウジしたら、今度は「ネクラ」というもっとひどい評価をされるのは目に見えているからです。/こうしてブスは、「自分を笑い者に仕立てる」という方法を処世術として身につけます。(p.84〜p.85)
ブスという言葉は、80年代をピークに次第に使われなくなり、今では女子高生の間では死語に近くなっているようです。代わって彼女たちが使うのは「顔が残念な人」。直接的な表現を使わず娩曲(えんきょく)に表現する、彼女たちなりの洗練された語法なんですね。ところが、そんなソフィスティケートされた女子高生たちも、男性に対しては容赦がありません。/「ブサメン」。/ あるいは、「キモメン」。/かつて男が女を「ブス」と評価してきたように、今は女が男を「ブサメン」だ「キモメン」だと評価する時代になりました。かつて80年代に「ブスだ、ブスだ」と平気で言ってた男性たちは、もう50代前後になったでしょうか、今では「加齢臭」と後ろ指さされたりしています。(p.98〜p.99)
前章までをもう一度おさらいしましょう。第2章は、支配者と被支配者の力関係でブスの顔が決まったというお話でした。第3章では、男に選ばれない女がブスとされ、ヨメに行かずとも食っていける道を探して奮闘してきた歴史を述べました。/となると、なぜ男が「ブサメン」と言われるようになったかは明白です。男の力が弱くなり、女を「食わせてやれなくなった」から。/明治・大正時代の女学生も、50年代のBGも、80年代の女子大生も、バブル期のOLも、男に選ばれることで良い生活にありつけた。だから男の目線は大きな力を持っていました。ところが世紀の変わり目からこの関係が変化しました。大不況の中、男の経済力がアテにできなくなったのです。(p.99)
お金で買える最新美容は「きれいになる努力は道徳的に善である」という論をお墨付きとして得て、ますます進んでいっています。(中略) ビンボー人もそれなりの努力でそれなりにきれいになってはいますが、金持ちはさらにきれいになっているのです。/「ビンボー人に美人妻なし」は、やはり真実として、ある。けれど「努力」と「内面美」は、そうした格差を見えにくいものにしています。これは欺瞞でしょうか?それとも社会がギスギスしないための媛衝材なのでしょうか?(p.148)
世間ではスキンケアは「努力」であると讃えられ、美容整形は「偽り」と貶められていますが、今日(こんにち)、この二つは地続きの関係にあるからです。/昔は美容整形というと、切ったり削ったりあるいはシリコンなどの異物を入れたりする外科的手術のことでした。だからスキンケアとはまったく違う、向こう岸のことと捉えられていましたが、90年代に、いわゆる「プチ整形」が生まれたことで状況が一変したのです。(p.168〜p.169)
手術はたった1日で顔を変えます。でも、人の中身は一朝一夕には変わりません。(p.177)
インプラント矯正とは、歯茎の骨に小さなネジを取り付け、そこを支点として歯をひつぱつて位置をずらしていく技術です。それにより、従来の矯正方法よりも短期間で確実に、しかも器具が目立つことなく、歯並びを撃えることができるようになりました。/そして注目は、このインプラント矯正をさらに発展させた i-Station という最新技術。上あごの内側にネジを取り付けるこの方法だと、ただ歯並びを整えるだけでなく歯茎そのものの奥行きや高さも矯正できるので、噛む機能を高めるばかりか、整形並みの効果も期待できるのです。出っ張った口元を奥へ引っ込めたり、笑ったときに歯茎が唇からはみ出ないようにするのはもちろん、二次的な効果として頬がすっきりしたり、あご先がキュツと前に出たり、鼻筋が通って見えたり。それまで美容整形でもしないかぎり変わらないと思われていたことが歯の矯正でできてしまうという、画期的な技術です。(p.179〜p.180)

★★★ いすみ鉄道公募社長 鳥塚亮
これまで、多くの赤字ローカル線が地元の人たちの利用促進を最優先に考え、失敗してきました。たしかに、ローカル線は地域の人々の"足″ですから、より多くの住民に利用してもらうことは大切です。しかし、それにも限界がある。クルマのほうが便利なのに、鉄道の利用を強いるのは、けつして地域のためとは言えません。地元の人々の利用を増やして再生するのが一番の理想ですが、少子化や地方の人口流出が続く現在、それはあくまで理想にすぎません。(p.30)
確かにこの通りなのでしょう。ではどうするのか。いすみ鉄道社長の著者はどうしたのか、がこの本に書いてあります。訓練費用700万円自己負担の運転士募集が大きな話題になりましたが、このこと自体がどういうことなのか、そしてそれに至るまで、その後のこと、とても興味深い内容です。更に、著者のここに至るまでの生い立ち、感嘆します。まさにこうなるために生まれてきたかのようです。

★★ 飽食終日宴会奇譚 南條竹則
タイトル通りの本。中国(ちょっとベトナム)の食についての話だが、よくもまあ食べるものだと感心する。しかし、食の本なのに写真は一枚もなし、全て文で表現される。想像力が刺激される部分もあるが、なんのイメージも湧いてこない所もある。オマケに、やたら読み方も判らないフリガナのない漢字が出てくる。まあ、読み方が判ってもどうしようもないが。という訳で、読後に残っているのは、いろいろなゲテモノを食ったということばかりです。

★★★ 社会主義の誤解を解く 薬師院仁志
やはり、社会主義は誤解されているのだ。今、資本主義の弊害が露わになっている時、社会主義について再考する必要があるのだろう。といっても、社会主義的要素は現代の資本主義国の多くにたくさんあるようだ。社会主義を標榜する政党が存在し、政権を取っている国も現実にある。そのような世界情勢を見ると、アメリカと日本が例外的な国に思えてくる。日本はどうなるのか。
言うまでもなく、自由という価値そのものは、人類が獲得した極めて重要な成果であるに違いない。だが、問題は、自由主義的な政策――特に経済政策――が、必ずしも人間を自由にしなかったという事実である。エンゲルスの言葉に象徴されているとおり、社会主義は、この矛盾を直視した。そして、少なくともその間題意識だけは、二一世紀に入っても色褪せていないのである。(p.8)
ドイツが例外なのではない。むしろ、いち早く市民革命を経験したイギリスやフランスの方が、世界的に見れば希有な例外なのだ。アジアやアフリカや中南米を始めとして、世界中の大半の国では、後発的な近代化の中で、社会主義と民主主義が同時的かつ一緒くたに輸入されることになったのである。そのような国々では、資本主義もまた、民主主義や社会主義と同時に輸入されることになった。地球上に暮らす大部分の人間にとって、それが現実の歴史経験なのである。(p.176)
逆説的にも、社会主義の理論や思想を学ぶ機会を有しているのは、ほとんどの場合、先進国に暮らし、既存の世界秩序から多少なりとも既待権益を享受している人々であり、自らの生活を支える現体制を転覆させる革命など望まない人々なのだ。(p.193)
イタリアは、ドイツやオーストリアと三国同盟を結んでいたのだが、一九一五年になってから三国協商側に寝返って参戟し、目出たく戦勝国となった。なお、この国は、第二次世界大戦の際も当初は日独伊三国同盟の一員として参戦したのだが、いち早く降伏した挙げ句、逆に連合国側に立ってドイツに宣戦し、最終的には戦勝国となったのである。ちなみに、両大戦間の一九三四年、イタリアはワールドカップ第二回大会の開催国となり、アルゼンチン代表の主力選手を三人も引き抜いて自国メンバーとした上、審判まで買収し、華々しく優勝の栄誉に輝いた。(p.193
)
この著者、よほどイタリア嫌いのようだ。

★★★★ 完全なる首長竜の日 乾緑郎
文句なく面白い。昏睡状態の人とコミュニケーションがとれるというSF的設定で物語が進む。現実と頭の中の世界が交錯し、境界が曖昧になる。現実と思っていると虚構が忍び込んでいる、また、その逆もあり、最後に大きなどんでん返しがある。しかし、そこで確定したかに思える現実にも、虚構の影が忍び寄る・・・
先日読んだ「忍び外伝」とは全く傾向の違う作品で、この作者の才能にただただ驚く。

★★★★ ペンギン・ハイウェイ 森見登美彦
ファンタジーというのか、奇想天外というのか、この著者の作品は、現実離れしているようで、妙なリアリティーがある。ペンギンやジャバウォック、あるいはお姉さんなどが何かの象徴か、といったようなことは考えず、物語の世界に入り込むと実に楽しい。これこそが読書の醍醐味でしょう。

ちい散歩 地井さんの絵手紙 第2集 地井武男(監修)
市の図書館には、ちい散歩は一冊だけ。絵手紙の方は第2集まであります。ちい散歩は面白かったのですが、絵手紙の方はイマイチ。一緒に予約したので、第2集も来ました。第一集の時にも書いたのですが、絵手紙だけを見てもさほど感動がありません。エッセイとして読んでも、物足りなさを感じます

★★★ ナニワ・モンスター 海堂尊
三部構成で、第一部は2年前のインフルエンザ騒動を揶揄するような内容で、読者を惹き付ける実に上手い導入です。第二部になると、時間が戻り、この騒動のをたどり、海堂ワールドに突入します。第三部はちょっと飛躍が感じられ、政治的な話題はまだこなれていないという印象を持ちました。しかし、最後はきっちりまとめ、次への繋がりも残し、満足の読了でした。
日本の人口は減少に転じ、社会は滅びのフェーズにはいっている。必要なのは拡大文明の背骨を支えた過去のロジックの踏襲ではなく、縮小文明の店じまいルールの新たな構築です。(p.307)

★★ 村上春樹雑文集 村上春樹
味も素っ気もないタイトルの通り、実に様々な作品・文章を集めたもの。あのエルサレム賞受賞の言葉もあり、じっくり読むと、壁と卵の比喩はそれほどでもないと思った。音楽についての文章も多く、説得力がある。活字は詰まってないが、400ページを超える雑多な文章を読むと、不思議と村上春樹という人物が浮かび上がってきて、文の特徴が見えてきた。
村上春樹を読み始めたのは、大ファンの同僚に勧められ、ほとんどの本を貸して貰ったのがきっかけ。20年ぐらい前だろうか。その頃読んだものをもう一度読みたいと思うようになった。

★★ 村上春樹の「1Q84」を読み解く 村上春樹研究会
「1Q84」についての批判本でこき下ろされていた本。その本がたいしたことなかったので、逆に読んでみようと思った。で結果、こちらの方が為になると思います。面白いし、建設的です。村上春樹研究会が実際に活動しているのかどうかは疑わしいが、この本は三部構成で、各部を一人で担当しています。第一部 純愛小説『1Q84』に関する40の視角、第二部 “ハルキワールド”がもっと面白くなるヒントとカギ、第三部 『1Q84』を深く読むためのキーワード。それぞれ成程ということが書いてあります、がブームに乗って売ろうという感じがしないでもありません(つまり、批判本のいうことも当たっている部分もあるということです)。BOOK3、が出版されたのだから、村上春樹研究会は続編を出さなければいけないのではないだろうか。

★★★★ 忍び外伝 乾緑郎
常々、歴史小説を書く人はすごいと思っていたが、この著者は、勿論多大な努力をしているのだろうが、素晴らしい才能を持っているのではないだろうか。兎に角面白い。歴史ファンタジーとでもいうのだろうか、奇想天外でありながら左程違和感もなく、ストーリーのうねりに圧倒される。ファンタジーな内容を表現する文体、構成が絶妙である。ただ、日本史に興味のない人、リアリティを求める人には面白くないだろう。

★★ 英語社内公用語化の傾向と対策 森山進
英語を社内で公用語にするという日本企業が出てきているので、そのことについての本だと思って読み始めたが、どちらかというと、タイトルにある「対策」に重点を置いたものだった。それはそれで為にはなったが、英語社内公用語化についてもっと紙面を割いてほしかった。
ビル・トツテン氏(アシスト社長)/「三木谷氏や柳井氏は世界市場を狙っているため、英語を社内公用語にすると決めたのでしょう。  グローバル化をめざしていれば、そのこと自体はおかしくないと思います。但し私は、ビジネスがグローバル化する時代は終わりつつあると思います。石油の時代が終わり、石油エネルギーがなくなる中で、これからの世界のビジネスは、グローバルではなく、ローカルに向かっていく。だから日本人も、英語より日本語を磨いた方がいい。そもそも今の日本人は、日本語が弱すぎます」 (p.14)
Speech is silver. Silence is Gold. (p.47)
語学の習得を目的にしてはいけません。言語は手段・ツールにすぎないわけですから。我々にとっては外国語ですから流暢でなくても、文法が完壁でなくても、酒落た表現を使えなくたっていいのです。大切なのは、主張の中身であって、中身を磨いていくことが大切です。(p.164)
文法とは何でしょう?それは、言語を徹底的に煎じ詰めた「エキス」のことです。徹底的にムダを省いて、乾いたタオルを絞って、それで残ったエキスを構造化したものが文法なのです。逆に考えると、最も効率的に、短期間で、言語の基礎を学ぶことができる「魔法の杖」といえます。(p.227)
最近、ようやく日本人のもつ本質的な強さというのが、おぼろげながらわかってきた気がしている。「厳しいリアリズム(現実主義)とアイディアリズム(理想主義)のはぎまで二分性を超越し、それを包含する力(不二性)」、これが日本人の強みなのではなかろうか。西洋的、一神教的な価値観、つまり物事を二つに分けて考え始めると、必ず分極した相対の世界、対抗の世界、争いの世界につながっていき、際限なき分裂と対立が始まっていく。我他、友敵、善悪、愛憎、白黒、主客などなど。(p.285)

★★★ いざ言問はむ都鳥 澤木喬
表題作以下、「ゆく水にかずかくよりもはかなきは」、「飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」、「むすびし水のこほれるを」、の計4作からなる、連作ミステリ−、有名な和歌の一部を暗示的なタイトルにしている。こんな書き方もあるのだと感動した。日常生活の中に、さらっと事件が潜み、名(迷)探偵が何となく解決する。4作が春夏秋冬になっていて、それぞれの植物がいきいきと描写され、事件の発端や解決の糸口になる。流れるような文章で表現がさわやか。ただ、出来事の起承転結がハッキリしない所は、味わい深いとも言えるし、作者の責任を果たしていないとも言えるだろう。読む方の想像力で補うには、欠落が多すぎる。

ちい散歩 地井さんの絵手紙 地井武男(監修)
ちい散歩の最後に地井武男が描いた水彩画を、簡単なコメントと共に集めたモノ。絵が特別上手いわけでもなく、コメントとの繋がりも密接というわけでもなく、半端な感じ。

★★ 贖罪 酒井法子
酒井法子という名前は知っていたが、全く関心の対象外だった。覚醒剤で騒がれても、この本の出版を新聞広告で見ても、何の興味も持たなかった。商魂たくましい出版社が書かせただろうと思っていたこの本、新聞の書評でベタ褒めだったので、読んでみようという気になった。図書館で予約して手元に来るまで四ヶ月程、書評で何が賞賛されていたのか忘れてしまった。読み始めは、後付けの言い訳という感じもしたが、読み進むにつれて、とても素直に書いていると思うようになった。贖罪の一つとしてこの本を書いたと言っているが、確かにそういった面もあるようだ。この先のことをあまり書いていないのが残念だが、それは彼女自身が身を以て示すのだろう。それにしても、芸能人とは大変だと同情する気持ちを持った。

『1Q84』批判と現代作家論 黒古一夫
タイトル通りの批判なのだが、『1Q84』の批判ではなく、大部分が作家作品の、書評を初めとした周辺環境についての批判である。勿論作品についても批判しているのだが、全体的に的外れ、と感じた。詳細な論考などする気のない素人の印象なのだが、後半の「現代作家論」を読む気がなくなる程です(私は過去に読みかけた本を途中で止めたことはほとんどありません)。逆に、著者が批判していた『1Q84』に関する本を読んでみようと思いました。

★★ ちい散歩 地井武男(監修)
広島ではオンエアーされていないテレビ番組を本にしたモノ。地井武男の東京散歩レポート、といえばいいのでしょうか。最近東京づいてきました。何年東京に行っていないのでしょう。東京行きたい!
この本の中でいうと、まだ行ったことのない、神楽坂界隈、築地界隈、青物横丁界隈、もう一回行きたい、日本橋界隈、人形町界隈、などなど。何時行けるかな。

★★★ それぞれの東京 川本三郎
サブタイトル:昭和の町に生きた作家たち
様々な分野の作家が暮らした東京を追いながら、著者自身の愛する昭和の東京を見事に浮き上がらせている。実に上手い文章である。取り上げられて作家を読んでみようという気になった。特に、木山捷平、鈴木真砂女。また、東京に行きたいという気持ちが沸々と湧き上がってきた。

★★ 何かのために 一色正春
サブタイトル: sengoku38の告白
サブタイトルを見ると何の本か分かるでしょう。尖閣諸島で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしたビデオを、YouTube に流した元海上保安官の告白本です。
読み始めた時、これは一人で書いたものではないと感じました。しかし、読み進むにつれて、著者の熱意が伝わってきて、一人で一生懸命書いたのかなとも思いました。当然自己弁護的な所はありますが、全体的に言っていることには正当性のあることが多いように思います。誰かがこの本が投げかけていることに答えなくてはいけないのではないでしょうか。私も、あのビデオが何故公開されなかったのか、結局あの事件は何だったのか、知りたいと思います。

★★★ 言葉のなかに風景が立ち上がる 川本三郎
風景をキーワードにした文芸評論、作品論。一作品十ページほどであるが、描写がうまく、その作品を読んだような気になる。また、その作品を読んでみようという気になる。特に、「エンジェル・ヘアー」や、先日映画を見たのだが、「海炭市叙景」、清岡卓行の作品、などである。
この著者の本、文芸や東京に関するものもいいが、以前読んだ「マイ・バック・ページ」のような社会評論的なものもいい。いろいろ読んでみよう
風景とは、はじめからそこに存在しているわけではなく、それを見るもののまなざしによってはじめて風景どして立ち上がる。(p.14)
松本健一はかつて『共同体の論理』(第三文明社、78年)のなかでこう書いた。/「日本資本主義の矛盾は、十年まえには大学のうえに先駆的にあらわれ、いまは地方にすまいする民衆のうえに現実としてあらわれている」/松本健一がそういってから三十年近くたったいまでは、その現実がもうあまりに日常化してしまったために、問題として見えにくくなっている。(p.151)
清岡卓行の「ある眩牽(くるめき)」という詩(略)冒頭にこうある。/「それが美/であると意識するまえの/かすかな驚きが好きだ。」/突然の太陽に象徴される美しい風景の出現に、茫然としている清岡卓行が、「それが美であると意識するまえ」の「かすかな驚き」のなかで詩を書き始める。/あの美しすぎる詩、/「わが罪は青 その翼空にかなしむ」/は、「かすかな驚き」のなかで生まれたのだろう。(p.230〜p.231)

★★★ 輝く日の宮 丸谷才一
丸谷才一の文体はどうも好きになれない。生理的なもの、思い込み、と言ったものもあるだろうが、どうしても中途半端な感じがするのだ。しかし、読みにくいということはなく、書いてあることは興味深い。博識であるし、発想が自在である。この作品で特徴的なものは、ストーリーの流れを別の状況の動きのなかで描写するということだ。これはすごい効果を発揮している。複数の人物が、時間が、場所が、想念が、入り交じって、不可思議な虚構を創り出す。この本は、源氏物語の第一巻桐壺と第二巻帚木の間にあったのではないかと言われている、「輝く日の宮」という巻についての話であるが、現代と平安時代がシンクロし、とても面白い読み物になっている。最後に、その幻の巻を再現してあるが、個人的には余計だったような気がする。

★★ 作家と温泉 草g洋平(編)
サブタイトルが、お湯から生まれた27の文学。まさに本の内容を現わしている。
今年初めに読んだ、与謝野晶子 温泉と歌の旅、は一人の作家と温泉の関係を細かく書いたものだが、この本は27人の作家と温泉の関係を簡潔にうまく纏めてある。色々と面白いことを知った。
梶井基次郎が川端康成の「伊豆の踊子」の校正を手伝った、谷崎潤一郎が戦争中津山に疎開していた。
生活しているだけでは足りぬと信ずる処に表現が現れる。<小林秀雄「表現ついて」>
完全な自己否定は自由以外の何者でもない<つげ義春が孫引きしたシュティルナーの言葉>
行ってみたい温泉が増えました。

★★★★ 滝山コミューン1974 原武史
2007年5月に出版された本。1974年東京都東久留米市滝山団地の小学校で6年生になった著者の体験を辿っていく。様々な資料、関係者への取材や著者の驚くべき記憶で、小学校の教育活動を中心に、団地の状況、時代背景などを書いている。その小学校で行われた教育は班活動を中心にし、自由な民主教育を標榜しながら、実態は左翼的な全体主義だ、と著者は静かに指弾している。この様な教育は、子供として、親として、教師として、体験した人が結構多いのではないだろうか。そして、そのような人は、著者の主張に共感する人が多いのではないだろうか。班活動、委員会活動は確かにいい面もあるが、運用の仕方によっては悪影響を及ぼすこともあり得る。「ボロ班」などは問題外で、すぐ消滅したようだが、著者が懐いたような違和感や閉塞感は長く心に残ったのではないかと思う。だから、著者は30年以上もたってこの本を書いたのだろう。力作である。

★★★ 全思考 北野武
四つ下に書いた「超思考」を読んでこの本の存在を知った。こちらの方が先に出版されている。生死、教育、関係、作法、映画、の問題、五章で構成されている。「超思考」と左程変わるところはなく、過激なようで実は正論である。やはり著者はすごい人である。ただ、コンピュータに関しては偏見があるように感じた。
高嶺の花なんて言葉が昔はあったけど、今はそんなこと誰も言わなくなってしまった。/要するに、引き龍もりもストーカーも、世の中には、諦めなきやいけないことがあるってことを知らないのだ。泣きさえすればミルクがもらえる赤ん坊の状態から、ぜんぜん成長していない。(p.60〜p.61)
電卓やパソコンのせいで、子供の計算能力が落ちたなんて騒いでいる。/人類の英知を結集して、人間の脳味噌を退化させる道具を発明するという、ものすごいパラドックスが生じているのだ。/よく考えてみれば、これは今に始まった話ではない。クルマが世の中に広まったおかげで人間の足腰は弱くなり、鉄砲が伝来して弓矢の名人は減ったわけだ。/道具のおかげで何かが便利になれば、その分だけ確実に人間の能力が退化する。/つまり、これは文明そのものが抱えている病理なのだ。(p.155)


★★ くじけないで 柴田トヨ
今年百歳になる女性の詩集。新聞に投稿して話題になったようだ。こんなに高齢の人が詩を書くということは考えられないことだ。それで注目されたという面も否定できない。

★★★ 名もなき毒 宮部みゆき
2006年の作品。周りに推薦する人がいたので読んでみました。この著者の本は何冊か読んでいて、思い出せるのは、「理由」、「模倣犯」、といったところです。何れも面白かったので、この本も期待して読みました。そして期待通り、いや期待以上に面白い作品だと言えます。500ページ弱がすぐでした。
この世にある毒の名を知りたいのなら、自分で見つけに行きなさい。あなたが、自分で突き止めるんですよ。/不運にも毒に触れ、それに蝕(むしば)まれてしまうとき以外、私たちはいつも、この世の毒のことなど考えないようにして生きている。日々を安らかに過ごすには、それしかほかに術がないから。/突っ立ってただ問いかけているだけでは、誰も毒のことを教えてはくれない。それがどこから来て、何のために生じ、どんなふうに広がるものであるのかを。/どうすれば防げるのかということも。(p.489)

★★ 人生が変わる哲学の教室 小川仁志
プラトン、カント、ニーチェ、といった13人の哲学者が現代日本に現れて、人生について講義をするという形式の本。300ページちょっとに13人+著者なので、一人一人の講義に物足りなさを感じる。ページ数を増やすか、哲学者を減らすか、の方がよかったのではないか。
行き詰まって気分転換したいときには、ぜひ旅に出ましょうよ。日常とは違う場所で、一歩離れて日常を振り返るのです。そして、日ごろとは違う時間を過ごして、気力を充実させる。あるいは新しい刺激を受ける。こうしたことを通じて、気分転換を図るわけです。(p.139)(アーレント)
快楽あるいは禁欲を基準にしたとしても、その「程度」については人によってまちまちです。ちょっとした快楽で幸福になれる人もいれば、相当快楽を得ないと幸福感を得られない人もいます。実はこの相対性が重要なのです。/そもそも私たちが他人を恨めしがりながらも、それでも生きていけるのは、幸福の相対性を了解しているからにほかなりません。つまり、私たちは生まれたときから境遇に差があるのです。生まれた国、家庭、生まれもった体、能力、あらゆるものが偶然に左右された結果であり、その結果に抗(あらが)うことはできないのです。(p.195〜p.196)(アラン)

★★★ 超思考 北野武
以前も何処かに書いたが、ビートたけしは好きではないが、北野武は好きだ。つまり、彼の撮る映画は好きだ。この本を読んで、彼の人となりが、ビートたけしと北野武の関係が、少し分かったような気がする。
本文中の極端な意見、過激な言説は、あくまで読者の大脳皮質を刺激し、論理的思考力及び倫理的判断力を高めることを目的とする意図的な暴言であり、北野武の個人的思想並びに政治的見解と必ずしも一致するものではありません。暴言の裏が読みとれない、冗談の意味がわからない、無性に腹が立つなどの症状があるときは、ただちに読書を中止することをお勧めします。
こんな前書きがありますが、なんのなんの、至極正論です。無論、彼だから言えるという面はあるにしても、今の日本人は建前を気にし過ぎるのでしょう。それを取っ払ったらもっと生きやすい世の中になる、かな。
死刑が極刑であるためには、ひとつの前提が必要だ。「人間がいちばん恐れるのは死であって、死は人生における最悪の出来事だ」という前提が。世の中の人がみんなそう思っていて、はじめて死刑が極刑として成立する。/現代では、その前提が崩れてしまっている。生きることに価値があるんだかないんだか、よくわからないという人間がやたらと増えた気がする。(p.29)
眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。自分が本当にやりたい仕事はなんだろうなんて、考えなきゃいけないってことは、やりたい仕事がないというだけのこと。/探しているのは、自分が本当にやりたい仕事なんかじゃなくて、楽して稼げる仕事なのだ。そんなものがあるわけない。(p.64)
自分に合った仕事を探すという考え方がそもそもの間違いだ。そんなものはない。お腹の中の赤ん坊が、「自分に合った世界に生まれたい」なんて考え始めたら、この世に生まれてこられるわけがない。仕事を探すのだって同じ。仕事を自分に合わせるのではなく、自分を仕事に合わせるのだ。(p.65)
政権交代だの政界再編だのと、世の中は騒いでいるけれど、あんまりいい加減なことをしていると、そのうち民主主義なんてまやかしは、もううんざりだと本気で言う人間が増えるんじゃないか。何百人もの政治家を養うより、一人の独裁者を養う方が経済的だという考え方もある。独裁者だろうが何だろうが、その人間が上手く政治をやってくれればそれでいいのだ。それに独裁者を求める心というのは、神様を求める心と、本質的には何も変わらない。信じていさえすれば、絶対服従は喜びなのだ。(p.83)
人間の欲というものが、ブランド品を買うとか、人気のラーメンを食べるとか、スポーツカーを買うとか、そういうことに象徴される、単なる消費に置き換えられてしまったのだ。金さえあれば、幸せでも何でも買えるという発想がその根底にあって、それはつまり、金で買える範囲の幸せしか経験できないということなのだ。だから、生きるのがつまらなくなる。親が子に、人生の喜びはそれだけじゃないということを、教えられなくなっている。(p.125)

★★ 最後の将軍 司馬遼太郎
1967年の出版。文庫版を一・二年前に友人から貰っていました。いつか読もうと思いながら、後まわしになっていたのですが、ちょうど図書館からの本が途絶えたので、手に取りました。
司馬遼太郎の本は、昔はよく読んだのですが、久し振りです。読みながら、ソウソウこんな書き方だったと思い出しました。読者をいつの間にか本の世界に引き込みます。その世界は、彼の作った世界で、実際の世界ではないかもしれないのですが、そうだったのではと思わせます。この本の場合も、徳川慶喜がこんな人物だったのだろうと納得します。
この友人からは、国盗り物語、坂の上の雲、も貰っています。この夏辺りに挑戦しようと思っています。

★★ 日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方 山本敏行
ECスタジオという会社の社長が、自分が起こした会社の、タイトルのようなことを書いた本。『非常識な』という言葉は適切ではなく、普通はやらない、と言うか、やれない、ことと考えたらいいだろう。例えば、会社に電話がない、ということは、それによって仕事に集中することが出来、作業効率が上がることは間違いない。電話ほど無遠慮に人の領域に割り込んでくるものはないのだから。ただ、実行するのは極めて難しい。この様に具体的なことをあげ、如何にして社員満足度の高い会社を作ってきたかを紹介している。最後の方には、ITの活用法も例示してある。一つ残念だったのは、この会社が具体的にどの様な仕事をしているのかが分からなかったことだ。

★★★ 四十九日のレシピ 伊吹有喜
書き出しのうまさに感嘆しました。娘のいる男と再婚した女性が死んで、四十九日の法要(大宴会)までのことを描きます。娘の旦那、死んだ女性の女生徒(?)、その男友達、が主な登場人物です。予定調和的なところもありますが、実に感動的なお話です。また、名前の付け方が巧みです。

★★ 24時間戦いました 布施克彦
1947年生まれの著者が、自らの生涯を振り返り、これからの生き方を書いている本。私も同世代だが、彼とは違った生き方をしてきたので、書いてあることに対してちょっと違うと感じた。そもそも我々の世代は人が多いので、それを纏めて云々するのは無理だと思う。その無理を敢えてやる人々が、同世代からも他の世代からも、次々と出てくる。またそれを、ひょっとして何かあるのではないかと、性懲りもなく読む私も変だと思う。自らを振り返り、これから先を考える手掛かりがほしいと考えるのです。そんなことを脇に置いて読むと、この本には結構面白いことが書いてあります。
団塊の世代にはデジタル的発想はできない。でも鋭敏な感性を駆使して、次々と発想即行動を展開してゆくデジタル性がすべて正解ではないと思う。わたしはデジタルに付きまとう断続性に、いつも危うさを感じている。地に足が着かない不安感とも言える。/次々に生じる個々の事象を繋いで考える必要がある。さらには、個々の事象の背景に社会を置いて、いったん静止して眺めてみることも必要だ。自分の行動を歴史や社会の正当性にいつも照らし合わせるべうだと思う。0と1の積み重ねだけで、絶対性は得られない。世の中はもっと複雑怪奇だ。0と1で埋められない部分を、団塊の世代の持つアナログ性が幾分カバーすることになる。/あの全共闘時代に、団塊の世代が考えたこと。「今の社会は本当に矛盾に満ちているのだろうか」「革命は歴史の必然なのか」「人生とは何」「平和とは何」。きっとポスト団塊世代以降の人は、そんなことあまり考えていないだろう。「考えたって疲れるだけ。そんなの意味ないジャン」と思っているだろう。意味なくないのだ。不必要なことを考える必要性を、ポスト団塊世代以降の人はあまりわかっていないように思う。(p.192〜p.193)

★★ 平成「江戸名所百景」 鈴木理生 他
サブタイトル―変わる東京、変わらぬ江戸
江戸時代の絵図、明治時代の地図、現在の地図、名所の浮世絵や現代の写真、等を使って、東京に残る江戸を描いてゆく本です。最近、私にとって、三回目ぐらいの江戸東京ブームです。去年読んだ、東京今昔散歩、の方が面白かったが、この方が大判であることで見やすく、隅田川をテーマに三分の一ぐらいをさいている点など、楽しく読めた。東京に行きたい気持ちがますます強くなってきた。

★★★★ きことわ 朝吹真理子
貴子と永遠子の話、だから、きことわ。子供の頃、夏を葉山で過ごし、8歳と15歳の時を最後に、以後25年間の空白、そして再会、ということが描かれる。時間を自在に行ったり来たり、空間の境が曖昧になり、つまり、時間と空間を超越している。次第に二人が融合し、しかしながら、個性は際立ってくる。夢と現実、記憶と現実、の区別がつきにくくなり、現実そのものが非現実的に思えてくる。
久し振りに本物の小説を読んだという気持ちになった。文章が素晴らしく、恐らく相当に推敲されたものだろうが、全くそれを感じさせない。恐ろしい才能の持ち主ではないだろうか。
朝吹、という名を聞いて先ず、サガンを翻訳した朝吹登美子を思い浮かべた。調べてみると、父親の叔母になるようで、この一族、フランス文学者を始め錚錚たる人物を輩出しているようだ。

★★ 誰も行かない日本一の風景 宮嶋康彦
下に書いた、「絶景」シリーズの最初。先の本と構成が違っていて、ほとんどの記事は、見開き2ページに写真と著者の解説、次の2ページに地図と観光案内(サライらしいもの)になっています。40近くの場所が紹介されていて、丁寧に読むと結構時間がかかりましたが、楽しく読書でした。興味深かったのは、「宝石泳ぐ段々畑」―段々畑で鯉の養殖をしている、「野球場に家が建つ」―旧大阪球場にモデルハウスが建っている、行ってみたいと思ったのは、「記紀を復元した葺石の塚」―神戸の五色塚古墳、です。「誰も行かない」のに私が行ったことのある所が3カ所、伊根の船宿、投入堂、満願寺温泉共同浴場(入浴しました)、です。

★★ モルフェウスの領域 海堂尊
凍眠(コールドスリープ)という人工的な眠りとを取り入れた、ミステリーと言うよりはSF的なお話。ストーリーにはワクワクさせるものはあるが、極悪人は登場せず、ナアナアではないが終わり方にもう一工夫ほしいと思った。それにしても、海堂ワールドはどこまで広がるのだろうか。この本にもお馴染みの面々が登場する。主役の一人、佐々木アツシは、「ジェネラル・ルージュの凱旋」、「医者のたまご」、に登場している。この作品は時間的にはその間に位置している。単独でも充分楽しめるが、海堂ワールドの中に組み込むと更に面白い。といっても、私に全体像が見えているわけではない。見えたらいいとは思うが、その努力は・・・・・

★★ 働く幸せ 大山泰弘
以前読んだ、「日本でいちばん大切にしたい会社」に取り上げられていた日本理化学工業の社長が書いた本。この会社、知的障害者が社員の7割を占めています。
人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは、次の4つです。その1つは、人に愛されること。2つは、人にほめられること。3つは、人の役に立つこと。そして最後に、人から必要とされること。障害者の方たちが、施設で保護されるより、企業で働きたいと願うのは、社会で必要とされて、本当の幸せを求める人間の証しなのです (p.56)
この、お寺の住職の言葉が、著者の障害者雇用の考え方です。言うは安く行うは固し。様々な困難を克服した過程がこの本には書かれています。感心しました。そして最後に提言がなされています。これだけの実践を踏まえてのもので、重みがあると思います。
障害者雇用を広げるためには、福祉の領域で障害者のすべてを抱え込むという考え方を改める必要があります。「働く場」については企業に任せてもらう。そして、福祉が 「働く場」をつくるために使っていた公費を、企業の障害者雇用を推進するために振り向けるのです。(p.168)
企業は、福祉作業所よりも多くの給料を支払うことができます(物質的な幸せ)。そして、人は一般社会で働くことによってこそ、究極の幸せ(心の豊かさ)を手にすることができます。特に、この「心の幸せ」は企業でなければ提供できないものなのです。/私たちはそろそろ、障害者の幸せはすべて福祉行政が担うという発想から抜け出すべきです。むしろ、企業も含めた社会全体で「障害者の幸せ」を実現していくことをめざしたほうが、福祉そのものが広がりますし、公費の節約にも繋がります。(p.169)


★★ 絶景 宮嶋康彦
サライムックの一冊。誰も行かない日本一の風景、シリーズ(?)の一つ、ということは知らずに読み始めました。サライの創刊(1989年)とともに始まった記事をまとめたもののようです。写真と随筆を組み合わせていて、両方とも興味深いものです。ただし、「誰も行かない」ことはないと思います。「石鎚山のお山開き」、「アジサイが祝福する日本一の磨崖仏」、「豊後高田三日月岩の薪能」、には魅了されました。
誰も行かない日本一の風景、他のものも読んでみよう。

★★★ 漂砂のうたう 木内昇
まず、文章のすばらしさ、語彙の豊富さに感嘆した。明治10年頃の根津遊郭を見事に彷彿とさせ、まるで其処にいるかのような気持ちにさせる。後半、物語は次第に収斂していくが、ほとんどは根津遊郭の日常を追っている。それでいて、新時代の典型的な歪みを遊郭を通して淡々と描き、その時代が見えてくるという仕掛けになっている。この話の中で特異な存在のポン太、そしてその師匠の三遊亭圓朝は実在の落語家で、二人の墓は、根津から近い谷中の全生庵に並んで建っているそうだ。実在の圓朝が語る落語と、この小説のストーリーが、最後はシンクロして、不思議な雰囲気を醸し出してる。とても巧い小説だ。恐れ入りました。

★★★ 錨を上げよ(下) 百田尚樹
錨を上げよ、と言う言葉が一回出てくる (p.139)。ここから大団円に向かうのかと思ったら、そうではなかった。納沙布岬沖での、つまり、ロシア領でのウニの密漁の話に進んでいく。これはとても面白い。そして最後は、タイに女を買いに行く話になり、麻薬まで絡んでくる。兎も角、ストーリーとしては波瀾万丈という言葉でも足りないくらいだ。こんなことを著者はどうやって知ったのだろう。彼の履歴はよく分からない。同志社中退、放送作家、と言うことしか知らないのだが、これだけでも主人公に著者の陰があるのは明らかだ。とはいえ、陰であって、勿論彼とは違う。(上)を読んだ後の予想に反して、主人公が語り手にまだ近づいていない。それだからこそ、感情移入できない主人公の物語を読むことが出来るのだろう。共感できる語り手に、変に主人公が近づいたら興ざめになるかもしれない。この本を青春の愛の物語と括ってしまうのは短絡的かもしれないが、青春から錨を上げて次の人生にすすんでもらいたいと思う。続編を期待する。
金も余裕もない貧乏人はテレビを見て満足してりゃいいんだってな。今、この国では、文化は死に絶えようとしている。映画はすでに死んだ。もう女と子供相手にしか作られない。そして文学もほとんど瀕死の状態だ。それらを死へと追いやっているすべての元凶はテレビだ。これらが文化の住む神聖な領域に割り込み、今やその世界を支配してしまった。俺には、これはSF映画のように見える。進み過ぎた文明の御蔭で古い生物が死に絶え、代わりに生命力だけがやたらに強い気味の悪い新生物が繁殖したのだ。現代はもう何が本物の文化で何がこセ物の文化かということもわからなくなっている。ブランド商品のニセ物がブランドになるようなものだ。今や滑稽なことに、コマーシャルフィルムや商品の宣伝コピーみたいなものまでも、芸術を主張する時代だからな (p.448)
「酔っ払い」とは、文字通り何かに酔っている人間の請いだ。金、仕事、信仰、愛、名声、誇り、性、芸術、革命、復讐――世の中には、人を酔わせる酒が満ち溢れている。あるいはこれは、人が人生を渡って行く上での拠りどころと言い換えてもいいだろう。しかしその酔い方は人それぞれだ。ある者は強烈なやつで体も理性も狂わせるほどに酔っているかと思えば、ある者は甘いジュースみたいなやつですっかりいい気分になっているといった具合だ。もっともどんな酒であろうと酔け続けていられる限り、人生はそれほど不幸ではない。たとえ酔いつぶれた挙句にドブ川にはまって溺れ死んだとしてもだ。人生における大きな悲しみの一つは、酔いから醒めた時か、あるいはもはや何にも酔えなくなってしまった時だろう。/ところでぼくは何に酔っているのか、また酔おうとしているのか。もちろん愛に、と胸を張って答えたいところだ。が、残念ながら今のぼくにそう言い切れるだけの自信はない。ほくはこれまで幾度この「愛」という洒に酔い痴れたことだろう。ただそれはいつもひどい悪酔い々引き起こしてきた。散々に反吐(へど)を吐いて苦しみにのたうつという経験の繰り返しは、ほくに、もう愛などこりごりだと思わせたとしても不思議ではないだろう。しかし本当のところは、それでもほくは愛を求めていたのだ。ちょうどアル中の人間が、ひどい二日酔いの朝、もう二度と酒はやらんと思いながらもすぐに、またもや酒をあおるようなものだ。おそらく最後は血を吐いてぶっ倒れることがあったとしても、その直前まで酒を舐めていることだろう――。(p.593〜p.594)


★★ 日本「夢の旅」 BEST50 出樋一親(編)
日本の名所を撮った写真集。この手の本は、写真家の名前が出ていることはまれなのだが、これには奥付にちゃんと書いてあった。私のような者でも知っている、竹内敏信という名前もあった。
素晴らしい写真が数多く、行ってみたいと思わせる。北山崎(岩手県)、白米千枚田(石川県)、浜野浦の棚田(佐賀県)、がベスト3。弘前公園の花筏、美しい。田植え直後の田圃に映る讃岐富士、何度も見た山だが、この時期に行ってみたいと思う。

君たちには分からない 村上建生
サブタイトル:「楯の會」で見た三島由紀夫
楯の會の会員だった著者の、三島由紀夫礼賛。多少客観的に見ている所もあるが、やはり礼賛と言っていいだろう。自衛隊への体験入学のことが多く書かれていて、そのことは分かったが、結局著者が何を伝えたいのか明確になっていない。タイトルのような言葉を、三島が言う場面はあるが、著者が我々一般人(読者)に言っているように感じてしまう。

★★ 青天の霹靂 劇団ひとり
第一作「陰日向に咲く花」が結構期待させるものを持っていたので、読んでみました。出だしは素晴らしいと思いました。しかし、青天の霹靂が起こってからは俗っぽくなってしまい、結末が見えてしまいます。いや、それでも十分に楽しめるのですが、青天の霹靂を使わない何か別の表現方法があるのではないかという気がします。

★★★ 錨を上げよ(上) 百田尚樹
これだけ主人公に感情移入できない作品も珍しいと思います。以前読んだ、梁石日の「血と骨」を思い出しました。ただ、主人公ではなく、語り手にはとても共感できます。だからこそ、この600ページ近い本を読めたのだと思います。ともかく、主人公は暴力的で、恋愛にのめり込むタイプです。特に恋愛に関しては、行動面でも精神面でも、常規を逸脱しています。
一人称小説なので、(下)では主人公が語り手に近づいていくと思います。楽しみです。

★★ 現役東大生が書いた地頭を鍛えるフェルミ推定ノート 東大ケーススタディ研究会
フェルミ推定のことを詳しく知りたくて、何かで推薦されていたので読みました。この本はほとんどが例題です。多くの例題をみて、分かったような気にはなりましたが、結局これが何の役に立つのかよく分かりません。確かに頭を鍛えるのにはいいかもしれません。しかし、とても論理的な思考だとは思えません。問題を解くときに、実感ベース、とか、仮定する、とか言う言葉がやたらと出てきます。前提や資料、つまり出発点が曖昧なのだから、結論には説得力がありません。最後に、現実的検証、というものがついていますが、検証できないものが多々あります。ただ、結論が重要なのではなく、その過程が大切なのだということは分かります。とはいえ、違和感が強く残りました。

★★★ KAGEROU 齋藤智裕
著者は、水嶋ヒロという名で俳優だったそうですが、私全く知りませんでした。突然作家になるために俳優を止めるということがヤフーニュースに出て、「フーン」(ナメンジャネエヨ)と馬鹿にし、直後に文学賞を取ったという報道に、「ヘ!」(出版社の話題性の優先!)と思いました。
でも、話題のものは何でもという節操の無さで、読んでみました。なんとこれが面白いのです。ビックリしました。才能あると思います。夢の話が二・三回出てくるのですが、その一回が実に上手いのです。夢をストーリーに組み込むのは凡人には出来ません。ひとつだけ残念だったのは、最後の展開が伏線が露骨だったため見えてしまったことです。次にどの様なものを書くか、著者の真の力が分かると思います。

★★ 勝手にふるえてろ 綿矢りさ
一応面白く読みました。ただ、「蹴りたい背中」から経過した年月が感じられません。特に終わり方が安易ではないかと思いました。

★★★ シューマンの指 奥泉光
悪魔と取引をしないピアニストが世の中にいるだろうか? いるはずがない。だって、そうなのだ。音楽は悪魔の発明になるもの、音楽とほそもそも悪魔的な何かなのだ! 西洋のクラシック音楽が、神を賛美するところから生まれてきたのは、たしかにそうなんだろう。けれども、悪魔と気楽に関係を結べないような音楽家には、神を賛美などはできほしないのだ。モーツァルトの、あの美しい賛美歌 Ave verum corpus は、悪魔的であるからこそ天上的であるのだ。/だが、凡人の所へは決して悪魔は訪れない。悪魔が選ぶのは天才だけ。ファウストのごとき。そして、幼くして天賦の才を発揮した修人のごとき。(p.223)
この本には上のような音楽論、そしてシューマン論が盛り沢山だ。だから、クラシック音楽に、ピアノに、シューマンに興味のない人には面白くないと思う。およそ三分の二ぐらいそのような話が続く。話題になっている音楽を聴きながら読んだらもっと面白かっただろう。終わり三分の一でストーリーは急展開する。最後にどんでん返し、更に文学的な(?)どんでん返し。楽しめました。

★★ トイレの神様 植村花菜
あのヒットした歌の絵本です。とりごえまり、という人のかわいい絵がついてます。

★★ 勉強革命! 上田渉
著者はユニークな人生を歩んでいる。名門私立中学に入学するが、勉強に疑問を持ち落ちこぼれになる。高校3年の時、全国模試の偏差値が30だったそうです(本当か?)。ところが、人生の目標を見いだし、自分なりの勉強法(これがこの本で紹介される)で東大を目指し、二浪で合格する。在学中からNPOを立ち上げたり、起業したり、そして現在は会社の社長。このような人生の経過と、そのときの勉強法を、割に淡々と書いている。しかし、物凄い努力家である。感嘆する。特別なことをしたわけではなく、とても真っ当なことを一つひとつ積み重ねていったといえるでしょう。才能があっても、運に恵まれていても、やはり努力です。
一つひとつの積み重ねが総合力を上げる……勉強はどれかひとつを覚えたらそれで終わり、というものではありません。いろいろな教科の知識や情報、考えが混ざり合い、より深い見識・教養へと昇華されます。一見関係がなさそうな勉強でも、国語力がすべての基礎力になっているように、じつは関連があるということはよくあります。一つひとつの勉強を丁寧にしていくことだけが、総合力を身につけることにつながるのです。(P.91)

★★★ 首長パンチ 樋渡啓祐
2006年全国最年少で、佐賀県武雄市の市長に当選した著者が、東大経済学部を卒業し総務庁入庁した辺りから去年までのことが書いてある。主には、市民病院の民営化についてであるが、これが実におもしろい。傍観者・読者はワクワクして楽しいが、こんなことまで書いて対立する人たちはどうなるのかと心配するほどである。そんな人たちの言い分も聞いてみたいと思う。そして、この市長がこの先どのような方向に進んでいくのかにも興味津々です。
しゃべることの面白さに目覚めたのだ。沖縄でいう『ゆんたく』、すなわち「話し好きな沖縄の人たち」の間に交じっているうちに、いつしか自分の中に「僕も自分のことを語りたい」欲求が育まれていたのだろう。話をしたくてうずうずしていた気持ちが一気に弾けた。/難しい話はいっさいなし、そのときその場にいる人たちにウケるように、自分の話を面白おかしく脚色しながら語る。(P.40)
なお、タイトルは「くびちょうぱんち」と仮名が振ってある。行政関係者はそう呼ぶとのこと。

★★ 与謝野晶子 温泉と歌の旅 杉山由美子
タイトル通りの本。ただ、著者が短歌の専門家ではなく、その面での探求に物足りなさを感じる。これは結構致命的な欠陥である。著者がこの本を書いたのは、温泉巡りをしていて至る所に与謝野晶子の足跡を見つけ、自らの境遇と重ね合わせ、共感したということが大きいようだ。だから、この本には著者の家庭生活のことも書かれている。それはそれでかまわないと思うのだが、書き方がいかにもぎこちない。こんな書き方なら入れない方がよかったのではないか。もう一つ残念なのは、温泉宿から写真の提供を受けているのに、小さな白黒写真であることだ。こんな載せ方は意味がない。
とはいえ、温泉という面から見た与謝野晶子の生き方は伝わった。すごい人だと改めて感嘆した。

★★★ 永遠の0(ゼロ) 百田尚樹
零戦のパイロットで最後は特攻で死んだ祖父のことを、孫の姉弟が調べ、徐々に真実が明らかになっていくという内容。祖父についての真実だけではなく、日本の戦争に関しても充分分かるようになっている、優れた本である。零戦をはじめ飛行機に関しても詳しく書いてあり、ナルホドと思うことが多々あった。一番驚いたことは、攻撃の際、普通戦果を確認する飛行機が付いていくそうだが、特攻の場合は特攻機自身に連絡させた、それも無線機がボロなのでモールス信号を使ったそうだ。
特攻機は「敵戦闘機見ユ」の場合は短符連送つまり「ト」を連続して打ちます。そして、いよいよ空母に突入の際は、超長符を打ちます。「ツー」を長く伸ばして打つと、「我、タダイマ突入ス」という意味の電信になります。そして体当たりの瞬間まで電鍵を押し続けるのです。/私たちはその音を聞くと、背筋が凍りつきます。その音は搭乗員たちが今まさに命を懸(か)けて突入している印なのです。その昔が消えた時が、彼らの命が消えた時です。しかし私たちにはその死を悼む感傷に浸っていることは出来ません。特攻機が「超長符」を打ち始めて音が消えるまでの時間を計り、その機が見事体当たりをはたしたのか、あるいは対空砲火で撃ち墜とされたのかを判断しなければならないのです。「超長符」を打ち始めてあまりに早くその音が消えた時は、対空砲火でやられたと判断します。しかし長く続いて消えた時は、見事体当たりに成功したと判断します。つまり我々電信員はその昔を聞きながら、戦果確認をしなければならなかったのです。/特攻隊員たちがこの世に残した最後のメッセージが司令部に戦果を知らせる合図なのです。今にして思えば、何という残酷なことでしょう。(p.513)
海軍の指揮官は、人にやらせる作戦は大胆でも、自分が現場にいると弱気になる、という指摘は、もうひと押しが足らなかった幾つかの作戦に当てはまり、実に鋭い指摘である。この本は戦争告発の本である。そして、小説としても素晴らしいのは、人間模様が見事に織り込まれていることである。最後に明かされる真実は、虚構の物語とはいえ、衝撃的である。

マボロシの鳥 太田光
昔、「憲法九条を世界遺産に」という本を読みました。一応楽しめましたが、商業ベースで作られたものだと思いました。この本もそうだろうと予測はしたのですが、娘が借りてきたので、ちょっと読んでみようと思いました。表題作を含む短編九つが収録されています。半分は、失礼ながら、愚作・駄作です。発想は面白いのですが、文章表現が生硬です。新潮社、しっかりしろ!マスコミ揃って軽薄化へと向かっているのでは。

★★ ルポ生活保護 本田良一
生活保護の現状を、まさしく「ルポ」してる本。このことに関しては丁寧に調べ、説得力がある。しかし、一般に想像できる範囲を超えておらず、衝撃的ではない。そして、ではどうすればいいのかについては、幾つかのすぐれた取り組みを紹介しているが、決め手となるようなものではなかった。まあ、そもそもそんなものは存在せず、地道な活動をコツコツ続けるしかないのかもしれないが、何か大きなうねりを引き起こす提案はないのだろうか。このあたりに物足りなさを感じた。
日本女子大学教授の岩田正美氏は、格差は「ある状態」を示す言葉であって、格差を問題にすることもできるが、「格差があって何が悪い」と開き直ることもできる。これに対して貧困は「社会にとって容認できない」とか、「あってはならない」という価値判断を含む言葉だ。そして、「あってはならない」と社会が価値判断することで「発見」されるものであり、その解決を社会に迫っていくものだ、と指摘する(岩田正美『現代の貧困』ちくま新書、二〇〇七年)。(p.121)
貧困は社会的に生み出される。だからこぞ、社会制度の改善と改革によって、それは克服できるはずであり、そうした取り組みなしには克服できない。(p.236)


★★ バイバイ、ブラックバード 伊坂幸太郎
何故か、<あのバス>で連れて行かれる、ことになった主人公が、その前に、付き合っている五人の女性に別れを告げて回るという骨格のお話。それぞれの話に関連はなく、出会いからのことが同じような方法で描かれる。面白い短編集という趣もあるが、全体をまとめる、<あのバス>や、バスに乗るまでの監視役の不思議な女性、については曖昧なままである。読者に委ねられているだろうが、結局は<死>になるしかないのでは。もうちょっと明確なものが欲しかった。

★★★ ブレイズメス1990 海堂尊
海堂ワールドに新たな人物が登場しました。破天荒で魅力的な人物です。それは、天才的心臓外科医、天城雪彦、この本は、彼を中心とした物語で、強烈に読者を引き付けます。リアリティがどうのこうのと、あげつらうこともできるでしょうが、そんなことをブッ飛ばすほど面白い本です。終わり方が又例によって、あとがあるぞというパターンで、それはそれで今後の楽しみと言えなくもありません。

★★★ マリアビートル 伊坂幸太郎
楽しめる本です。
生業正しからざる様々なメンバーが東北新幹線の中によくぞあれだけ集まったものだと驚きます。それでリアリティが感じられないかというと左程でもなく、そんなことを超越した面白さです。運が悪い人は最終的には悪くない、一方、運に恵まれていると思われていた人は結局どうなったか、はっきりとは書いてはありませんが、想像はつきます。いろいろな名言も散りばめてあり、一気に読めます。


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