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読書中 ルポ生活保護 本田良一

読書中 マリアビートル 伊坂幸太郎



今年はちょうど100冊の本を読みました。
他に、ラーメン関係の漫画が28冊、グルメ本や旅行関係書をかなり。
100冊のうち、日本や世界の素晴らしい景色を撮った写真集にハマって、17冊。
1000ページを超える本が2冊、700ページの本が1冊、500ページほどの本が5・6冊。
まことに乱読でした。備忘録のつもりのこのページも乱れて、その役を果たさず。
来年はテーマを決めて読もう、と思ってはみるが、駄目かな。


★★ ここだけは行ってみたい 音楽のある景色 西岡詠美(編)
シリーズ3冊目。今回は音楽に関係のある景色。55の名景絶景、つまり、55曲の音楽、有名なものが集められているのでしょうが、知らないものが3曲ありました。残念ながら音楽と景色とがうまく結び付くものがあまりありません。一番ピッタリなのが、白いアルプスを背景にしたオーストリアの草原とドレミの歌、でした。へー、と思ったのが、フニクリ・フニクラが、ヴェスビオス火山を走る登山列車のCMソングだったということです。たとえ音楽と結びつかなくても、何れも美しい景色であることは確かです。

★★ 我的日本語 リービ英雄
この著者には昔から興味はあったが、何となく小説を読もうという気にならなかった。先日、県立図書館の新着図書の棚でこの本を見つけ、パラパラっと見て、よし!読もう!ということに。
著者はアメリカ人である。名前は本名、勿論漢字ではない。
実は「ヒデオ」という名前は、大戦中、収容所に入っていた父の友人で、広島出身の日系二世の「日出男」さんからもらった名前だ。「英雄」は、「えいゆう」つまり「ヒーロー」という意味ではなく、書き言葉で想像して選んだ。英と雄という四角の漢字で、雄は矩形を少しはみ出るようなエネルギーがある。それと「リービ」という片仮名を組み合わせる。そういった文字の形で選んだ。/文字の形で選んだということは、最初から個人名というよりも、作家の名前になることを想定していたのかもしれない。(p.28)
この本には、著者の日本語との関わり、何故日本語で創作するのか、そして、自作の解説のようなことも書いてある。ナルホドと腑に落ちることは残念ながら多くはなかったが、言わんとすることは分かった。他に、物事の発想方法、視点の取り方など、学ぶべきことは多かった。
「仮」という文字は、もともとは「偽」という意味と、「永久ではない」「はかない」、英語でいえば「impermanent」という二つの意味があって、現代中国語では、おもに「偽」の方が使われているらしい。日本語では逆に「偽」の意味が薄れて、いわゆる「仮」の意味で使われる。例外的に平安時代から残っているのが、「仮病」という表現だろう。「仮の病」はインチキの病気で、めずらしくその片方の意味が残っている。(p.193)
中国とアメリカには共通するものがある。多民族、大陸国で、どちらにも自国の中心性を疑わない中華思想のようなものがあって、あまり異文化に関心を持つ必要を感じず、自己充実している。(p.210)
日本人の同時代作家で、すぐれた人たちの多くは同じことを言う。「書くことがなくなった」と。書くことがなくなったときに、あえて小説を書くというのは、そのことについて書くということだ。しかし、気をつけないと、「書くことがなくなった」という批評性すら消えてしまい、空(から)になってしまう。/では、どうするのか。ぼく自身の答えは、書くということ、小説、文学を創作するということは、言葉の歴史を意識しながら行うものだ、ということだ。伝統主義ではなく、アプレ・ポストモダン、ポストモダンの後に出来るひとつのこととして。/現代を書くにしても、言葉の意識、言葉の歴史を意識するということが必要だろう。(p.216~p.217)

最後の引用は、ベケットを思い出してしまった。
多和田葉子のことが書いてあり、読んでみようという気になっている。
万葉仮名は朝鮮に起源があるということを初めて知った。(p.83)

★★★ あなたが裁く!「罪と罰」から「1Q84」まで 森炎
名作文学、名作映画を素材に、刑事裁判の全体像が分かるようにした本。裁判員制度の始まりに向けた面白い趣向です。名作を知らなくても読めるように書かれています。24作品が取り上げられていますが、それぞれ興味深いなかでも、「容疑者Xの献身」を使った分析は抜群です。この様な視点から理性的に検討されると、ぐうの音も出ません。東野圭吾ファンは怒るかも。
もともと、刑事裁判というのは、検察側・弁護側のどちらが正しいのかを判断するものではありません。あくまで、検察側の立証が十分かどうかを判断するものです。刑事裁判のあり方は、「疑わしきは罰せず」などのスローガンにも表れていますが、検察側、弁護側をフィフティ・フィフティで見て判断するものではないのです。6対4なら検察の負けです。それどころか、7対3でも、8対2でも検察の負けです。9対1ぐらいになって、初めて結論はどちらかということになります。また、最終的な終着点として必ずしも事件の真相が見えてくるわけでもありません。(p.29)
刑事裁判の基本には、行為責任という考え方があります。これは、裁かれるのは行なわれた行為で、人間自身を裁くのではないという考え方です。人が人を裁く以上、こういう考え方にしておかないと、それこそ「人の上に人をつくる」ことになりかねません。あくまで、「天は人の上に人をつくらず」でなくてはなりません。(p.38)
責任能力という言葉が指しているのは、一言で言えば、意識や思考にかかわる異常性のことです。「われ思うゆえにわれあり」ではありませんが、意識や思考が人間存在の根本をなすとすれば、その根本に異常が見られる場合に、そのまま罪に問えるのかという問題意識です。人間行動のメカニズムをつかさどる意識や思考が異常な場合にかぎり、初めて「やむをえない」として刑罰が退場するという考え方です。例えば、精神病で思考が支離滅裂になつていたり、意識障害を生じている場合がこれに当たります。(p.179)
性癖や性格は、もともと人それぞれ、人によってさまざまですから、いくら特異で変わっていても責任能力とは無関係です。こうして、責任能力に影響することはないのです。(p.180)
なぜ殺人はいけないか――法に規定されていることだからとか、そういうことにしておかないと社会が成り立たないからといった表面的な理由とは別に、もっと根源的な理由(略)それは、人は大きなところでは他人とつながっているということに関係します。他者と共に生きるという共生の感覚、他者と共にあるという共存の理念によるものです。人が他人を自分とまったく無関係なものとみなし、自分の欲望あるいは自分だけの考えや論理によって平気で他人を殺(あや)められる存在となつてしまうと、それは、もはや許されざる存在である――これが「汝、殺すことなかれ」の意味です。(p.239~p.240)
死刑という刑罰が許容されるかどうかは、論理必然的に決まることではなく、人命(失われた人命も含めて)に対する感じ方によって決まることです。それは、国民がどういう選択をするかという問題であり、市民の決断の問題にほかなりません。(p.245)


★★ ここだけは行ってみたい 絵画のある景色 瀧亮子(編)
このシリーズ二冊目。写真集だから当たり前ですが、この本は写真がきれいに印刷されています。一冊目、旧市街の景色、の写真がよくなかったのです。
タイトルのある通り、絵に描かれた所の写真です。小さなサイズですが、その絵も載せてあり、比較できるようになっています。そっくりのものもあれば、全く違うものもあり、画家の想像力(創造力)に感嘆します。画家が選んだだけあって、写真に写っている自然や建物も綺麗です。
この本の内容とは関係ないことですが、解説に書いてあって驚いたこと。ユトリロの母は、ルノワールやドガのモデルとして有名で、自身も画家を目指し、サティをはじめ数々の男と浮名を流した。さらに、息子の親友と結婚し、結果、息子は孤独にさいなまれ、アルコールに溺れ、家に帰らずモンマルトルを彷徨い、絵を書いた・・・

★★★ 往復書簡 湊かなえ
十年後の卒業文集、二十年後の宿題、十五年後の補習、の三作。初め、三章からなる一つの話だと思っていました。共通しているのは、往復書簡という形式だけ。今作も、この独特の形式を使った面白い作品です。うまい書き方です、が、最後にどんでん返しを期待して、そして、予測して、ということになってしまいます。だから、面白いだけでなく、もう一つ何かピリッとしたものがあったらいいと思います。

★★ 外交官が見た「中国人の対日観」 道上尚史
二〇〇九年春、中国のインターネットに時事小噺の〝名作″が現れた。
「1921年:社会主義だけが中国を救える(中国共産党の成立)。
 1979年:資本主義だけが中国を救える(改革・開放の開始)。
 1991年:中国だけが社会主義を救える(ソ連等社会主義国の崩壊)。
 2008年:中国だけが資本主義を救える」 (p.12)
中国人は、国家や組織というものに根本的には信を置かず、自力で切り拓いていくしかないと考えている。だが同時に、自分の生活もビジネスも、国の政策や外国との関係によって左右されることをよく理解している(このあたりは日本人と逆かもしれない!)。(p.207)
中国では、中華思想と愛国的民族主義ゆえに、硬直した国内派が大半かというと、そうでもない。排外的な民族主義を批判し、「自分たちはまだ大きく遅れている、外国から積極的に学ぽう」という姿勢は、建前だけのことでもない。(p.209)
全人口の〝平均値″で比較をすれば、教育でも世界理解でも、日本は中国をはるかに上回るだろう。だが、各界の若い実務リーダーや知的エリート層に限れば、日本はそう優勢ではないかもしれない。ここ十数年のあいだ、中国は世界金融、グローバル・ビジネス、エネルギー開発、スポーツ強化などさまざまな分野で、ずいぶん国際経験を積んだ。この伸び率は相当に高い。こういう進歩にも目を向けた総合把握ができないと、中国観が古く甘いままになってしまう。(p.214)

もっとシビアーなことが書いてあるのかと思ったら、意外に明るいことが多い。外交官という立場から、ワザとそういう話題を選んだのかもしれない。そうではないだろうと思うことがたくさんあった。
ただ納得したのは、日中双方とも、お互いの全体像を理解していないのではないかということだ。話題性のあることばかりが取り上げられ、一方的な見方になっているという指摘は正しいような気がする。これにはマスコミの責任が重いと思う。日本側も、そして特に中国の方にも。一流国見習、といわれる中国、一流国の自覚が足らないのではないか。

★★ なごみの風 日本名景ベスト50 渋川育由(編)
このシリーズ、そろそろ制覇しつつあるが、これは今までで一番。どこも美しく、心が洗われる。北海道、東北の、雄大かつ繊細な自然、壮麗な日光東照宮、桜や桃や梅、菜の花の輝き、意外に温かみのある雪景色、自然に溶けkんだ建造物、日本は素晴らしいと再認識しました。

★★ これから「正義」の話をしよう マイケル・サンデル
読み終えて思うのは、この本はアメリカ人向けのものだということだ。内容もそうだし、コントゥロバーシャルなが好む展開である。結論は兎も角、議論することが重要だ、というのがこの本の結論ではないか。例えば、結論が出ないのなら、結論が出ないということを論理的に証明しなければいけないと考えるのだ。だから、非アメリカ人の私は読むのに苦労した。何とか論理をたどっていっても、最後は元に戻っていると感じたり、著者の満足感が窺える思考過程にイラついたりもした。「いまを生き延びるための哲学」という副題が付いているが、哲学にしては、語の定義があいまいで、それが読みにくい原因の一つだろう。
アメリカ人は、強欲よりも失敗に厳しい。市場主導の社会では、野心的な人間は精力的に利益を追及するものと思われているが、利己心と強欲の境界は暖昧だ。ところが、成功と失敗の境界はもっとはっきりしている。人間には成功がもたらす報酬を手にする権利があるという考え方は、アメリカン・ドリームの中核をなしている。(p.25)
子供を産むことと戦争で戦うことほど異質な行為はないだろう。しかし、妊娠しているインドの代理母と、アンドリュー・カーネギーの身代わりとして南北戟争を戦った兵士には共通点がある。彼らの置かれた状況の是非を考えていくと、二つの問題に向き合わざるをえなくなる。それは、正義めぐつて対立するさまざまな考え方の分岐点となるものだ。一つは、自由市場でわれわれが下す選択はどこまで自由なのかという問題。もう一つは、市場では評価されなくても、金では買えない美徳やより高級なものは存在するのかという問題である。(p.135)
誇りと恥は、共有するアイデンティティを前提とした道徳的感情だ。海外旅行中のアメリカ人は、アメリカ人旅行客の無作法な振る舞いに出くわすと、たとえ相手と面識はなくとも恥ずかしいと感じる。相手がアメリカ人以外なら、同じ振る舞いをみっともないとは感じても、それを恥ずかしいとは感じない。(p.303~p.304)
現代の民主的社会に生きる人びとは、道徳的・宗教的問題について意見が一致しない。そのうえ、そうした不一致は合理的だ。「十分な理性を持つ良心的な人格が、自由に討論したあとでさえも、全員同じ結論に達することは期待できない」 (p.320)


★★★ 東西/南北考 赤坂憲雄
東西の軸に沿って展開する眼差しと、南北の軸に沿って伸び広がる眼差しとのあいだには、見えにくい、しかし、あきらかに根源的な落差が横たわっている。この弧状なす列島の地政学的な無意識は、二つの眼差しにたいして、求心的/遠心的といった相反する属性をあたえてきた。東西の軸に立つとき、わずかな揺らぎをともないながらも、眼差しはついには予定調和の時空へと還元されてゆく。それにたいして、南北の軸はひたすら破壊と混沌の淵へと誘(いざな)いかける、不安にまみれた眼差しの連動を招き寄せずにはいない。この落差については、より端的に、同族的/異族的と称してもいい。東西の軸は同族的アイデンティティの再認に繋がり、南北の軸は異族的なカオスの状況へとかぎりなく開かれている。
円形をなす土俵は東/西に分割されているが、その分割は花道や控えの間へと延びている。むろん、番付けも東/西に分かれる。こうした東/西の分割は、古い時代には、列島の内なる東国/西国という大きな空間の分割に繋がっていた。それぞれの力士は、シコナ(四股名・醜名)として「御国」を背負い、その「御国」は列島の東/西いずれかに帰属していたのである。
その東方/西方の分割のうえにも、東の「毛人」/西の「衆夷」にたいする征服戦争の時代の記憶が揺曳(ようえい)している。古代の相撲はまさに、天皇をいただくヤマト王権による国土支配の演劇的パフォーマンスであった。
国技館の内部は、密教のいわゆる金剛界マンダラの構造を模している、という。その特質は円形と方形との複雑な組み合わせにある。マンダラ図でもっとも重要なのは、上段中央の一印会(いちいんえ)と呼ばれる部分であり、そこには大日如来が大きく描かれている。国技館でいえば、天覧相撲の折りだけ、むろん天皇その人が座を占める場所である。江戸の上覧相撲では将軍が、平安の相撲節会では天皇がやはり、そこに座った、と宮本は述べている。円形の土俵のうえで演じられる、「御国」を背負った異形のチカラビトらによる服属のパフォーマンスと、それを聖なる座から見下ろし、愛(め)でる、天皇・将軍らの国土支配のパフォーマンスとが対をなす風景が、ここにはある。
東西の軸に沿った戦いは、関ケ原の合戦を思い浮かべるだけでも、ひとつの土俵・ひとつのルールを互いに認め合った戦いであることがあきらかだ。際限もない殺戟のドラマが演じられるわけではない。それは突き詰めてゆけば、ひとつの種族=文化の内なる領土争いに帰着する。ところが、南北の軸に眼を転じると、様相はたちまちにして一変する。そこには、定められた土俵は存在しない。戦いのルールもまた混沌としている。それは、蝦夷・アイヌ・琉球といった、少なからず種族=文化的な断層を孕(はら)んで対峙する相手との、いわば植民地支配のための戦争である。王化や「日本」化に抗うマツロワヌ異族の人々にたいして、巨大な国家の暴力を背景としつつ、服属を迫るための戦争である。相撲のごとき、儀礼的な予定調和はかけらも見られない。円の理法や自在さといったものは存在しない。避けがたく、それは血なまぐさい異種格闘技戦に近接せざるをえない。

上に引用したことが書いてある「まえがき」を読み、ワクワクした。で、本文を読むと、そこは学者の綿密は論文で、それはそれで面白いのだが、ワクワク感はなくなった。意外だったのは、柳田国男が評価されていないことであるが、しかし、この本を読むと著者の主張が納得できる。柳田が偉大すぎて、なかなかその呪縛、東西的思考から皆が逃れられなかったようだ。以下の引用にある、文化周圏論、は柳田の主張。
京都が列島の文化の中心になってから、わずか千数百年の歳月しか経ていない。縄文時代は措(お)くとしても、稲作が渡来した弥生のはじまりから数えた場合ですら、それ以前に千年あまりの空白がある。文化周圏論が及ぶ時間的な射程は、それゆえ千数百年間を越えることばない。議論の余地はない。文化周圏論はいわば、その千数百年間にかぎって成り立つ、列島の文化地図でしかない、ということだ。(p.52)
被差別部落の問題、墓地の場所の問題、つまり、けがれの問題、についての記述も興味深い。
最後に、「あとがき」からの引用を以下に。
いま必要とされているのは、中央の補完物にすぎない地方ではない、地域である。地域はただ、中央や国家に奉仕し、それを補完する従属物ではなく、はるかに自立的ななにものかである。それはときには、国家という境界線(ボーダー)を越えてゆく可能性すら秘めて、そこにある。そうした可能性としての地域が語られねばならない時代が、すぐそこまでやって来ている。(p.197)
地域とは「ひとつの日本」が壊れてゆく現場である。そこに「いくつもの日本」が露出してくる。わたしたちははたして、「いくつもの日本」という混沌(カオス)に耐えて、あらたな自画像を描くことができるのか。たしかに不安はある。しかし、「いくつもの日本」へと向かう流れを押し止めることはできない、それは避けがたく奔流と化してゆく。「いくつもの日本」を学んだ地域こそが、逆説的ではあるが、グローバル化の時代にたいする抵抗の拠点となるだろう。海の向こうから、多文化主義とグローバリズムとが、まるでアメと鞭のごとくに手を携えて押し寄せてくる。だから、かれらに身を委ねるわけにはいかない、とあらためて思う。覚悟を固めるときだ。(p.198)


★★ ここだけは行ってみたい 旧市街の景色 岡本康弘(編)
図書館で見つけて借りてみました。
名景シリーズと同じようなものですが、「旧市街」のためかどうか、写真に鮮明さがありません。意図的にセピア調にしたのかとも考えましたが、どうもそうではないようです。何れにしろ、建物メインで自然の無いことが、物足りなさを感じさせるのだと思いました。

★★ そのさきの楽園 世界の名景ベスト50 渋川育由(編)
世界の名景シリーズ6冊目。この本も又、美しい景色に溢れています。「ストックホルムの釣り小屋」、現実離れした色彩の小屋、岩、海、白い満月、不思議な光景です。「ジャングルの秘湯」、水温34度だが、オーストラリアにも温泉があるのですね。「イアの夕陽」、ギリシャ、サントリーニ島の町イヤ、青いドーム型の屋根と白い壁、先日行った高知のヴィラ・サントリーニとそっくり。
この様な写真を見ていると落ち着きます。

★★★ 東京今昔散歩 原島広至
「彩色絵はがき・古地図から眺める」という枕詞が付いています。
彩色絵はがきとは、写真の台頭で職を失った錦絵の絵師が、写真に一枚一枚手で色を付けたものです。それや古地図と現代の写真を対比して、東京の色々な所を解説してある興味深い本です。とはいっても、私が昔から江戸東京に関心があり、それに関する本を読み、かなり東京を歩き回ったので、面白いと思うだけで、普通の人には詰らないものかもしれません。今度東京に行く機会があったらこの本を持って行こうと思います。

★★ 神様のカルテ2 夏川草介
今年初めに読んだ前作と同傾向の作品。地方医療のために奮闘する内科医の話で、漱石かぶれの文章といい、多少過剰なユーモアといい、形式的な面ではこの二作に大きな違いはない。中心的な話題が患者だった前作に対し、今作は同僚の医者になっているところが違いといえば違いといえるだろう。しかし、書いてある内容の割には作品が醸し出す雰囲気がとても温かい。人間関係が性善説に基づいていて、安心して読める。次は、3、ではなく、違った形ものを読みたい。

★★★ 希望難民ご一行様 古市憲寿 本田由紀
サブタイトル:ピースボートと「承認の共同体」幻想
著者自身がピースボートに参加し、その体験をもとに、ピースボートの実態を報告し、船内をコミュニティー(の集まり)と捉え、今の若者の状況を分析したもの。
キャンパスではよく学生に間違われる社会学者の小熊英二(2009)に『1968』という大著がある。枕元に置くと地震の時に危険なくらい重い。しかも『ワンピース』が単行本で34冊も員えるくらい高い。/小熊は1968年を中心とする学生運動を分析する中で、「若者たちの叛乱」の原因の一つを「現代的不幸」に求めた。(p.60)
ポスターを貼って世界一周しよう/ボラスタにはポスター貼りと内勤の二種類がある。ポスター貼りは街でポスターを3枚貼るごとに、乗船賃1000円分が割り引かれる仕組みになっている。内勤は時給800円換算で、ピースボートセンターでポスターにテープを貼る、葉書を付けるなどの仕事をする。ポスターを30枚貼れば1万円、300枚で10万円の割引だ。/そう、乗船賃を99万円と考えた場合、単純計算でポスターを3000枚貼ればピースボートに乗れてしまうのである。ポスター貼りのみだけで、乗船運賃を稼いでしまうことを「全クリ」というが、62回クルーズでも筆者が確認している限り3人存在した(全て男性)。(p.104~p.105)
ブログの更新頻度がすごい評論家の内田樹(2007)は、若年層に流行する「自分探しの旅」を、見知らぬ場所で見知らぬ人に出会うことではなく、自分についてのそれまでの外部評価をリセットすることに目的があると推測する。(p.141)
右翼も左翼も一緒だ/憲法9条が承認の供給源となっている点で、それは日の丸を振りかざし、小林よしのりを愛読する「右傾化した若者たち」とも親和性を見いだせるだろう。ゴスロリ系エッセイストの雨宮処凛は、「現代的不幸」を理由にかつて「右翼」思想に傾倒した一人だ。/1990年代末、彼女は恋愛と買い物とカラオケくらいしかすることのない平和な日常に閉塞感を感じていた。「右翼と左翼の違いなどわからなかった」(雨宮2007:43)が、ある時出会った「右翼」のわかりやすい言葉や主張は雨宮の胸に響いた。戦没者を「英雄」と位置づけることで、平和な時代に生まれたという罪悪感からも解放された。「国を愛した途端」に「現代的不幸」は全て解決したのである。/同じようにピースボートも「憲法9条」というわかりやすい物語を若者たちに提供する。「憲法9条があれば日本は平和」という、「とにかく国を愛すればいい」という「右翼」にも匹敵するわかりやすい物語だ。「生きづらさ」を抱える若者たちに「答え」を与えるという点で、「右翼」の掲げる「日の丸」と、ピースボートの掲げる「憲法9条」は機能的等価物(要は同じもの)と言えるかも知れない。(p.190~p.191)
下品な言い方をすれば、希望難民たちは「現代的不幸」に対しムラムラして(衝動や感情が抑え切れないこと)ピースボートに乗り込み、目的性を冷却させた結果、「村々する若者たち」になったのである。/コピーライター気取りでもう少し口を滑らせておけば、現代は「ムラムラ(村々)する時代」と表現することができるだろう。多くの人が日常に閉塞感を感じると同時に、そこからの出口を探している。この何かをしたいという「ムラムラ」する気持ちを抱えながら、実際には決まったメンバーと同じような話を毎日繰り返して「村々」している。そして「ムラムラ」を「村々」へ再編成する装置がピースボートなどの「承認の共同体」なのである。(p.255)

以上の引用を読んでもらえば、著者の主張は判るだろう。
著者の関心は若者に向いているので仕方のないことだが、ピースボートに乗った若者ではない人々のことも書いてほしかった。

★★★ アリアドネの弾丸 海堂尊
アリアドネ、とくれば、糸、ですが、それを使ったこのタイトル、実に巧みな命名と言えるでしょう。中味は言うまでもなくお馴染みの海堂ワールドです。今作は、始めの方、ちょっとマンネリかな、と思うところもありましたが、推理スト-リーになると俄然面白くなります。読了後も殆ど引っかかるところもなく、まとめ方がうまいと感心してしまいました。権力はトカゲの尻尾切りをする、という一つの結末で、更に続く、という終わり方も心憎い限りです。一つ気掛かりは、登場人物のカリカチュアライズがすすんで、人間性が失われるのではないかということです。

★★★ 1968(下) 小熊英二
遂に読みました。(上)と同じボリュームなのに、数倍の時間がかかりました。それは、図書館で借りたこの本、(上)は返すのを待っている人がいたのに、(下)はそんな人がいなかったからです。早く返さなければいけない本を優先したので、この本は何度も貸出期間を延長しました。
(下)は68年以降のことが主になっています。特に、べ平連、連合赤軍、の記述に力が入っているように感じました。(上)と同様、膨大な資料を読み、分析し、起こったことを精緻を極め記述しています。後の世代の人がここまで徹底的に過去を再現しようとするのも脅威です。我々その時代に生きた人間がその時起こったことの全体像が見えていなかったのはある意味当然ともいえるでしょう。この本を読み、初めてあの時代の大きな動きが分かったような気がします(過去何冊か当時のことを書いた本を読みましたが、ここまでの本はありませんでした)。しかし、著者の分析には何か違うと感じるものがあります。本書に納得できないなら自分で本書に代わるものを書け、と著者は言っていますが、そんなことが一般人に出来る訳もありません。一つだけ指摘しておくと、我々世代は戦後の民主主義教育を受け、それがのちに影響している、と著者は書いている、これは全面的にではないが、事実に反していると思う。このことに関する資料が少ないのではないか。昭和30年代、世の中はまだ混乱が収まっておらず、教育現場は子供の目から見ても変だった。とはいえ、すごい本です。『〈民主〉と、<愛国>』もいつか読んでみようと思います。
「あの時代」の若者たちは、「戦後民主主義」や「進歩的文化人」を非難した。しかし彼らが、「戦後民主主義」や「進歩的文化人」の著作や思想に精通していたとは思えない。/だが彼らは、内容を把握する以前にそれらを非難した。その根底にあったのは、日本が発展途上国だった時代に「近代的不幸」に対処するために形成された戦後思想が、高度成長を経て先進国型の「現代的不幸」に直面することになった若者たちにとって、論理的にというより感覚的に共鳴できなくなった、という問題であったと思われる。だからこそ彼らは、「戦後民主主義」や「進歩的文化人」を、その内容も把握せず頭から拒絶したのだと思われる。/それと類似のことが、現在おきているのではないか。すなわち、経済成長と安定雇用の時代に生まれた「一九七〇年パラダイム」とそれに依拠している(と思われている)「サヨク」とその論調は、経済停滞と不安定雇用の時代を生きている現代の若者にとっては、その内容を把握する以前に感覚的に共鳴できないのだ。/すなわち、一九七〇年前後に「進歩的文化人」の「戦後民主主義」が非難され、思想的寿命を終えたように、いまでは「サヨク」の「一九七〇年パラダイム」が非難され、思想的寿命を終えようとしているのではないか。そして、「あの時代」の叛乱する若者たちが「進歩的文化人」を嘲笑し、三島由紀夫や北一輝などの右翼思想家に、年長者たちが眉をひそめるにもかかわらず――眉をひそめるがゆえに反抗の気分を味わえたわけだが――魅かれたように、現代の若者は「サヨク」を嘲笑し、歴史修正主義などに魅かれていくのである。/ただし「思想的寿命を終えようとしている」といっても、その意義がなくなるわけではない。「戦後民主主義」の平和主義がいまでも一定の正当性をもっているように、「一九七〇年パラダイム」の正社員批判や戦争責任論やマイノリティへの注目なども一定以上の正当性を失ってはいない。むしろマイノリティの問題などは、まだまだ注目が足りないといってもよい。そして、社民党や共産党が数%の支持率を維持しているように、それは完全に人びとの支持を失うことはないだろう。ただ、それが説得力をもって多くの人びとから共感される時代は終わりつつある、それとは異なる対抗言説がもとめられている、とはいえるのではないか。/これはある意味で、人びとの意識、思想、言説の変化が、社会の実態変化より約一〇年遅れることを示してもいる。社会が変わっても、人間は発想の転換が容易にできないからだ。/日本が発展途上国だった時代に形成された戦後思想は、「もはや戟後ではない」という言葉とともに高度成長が始まった一九五〇年代後半から、約一〇年を経た一九六八年ごろから嘲笑と批判にさらされ、パラダイムの転換がおきた。そして「一九七〇年パラダイム」は、日本が経済成長の余地のある中進的先進国だった時代に栄えた。/そして九二年に経済成長が止まり、九四年に脱工業化した先進国に日本が変貌した時点から、約一〇年を経た二〇〇〇年前後から、「一九七〇年パラダイム」と「サヨク」は嘲笑と批判の対象とされた。そして、支配的言説としては歴史修正主義と新自由主義が台頭する一方、それに対抗する側は新たなパラダイムを生みだせていないのである。(p.848~p.849)
本書が二〇〇〇年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。「あの時代」の叛乱を、懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない。現代の私たちが直面している現代的不幸に、最初に集団的に直面した若者たちの叛乱とその失敗から、学ぶべきことを学ぶこと。そして、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの位置を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。(p.982)


★★ だいじょうぶ3組 乙武洋匡
あの[五体不満足]の著者が、3年間の小学校の先生をした経験をもとに書いた小説。感動的なお話です。小説という形にしたのは、プライバシー・個人情報の問題があるのでしょう。とはいえやはり、著者の生の記録、彼にしか書けないものを読みたいという気がします。
同じルーキーとして、似たような悩みを抱える仲間と過ごす時間も、悪くはない。だが、学校という閉ざされた社会にいる以上、夏休みくらいは外の世界の空気にふれ、さまざまな分野の人と出会うことで経験の幅を広げたほうが、よっぽど子どもたちのためになるのではないか――。民間の企業に五年間勤め、そのあとで教師となった赤尾は、そんなことを思いながら閉塞的な夏休みを過ごしていた。(P.164)

★★ 輝きのかなた 世界の名景ベスト50 渋川育由(編)
南アフリカの首都、プレトリア、別名、ジャカランダシティ。ジャカランダとは薄紫の花を枝いっぱいに咲かせる、世界三大街路樹<こんなものがあるのですね>の一つ。この写真は、桜とは違った美しさです。
中国、元陽の銀色の棚田、さすがに大陸の棚田、スケールが違います。でも、美しさは日本。
世界三大街路樹、調べてみました。他の二つは、カエンボク、ホウオウボク、だそうです。

★★ モチベーション3.0 ダニエル・ピンク
原題は、Drive(原動力・やる気)、訳者の大前研一が意訳をした。
下の引用を見ると、著者の主張がわかるだろう。
<モチペーンヨン1.0>/<モチベーンヨン2.0>/<モチベーション3.0>
モチベーションの基本ソフト(OS)。つまり、社会がどのように機能するか、人間がどのようにふるまうかに関する仮定と指令で、法体系、経済的取り決め、ビジネス慣行などに行き渡っている。<モチベーション1・0>は、人間は生物的な存在なので生存のために行動する、とみなした。<モチベーション2・0>は、人には報酬と処罰が効果的だとみなした。現在必要とされているアップグレード版の<モチベーション3・0> は、人間には、学びたい、創造したい、世界をよくしたいという第三の動機づけもある、とみなしている。(p.31)

著者も認めているように、ルーティーンワークには<モチベーンヨン2.0>が有効である。そして、ここが著者とは違うのだが、たとえ先進国でもまだまだルーティーンワークをする人の方が多いのだ、と私は思う。更に、私の経験からは、第三の動機付けで動く人は少数派だという結論になる。
人には生来、(能力を発揮したいという)有能感、(自分でやりたいという)自律性、(人々と関連を持ちたいという)関係性という三つの心理的要求が備わっている。この要求が満たされているとき、わたしたちは動機づけられ、生産的になり、幸福を感じる。(p.109)
理想論としては魅力的なものだが、現実にはどうだろうか。
「企業が予算の一部を慈善事業費に割り当て、その費用を各従業員に再分配することにより、従業員の感情的な満足度を上げられる。すなわち、従業員にはそれぞれが選択した慈善団体へ寄付を納めるようにしてもらう。そうすれば、各団体が恩恵を受けると同時に、従業員も満足感を抱ける」。言い換えれば、コミュニティへの還元方法について、従業員一人ひとりの自己管理に委ねるほうが、・・・・・ (p.201)
これは自己管理なのか?
「他人の意欲を起こそうとしてエネルギーを費やすのは、時間の無駄である」 (p.270)
自立性を待つのはもっと時間がかかることだと思う。60年生きてきて私は悲観的になっている。

★★★ 奈良百佛 久野健(編)
知り合いのブログで紹介されていて、ちょうど奈良に行く予定があったので、読んでみました。なかなかにいい本で、とてもためになりました。知識という面だけではなく、感情に訴えるかける文章が多く、というより、仏像そのものが持つ魅力が強いのでしょう、この先何回も奈良に行きたいと思うようになりました。
絶版になっているようで、市の図書館で借りました。次の予約が無いので、貸出期間を延長して、長い間手元に持っています。予約が入ったら、HPで分かるので、すぐ返します(それまでは当分返しません)。

★★ らーめん才遊記 第2巻
作・久保緑郎、画・河合単、協力/石神秀幸。
第1巻を読んでから5カ月、いいところで切れていたので、うまく繋がらない。そしてまたこの巻も中途半端な所で終っている。まだ雑誌に連載中だからしようがないが、このような形で読むのは面白くない。雑誌を読む気が無いのだから、全巻揃ったぐらいでまとめて読むのがいいだろう。

★★ 図説あらすじで読む日本の仏様 速水侑(監修)
図書館で仏像についての本を探していて見つけました。後で気づいたのですが、「図説あらすじで読む」シリーズの一冊でした。以前、古事記、日本書紀、聖書、といったものについて、このシリーズを読みました。上手くまとめてあるが、表面的な解説に終わっているという印象でした。この本は、まとまっていないという感じです。それは仏像の世界を広く捉え、全てについて言及しようとしたからではないかと思います。判らないことが、知りたいことが、ますます増えました。体系的に様々な本を読もうと思います。

★★★ フリー クリス・アンダーソン
最近タダのものが増えている。それを解説したのもである。前作の『ロングテール』と同様、インターネットの発達により、世界が大きく変わっていることに気付かせてくれる。完璧に納得できないところもあるが、確かに世の中はその方向に行っているのだろう。ただし、それが良いことかどうか、検討する必要があると思う。そして、その検討結果によってはこの流れを止めなければいけないのではないだろうか。いや、もう止めることのできない流れになっているのか。
二〇世紀は基本的にアトム経済だったが、二一世紀はビット経済になるだろう。アトム経済における無料とは、何かほかのものでお金を払わされることで、まるでおとり商法のようだった。結局はお金を払わなければいけないのだ。しかし、ビット経済の無料は本当にタダで、そもそも金銭がその方程式からとり除かれていることも多い。人々はアトム経済では 「無料」と聞くと当然ながら疑いを抱いたが、ビット経済では当然のように信頼する。彼らは両者の違いや、オンラインでフリーがなぜうまく機能するのかを直観的に理解しているのだ。(p.22)
人になかをあげることは、お金のためではなく自己満足のためだと彼は言ったのだ。その満足はコミュニティや相互扶助や支援に根ざしている。すすんで他人を助けることで、相手も同様にふるまうようになる。「原始社会」はそのように動いていたとクロボトキンは主張した。贈与経済は市場経済よりも、人間の自然の状態に近いのだと。(p.56)
皆さんは人生のどこかの時点で、朝起きると、自分が時間よりもお金のほうを多く持っていることに気づくかもしれない。そうすると、あなたは行動を変えるべきだと思うだろう。預金の引き出し手数料を払わないために四ブロック先にあるATMまで行くことも、安いガソリンスタンドを探してえんえんと車を走らせることも、家のペンキ塗りを自分ですることもやめるのだ。(p.92)
今や<欲求段階説>としてよく知られているマズローの答えはこうだ。「すぐに別(高次)の欲求が現れ、生理的空腹に代わってその肉体を支配する」。マズローの五つの段階の一番下には、食べ物や水などの生理的欲求がある。その上は安全の欲求で、三段目は愛と所属の欲求、四段目が承認の欲求で、最上段が自己実現の欲求である。自己実現とは、創造性などの意義あるものを追求することだ。(p.239)
要するに、私たちが報酬なしでも喜んですることは、給料のための仕事以上に私たちを幸せにしてくれる。私たちは食べていかなければならないが、マズローの言うとおりで、生きるとはそれだけでない。創造的かつ評価される方法で貢献する機会は、マズローがすべての願望の中で最上位に置いた自己実現にほかならず、それが仕事でかなえられることは少ない。ウェブの急成長は、疑いなく無償労働によってもたらされた。人々は創造的になり、何かに貢献をし、影響力を持ち、何かの達人であると認められ、そのことで幸せを感じる。こうした非貨幣的な生産経済が生まれる可能性は数世紀前から社会に存在していて、社会システムとツールによって完全に実現される日を待っていた。ウェブがそれらのツールを提供すると、突然に無料で交換される市場が生まれたのである。(p.250)
中国では不正コピーが音楽消費の九五パーセントを占めると推定されている。そのためレコード会社は、自分たちのビジネスを根本から考え直すことを強いられてきた。プラスチックのディスクに録音した音楽を売ることでは稼げないので、別の方法で売ることにしたのだ。アーティストには、消費者向けのアルバムではなく、ラジオで放送するためのシングルをレコーディングするように依頼している。レコード会社は歌手の芸能プロダクションとしての役割を担い、コマーシャルの出演料の一部をもらっている。そして、コンサートのスポンサーも見つけてくる。レコード会社は、ステージに立たせる所属アーティストが多いほどスポンサーから受けとる金額を大きくすることができる。一番の問題は、唯二の収入源であるツアーがずっと続くせいで、声帯が傷むと歌手が文句を言うことだ。(p.267~p.268)
欧米の報道では、中国の模造品は犯罪以外の何ものでもない。だが中国では、模造品は別の価格帯の別の商品であって、市場が求めたバージョン化のひとつなのだ。偽物のルイヴィトンのバッグを買うかどうかは、倫理の問題ではなくて品質と社会的ステイタスとリスクの問題となる。充分なお金を持っていれば、人々は好んで本物を買うだろう。そちらのほうがすぐれているからだ。だが、ほとんどの人は経済的理由から偽物しか買うことができない。(p.269)


★★ ここだけは行ってみたい 伝説が残る景色 斉藤香(編集)
図書館で見つけました。一冊ポツンとありましたが、調べてみるとシリーズです。2004年から2008年にかけて、16冊も出ているようです。機会があったら、他も見ようと思います。
名前も聞いたことが無い処がたくさんありました。なかでもいいと思ったのは、アイルランドの、ニューグレンジ、ロック・オブ・キャッシェル、ジャイアントコーズウェイ、フランスの、ル・ピュイ、レ・ボー・ド・プロバンス、ロカマ・ドゥール、特に最後の岩壁の街は不思議な魅力がありました。行ってみたいという気持ちはさほどありませんが、偶にこのような写真を見るのもいいものです。

★★★ 内訟録 細川護熙
細川護熙総理大臣日記(伊集院敦・構成)
内容は、総理大臣在任中の日記、構成者による解説と関係者の証言、です。
私、これまで『日記』はほとんど読んだことがありません。出版される日記は、本当にその時に書かれたままではないかもしれない、後から加筆修正しているのでは、という疑問もその理由の一つです(1月5日の日記に「1月20付のワシントン・ポスト(p.268)」という記述があります、誤植?)。回想録という形の方がいいと思います。とはいえ、この本の存在を知った時、何故か読みたいと思いました。細川護熙本人に興味があったし、今[2010年夏]の政治状況が後押ししたのかもしれません。
とても面白い本でした。あの9カ月ほどが鮮明に甦ってきました。第一に感じたのは、細川護熙という人物は、思ったよりもすごいということです。もう一・二年彼が総理大臣をやっていたら、今の日本はもう少しいい方に行っていたのではないかと思いました。歴史に「もし」はないと云われますが、この本を読みながら、いくつもの「もし」を考えてしまいました。結局あの連立には最初から無理があり、特に「さきがけ」と社会党が壊したという印象を受けました。それぞれの立場の証言が断片的に載っていますが、もっとまとまったものを読みたいと思います。去年の11月、「NHKスペシャル、証言ドキュメント、永田町・権力の興亡」という番組を見ました。細川政権から民主党政権までの16年を追ったものですが、ちょっと物足りない印象でした(これの感想はこちら)。関係者の回想録が出版されることを期待します。
どの道、8党派による無理な連立は短期政権が宿命と肚を括り、この際ハシにも棒にもかからぬ社会党が与党にあるを奇貨とし、積年の難題を少しでも脇に抱きかかえて無理心中せざるべからず。政治改革、コメ、その先どこまで行けるか。とにかく行ける所まで行く外なし。(p.191)
以下はウルグアイラウンドについて。
それにしても、自民党のなしおることは、自分で始めた交渉の尻拭いを人に押し付けるに止まらず、まさに国際的な反動体制運動なり。自衛隊反対を声高に唱えた曾ての社会党同様始末におえぬ。(p.213)

この辺り、今に自民党にも言えますね。以下は、山崎拓の証言。
もし、このとき[細川退陣の時]我々[自民党渡辺派]が集団離党し、連立の組み替えができていたら日本の政治はガラガラボンになっていたでしょうね。保守合同ですから、第2の55年体制になっていたでしょう。政策面では現実的でプロの政治が続いたと思いますよ。仮にということなら93年の衆院選の後もそうです。選挙の翌日、YKK(山崎、加藤、小泉)で会って「細川を担ぐ以外に数が足りないので、細川のところに行こう」という話でした。あの発想は小沢氏もしたけれどYKKもしたんですよ。確か、小泉が言い出したと思います。しかし、瞬間タッチの差で遅れた。惜然としましたよ。細川さんの行動には想像を超えたところがありましてね。いつも面食らわせられることが多かったんですけれど、そのときも面食らってしばらく会いに行かなかったんです。我々の方が先に行ってたら、変わっていたでしょうね。(p.496)
上に書いたNHKの番組でもありましたが、YKKはトンデモナイ人たちだったのですね。

★★ イルカを食べちゃダメですか? 関口雄祐
水産庁の調査員として太地町に数年間定期的に滞在、その後も15年にわたって交流を続けている著者が、太地町のこと、日本の捕鯨、について書いた本。THE COVE に対抗するために書いたのか、どうかは判らないが、日本人には共感を得るかもしれないが、外国人に対してはもっと強い主張が欲しいところだ。伝統、文化を強調し過ぎのように感じた。外国人を説得するのを諦めているようにも思われる。下の引用のように、最後に映画の問題点を指摘しているが、ナルホドと思う。その面からの切り口も欲しかった。
IWCによって、“先住民生存捕鯨”というものが認められている。(p.169)
捕鯨そのものに私は賛成だ。ただし、捕鯨する場は近場がよい、日本沿岸だ。地産地消の精神でもよい。もし消費が増え、供給が追い付かなくなったら、沿岸では足りなければ遠洋、そして南極海へ行けばよい。捕鯨の発達はそうしたものだったはずだ。沿岸で、きちんとした資源管理の上、堂々と商業捕鯨を展開すべきである。(p.173~p.174)
『THE COVE』は、ドキュメンタリーに分類されるようだが、ドキュメンタリーとは記録である。記録は事実に忠実かつ正確でなければならないが、この映画は、製作者の意図に沿つて忠実につくられている。その意味で、宣伝(プロパガンダ)映画といっても過言ではない。製作側の意図するところであろう「イルカ漁への反対」活動を盛り上げるための煽動であり、太地いさな組合によるイルカ追い込み漁の記録映画としての「THE COVE(イルカが追い込まれる小さな畠尻湾のさらに小さなひとつの入り江)」では断じてない。/加えていうと、映像の中のショッキングなシーンは、現実よりもリアル感がある。つまり、デジタル技術による映像処理は臨場感に欠かせないものだろう。たとえば、捕殺作業によって海面が赤く染まるシーンがある。この映像自体が10年近く前に撮影されたもののようだが、さらに「赤さ」を後処理しているのではないかと疑いたくなる。捕殺作業で流血するのは当然なのだが、現場は何頭ものイルカと人が泳ぎまわり、海底の砂を巻き上げ混濁した海水となる。そこへ血が流れ込んでも濁ったような赤さになるのであり、私が経験した限りでは映画で描かれた「鮮血」のような赤さにはならないのだ。(p.201~p.202)

★★ 悪貨 島田雅彦
この著者の本、随分昔ですが、4・5冊読みました。記憶が定かではありませんが、作風が変わったと思います。エンタテイメントを目指したのか、軽くなってしまったのではないでしょうか。前半は引き込まれましたが、次第に話が広がって行き、上手くまとめ切れなかったという感じです。個性的な人物が多過ぎるということも、散漫な印象を与えます。300ページ弱では書き切れない内容です。
背中は顔や口以上に物をいう。口はコトバ巧みに嘘八百を並べられる。顔は表情によっていくらでも人を欺ける。だが、背中には隠しようのない悲しみや怒りが現れる。(p.49)

★★★ 1968(上) 小熊英二
1000ページを超える、厚さ5センチ以上の、巨大な本、遂に読み始めました。
私、この1968年に、一年浪人して、大学に入りました。ここに詳しく書いてある大学ではありませんが、結構激しい闘争がありました。私自身、組織に所属して活動したわけではありませんが、心情的には積極的に関わったと思います。その時感じて今も残っている一番のことは、報道機関は信用できないということです。様々な制約があることは判りますが、その当時も今も、真実を伝えていないと思います。真実を伝えようという使命感を持っているかも疑わしいと感じます。確固とした信念を持っていないのではないでしょうか。
この本を読み始めて、このことを思い出しました。つまり、この著者は信用できるのか、この膨大な本は読む価値があるのか、と思ったのです。しかし、読み進んでいくうちに、グングン引き込まれて行きました。これは凄い本です。まだ後半があるので断じることは控えますが、当時の状況を見事に再現しています。ところどころ違うと感じるところはありますが、かなり客観的に描写されています。後半が楽しみです。
東大全共闘に同情的だった『朝日ジャーナル』の記事も、こう記している。「全学共闘派のリーダーたちは、紛争の最終局面について、秋の末まで、『ぼつん、ぼつんと各学部でストがとけ、いつか気がついたら、みんな机の前にすわっていた……』という収拾の成りゆきを描いてみせたものだ。局面が動くたびに、口では強気に闘争続行を叫びつつも『これで終るのではないか』と内心ではあきらめていたりした。しかし、意外にも(?)いつになつても闘争は終らず、従って『断固闘うゾといいつづけているうちに、とうとうここまで来てしまった』のだった。そして時の経過とともに、『内なる東大』追求が深まり、ついに東大解体を決心するところまで追いつめられていった」。/東大闘争が、当初の「経済闘争」から、「自己否定」や「大学解体」を叫ぶ「思想の表現」になり、ついには「国家権力」と対決に至るなど誰も予測していなかった。いわば東大全共闘は、そうした地点になりゆきで「追いつめられていった」。そして一二月以後の東大全共闘は、「坂道を転げ落ちていく」ように、「敗北」の道をたどっていく。(p.909~p.910)

★★ フリーメイソンと秘密結社の謎 インターノーツ(編)
副題:『ロスト・シンボル』がよくわかる
まさに副題に、そして、第1章『ロスト・シンボル』とアメリカ、に惹かれて読みました。読んでみて益々ワシントンD.C.が不思議で魅力的に思えます。第2章フリーメイソンとは何か、も漠然としか知らなかった秘密結社のことが分かりやすく書いてあり興味深いものでした。第3章日本近代史を演出したフリーメイソン、の内容にはちょっと驚きました。ペリーも、マッカーサーも、鳩山一郎も、フリーメイソンだったとのこと。第4章「ユダヤ=フリーメイソン」陰謀論の始源、はユダヤ人の歴史が上手くまとめてあり、面白く読めました。第5章世界秘密結社事典、はタイトル通りのもので、不必要ではないかと思いました。日本の「かくれキリシタン」までは行っていました。この本のいいところは、文献で確認できることとそうでないことを明確に区別しているところです。当たり前といえば当たり前なのですが、最近その辺りのことを曖昧なままにしているものが多いように感じます。

★★★ 銃・病原菌・鉄(下) ジャレド・ダイアモンド
人類1万3千年の歴史を追ったこの本を読んで一番に感じたのは、様々な分野の研究が進み、その成果があってこそこの本が書かれたということです。特に言語学の発展には驚きました。印欧語以外の研究がこれほど進んでいるとは、浅学にして知りませんでした。その他、動植物の研究成果などを使い、文献のない時代を分析していくやり方は、「・・・ということを強く示唆している。」という表現が多々見られますが、充分に説得力のあるものです。最後の方は、繰り返しが多いような気がしますが、内容理解には好都合でした。
膨大な動植物種のうち、栽培化や家畜化されたものは極少数だということ、言われてみると不思議な気がします。そして、その伝播は東西方向が容易だということ、これはナルホドと思います。だから、ユーラシア大陸が、栽培化や家畜化に適した野生種がいたという偶然もあって、発展したということのようです。とても興味深い本でした。


★★ ふしぎの誘惑 世界の名景ベスト50 渋川育由(編)
世界編、4冊目。世界の名景を見ていて思うのは、以前も書きましたが、人造物が多いということです。今回は特に多いように思い、数えてみたら、純粋な自然景観は、16だけでした。日本と西洋の違いを感じました。西洋人にとっては、自然は征服するもの、という意識だそうです。
私的には、大自然の光景に感嘆します。シャモニーの針峰群(フランス・夕日に赤く燃える尖った峰)、赤と白の砂漠(モーリタニア・赤い砂というものがあるのですね・青い空との三色が感動的)に惹かれました。

★★ 空はたかく 日本の名景ベスト50 渋川育由(編)
このシリーズを見始めてから気になっていた、言葉による表現に注目してみました。食べ物の味を言葉で伝えるのが難しいのと同様、風景を文章で表わすのも困難です。ただし、味を写真で伝えることは不可能ですが、景色は写真があれば現地に行ったような気になります(が、二次元と三次元は大いに違うでしょう)。この様な写真集には解説はいらないと思うのですが、写真ごとに、200~300語の文章が付いています。そして、背景説明以外に、景色そのものについても語られます。以下にその言葉を抜き出してみました。風景を描写する語彙はそんなに多くないと思いました。
すごい、美しい、見事、素晴らしい、豪快、華麗、神秘的、不思議、幻想的、静か、豊か、のんびり、穏やか、墨絵のような、変化に富んだ、優美、幻の、珍しい、日本一、世界一、調和、癒される、飲み込まれる、感動、ダイナミック、広大な、限りなく、神々しい、荘厳、思わずため息の出る、一度見たら忘れられない、ただ見とれるばかり、迫力満点、心が落ち着く、懐かしさを感じる、一瞬目を疑う、一幅の絵を見ているよう、あっけにとられる、想像を超えた、思いもよらぬ、まるで映画のシーン、周りを遮るものが無い、堂々たる風格、風光明媚な、言葉のいらない、ただ呆然とする
この本の中で、「思わず息をのむ」光景は、茨城県の『磯崎海岸の海霧』でした。霧がかかった濃い青色の海に、ゴツゴツの岩が見渡す限り突き出ている、荒涼としているようで何処か温かさのある写真です。

★★ 日本ふしぎ絶景ベスト50 渋川育由(編)
日本編、5冊目。この本には、たまたま、去年行った天草五橋とこの春行く予定の天橋立・玄武洞が載っていました。天草五橋は航空写真で、現地に行っても見れない光景で、遠くに雲仙普賢岳が見え、絶景です。中央に泊まった宿も写っていて、半分は懐かしい気持ちで眺めました。霧がかかった吉野山の絶景もあり、元気なうちに是非行きたいと思いました。

★★★ 光媒の花 道尾秀介
認知症の母親を抱えた未婚の男性(40代)、その男の部屋から見える公園で遊んでいた男の子、その小学生に罪を押し付けたホームレス(30代)、その男が昔好きだったクラスメート、その女性の隣室にいる女の子をひき殺しそうになったトラック運転手(23歳)、その男の3歳上の姉、この6人が語る短編集です。本の帯には、「渾身の連作群像劇」と書いてあります。
上に書いたように、6つの話につながりはあるのですが(最後の話の女性が最初の話の男性の店に行き、見事に一回りします)、ストーリー自体には絡みはありません。ストーリーがもう少し進んだ方がいい話の結末が、別のところに出てくることもあり、全く無関係という訳ではありませんが。
そして、6つのストーリーそれぞれは、ちょっと出来過ぎという嫌いはありますが、見事です。この著者の本は、「竜神の雨」、「シャドウ」、「球体の蛇」の3冊を読みましたが、何れも面白いミステリーでした。今作は、ミステリー的な所もありますが、それを超えたところがあり、この先どの方向に行くのか楽しみです。
5番目の話、「風媒花」の『風媒』は、花粉の媒介を風に頼る、ということなので、『光媒』は、作者の造語で、光に頼るということになり、光媒の花、は人間のことのように感じました。

★★ よくわかる仏像のすべて 清水眞澄
先日「神像」についての本を読み、元々ちょっと興味はあったのですが、この歳になって、というか、この歳になったからこそか、仏像について勉強してみようと思いました。この本は、「週刊日本の仏像」という雑誌のコラムをもとにしたもので、特に理由があって選んだわけではなく、単に身近にあって直ぐ借りれたから読んでみました。見開き2ページに、一つのテーマ、写真かイラストが2枚、という構成で、読み易いものでした。ただ、言葉だけでは分かりにくいことに対して、写真や図が少ないと思います。また、それぞれのジャンルで代表的な仏像をいくつか挙げているのですが、名前と所在地、それに簡単な説明だけで、物足りなさを感じます。とはいえ一応、基礎的な知識は入ったと思います。これから色々読んで、出来るだけ拝観に行って、理解を深めたいと思います。

★★ 人生を変える 世界の名景ベスト50 渋川育由(編)
このシリーズ、日本が7冊、世界が6冊、あるようです。世界の3冊目。美しいところは幾らでもあるものです。この本では、モーツアルトの町ザルツブルグ、に心を動かされました。本場でモーツアルトを聴きたい、という希望が甦ってきます。

★★ 知らないと恥をかく世界の大問題 池上彰
このところ書きまくっている著者、本屋に行くと、棚一つに専用コーナーが出来ていました。タイムリーな話題を分かりやすく、歴史的背景も入れ、そしてズバズバと書いて、人気があるのは判ります。ただ、この本は昨年11月の出版で、それ以後の激変が書いてなく、今から見るとちょっと残念です。政権交代の必要を上手く書いているので、現状をどう見るのか訊いてみたいところです。

売春論 酒井あゆみ
数年前、この著者の「セックスエリート 年収1億円の風俗嬢をさがして」という本を読んで、覗き見趣味的だが結構面白かった。しかし、この本はいただけない。暴露的内容がほとんどだが、それほどの面白さも珍しさもなく、暴露するネタが尽きたのではないだろうか。『論』などと大層なタイトルを付けているが、それに値することは書かれていない。

★★ 白洲正子と楽しむ旅 白洲正子・ほか
白洲正子、前二冊と同様の本です。これは、「芸術新潮」に載った内容を再編集・増補したもの。根本的なところで、白洲正子とは何か違うと感じるのだが、内容は興味深いもので、記載されている場所に実際に行きたくなります。特に、高山寺。そして、明恵上人にも惹かれました。ちょっと調べてみよう。京都北部で行われている「松上げ」も見たいと思いました。
自然の風景も歴史とかかわったものである以上、眺める人に眼の力を要求するに違いない。長い年月の経過した日本人と自然との交渉は、道行き文とか歌枕といった文化として私達の眼前に残されている。日本の風景は、日本人の感情で染めあげられている。(p.129)

★★ 新聞消滅大国アメリカ 鈴木伸元
タイトルがパクリっぽいし、初めの方で、「日を見るより明らか」(p.47)という表現を見て、何か不安な気持ちで読み進んだ。しかし、内容は具体的な事例を積み重ね、説得力があり面白い。確かに、この本を読むと、アメリカの新聞はダメになりそうだ。打開策も楽観的に見える。
新聞はビジネスとしては破綻したかもしれない。しかし、情報を社会に提供する媒体は、民主主義国家にはなくてはならない。新聞は公共財であり、NPOとして生き残る道を探っていかなければならない (p.153)
この様な意見は新聞の役割を過大評価しているのではないか。
アメリカの新聞社が収入の8割を広告に依存しているのに対して、日本の新聞社は、その割合が3割程度となっている。残りの7割は、いわゆる「販売収入」、つまり新聞を売って読者が支払ってくれる対価だ。日本の新聞社は、アメリカの新聞社とは違い、新聞の購読者によって支えられている。(p.180)
とはいえ、日本の新聞も危ないことに変わりはないようだ。
ラジオ、テレビ、インターネット、の登場で打撃を受けてきた新聞、今回のインターネットは難敵だ。自らは取材せず、対価を払わず新聞社にリンクを貼る、ということが何故許されているのか分からない。新聞はなくなると豪語しているインターネットの側は、新聞がなくなったらどこからニュースを仕入れるのか。

★★ 日本の神々 白洲正子・ほか
白洲正子にちょっとハマってしまった。彼女が書いた本ではなく、彼女が書いたものをもとにした本です。
前半は、神像(仏像ではなく)について。以前、「サライ」か何かの特集で読んだことがあったので、取っ付きやすかった。読みながら、何故か仏像の方への興味が湧いてきた。何か手頃な本を読んでみよう。
後半は、神饌について。これは豊富な写真があり、とても興味深かった。特に、葵祭の時のものは、味の方は判らないが、見た目の素晴らしさ(色・形・意匠など)は文字では表現できない。一つ意外だったのは、日本の神様も生臭いものがお好きのようだということ。狩猟民族の血が流れているということだろう。

★★★ 空気は読まない 鎌田實
数年前、この著者の書いた「ちょい太でだいじょうぶ」という本を読んだ(同僚が御親切にも読むように貸してくれた)。タイトルから想像されるよりもマトモナ本だった。この本ももう少しタイトルを工夫した方がいいのではと思った。とても感動することがたくさん書いてある本です。
著者が実際に経験したり、見聞したことなので、ストレートに伝わってきて、心を震わせ、時には心を大きく動かします。涙がこぼれそうになることが何度もありました。
具体例をあげるのはやめておきます。実際に読んでください。本書の最後の部分を引用しておきます。

三十数年前、山本七平が『「空気」の研究』(文春文庫)という本を書いた。この国は、かつて空気に支配された国だった。空気という怪物が時代の流れを変え、日本人は戦争へと突き進んでいった。/二十一世紀に入ってからも、この国はまた「郵政民営化」という空気に支配された。ほかの大切なことは、みんな忘れさせられた。/今も、この国に空気という妖怪が棲んでいる。/そして今度は、「政権交代」という熱い空気にのみ込まれた。  (p.282~p.283)

空気は、人に、街に、時代に伝染する。
じわじわと広がり、いつの間にか、
気分を高揚させたり停滞させたりする。
ときには、景気さえ左右し、経済を動かす。
ときには、国を間違った方向に動かす。
ときには、人間の行動や生き方までも、操っていく。
まわりから浮きたくないと、必死で空気を読む。
空気にとらわれる。
結局、小さな生き方から出られない。
気概を忘れていく。
気が抜けていく。

心が鬱々(うつうつ)としてくる。
空気に涜されるな。
空気をつくり出せ。
空気をよどますな。
空気をかきまわせ。
それが新しい生き方になる。
それが新しい時代をつくり出す。
信じていい。
空気は……読まない。       
(p.284~p.285)

日本と世界の名峰を讃う 白籏史朗
県立図書館の新刊書の棚にあった写真集、三冊目。これも発行は2003年です。
このところ写真集に凝って、楽しんでいます。数年に一回この様なことがあります。
ただ、この本にある名峰は、確かに名前は知っているのですが、富士山を除いて親しみのないものばかりです。そのためか、また、登山が好きな訳でもないこともあり、凄い写真だとは思うのですが、ワクワクという感情が湧いてきませんでした。

★★★ 銃・病原菌・鉄(上) ジャレド・ダイアモンド
朝日新聞の「ゼロ年代の50冊」、第1位の本。まず、タイトルがいいですね。内容も凄く惹き付けるものを持っています。壮大な人類史を概観でき、ナルホドと納得させられることが多々あります。
本書のタイトルの『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。(p.120)
ヨーロッパからの移住者たちが持ち込んだ疫病は、彼らが移住地域を拡大するより速い速度で南北アメリカ大陸の先住民部族のあいだに広まり、コロンブスの大陸発見以前の人口の九五パーセントを葬り去ってしまった。北アメリカ大陸でもっとも人口が多く、もっとも高度な社会組織を有していたミシシッピ首長社会も疫病の犠牲となり、一四九二年から一六〇〇年代後半にかけて消滅してしまったが、それはヨーロッパ人がミシシッピ川流域に住みはじめる以前のことである。ヨーロッパからの移民にともなう南アフリカ先住民のサン族の崩壊の原因はいくつかあるが、その最大の原因は一七一三年の天然痘の大流行である。オーストラリア先住民の人口を減少させることになつた最初の天然痘の大流行は、英国人がシドニーに住みはじめてまもない一七八八年に起こつている。太平洋諸島での記録の残っている事例では、一八〇六年にフィジー諸島を襲った疫病の大流行がある。これは、難破船アルゴ号から逃れた数人のヨーロッパ人が持ち込んだ疫病がもとになっている。同様の流行は、トンガ諸島やハワイ諸島をはじめとする太平洋の島々でも起こつている。/断っておくが、私は、疫病がヨーロッパ勢の勢力拡大を常に容易にしたといっているわけではない。疫病は、熱帯地域に移住するヨーロッパ人のさまたげにもなった。アフリカ、インド、東南アジア、ニューギニアなどでは、マラリアや黄熱病などの病気が、ヨーロッパ人がそれらの地域を植民地化するうえでの最大の障害だったのである。(p.115)

(下)が楽しみです。

★★ 日本の名景 日本楽園の旅ベスト50 渋川育由(編)
これまた素晴らしい光景です。次第に人造物を含むものが増えてきましたが、純粋に自然が造り出したものというのは少ないのかもしれません。どこかに人の手が入っている可能性がゼロとはいえないと思います。この本で一番感動したのは、佐賀県の「浜野裏の棚田」です。まさに自然と人間が作り出したものの融合です。夕日に照らされる棚田、黒い地面と、海と棚田の水の白からピンクへのグラデーション、息をのむ美しさです。

★★ ほほえみの四季 日本の名景ベスト50 渋川育由(編)
このシリーズ、日本版3冊目。ということは、名景が合計150。今までと変わらぬ素晴らしい景色です。撮影ポイント、アングル、その一瞬。現場に行って見ようと思っても、簡単には見れない光景です。日本の名景シリーズ、まだ二・三冊あるようです。

★★ 白洲正子と歩く京都 白洲正子・牧山桂子・ほか
「旅」という雑誌の「白洲正子が往く、京都」をもとに、加筆・再構成された本。
白洲正子という人は、家柄がよくお金持ち、というイメージがあって、全く読む気がなかった。今回、生誕100年か何かで、図書館に特設コーナーが出来ていて、この本が目に付いて、秋に京都に行く予定もあり、読んでみた。予想通り、住む世界が違い、感性の違いも感じられ、鼻に付くところもありはしたが、意外に面白く読めた。旅行の参考になりそうなところも結構あった。
信仰というものは(そして美というものも)、そこに辿りつくまでの、忍耐と努力の中から生まれるものではないだろうか。慈悲深いのみが、仏ではない、神でもない。時には取りつく島もないほど冷酷になりうるものが神様なのだ。(p.67)

★★★ 世界遺産 屋久島 三好和義
これも、何故かは判りませんが、2000年の発行なのに、県立図書館の新刊書の棚にあった写真集。
素晴らしい写真がたくさんあります。屋久島の自然に圧倒されます。写真で見るのでは迫力が違うかもしれませんが、充分に感動的です。フランス大統領だった、ジャック・シラクの序文が付いているのはいいのですが、数人の人が書いている解説は、理屈を捏ね回している感じです。写真はただ見つめればいいと思います。

★★★ ファミリー・シークレット 柳美里
著者の本を全て読んでいるわけではないが、最近は極端に所謂私小説になっている。読者は、ほとんど実生活と思って読んでいるのではないだろうか。私はそう思って読んだ。しかし、書かれていることが実生活かどうかは問題ではないと思う。作品は立派は文学になっている。著者の生活自体が文学になっているのではないか。希有な人物だ。こんなものは文学ではない、虫唾が走る、という人もかなりいるだろう。それもまた一つの、排除してはいけない見方だろう。

★★ DOG PARADISE 世界の犬100 オーサ・リンドホルム
県立図書館に行くと、まず新着図書の棚を見ます。写真集があることは稀なのですが、今回は興味を惹かれるものが3冊もありました。発行年を見ると新しいものではありませんでした。
その内の一冊、可愛い犬、精悍な犬、の写真集。藤田りか子という人の解説が付いていて、犬それぞれの説明から、飼うときの注意まであり、親切な楽しい本です。

★★ ふたりで見たい 世界の名景ベスト50 渋川育由(編)
このシリーズ、楽しく眺めています。世界の名景には人が作ったものの比率が高いような気がします。そのためかどうか、日本とは違った感慨を持ちます。
最初の「草原の白い教会」という写真、手前に黄色の花が咲く草原、中央に白い教会、中景に緑の山、奥に雪をかぶったアルプス、素晴らしい景色です。解説に、「山の中腹には有名なノイシュバンシュタイン城も見え」と書いてあるのですが、分かりません。ずっと探しています。

★★ 世界の名景ベスト50 渋川育由(編)
世界の方にも手を出しました。こちらも美しい感動的な景色です。日本の景色はどちらかというと垂直方向に美の原点があるように思いますが、外国の場合は水平方向の広がりを中心にしているのではないでしょうか。オーストラリアで地平線の見える景色に食傷気味になって、帰国直後、祖谷渓谷に行ってそう感じました。この写真集を見て同じような気持ちになりました。個人的には日本の景色の方が好きです。
人間が作ったものだけの景色はほとんどないのですが、この本には、マンハッタン、が入っています。確かに、これは一つの美です。さほど外国に行きたいとは思わない私でも、ここの夜景をヘリコプターから見たいという願望はあります。人造物は、自然環境に影響されずに見ることができるでしょう。

★★ 夜行観覧車 湊かなえ
331ページ、一気に読めました。面白いことは面白いのですが、読む方が慣れてしまったのか、衝撃が弱くなりました。構成はいつも通り。しかし、視点の変化に伴う新たな展開が小さくなっています。実際にはなくても、ありそうだ、とか、あって欲しい、と思わせることが出来ていません。俗に言う、マンネリの傾向があるのではないでしょうか。

★★★ もし高校野球の女子マネージャーが
ドラッカーの『マネジメント』を読んだら
岩崎夏海
帯には、新人マネージャーと野球部の仲間たちがドラッカーを読んで甲子園を目指す青春小説! と書いてある。下手をすると単なる高校野球の感動的なお話、になってしまうのを、意外や意外、ドラッカーを絡めることにより、若者の行動にバックボーンを与え、論理的にも、感情的にも、読者を惹きつけ、商業的に大成功を収めた、と言えるだろう。小説としてはどうか、多少疑問が残る。が、面白い、間違いなく面白い。

★★★ 上方落語十八番でございます 桂米二
私、実は昔、落語大好き青年でした。「転失気(てんしき)」というネタが好きで、覚えていました。無論、今も好きですが、聴く機会がありません。
以前温泉宿捜しでお世話になった方のブログで、この本を知りました。上方落語十八番を紹介する体裁ですが、まるで「枕」のような導入部があり、著者本人や他の落語家の紹介があり、落語についての考察があり、など多彩な内容が軽いタッチで書いてあります。東西落語の違いにも言及されていて、面白く読みました。落語を聞きたくなりましたが、地方都市ではなかなかその機会がありません。

★★ 自分さがしの 日本の名景ベスト50 渋川育由(編)
このシリーズにハマってしまいました。本当に美しい日本です。
これが最初に出たもののようで、有名なところが出ています。とはいっても、50のうち行ったことがあるのは16カ所、まだまだ行ってないところがたくさんあります。
このシリーズ、他にも数冊、更に、世界の名景もあるようです(でたのはこちらが先)。

★★ 出会いの道 日本の名景ベスト50 渋川育由(編)
図書館で見つけた。タイトル通りの写真集(出会いの道、は意味不明だが)。こんなに美しいところがあるのを見ると感動する。50のうち14カ所は行っているが、季節が違ったり、写真のアングルの違いがあったりで、同じ所とは思えないものもある。行っていないところには是非行ってみたい、が、全部はムリだろうからせめて西日本ぐらいは。数鹿流ケ滝、くじゅう花公園、は近いうちに。

7日間の人生レッスン 米山公啓
購読しているメールマガジンで推薦してあったので読んでみた。タイトルからしてベタだが、内容も同じ。変に小説仕立てにして構成にヒネリを加えたつもりかもしれないが、バレバレ。素直に思うところをエッセイにした方がいいのでは無いかと思う。
他人のために自分の時間を使うことが、相手に最も誠意を示すことになり、そこから信頼関係も生まれてきます。つまり、時間をだれのために使うかです。(p.62)

★★★ たまたま レナード・ムロディナウ
サブタイトル:日常に潜む「偶然」を科学する
最近この手の本を読んでいる。「偶然の力」、去年読んだ、「ブラック・スワン」。後者は詳しく書かれていて難解、前者は分かりやすいが物足りない。この本がその中間ぐらい、だが、結構難しい。同じ話が出てくるので理解はしやすくなったが、感覚的なものが(大袈裟に言うと人生観といったものが)納得することを阻んでいるような気がする(単に理解力がないだけかもしれない)。
近年心理学者たちは、障碍に直面しながら耐える能力は、才能と同じぐらい、成功の重要な要素であることを見いだしている。専門家がしばしば「一〇年規則」を、つまり、ほとんどの分野において大いなる成功者になるには少なくとも一〇年の勤勉、訓練、奮闘が必要であると説くのはそのためだ。/努力と偶然は生来の才能と同じぐらい重要、とするのは、やる気を失わせるようなことに思えるかもしれない。しかし私は励みになることだと思う。なぜなら、遺伝的要素はわれわれにはコントロールできないことだが、努力の程度はわれわれに委ねられているからだ。また偶然の作用も、何度も試みれば成功の確率を上げられる、という程度までは、われわれにコントロールできるからだ。(p.238~p.239)
ランダムな変化の中に整然としたパターンがあっても、パターンがつねに意味をもっているわけではない。そして、意味が存在するときにその意味を知ることが重要であるように、意味がないときにそこから意味を引き出さないようにすることも同じぐらい重要である。/ランダム・パターンの中に幻の意味を見いださないようにすることは難しいことだ。(p.248)



★★★★ 天地明察 冲方丁(うぶかた・とう)
囲碁棋士・数学者・天文暦学者の渋川春海(安井[保井]算哲)を描いた、500ページ近い大作。歴史小説を書く人は凄いと感嘆する。新たな文学世界を作るのも大変だと思うが、過去に存在した世界を再現するのはある意味もっと困難を極める作業だろう。しかし、作者は楽しんでやったようだ。だから、読んでいる方も実に楽しい。昔日本史で勉強した懐かしい名前が多数登場し、その繋げ方が実に上手い。自然に歴史が思い出され、この物語が歴史の中に位置づけられる。読後にえも言われぬ充実感があった。
描写も上手い。主人公が大きな仕事を与えられる場面が二度あるが、その時の高揚感が読んでいる方にもヒシヒシと伝わりワクワクする。これは映像では表せないだろう。が、この作品は映像化されるだろう。大河ドラマ向きの話でもある。

★★ 医学のたまご 海堂尊
下の「マドンナ・ヴェルデ」で生まれた子供が中学生になったときのお話。著者のあとがきに、中高生向けに書きました、とあるように、漢字に仮名がふってあったりで体裁は子供対象になっています。図書館でも児童書の棚にあります。しかし、キャラクターが少々誇張されている嫌いはありますが、大人が読んでも充分に楽しめます。改めて海堂ワールドの広さを感じました。下に書いたように、「マドンナ・ヴェルデ」の、言い換えると、「ジーン・ワルツ」の、続編を期待していますが、この作品の続編も読みたいと思います。あとがきに書いてあります、薫くん[この物語の主人公]の冒険はまだまだ続きます。その時海堂ワールドはどのような規模になっているのでしょう。楽しみです。

★★★ マドンナ・ヴェルデ 海堂尊
読みながら、この本は既に読んだことがあるのではないかという気になった。しかし、出版日時からそんなことはあり得ない。お馴染みの海堂ワールドの為だろうと読み進むうちに、分かった、これは「ジーン・ワルツ」のストーリーを違った視点から見た物語なのだ。というか、その中にあった、代理母の話に焦点を合わせた話である。共通する部分はあるが、「ジーン・ワルツ」の最後で明かされる代理母の真相が一方的だったのを、この作品では代理母の視点から丁寧に記述される。海堂作品にみられる、主張が前面に出過ぎるきらいはあるが、海堂ワールドの凄さを感じさせるものでもある。ハマリそうだ。
タイトルの意味がよく分からない。主人公が住むマンションが、メゾン・ド・マドンナ、であるが、マドンナはマドンナだろう。ヴェルデはイタリア語で「緑・緑の」のようである。緑のマドンナ、誰のことなのだろう。「ジーン・ワルツ」を読んだ後、続編が出ると思った。この作品を読んで、それを期待する気持ちが強くなった。

★★★ 人類が生まれるための12の偶然 眞淳平
岩波ジュニア新書の一冊です。読み始めて、これはジュニアには難しすぎるのではないかと思いましたが、徐々にその印象は薄れていきました。とても興味深い内容で、新書版では語りつくせないだろうという気がします。遥か昔の地球誕生からのことが、このように解明されていることに驚きを強く感じます。ただし、様々な存在についての根本的な認識に、今一つ、浮遊感みたいなものを拭い去ることができません。私に残された、あまり長くない人生の課題だと思います。

★★★ 大いなる聴衆 永井するみ
今年2月に読んだ、青柳いずみこ「六本指のゴルトベルク」に書いてあった本。2000年に出たものですが、興味を惹かれたので読んでみました。402ページ、プロローグとエピローグを除いて二段組み。ですが、ぐんぐんと読ませる、面白いミステリーです。ベートーヴェンのピアノソナタ29番「ハンマークラヴィーア」が重要な役割を果たします。CDで聴きながら読みました。音楽についての蘊蓄もなかなかです。芸術家とはこんな人間なのだと納得する部分が多くありました。音楽好きでミステリーファンの方にお薦めです。

★★★★ 1Q84 BOOK3 村上春樹
とても楽しい読書でした。BOOK1、BOOK2、から時間が経っていたので、ちょっと心配だったのですが、それまでの出来事を思い出させるような書き方で、自然に1Q84の世界に入っていけました。文章が、表現が、比喩が、とても冴えています。一つだけ例をひきます:
ふかえりがいないと、部屋は妙にひつそりとして落ち着かなかった。彼女が一緒に暮らしていたとき、気配というほどのものを天吾はとくに感じなかった。天吾は天吾でいつものパターンで生活し、ふかえりも同じように自分の生活を送っていた。しかしいったん彼女がいなくなってしまうと、人型をした空白のようなものがそこに生じていることに天吾は気づいた。(p.242~p.243)
329ページからプルーストの「失われた時を求めて」についての記述があります。村上春樹のプルースト論でしょうが、興味深いものです。何時か、死ぬまでには読もうと思います。
ストーリーは、意外なことに、意外な展開を見せず、伏線もあちこちに張られていて分かりやすいのですが、ほぼ予想に近い線で進んでいきます。1、2、を読んだ後、3、が出る(必要)という意見があり、私はあの終わり方でもいいと感じていたのですが、今、3、を読んで、やはり、これは無ければそれでもよかったという気もします。逆に、ここまで書いたのなら、何か足らないものがあるのではないかと思うのですが。もう少し考えてみましょう。

★★★ ロスト・シンボル ダン・ブラウン
350ページ位の上下二巻、意外にスラスラと読めました。以前読んだ「ダ・ヴィンチ・コード」よりはるかに出来がいいと思います。ストーリーの面白さはもちろん、ワシントンDCの歴史的なものを含めた描写が素晴らしく、行ってみたいという気にさせられました。読んだ本がどんなに面白くても、というか、面白かったからこそ、映画化されても見に行かないのですが、これは見に行きたいと思います。
時間は川である……そして書物は船である。多くの書物がこの流れをくだっていくものの、むなしく難破して砂に埋もれ、忘れ去られる。ごくわずかな書物だけが時間の試練に耐え抜き、生き延びてつぎの時代に恵みを伝えていく。(p.320)
どの文化にも、どの国にも、どの時代にも、つねに共通のものがひとつある。造物主がいることだ。呼び名、外観、祈りはちがっても、神は人間にとって、変わらぬ普遍の存在でありつづける。神は万人が分かち合う象徴であり、理解できぬあらゆる謎の象徴でもある。古の人々は人間の果てなき潜在能力の象徴として神を讃えたが、古い象徴は時とともに失われてしまった。しかし、いまはちがう。(p.350)


★★ らーめん才遊記 第1巻
「ラーメン発見伝」に続く漫画。作・久保緑郎、画・河合単、協力/石神秀幸。
主人公が女の子にかわっているが、脇役は同じで、結局ストーリーも同じ(ようなものになるのではないか)。ただ、ビッグコミックに連載中なので、一気に読めない。第1巻はいいところで終ってしまった。単行本がこんなことではいけない。

★★ 倭の正体 姜吉云 (カンギルウン)
著者は言語学者である。その視点から日韓の古代史に大胆な仮説を立てている。
大まかな主張は以下のようなもの。「倭」は日本だけではなく朝鮮半島を含む広い地域だった。だから、中国の史書に出てくる「倭」は日本ではない。「倭」の中心は朝鮮半島にあったが、衰退して日本に移った。天武天皇に至る日本の天皇は朝鮮の王の成り変りである。
確かに日本書記には史実ではない部分があるだろう。しかし、それを埋めるために、この説が説得力を持つかというと、よく分からない。それは、この説を支えている大きな部分が言語学であるからだ。素人にはそこが理解できない、そして、理解できたとしても、この説を信じることができるかどうか疑問である。面白い視点だと思われるので専門家の検証を読んでみたい。
(この本はただのトンデモ本で、専門家は相手にしていないのかな。)

★★★ ロングテール クリス・アンダーソン
この著者の「フリー」という本を読もうと思って、それならばこの本も読むべきだと思って挑戦した。多少難しいところはあったが、予想を超える内容はさほど多くなく、面白く読めた。ロングテール現象は、コンピュータ、インターネットの産物で、あらゆる面に広がっているのがよく分かった。世の中、これからまだまだ大きく変化するということがヒシヒシと感じられた。
科学誌『ネイチャー』の二〇〇五年の調査によると、科学に関する四二項目のうち、ウィキペディアは一項目につき誤りが平均四つあったが、『ブリタニカ』にも三つあった。そしてその調査報告の後、ウィキペディアではすぐに誤りが訂正されたが、『ブリタニカ』は次の版を待たねばならなぃ。ただし『ブリタニカ』のもっとも大きな誤りは情報の抜けであって、けして間違っているわけではなかった。説明不足が少しと、時代遅れの内容が多く含まれていたのである。(p.90)

★★ ラーメン発見伝
全26巻の漫画です。作・久保緑郎、画・河合単、協力/石神秀幸。
「らーめん才遊記」という漫画のことを聞き、調べてみると、同じコンビが、「ラーメン発見伝」というものを書いていることを知った。ラーメン大好きな私、読まずには居れず、全巻読破。明らかに「美味しんぼ」と類似している。食べ物を扱うドラマはそうならざるを得ないのかもしれない。登場人物に人間的な深さは感じられないが、全体的ストーリーは良くできていると思う。気楽に楽しむという点では面白いと言える。漫画はそれでいいのだろう。

★★ 神々の鼓動 中国新聞社
荒神谷遺跡に続き、前年の加茂岩倉遺跡での大量の銅鐸の発掘を受け、1997年、中国新聞の出雲について連載を書籍化したもの。24のキーワードで出雲を読み解く。見開き2ページの、キーワードに相応しい美しい大きな写真、続く見開きに2ページに、地図と2枚の写真、それに記事、という構成。新聞記事という制約があり、深みには欠けるが、出雲の歴史、文化、現状を十分伝えている。特に印象に残ったのは、翡翠を仲介にした、大国主命(おおくにぬしのみこと)[出雲]と沼河比売(ぬなかわひめ)[北陸]の遠距離恋愛(p.48~p.49)。ゆっくり出雲を訪ねたくなった。

★★ 下世話の作法 ビートたけし
私、北野武の映画は大好きで、殆ど見てます。が、芸人ビートたけしはどうも好きになれません。この本はその芸人が書いたもので、スーと読めば彼の芸と同じで面白可笑しいのかもしれませんが、半分は真面目なことが書いているので何かアンバランスです。特に、抽象的なことばの定義があいまいなまま話が進むので、矛盾したことが述べられているように感じます。言っていることには同意できることも多々あります。
子どもには夢よりも、普通に生きて普通に死んでいくことがベストだって教えたほうがよっぽどいい。(p.74~p.75)

★★ SARU〈上〉 五十嵐大介
伊坂幸太郎「SOSの猿」との競作。面白くなったところで、〈下〉に続く。6月末発売とのこと。

★★ 「マエストロ、それはムリですよ・・・」 松井信幸
飯森範親と山形交響楽団の挑戦、というサブタイトルが付いています。山響のメンバーが高いポテンシャルを持っていたと書いてはありますが、ひたすら飯森範親を絶賛する内容です。確かにそうなのでしょう。これだけの成功を収めているのだから、それに値するのでしょう。昔、広響に正指揮者というポストが作られ、その一人になった彼の指揮を何度か聞いたことがあります。名前は記憶に残ったのですが、音楽の方は残っていません。因みに、広響でタクトを振った中で、名前も指揮も鮮明に記憶に残っているのは、まだ売れてなかったころの佐渡裕です。
山響が「おくりびと」に出たのは知っていましたが、「トリビアの泉」に出たのは知りませんでした。そして、そこで取り上げられた音楽のことも知りませんでした。
「クラシック音楽には楽譜に『指揮者が倒れる』という指示が書かれた曲がある」
これはドイツの現代作曲家マウリツィオ・カーゲルの『フィナーレ』という作品のことだ。後半部分で「指揮者が苦しみだして倒れるように」と、楽譜に書かれている。/番組の収録は、山響の第一一六回定期演奏会(アンコール)で行われた (p.127)

200ページ近い本ですが、活字が大きくて読みやすいものです。地方芸術の在り方、クラシック音楽の今後の方向性を考えるのにはいい材料だと思います。

★★★ めくらやなぎと眠る女 村上春樹
外国の読者に向けて編まれた短編集の第二弾、最初のものはその存在すら知らなかった。だから、収められている作品は基本的にほとんどが既に発表されたものである。つまり、読んだことのある作品が多くあるはずなのだが、いくつかのもので、そういえばこんな設定は読んだことがある、程度の記憶しか蘇らなかった。ということで、割と新鮮な気持ちで読むことができた。そして、なかなかに面白かった。特に、後半に並んでいるもの。
外国語版の序文に以下の記述がある。
長編小説を書くことは「挑戦」であり、短編小説を書くことは「喜び」である。長編小説が植林であるとすれば、短編小説は造園である。(p.12)
後半の比喩はちょっと解りにくい。何か逆のような印象がある。

★★ 偶然のチカラ 植島啓司
去年読んだ「ブラックスワン」通じるところがある。ただし、この本はハウツーもの的で、如何に生きるかについて書いてある部分が多い。つまり、体系的に「偶然」について書いてあるわけではない。その分、読みやすいが、ちょっと物足りないところもある。反面、「ラプラスの悪魔」という言葉だけがいきなり説明もなく出てきて、戸惑わせる。偶然と必然、これは人類にとって永遠の問題なのだろう。
雨乞いのダンスは、そのまま雨を降らすためのものではなく、社会的に危機意識を共有するための儀礼であり、実際、それによって人々の結束は著しく強まったのである。(p.162)
もともと偶然の「偶」とは、偶数とか配偶の偶、つまり1と1が合して2となること、「二つのものが出遇うこと」であるから、これこそ偶然のもっとも根源的な意味だともいえるだろう。(p.163)
人生では正解はひとつではない。好ましい生き方とは「普通(つつがなく)」を幸運の陣営に入れ込んであげることなのではなかろうか。【略】それに対して、「普通(つつがなく)」を不運の側に入れてしまう人がいる(「自分には何もいいことがない」)。もしかしたら、そんなちょっとした考え方の違いのなかに、人生をよりよく生きる秘訣が隠されているのかもしれない。(p.211)

★★★ 十字架 重松清
いじめで自殺した中二の生徒に、遺書で親友と書かれた「僕」が語る物語。もう一人の主要な登場人物は、自殺した生徒に一方的に思いを寄せられていた女子生徒。他には自殺した生徒の両親と弟。これらの人々の20年にわたる重い話、であるが、読後感はさほど暗くない。それぞれの人物の心の動きをじっくり描写し、説得力がある。一人称で書かれているのがいいのだと思う。それと、自殺した生徒の父親が、やりたいけれども現実には出来そうもないことを、色々と実行していくことは、普通にやりそうなことをやらない父親だから、一層さもありなんと妙に納得してしまう。この本では、加害者のことはあまり語られない。それがテーマではないから当然だが、著者には是非こちらからのアプローチもやってみて欲しい。

★★ ハッピー・リタイアメント 浅田次郎
楽しめる本です。軽妙な筆致で、難しいこともサラッと流します。少々度が過ぎるところもありますが、まあご愛嬌でしょう。舞台となる、全国中小企業振興会、をネットで検索してみました。そんなものがあるはずはないのですが、何と、同じ名前の組織はありました。全く関係のないものだとは思いますが、迷惑しているのではないでしょうか。最後もちょっとハチャメチャで、それでも明るく終わるのは、さすが浅田次郎です。
明治維新後の近代国家となっても、国民の多くはあえて階層を超越しょうとはせず、親の職業を世襲するか周辺の仕事を選択し、なおかつ生涯一途に従事することが、個人的には幸福の要諦であり、なおかつ美徳であると信じられた。/その後百四十年の間には、戦争だの災害だの恐慌だのとさまざまの困難はあったのだけれど、世襲と終身雇用という世界に比類なき二大慣習は、さほど変わらずに続いてきた。/早い話が、たかだか百四十年である。それ以前には二百六十余年という歴史があるのだから、慣習を改めるのにはまだ時間が足らぬ。/しかし、だにしても第二次世界大戦における徹底的な敗北によって、国家のかたちはまるで改まったはずなのだから、むろんそのときに慣習の打破があってもよさそうなものだが、戦後の政治を実質的に指導した外国がこれら日本的慣習をてんで理解できなかったせいか、改革の指示は気配すらもなかった。/あらゆるものが急速にアメリカ化していったにもかかわらず、徳川時代の慣習は改まらずに、むしろ暗黙の制度となった。(p.186~p.187)

★★ 日本思想という病
中島岳志・片山杜秀・高田里惠子・植村和秀・田中秀臣 著 / 芹沢一也・荻上チキ 編
はじめに(芹沢一也)
現在の社会に変革の必要性を認識し、そのためのモデルを未来に求めるのが左翼、過去に求めるのが右翼だとするならば、そのような構え自体が古びることなどありえません。大切なのは、左翼であれ、右翼であれ、そして保守であれ、それがどのような思想的構えを意味するのかを理解することです。(p.6)
1章 保守・右翼・ナショナリズム(中島岳志)
保守思想についてですが、保守の一番の基礎のところは、人間の個人的な理性によって理想社会がつくれるという考え方に対する批判です。「そんなものは不可能だ。人間の能力の限界を直視せよ」という発想です。あるエリートの突出した理性によって社会が合理的に設計され、それに基づいて理想的な社会をつくることができる。こういう理性的な統治の理念に対して、それには限界があるということを常に言い続けるのが、保守が持っている一番の核心部分です。(p.20)
2章 中今・無・無責任(片山杜秀)
日本という国は、目方はないけれども、奇手奇策でたまに横綱に勝つような力士で、それくらいのことはできるんだが、それ以上となると荷が重い。日本がそれ以上のことをやろうとしたら、第一次世界大戦のドイツみたいになる。もたざる国なのに総力戦をやって結局負けた。あれが一番の見本である。(p.123~p.124)
3章 文系知識人の受難(高田里惠子)
大衆的ルサンチマンの反対語は、知識人的後ろめたさです。(中略)ただ、これは、ずっと日本の左翼的文系知識人につきまとっていたコンプレックスでもあります。(p.176~p.177)
4章 思想史からの昭和史(植村和秀)
丸山[眞男]と平泉[澄]を両端に置いた横軸と、西田[幾多郎]と蓑田[胸喜]を両端に置いた縦軸と、そしてこの二つの軸を十字に交差させる図を想像ください。横軸の左に丸山、横軸の右に平泉、縦軸の上に西田、縦軸の下に蓑田を、それぞれ配置してご想像ください。(p.237)
5章 ニッポンの意識(田中秀臣)
資本主義というのは、バブルとその破裂の繰り返しです。それでいい。そこに倫理的、モラル的なものを挟むのはおかしな話です。むしろバブルを警戒して、それをわけもわからず抑制してしまうと、社会の発展の芽さえも潰してしまうことになりかねません。(p.323)
この本は、そのような区別に意味があるのかどうか分かりませんが、云わば右の人たちが書いたものと言えるでしょう。そのような本に共通して感じることは、結構ナルホドと思うことはあるのに、最後に振り返ると結局何がポイントか分からないことです。これは私の頭が錆びついて理解できないためかも知れません。章のはじめに荻上チキが「論者&セミナー内容の紹介」というものを書いているのですが、これが理解できないのです。
最近読んだ、「日本辺境論」、「GHQ焚書図書開封」、「天皇と東大」、などと共通する内容があり、蓑田胸喜の評価が右の方からのものが酷いということなど、結構興味深かった。

★★★ ルポ貧困大国アメリカⅡ 堤未果
Ⅰ(前作)も衝撃的だったが、これは更に衝撃的だった。
第1章 公教育が借金地獄に変わる、第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う、第3章 医療改革vs.医産複合体、第4章 刑務所という名の巨大労働市場、の四章からなっている。
アメリカの大学生は、ほとんど奨学金を受給していて、その金利が上昇し、(元々高い)授業料が更に上がり、借金まみれになっているというのが第一章。第2章の若者の言葉:今の年金システムは、中流が厚く、正社員も子どもの数も多かった時代に作られたものです。それを少子高齢化になった現代でも使い続けること自体、無理があると思う。腐敗した政府と官僚制度から、国民の資産を取り戻すことが重要です。/今の社会で一番割を食っているのは、経済的な機会の不平等に加えて、世代間不平等まで押しっけられている自分のような若者世代なのですから (p.94~p.95) 第3章はオバマの医療保険改革について。全ての問題に共通しているのは、民営化を進め市場競争に任せているようで、実は政治と産業が結び付き、国民が苦しめられているという構図である。金さえ出せば長生きできるという考え方が医療を商品化し、富める者を薬漬けに、貧しいものを借金漬けにし、いつしか人間が本来持つ生命力を奪ってしまいました。(p.153) 第4章の刑務所の話には唖然とした。囚人を安い労働力として使うというのだ。 一九九四年に州法として成立したスリーストライク法は、犯罪者が三度目の有罪判決を受けた場合、最後に犯した罪の重さに関係なく自動的に終身刑にするという法律だ。(p.158) 民営刑務所会議(Conference of Private Prison)の会場には、陽気な空気が満ちていた。/参加者に配布された、大手投資会社の作成したパンフレットに、躍るような文字で書かれていたのはこんな内容だ。/「まさに民営化された旧国営事業のうち、いまもっともトレンディな投資先-順調に増加する有罪判決と逮捕率が確実な利益をもたらしてくれます。急成長するこのマーケットに今すぐ投資を!」(p.173)過度な市場原理が支配する社会では、政治と企業はとても仲が良い。(p.194)
前作を読んだ時も思ったが、これはアメリカの話だが、何時か日本も同じようになるのではないかと不安になる。アメリカには、民主党と共和党という二つの選択肢しかなく、両方とも企業と結び付いている。この点でも、日本に不安材料が多い。

★★★ Nのために 湊かなえ
何人かの語りで物語を展開するやり方は同じ、であるが、ますますテクニックが冴えてきている。今回は時間のずれを上手く取り入れ、次第に核心へと近づいていく。最後まで何かあると思わせ、その期待を裏切らない。「N」が何を指しているのか、「Nのために」というタイトルの意味は何か、判然とはしなかった。「N」が指すものによっては物語がガラっと違うものになりそうである。
俺の人生は文学の中にある。常識から逸脱したものを哀れみ、普通こそが幸せだと洗脳されきった世界に俺の居場所はない。運命的で劇的な人生は文学の中でのみ体現できるのだ。現実世界での生活など、時代から取り残されたような安アパートの一室で誰とも関わらず、ただ原稿用紙に向かえている程度のものであればそれでいい。/俺の人生は炎とともに焼き尽くされた。それを文学に昇華できれば、思い残すことは何もない。(p.212)
ファンタジーのような計画を現実世界で成功させた彼女を見ているうちに、彼女も、そして安藤も、文学の世界を超えた現実に到達することができるのではないかという気がしてきた。(p.215)
たいしたことではないが、「安藤望」という登場人物、初め女だと思っていた。二回目に登場した時男だと判るのだが、曖昧にしておく意味があるのだろうか。

★★★ 死刑 読売新聞社会部
去年、青木理「絞首刑」という本を読んで衝撃を受けた。死刑に対する考えが揺らいだのだ。で、この本も読んでみた。先の本に書かれていた五つの事件はこの本でもちょっと言及されていた。ちょっと、なのは、この本ではもっと多くの事件、もっと多くの人、裁判官、検事、弁護士、拘置所の職員、教誨師、加害者やその家族、被害者の家族、など、実に多くの証言が載せてある。再審請求についても書いてあり、現在100人を超える死刑囚のうち、半分以上が手続きをしているとのこと、その間、刑の執行がされないことになっているからだ。書かれている内容は「絞首刑」とほぼ同じであるが、外国のこと、特にアメリカのことが書いてあり、日本は日本だとは思うが、外国と対比して考えると興味深い。詳し外国事情なども含め、もっと色々な本を読んでみたい。

★★ イスラエル 臼杵陽
何となく解っているように思っていたイスラエル問題も、奥が深い。この本は少々詳し過ぎる嫌いはあるが、丁寧に書かれていて、問題の所在がよく分かった。対外的なものばかりに目が行っていたが、内部の問題もかなり厄介なようだ。以下の引用がその問題点のまとめである。この先中東に和平が訪れるのか、明るい展望がないように感じた、特に内部の問題として。
最初に挙げなければならない深刻な分裂は、イスラエルを世俗的なユダヤ民族国家として維持しっづけるのか、それともユダヤ教国家にすべきなのかという、政教分離の原則にかかわる問題をめぐる対立である。第二の分裂は、ユダヤ人の出身地域による文化的差異に基づくアシュケナジームとミズラヒーム、あるいはロシア系ユダヤ人やエチオピア系ユダヤ人といった新たな移民集団の登場に伴うエスニックなレベルでの対立である。さらに、最も深刻な分裂は、同じイスラエル国籍といってもユダヤ市民とアラブ市民の聞の民族的な対立である。(p.212~p.213)

★★★ カッコウの卵は誰のもの 東野圭吾
少し読むとタイトルの意味がわかる。しかし、ストーリーは少しずつ新たな展開を見せ、読者を引き付ける。最後に明かされる真犯人の行動の一つに、そしてそれの反応に不自然さを感じたが、まあ許容範囲だろう。ワクワクしながら読み、充分楽しめた。

★★ 廃墟に乞う 佐々木譲
休職中の刑事を主人公にした短編集。最初の作品がイマイチだったが、この本のタイトルにもなっている二番目の「廃墟に乞う」はなかなかに素晴らしい作品である。それで、読む意欲がわいてきて、残り四つも一気に読んだ。日本的な義理人情とまではいかないが、それに近く、ペーソスを含んだ面白い刑事ものだ。読みやすく、楽しめる本である。最後の作品で、主人公が休職になった経緯が明かされ、目出度く復職に向かっていくところで終る。

★★★ 天皇と東大(下) 立花隆
ついに読了。何時から読み始めたのかハッキリしないが、(上)を読み終えたのが昨年の十月半ば、それから五カ月近くが過ぎている。昨春退職し、時間があるだろうと、この懸案の本を読もうと思ったのだから、相当の日時が過ぎている。勿論ずっと読んでいたわけではなく、集中して読んだ時期もあれば、しばらくほったらかしていた時期もある。時に著者の綿密は考証にウンザリすることもあったが、人物中心の書き方なので結構魅力的な人物が多く、(上)800ページ近く、(下)700ページ位を興味深く読めた。特に印象に残ったのは、南原繁と河合栄治郎。南原の方は昔本を読んだことがあるが、河合の方は全く知らない人物だった。思想的にはちょっと違うような気はするが、凄い人だと感嘆した。また一時期、「GHQ焚書図書開封」や「日本辺境論」同時進行したことがあって、その時は三者三様の面白さを楽しめた。次は、小熊英二だ。

★★★ 絹と明察 三島由紀夫
何故今三島かというと、時々本の情報を得ているHPで絶賛してあったからだ。あの切腹事件から後、彼の作品から遠ざかっっていた。あの日、大学生だった私が下宿で寝ているとき、規則正しい生活をしていた友人が事件を知らせてくれた。驚いたというよりあきれた。それまではどちらかというと好きな作家で、「豊饒の海」を読み、本屋に置いていない戯曲集を注文していたところだった。読む気をなくしたが、取りに行かない訳にもいかず、当時としては大金の四千円を払った。
この小説は、「豊饒の海」の前に書かれたもので、1954年におこった事件を題材に1964年に書かれた作品である。今回読んで、三島の文才にはやはり感嘆する。ただ、あの過激な行動の後だと、この作品は全く正反対の二つの解釈ができそうな気がする。タイトルの「明察」も、誰が明察したのか、まったく正反対の二つの答えがあるような気がする。
今かれらは、克(か)ち得た幸福に雀躍(こおどり)しているけれど、やがてそれが贋(にせ)ものの宝石であることに気づく時が来るのだ。折角自分の力で考えるなどという怖ろしい負荷を駒沢が代りに負ってやっていたのに、今度はかれらが肩に荷(にな)わねばならないのだ。大きな美しい家族から離れ離れになり、孤独と靖疑(さいぎ)の苦しみの裡(うち)に生きてゆかなければならない。幸福とはあたかも顔のように、人の目からしか正確に見えないものなのに、そしてそれを保証するために駒沢がいたのに、かれらはもう自分で幸福を味わおうとして狂気になった。そうして自分で見るために、ぶつかるのは鏡だけだ。血の気のない、心のない、冷たい鏡だけ、際限もない鏡、鏡……それだけだ。/『それもええやろう。苦労するだけ苦労したらええ。その先に又、おのずから道がひらけて来るのや』/そして存分に、悲しそうに吠えるがよい! 人間どもは昔からそうして吠えてきたし、今後もそのように吠えつづけるだろう。だから駒沢は、自分をも含めて、かれらをみな恕す。(p.283~p.284)
何年か前、持っていた本をほとんど古本屋に売った。先に書いた戯曲集は、他の戯曲の本と同様、古本屋が引き取りを拒否した。売れないのだそうだ。で、まだ手元にある。読んでみようかという気になった。

★★ 名ばかり大学生 河本敏浩
書かれていることは、既に指摘してあることが多く、あまり目新しいことはない。分析の方も独自色が少なく、無理をして納得できない主張をしているところがある。
この短大進学率が低下し始めた時期と、「援助交際」が蔓延しだした一九九四~九五年がぴたりと重なる点に注目したい。(p.86)
短大進学率の低下についての分析はいいのだが、そこから援助交際への展開が、宮台真司(コイツモ胡散臭い)を引用して、オドロオドロシイ。その他、浪人合格率の低下(p.128)、センター試験の都道府県別ランキング(p.142)、などの分析にも違和感を感じた。最後に提言みたいなことも書いてあるが、これも言い古されたことである。ではあるが、これは誰かが言い続けなければならないことだろう。そして、誰かが実行しなければならないことだ。

★★ 害虫の誕生 瀬戸口明久
虫から見た日本史、というちょっと大仰なサブタイトルが付いている。確かに日本の歴史を見通してはいるが、圧倒的に明治以降にページが割かれている。その明治時代に「害虫」に対する考え方が変わったという。そもそもそれ以前には、「害虫」という言葉すら無かったようだ。虫は虫であって、自然現象の一つにすぎない。だから駆除するものではなかった。この辺りの意識改革が大変だったらしい。なるほどと思う。殺虫剤の話もあるが、こちらは予測できる内容である。

★★ 神様のカルテ 夏川草介
作者は医者です。医者が小説を書くことが流行っているのでしょうか。経歴を見ると、この小説の主人公は作者の分身のようです。医療問題にも縷々言及されていますが、暗いところは全くなく、とても爽やかです。それを意図的にやり過ぎている嫌いはありますが、嫌みはなく、よくできた作品だと思います。
亡くなる二日前に見せてくれた田川さんのおだやかな笑顔は、時とともにより鮮明になってくる。多忙の中に置き去りにされていたささやかな記憶たちが、時間という化学変化をうけて、より鮮やかな色彩をもって立ち上がってくる。(p.145)
思えば人生なるものは、特別な技術やら才能やらをもって魔法のように作り出すものではない。人が生まれおちたその足下の土くれの下に、最初から埋もれているものではなかろうか。(p.203)

★★ GHQ焚書図書開封3 西尾幹二
タイトルに惹かれ、[1]を読み、何か根本認識が違うと思いながら、[2]も読み、今また、[3]を読んだ。内容はともかく、耳触りのいいことが書いてあるので読み易いのは間違いない。
今回一つ、明らかにダメだろうということがあった。第五章中国兵が語った「日中戦争」最前線、第六章匪賊になって生き延びた中国逃亡兵、である。
この章では少し毛色の変わった本をご紹介したいと思います。/日本に留学していた若い中国の青年が祖国へ帰って兵隊にされて日本軍と戦い、そしてその記録を日本に送ってきます。そこには中国軍の内部事情が赤裸々に記されていました。小説ではありませんが、三人称で善かれ、一見小説仕立てのちょっと変わった記録文学です。(p.149)
第五章の初めにこう書かれているのだが、第六章の最後には以下のようにある。
訳者の別院一郎が「この『敗走千里』は知友陳登元君の手記を土臺に小説化したものであつて、厳密な意味からは翻譯といふ名は當らないかもしれない。」という妙な釈明の一文を添えていることに気づきました。/『敗走千里』は文章がどことなく大雑把です。戦場の位置も特定できません。「元々この材料は陳君が尊い経験の中から摑んだもの」と書かれていますので、実話であり、作の成立のいきさつは述べられている通りであることは確かでしょうが、訳者の別院氏の脚色や加筆があったのではないかと思われます。文章のゆるみはそのせいです。(p.222)
中国人による中国軍批判だと思わせておいて、最後にこれではがっかりです。
今回新たに知ったこと、「チャンネル桜」というテレビ局の存在。この本の内容はここのテレビ番組で放送されたもののようです。

★★ 巡査の休日 佐々木譲
一応楽しんで読みました。でも、何か足りないような感じ。様々な事件が最後は一点に収束するという構成はヒネリがなく、無理にくっつけたものもある。社会悪に切り込む姿勢も見えるが、中途半端。最後は、明るく幕を引く、のはテレビドラマの様。そうです、札幌のよさこいソーランが重要な要素になっていて、映像化にピッタリです。著者の過去の作品には映像化されたものが結構あるようなので、これもかな。

★★★★ 六本指のゴルトベルク 青柳いづみこ
演奏と文筆の二刀流 (p.161) と本文中に自分のことを書いているように、著者は、クラシックのピアノ奏者で、多彩な活動をして賞を受け、また、朝日新聞の書評委員をやったり、著書で賞をとったり(この本も講談社のエッセイ賞を受賞)しています。演奏の方は聞いたことがないので何も言えませんが、この本を読んで、音楽に関する深い造詣、豊富な読書量、音楽と文学の結び付け、文章の的確さ、に只管感嘆です。既に読んだ本・見た映画・聴いた音楽はもう一度、未だのものはこれから是非、と思いました。読書好きで音楽好きの方、超お勧めです。

★★★ 日本辺境論 内田樹
出だしはいつもと違いやさしく語りかけるよう。しかし・・・後の方で次のように書いている。
実はこの本の原稿を、私は途中までずっと「ぽく」で書いていたのです。ところが、途中で「ぽく」という人称代名詞では書き進められなくなった。十分な根拠が示せないのだが、とにかく勢いで突破せねばならない行論上の難所にぶつかったとき、「私」に切り替えたのです。「ぽく」では腰が弱すぎて、この難所を越えられないと思ったからです。(p.213)
で結局難しい話になります。なるほどと納得することは多々あるのですが、では著者の結論は、というと、「続く」、という感じです。
ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぽうと思います。(p.44)
はるか遠方に「世界の中心」を擬して、その辺境として自らを位置づけることによって、コスモロジカルな心理的安定をまずは確保し、その一方で、その劣位を逆手にとって、自己都合で好き勝手なことをやる。この面従腹背に辺境民のメンタリティの際立った特徴があるのではないか、私はそんなふうに思うことがあります。(p.67)
この後に具体例として、別の本でも書いていた、憲法九条と自衛隊の矛盾について書いています。九条と自衛隊はアメリカの国策上はまったく無矛盾です。「軍事的に無害かつ有用な国であれ」という命令が、つまり、日本はアメリカの軍事的属国であれということがこの二つの制度の政治的意味です。/この誰の眼にも意味の明らかなメッセージを日本人は矛盾したメッセージにむりやり読み替えた。(p.68)
朝河寛一、という人物について言及あり (p.82)、調べてみる価値ありそう。
私たちは自分たちがどんな国民なんだかよく知らない。日本人にとって、「われわれはこういう国だ」という名乗りは、そこからすべてが始まる始点でなく、むしろ知的努力の到達点なのです。だから「日本人とは何ものなのか」というタイトルの本が本屋には山のように積んである。「日本とは何なのか、日本人とは何ものなのか」を知ることこそは私たちの「見果てぬ夢」なのです。「日本人とはしかじかのものである」ということについての国民的合意がない。(p.107)
「外部に上位文化がある」という信憑は私たちの「学びLを動機づけできています。それはまた私たちの宗教性をかたちづくってもいます。(p.158)
張良と黄石公の沓の逸話を描いた彫り物が西本願寺の唐門に掲げてあります。(p.158)
京都に行った時見に行くべし。
時間の長さの感覚は、生物がそれまで過ごしてきた時間の総量を分母として考量されます。五歳の子どもにとっては一年は人生の二十%の時間です。五十歳の大人にとっては二%に過ぎません。だから、子どもにとって主観的時間はゆっくり流れます。(p.183~p.184)

★★★★ カデナ 池澤夏樹
池澤夏樹は好きな作家で、これまでに10冊ぐらいは読んでいる。「マシアスギリの失脚」が最高だと思う。しかし、この本を読もうとして気付いたが、何故かこの十年ぐらい彼の作品を読んでいない。嫌いになったという訳ではなく、理由は分からないがアンテナに引っ掛からなかった。
この本には、30年代半ばから70年代半ばまでのことが書かれているが、68年の出来事がメインである。このところ、68年がよく話題になる。これも我々世代が狙われているということなのだろうか。この年、私は一浪して大学に入った。だから、この本の背景、醸し出している雰囲気がよく分かる。
話は3人の人物の一人称の語りで進行していく(実は私、この形式を好きではない)。アメリカ兵とフィリピン人の間に生まれた女性、サイパンで終戦を迎えたオキナワン(沖縄人 Okinawan リーダーズに登録されている)、戦後生まれのオキナワン、の3人。もう一人、米空軍のパイロットが主要登場人物。更に、登場頻度は多くないが、沖縄に住んでいるベトナム人。これだけのキャストをみると凡その話が想像できるだろう。ベトナム戦争の末期、パオロットを除く4人がスパイなのだ。その顛末が旨く書かれている。終わり方もいい。久し振りに、読んだ後すっきりした気持ちになる本だった。
愛国心は感情としてどこか気恥ずかしいものだということです。勢い込んで頑張ったりもするけれど、しかし愛国心は例えば恋や友情に比べたら劣等な感情ですよ。どこかに無理がある。そのくせ生命が掛かっている。掛けられてしまう。嘘が混じっているのにそれは言ってはいけないことになっている。だから劣等なのです (p.269)


★★ インビジブルレイン 誉田哲也
楽しめた。が、書き方がどうも引っかかる。出だしから登場人物が多過ぎて整理が付かない。語りが場当たり的なご都合主義で、違和感がある、これは面白ければいいという最近の傾向のように感じる。ストーリ的には、あまりに保身に走る官僚、とってつけたような恋愛話、など現実離れが甚だしい。

★★★ 球体の蛇 道尾秀介
文章も、構成も、シンプルで読みやすい。それなのに、次々と真相が明らかにされ、そのたびに、物語全体が大きく動く。この著者の本は三冊目だが、どれも面白かった。残念なのは、他の二作にも見られるのだが、読んだ後にスッキリとしないものが残ることだ。ケリを付けなければいけないことがどうなったのか、書かないのも一つの手法かもしれないが、結末への説得力が弱くなっている。

★★ 日銀を知れば経済がわかる 池上彰
著者は、NHKで「週刊こどもニュース」のお父さん役をやっていた。難しいニュースも分かりやすく面白く話すので、よく見ていた(今のお父さんは、ちょっとね、子どももだけど)。
昔から経済には興味があり(一時期大学は経済学部に行こうと思った時もあった)、いろんな本をんだが、いまだに鱗が落ちない。難しすぎたり、易しすぎたり、手頃のものがない。(最近、銀行や証券会社がやるセミナーに参加するが、結構面白い。生きた経済だと思う。)
知らなかったことも勿論あり勉強にはなったが、全体的にみると、この本は易しすぎた。鱗はバラバラと落ちなくてもいいから、多少でも全体像が見える本は無いものだろうか。

★★ 半島へ、ふたたび 蓮池薫
あの、北朝鮮による拉致被害者、蓮池薫さんの手記です。ブログに書いていたものを本にしたようです。第一部「僕がいた大地へ」は、韓国旅行についてで、当然、北朝鮮との違い、また、似ているところが述べられます。第二部「あの国の言葉を武器に、生きていく」では、翻訳家を目指すようになった経緯や現状が書かれています。誠実さがにじみ出てくるような文章で、余り悲惨なことは書いてありません。が、北朝鮮での生活の大変さ、日本に帰ってからの不安、などといったことは充分に感じられます。そして常に、北朝鮮に残された拉致被害者に思いを寄せ、解決を願う姿勢は、ある意味、気の毒なことに、彼に背負わされた宿命なのかもしれません。だから、もっと北朝鮮を告発するものを書いてほしいと思います。

★★★ SOSの猿 伊坂幸太郎
昔、私が学生の頃に好んで読んでいた小説は、「語り」そのものをテーマにしたものが多かった。伊坂幸太郎にもその傾向を見ることはできるが、当時真面目に考えていた私にとっては、彼は面白おかしく単なる手段としてしか考えていないように見える。確かに手段でしかないのだが、彼の場合はご都合主義的で、読者を馬鹿にしているような印象を与えることがある。しかし、この作品には一貫性が感じられ、好感が持てた。相変わらず、ストーリ展開はうまい。西遊記を下敷きに、話が二層三層に重なっていき、読者をめくるめく虚構の世界へ誘う。面白い作品ではあったが、きっと一般受けしないだろう。
この作品と対をなすコミックが近々出るらしい。こちらも読んでみよう。

★★ ラーメン屋の行列を横目にまぼろしの味を求めて歩く 勝見洋一
「まぼろしの味の度合い」/この世から完全に絶滅してしまったもの。/作り方がわからなくなってしまったもの。/この二つが、まぼろしの味の度合いでは最高位だろう。/しかし、以前とは味が変わってしまったものを単純に「まぼろしの味」と言うのならば、まあ、ゴマンとある。(p.11)
「まぼろし」の定義が主観的になるのは仕方のないことだろう。それはいいのだが、この本、初め我々庶民にも共感できる内容なのだが、だんだんと高級で、高尚な、簡単には行けそうもない別世界の話が増えていき、ちょっと白けた気分になる。また、書名からも想像できるように、著者は行列のできるラーメン屋には好印象を持っていないようだ。
そもそもラーメンは、厳選された素材がどうのという料理ではない。どこかウソつぼいのに、しみじみと旨いというキラキラとした秘密を持っていた。その「悪」の魅力が、ラーメンの精神的スタンスだった。それがあってこそ社会の荒涼とした現実と自分との関係を噛みしめることができる、実存主義的食べ物であった。(p.40~p.41)/今、ラーメン作りには何の制約もなさすぎる。(p.41)
岩塩の羊脂炒め (p.147~p.151)、というものについて書いてある。これは食べてみたいと思った。名前通りのものだが、岩塩が特殊なもので、今はもう手に入らなくなったのがまぼろしの原因のようだ。
ここで甘さについて考えるならば、甘いという味覚には「男甘」「女甘」「子供甘」があると思う。/今の日本の甘さは「女甘」と「子供甘」の中間に、ピタリと照準を合わせているのではないだろうか。残念なことに文化的甘さではない。/それじゃあ「男甘」とは、といえば、案外と激甘だったりする。しかしただ甘いだけではない。鋭い甘さが、他の味覚にもくっつくようになっている。佃煮でも甘さが素材の味をほじくりだし、素材の姿をあぶりだす。アンパンだって鯛焼きだってドラ焼きやきんつばだって、甘さではっきり浮かび上がってくる小麦粉や小豆の味の変化を楽しんでいる。(p.202~p.203)
この甘さについての記述には共感、最近は甘さ控えめが全盛だが、そして確かにそれもいいのだが、ものによっては劇甘がいいこともある。

★★★ 「食糧危機」をあおってはいけない 川島博之
世に言われる食糧危機の根拠を検証し、それが間違っていることを証明していく。説得力があり、信じやすい私は、食に関する心配をしなくていいと思った。
BRICsの成長で穀物不足になるという説は、これらの国々が欧米と同じ程度に肉食になるという前提に立っている。しかし、その前提が間違っているので、穀物不足は起こらない。人口爆発で食糧不足、これも峠を越えていて、予測より増えない。食糧生産は限界、用地の面からも、肥料の面からも、温暖化の影響を考慮しても、まだ生産量アップの余地がある。
このようなことを色々なデータを使って説明していて、分かりやすい。私には反論する知識も力もないが、きっと、反対意見の人はいるだろう。そういう人の話も聞いてみたい。